上杉主役なれど、上杉を描かず。
その撤退劇も家老自らしんがりを勤めたと言うせっかくの見せ場を作りながら、ヨロヨロになった家臣と血まみれカネタンを出して
「皆さま、大変だったんですよー。どうぞご想像くださいませ。」と言う所。
「しんがり」なんて、思いつきで書いたんだな、この人。と、そっちの方を想像してしてしまいましたよ。
だけどお話がつまらなかったかと言うと、さにあらず。
三成の最後。
その最後の日々をゆかり人の口から語らせ、丁寧に描いた新しい切り口で小栗三成との別れにしみじみといたしました。
兼続も撤退後のあのシーンは良かったです。
「あの」と言うのは、頭からの血の滴るシーンです。
涙のように滴り落ちるので、思わず失血死するぞとショウもないことを思ってしまいましたが、あの血は兼続の心から滴り落ちる滂沱の涙に感じました。
泣け、兼続!
今だけは許す。
今泣かずして、いつ泣くと言うのだ。
別に私の許しなどなくても、大げさに言えば39回ずっと泣き続けている兼続ですが、・・・
―ああ、だから普通の涙では伝わらないと思って、血の涙を滴らせたと言う所なのかな(普段泣かせすぎなんだよね)―
遠くから聞こえてきた三成の敗走、上杉の撤退。彼の夢見ていた正義の旗が無残にも引き裂かれたように感じた瞬間だったと思います。
家康の陣で詮議を受ける三成は、強い者、勝つ者が常に正しいと限らぬ、と言い放ちます。
だけど、このドラマの中の家康は本当に憎たらしい。こんな描き方でいいのか時々不愉快に感じます。考えた事もなかったのですが、私って意外と家康の事、嫌いではないのかも。
家康って、あまり良く描かれない事が多い?
良き者、悪き者がはっきりしているように見えるこのドラマですが、勧善懲悪にはならないのは、歴史が証明済みです。
何が正しかったのか・・・
誰が正義だったのか・・・
本当のそれは分かりません。
ただ彼らは我こそが正しき道を歩んだと、真っ直ぐな気持ちで信じていました。
処刑の時、初音に
「兼続に伝えよ!!」と凛とした声で叫ぶシーンは、余韻が残りました。
その先の言葉がなかったがゆえに、
―我の最後を伝えよ―なのか
―我の想いを伝えよ―なのか
それとも最後を伝える事によって、想いが伝わると言うのだろうか・・・
そしてそれはパズルを解くように人々が彼について語り、やがてその伝えよと言う部分が見えてくるのでした。
お船が語る三成の思い出は、いつか兼続と共に踊りを踊ってみたいと言うようなもので、出会いやその友情を育んだ場面が走馬灯のように兼続の脳裏に過ぎていきました。
訪れた福島が語る三成との最後の時。
豊臣の減俸と言う処分に、気持ちがぐらついていた福島でしたが、豊臣の事を思って戦ったのだから、我らは同じ同志であったと三成は語ります。下戸であるにも拘らず、最後に彼の盃から酒を飲む三成。
惜しいかな、彼にそういう柔軟さが普段からあれば、単純な(このドラマの中では)福島にも思いは伝える事が出来たのにと、私はまたも意味のないことを思ってしまいました。少なくともその時三成の豊臣への想いは、福島にはしっかりと伝わったのでした。
悔いる福島は兼続に秀秋にも会えと伝えるのでした。
そしてあんなヤツなのに、いつでもキーパーソン秀秋も、最後に牢に会いに言った事を語ります。
「ここを開けよ。」と迫る三成。最後の最後まで諦めない三成。でもそんな事が秀秋にする事など出来ないのも分かっているのです。
そしてここで三成は兼続に伝言を頼むのでした。
「生きて我らの正義を後世に伝えよ」
最後の最後まで、三成は生きて戦っていたのだと思いました。もちろん死の瞬間まで生きているのは当たり前の事ですが、蟄居していた三成は「死に体」に等しく、それを蘇らせたのは兼続の訪問だったように思います。
そして二人の間に交わされた密約。
その言葉には自分は死んでも、兼続は必ずや生き抜いて欲しいと言う願いを感じました。
景勝が家康を追わなかった時に、思わず兼続が三成の武運を祈るシーンにも呼応しているようにも感じました。
