森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

大阪散歩3日目《「太陽の塔」に会いに行った》

2023-07-17 18:10:00 | お出掛け日記

今回の大阪への旅行で、行きたいところはあるかと星子さんに聞かれた時、「大阪城と万博公園とあべのハルカス」と答えました。

「万博公園は、ちょっと離れているんだよね。」と言われて、

「じゃ、いいよ。別に無理して行かなくても。」と言ったのですが、プランに入れていただきました。

 

万博公園に行きたかったのは、「太陽の塔」が見たかったからです。

今、この塔の内部見学が出来るんです。

予約していかなくても見ることが出来ますが、それは予約に空きがある場合でした。空きがある時間まで待つ時間がある場合もOKだと思います。だけど旅の予定もある場合はそうはいかないと思います。つまり、絶対に見たかったら「要予約」です。

ちょっとそこは失敗しちゃったかなと思うのですが、見られる時間まで待つことが叶わず、内部見学は出来ませんでした。

 

だけど私的には、かなりの満足でした。

ちょっと途方もない感想を言ってしまいますが、

「20世紀少年」の「トモダチ」、彼もこの万博公園に来て、この太陽の塔としみじみと向き合ってみれば良かったのに。そうしたら固執したトラウマが消えて世界を滅ぼす遊びが続けられなくなってしまったのではないかしらなどと思ってしまったのです。

でもそしたら、あの名作は生まれず、(私もエキストラで参加が出来なかったしw)なんていうか元も子もない事を言ってしまいましたね(笑)

 

私が、あの物語でもやっぱり浦沢直樹氏は天才だなと思ってしまうのは、1970年の大阪万博に行けなかった少年を描いたからと言うのもあると思うんです。

「'70エキスポ」は時代のど真ん中にあったという感じがするんです。

未来のトモダチになってしまう少年が、クラスメイトに万博の話を語る。クラスのみんなは感心したように、その話に聞きいる・・・・。

彼がクラスの中で光り輝いた数分だったのですよね。

 

ある日の私は、クラスメイトの少女が語る万博の話に聞き入っていました。

「お父さんが言ったの。家族で万博に行くから今年からお年玉はそれのために貯金しなさいって。」

「万博ってなあに。」と私。

「うん、2年後にあるのよ。大阪で。」

「そんな先に ? 」と私は敢えてつまらなさそうな顔をしたかもしれません。それともやっぱり単純に「凄いね。」と言ったかもしれません。

家族みんなで行くために、お父さんがそんな計画を立ててそれを言う・・・・羨ましく感じました。

 

家族が多いと、楽しいこともたくさんあったけれど、寂しく感じることもたくさんあったのです。

我が家では、父がそんなことを考えるなど、爪ほども考える事は出来ないことだったからでした。

事実、大阪万博が始まると、父は父の姉と二人でそこに出かけていきました。

 

母が言いました。

「うちではパパが行くのよ。」と、まるで代表で行くみたいに。

だけど私は、「ばかばかしい。」とそれをそう思うほどの反抗期でもなく、素直に我が家からも一人は、この時代の大きなイベントに参加できて良かったなぁと思っていたように思うんです。

だいたいその時、連日テレビから流れてくるニュースでは、人気のある館での長蛇の列の3時間待ちとか4時間待ちとか、または何人がぶっ倒れたとか、食中毒が起きたとか・・・・

なんだか本当に行きたかったわけではないなと思えてきてしまっていたし、行った父はそういう人気館の苦労を避けて、空いているところばかりを選んで行き、そこの若くて綺麗なコンパニオンのお姉さんたちと一緒に撮った写真ばかりを、私たちは見せられたような気がします・・・・やれやれ。

だけどその時、父が買ってきてくれたお土産は、メダルの重さのするしっかりとしたペンダントで、意外と高いものでした。

たぶん、それが一緒には行けなかった事に対する彼の気持であったように思います。

 

ただそれでも、小学校の教室でクラスメイトから聞いた時に、ふと感じた寂しさは拭い去る事は出来なかったのでした。

ある種のトラウマ。トモダチと一緒です。

 

でもこの「太陽の塔」を見た途端、徐々にではなく、本当にぱっとそれが消えたのです。

「可愛い~ !!!」

 

私は「太陽の塔」の顔は、ずっとちょっと怖い顔に感じていました。

岡本太郎氏の作品は、私にはちょっと強烈過ぎたのです。

それにその印象が強かったからか、彼の事も、ちょっと癖のある怖い人だと長い間思っていました。

 

ところが思っていたのとは全く違いました。

愛嬌のある可愛らしい顔にしか見ることが出来ません。

そう言えば、岡本太郎氏の事も、個性的な声と短いセンテンスで、やはり怖い人のようなイメージがあったのに、話している内容は意外にも優しいんだなと感じたことがありました。やはり優しい人だったんだと思いました。

 

 

この背中のカーブと言い、ピヨッとした翼。

元気な太陽おじさんを背負って(笑)

 

星子さんがこの時、とっても良いことを言ったんです。

あっでも正確な言葉を忘れちゃった(;^_^A(;^_^A

このような内容・・・・

「これを受け入れるのに、ようやく感性が追い付いたのね、きっと。」

 

そうだったのか~ !!!

 

1970年に来ても、私が見るべきものは「月の石」ではなくて、この「太陽の塔」だけだったかも。でもそれを見るのは、その時は早かったのよね。

半世紀たって、今、見たよ~。

そして感激したよ~。

岡本太郎氏が好きになったよ~。

 

万博公園で見たのは、この太陽の塔だけ。

私は足が限界に近くて(膝のみではなくて全体的にパンパンで足の裏もけっこう痛い…。)、星子さんは熱さでクラクラ。時間的にも厳しくなってきたので、ここを後にしたのです。

短い訪問時間でしたが、楽しかったです。


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