先に
=皆さま、応援ありがとうございました。心の底から感謝します。無事に妹の手術は終わり、順調に回復中です。=
最近の医学の進歩には、私の中の病気や手術に対するイメージがついていけてません。
スノウさんは29日の朝8時に病室から移動して、9時から手術で、そこから10時間と聞いていたけれど、2時間ほど早く終わり午後5時には手術の終了の連絡が入りました。
今は「こんな時代」。
家族であっても、病院からの連絡頼みで、詳しい事は分からず「無事終了」と言う言葉を信じるのみです。ただ手術の直後に麻酔が覚めた時、担当医の名前が言えたというので、皆ホッとしたそうです。
もちろん私たちもです。
でもその時私たち姉妹は、スノウさんからの連絡が来るのは数日後だとみな思っていたのです。ところが、早くも昨日の30日に、一族のグループラインに彼女自信からのメールが入ったのでした。
もうメールが打てるなんて凄いなと思いました。
もちろん短いメールで、感謝を述べたものでした。
だけどその直後、彼女から姉妹Gラインにビデオ電話が入りました。
音声だけかなと出てみたら、映像のほうでした。
「すぐ切るよ。」と彼女が言うので、
「間違えちゃったの?」と聞くと
「違うよ。」と言いました。
でもその時、看護婦さんが来て、妹の名前を呼んだので、何か悪い事をしていたかのように、私はドキドキしてその電話を切ってしまいました。
頭に大きなガーゼとチューブなどもついていましたが、顔色も良くてしっかりした顔つきだったので、ほんのちょっとだけ顔を見る事が出来ただけでも、嬉しかったです。
ところが他の姉妹も同じ事をやっていて、皆時間がほんのちょっとずつずれて、うっかり自分だけ出てしまったと思って切ったようなのですが、スノウさんとはお話が出来なかったけものの、その時の看護婦さんとの会話をちょっとずつ聞いたそうです。
それによると、もう車いすに乗れる・・・。だけど彼女はまだ怖いから今は良いですと言うようなものだったらしいです。
もう車いすにも乗れる !
凄いなとやはり皆で言い合いました。
姉の蝶子さんが、「おいおい詳細は聞いて行こうね。」と言ったので、焦らずにそうしようと思っています。
ところで入院する日の朝、蝶子さんがスノウさんに
「ちょっくら病院に行っといで。」とラインのメールで書き込みが入れてありました。
こんな時の「ちょっくら」、イイナと思いました。気持ちが軽くなると言うものでしょう。
そして27日の一族の応援の書き込みの中の末の妹の名都さんの言葉に
『皆んなの心は、当日の手術日に、手術室の外で全員で待機して待ってるから、バーンと入って、ドーンと出てきて下さい。元気になったお姉ちゃんが帰ってくるの、待ってるよ。』とありました。
そして前日にも、昨日も書いたけれどと
『バーンとドーンでキリッね』とありました。
「一個増えてる。」と私は笑い、だけど良い言葉だなとしみじみと思い、それもちゃんと伝えました。最後の「キリッね」が凄く生きているのです。
バーンとドーンだけだと、ひとつ上の文を読んでいなければ、違った印象に、つまりネガティブな発想に走りかねない場合もあるからです。
世の中では、誰かが「擬音語・擬態語の多用されている会話はバカっぽい。」と言ったような気がします。確かに、それもあるかもしれなし、あながち否定できるものではないと思いますが、だからと言ってすべて追従する必要はないわけですね。
私なんかも日常の会話ではそれの多用な人なので、時々、頭の固い夫などから、「なんじゃそれは。」と攻撃されています。(フーンだ。ぷんぷん)
「そんなものはガッーとやって、終わらせよう。」とか「ババババとやっつけちゃおう。」とか。
長々話すよりも、非常に分かりやすい場合が多いのですよね。
この「バーンとドーンでキリッとね。」は何かの時の姉妹の合言葉になっていく予感がします。
昨日は、私にとっても新しい戦いの始まりの日でした。
家に(ちょっと難しいかも知れない)新しい少年を迎い入れる事になっていました。
私はヘラヘラして気さくなおばちゃんキャラでいましたが、実はかなり内面では緊張していました。
ちょっと気さくさ強調しすぎて、おしゃべりしすぎちゃったかもしれないし、午後からは何も出来ないような疲れを感じました。
だけど10分前だって、既に過去。とりあえずサクセスだったと信じて、未来に目を向けて行こうと思います。
(掃除も頑張ったしね。(^_^;))