折りしも9月。ぜんぜんカンケーないのですが「雨月物語」の「菊花の契り」なんかを思い出してしまいました。テレビなので映像バリバリですが、本当は既に姿のない三成です。幽霊ではなく言霊と言う姿に変えて兼続に会いに来て、そして生き抜く力を与えていった・・・なんてね。
小栗三成―やっぱり「ムサシ」の舞台での成果もあったのではと思いました。
すみません。言いなおします。
「ムサシ」の舞台の成果だと感じました。あの発声があったればこそ、あの余韻残るシーンが出来たのだと、私は思いました。
小栗君、本当に良かったです。お疲れ様でした。
その撤退劇も家老自らしんがりを勤めたと言うせっかくの見せ場を作りながら、ヨロヨロになった家臣と血まみれカネタンを出して
「皆さま、大変だったんですよー。どうぞご想像くださいませ。」と言う所。
「しんがり」なんて、思いつきで書いたんだな、この人。と、そっちの方を想像してしてしまいましたよ。
だけどお話がつまらなかったかと言うと、さにあらず。
三成の最後。
その最後の日々をゆかり人の口から語らせ、丁寧に描いた新しい切り口で小栗三成との別れにしみじみといたしました。
兼続も撤退後のあのシーンは良かったです。
「あの」と言うのは、頭からの血の滴るシーンです。
涙のように滴り落ちるので、思わず失血死するぞとショウもないことを思ってしまいましたが、あの血は兼続の心から滴り落ちる滂沱の涙に感じました。
泣け、兼続!
今だけは許す。
今泣かずして、いつ泣くと言うのだ。
別に私の許しなどなくても、大げさに言えば39回ずっと泣き続けている兼続ですが、・・・
―ああ、だから普通の涙では伝わらないと思って、血の涙を滴らせたと言う所なのかな(普段泣かせすぎなんだよね)―
遠くから聞こえてきた三成の敗走、上杉の撤退。彼の夢見ていた正義の旗が無残にも引き裂かれたように感じた瞬間だったと思います。
家康の陣で詮議を受ける三成は、強い者、勝つ者が常に正しいと限らぬ、と言い放ちます。
だけど、このドラマの中の家康は本当に憎たらしい。こんな描き方でいいのか時々不愉快に感じます。考えた事もなかったのですが、私って意外と家康の事、嫌いではないのかも。
家康って、あまり良く描かれない事が多い?
良き者、悪き者がはっきりしているように見えるこのドラマですが、勧善懲悪にはならないのは、歴史が証明済みです。
何が正しかったのか・・・
誰が正義だったのか・・・
本当のそれは分かりません。
ただ彼らは我こそが正しき道を歩んだと、真っ直ぐな気持ちで信じていました。
処刑の時、初音に
「兼続に伝えよ!!」と凛とした声で叫ぶシーンは、余韻が残りました。
その先の言葉がなかったがゆえに、
―我の最後を伝えよ―なのか
―我の想いを伝えよ―なのか
それとも最後を伝える事によって、想いが伝わると言うのだろうか・・・
そしてそれはパズルを解くように人々が彼について語り、やがてその伝えよと言う部分が見えてくるのでした。
お船が語る三成の思い出は、いつか兼続と共に踊りを踊ってみたいと言うようなもので、出会いやその友情を育んだ場面が走馬灯のように兼続の脳裏に過ぎていきました。
訪れた福島が語る三成との最後の時。
豊臣の減俸と言う処分に、気持ちがぐらついていた福島でしたが、豊臣の事を思って戦ったのだから、我らは同じ同志であったと三成は語ります。下戸であるにも拘らず、最後に彼の盃から酒を飲む三成。
惜しいかな、彼にそういう柔軟さが普段からあれば、単純な(このドラマの中では)福島にも思いは伝える事が出来たのにと、私はまたも意味のないことを思ってしまいました。少なくともその時三成の豊臣への想いは、福島にはしっかりと伝わったのでした。
悔いる福島は兼続に秀秋にも会えと伝えるのでした。
そしてあんなヤツなのに、いつでもキーパーソン秀秋も、最後に牢に会いに言った事を語ります。
「ここを開けよ。」と迫る三成。最後の最後まで諦めない三成。でもそんな事が秀秋にする事など出来ないのも分かっているのです。
そしてここで三成は兼続に伝言を頼むのでした。
「生きて我らの正義を後世に伝えよ」
最後の最後まで、三成は生きて戦っていたのだと思いました。もちろん死の瞬間まで生きているのは当たり前の事ですが、蟄居していた三成は「死に体」に等しく、それを蘇らせたのは兼続の訪問だったように思います。
そして二人の間に交わされた密約。
その言葉には自分は死んでも、兼続は必ずや生き抜いて欲しいと言う願いを感じました。
景勝が家康を追わなかった時に、思わず兼続が三成の武運を祈るシーンにも呼応しているようにも感じました。
折りしも9月。ぜんぜんカンケーないのですが「雨月物語」の「菊花の契り」なんかを思い出してしまいました。テレビなので映像バリバリですが、本当は既に姿のない三成です。幽霊ではなく言霊と言う姿に変えて兼続に会いに来て、そして生き抜く力を与えていった・・・なんてね。
小栗三成―やっぱり「ムサシ」の舞台での成果もあったのではと思いました。
すみません。言いなおします。
「ムサシ」の舞台の成果だと感じました。あの発声があったればこそ、あの余韻残るシーンが出来たのだと、私は思いました。
小栗君、本当に良かったです。お疲れ様でした。
>幽霊ではなく言霊~~~
これかんど・・。でなるほど「ムサシ」の・・舞台未見ですが、確かに、近々の三成の話は聴きやすかったです。「菊花の契り」も凄っ。全然思いつかなんだ。。でも伺って、それ、いいいいっ、て。「あの」兼続の姿がフラッシュバックしの。kiriyさんの脳内も千里の奥行きですね。清々しい小栗君の三成でした。
関ヶ原も終わっちゃいましたねぇ・・。前回も今回もナレーションがほぼ無く、集中して観られました。最近はこちら、上地君の小早川が、ご本人はおっきい方だと思うんすけど小動物のように脅える感じに、過去の演者を思い返しても結構お気にに。家康さんはぁ…個人的にはへいき。でもご覧になってて不愉快な感じてのはつらいですねぇ。。
わたしも家康がどうだとは考えたこと無かったです。と。引越し前は琵琶湖周辺にいまして、大河ネタお喋り相手に70歳半ば過ぎのご近所のお爺ちゃんが。。から伺ったことに”こっちはみんな豊臣贔屓だからねぇ、家康に対する兼続の態度などすっとするよ~”て。はぁ…と軽く目からウロコ。もち、”みんな”かどうかは置いといて。その時はこちらも地元住民な気分になっていて”わても応援しよ豊臣方”と単純に思ったモンす。その余波もあってか、へいきなのかも。
感想書きエンジンも温存な按配ながらココんとこのご感想アップお疲れ様ですぅ。今宵まとめて拝読。
この大河に限らず、寝食忘れて感想書きに没頭できる、わくわくした連続ドラマがあったらこんなに楽しいことはない。そんな機会がどこぞであります様に。
で今年は<11月で終わり>て忘れてました。自分も親に言っとこ。うちの母親などもとても楽しみにしていまして、やはり話している時になるほろ…だったのが、戦争シーンはいや、という。一度観ればたくさん、と言っていた母も70歳半ば。昭和の昔を思い出すんだそうで。この話は追々ゆっくり聞こうと。。思っているうちに、世の中何がおこるかわからんて。。幸い我が家も親の介護機会はまだ無く。元気なうちに、たくさん遊んでおくことにしますぅ。
又々長文御免。
>こっちはみんな豊臣贔屓だからねぇ
は、「おお~」と思いました。
サすれば、私はやっぱり関東平野の女なんですねぇ。意識した事ないのに微妙に北条や徳川好きなんです。
そうそう、あんな書きかたしていますが、私も上地君の小早川は面白いと思っています。彼は意外といろいろな役を起用にこなせそうな人ですね。
お互いに元気なお母さんを大切にしたいですね。お互いのお母さんも同じくらいの年齢ですね。
やっぱり育った所や住んでいる所に、お気に入りの武将って左右されるかも知れませんね。
「風と~」では、草刈氏に熱を上げた子供時代の思い出がありますよ。(前に言いましたっけ?)
でも将門公と言うと、東京のビルの谷間で迷ってしまって、ふと見つけてしまった首塚の事を思い出します。場所的に違和感が凄くて、ちょっと怖かった思い出です。
そんなところに首塚があるのは、将門の無念の表れなんですよね。
で、こちらにコメントはというと
そうなんです~小栗ファンなんです(笑)
kiriyさんは 藤原君のファンとお見受けいたしまして
ついコメントを^^
私は 舞台観劇はまだ数作品ですが
見るきっかけが 小栗君の再演「お気に召すまま」からで
(子どもの手が離れたので遠出もできるようになって^^)
それからですが 藤原君の「かもめ」も広島で公演があり
2日みにいきました^^
やはり イイですね~藤原君。
藤原君は好きな俳優さんだったので
「新撰組」を見続けましたよ~~~^^
「ムサシ」面白かったですね~
笑わせるところもあり 奥が深く見入ってしまいました。
二人をいっしょを見れるのはなんて贅沢~~
コメントしようと思ったのは
kiriyさんのおっしゃっている
>小栗三成―やっぱり「ムサシ」の舞台での成果もあったのではと思いました。
すみません。言いなおします。
「ムサシ」の舞台の成果だと感じました。あの発声があったればこそ、あの余韻残るシーンが出来たのだと、私は思いました。
実は私もそう思っております^^
この一年弱 小栗君は時代劇をやっていましたけども
後半の35話あたりからの石田三成は
「ムサシ」の成果だと思っておりました。
ちょうど「ムサシ」終わってからの撮影のような感じなので。
「ムサシ」の公演中でも先輩がたのご指導
そして藤原君と切磋琢磨で刺激をもらっていた風
かなり勉強になったんではないかと かってに思っていますけども
実際 39話の三成は よかったですよね~(ひいき目線すぎます~? 笑)
土曜に 「カイジ」の番宣がありましたけどもおもしろそうですね^^
是非見に行きたいなぁ~と思っています。。
長々とすみませんでした。
kiriyさんの言っておられることにまったく同感だったのでつい^^
小栗君は名前のとおり、今、最も旬な人。「ムサシ」の企画を知った時に、「アカン、これは。両者参戦じゃん(小栗ファンと藤原ファン)。チケット取れるかなあ・・」と不安に感じましたが、予想どおり苦労しましたよ(笑)
苦労のしがいがあって、贅沢な舞台を堪能しました。
ちょっと誤解を生じるような言葉かも知れませんが、悪意はないので聞いてくださいね。その舞台で、私は小栗君の芯の中にある気の強さを感じました。
先日深夜にやった「ムサシ」の舞台裏を見せてくれた番組で、初日は絶対に開けるぞと決意固める蜷川さんが、イザとなったら藤原が二日、小栗が三日徹夜すれば開くと言っていました。私的には納得の、だけど印象深い一言でした。
「ムサシ」のお芝居の中でも、その発声に藤原君を感じさせるものがあって、「侮れないなぁ、小栗君」とぐんぐんと追いかけてくる怖さみたいなものを感じたのですよ。
「追いかけてくる」なんて言葉を使ったら、ファンの皆様には不愉快かな・・・(汗)
お許し下さい。
でも38話の関が原も39話も彼は本当に良かったです。
>ひいき目線すぎます~?
そ、そうですかね(汗)。
でも、良いものは良いんですよね~♪
>藤原君と切磋琢磨
このところのテレビへの露出度の高さを思うと、「カイジ」の番宣の為と言えども、小栗君からの影響や助けられている部分が、たくさんあると感じています。(私が勝手にですが)
「カイジ」を見られたら、また感想を教えてくださいね。これからもよろしくお願いいたします。
はい。聞きました聞きました、草刈さんのほろよいお話
草刈さん。私もとても好きな役者さんっす。その思い出話を伺って、逆に自分の氏とのファーストコンタクトも?そこだったのか・・と思ったり。
話更に飛びますが、某局「美の壺」にいつの間にかご出演されていて。常時観てはおりませんが、チャンネルが合うとふと手が止まってしまうです。
そういえば。「美しい」ことにこだわってみる・・・(意訳)という、kiriyさんの今年のキモ。拝見して以来、ああええなぁ・・と思ってました。美は細部にも宿る、、とか、タレカいってなかったか?はて。。ですが、ご近所にもきっと沢山ある・・に決まってる。と勝手に断定(笑)。
近頃、誰に言ったのか忘れてしまう事多数。これからも同じことがあるかもしれませんよ・・・(汗)
>逆に自分の氏とのファーストコンタクトも?そこだったのか・・と思ったり。
それも、やっぱり同じ年代なのかもしれませんね。
>「美しい」ことにこだわってみる・
ちょっとこっちは胸が痛い。近頃、「好き」なものにこだわることの方が忙しくて・・・
しっかり向き合うように努力いたします・・出来るだけ(と、ちょっと弱気・・)