今日は午後三時くらいに、天気予報通りの大雨になりました。風も強く雷も激しく、またも我が家のあんずさんは、逃げ場所を求めて椅子の下やら押し入れの中とか、走り回ったりウロウロしたりしていました。
嵐が去っての午後6時半ごろ、空には綺麗な虹が出ていました。大きなアーチが立派だったのですが、まだ大気が不安定でしたので、雲を背景にした虹は、儚げな色だったと思います。
ところで6時半ごろと言ったら、そうです、BSでの大河のお時間です。
「青天を衝く !」の最後のところを(家賃をまけろの辺り)見つつ、虹の写真を撮りつつ、ベランダに飛び出してきたあんずさんを見張りつつのお時間でした。
今日の午前1時頃に書いたブログ記事が長すぎるからと言って、分けて3つ書くと
と、朝アップした記事に書きたのですが、長いと言ってもここまでは長くはなかったですよ。分けて書き足したら、このようになったのです。
しかも今日は、ちょっと寝たり起きたりの一日で、ハッと気がついたら、もう今日が終わってしまうみたい・・・・。
自分の言葉に縛られるわけではありませんが、ちょっと焦ります。あと10分で残りが書けるのかしら。
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下の囲みは昨年の7月9日に投稿したものです。
先週の大河に徳川昭武が出て来て、
「ああ、松戸のお屋敷に行ったなぁ。」としみじみとしました。そうしたら、その記事が9日10日とgooから送られてきて、今頃だったんだなと、またしみじみとしたのです。
その記事の中に
>なんたってここは、水戸藩最後の藩主である徳川昭武が作った別邸
という言葉があるのですが、その頃の私は、この昭武と言う人を、どれだけ知っていたんだろうと思ってしまいました。
最後の将軍、徳川慶喜。次の将軍に成れなかった徳川昭武。
そして以下の囲みの中の記事は、その昭武の最後に住んだお屋敷です。
今日の大河の「紀行」にも出ていましたね。
戸定が丘歴史公園その1
以前松戸の税務署か何かに行った時に、駅にこの場所の案内板が出ていて、こんな場所にこのような所があるのかと、私の中でチェック項目に入れていました。・「2020年の手賀沼の蓮は !......
2回に分けて書きました。その2はお庭編で、昭武が作った庭園です。
戸定が丘歴史公園その2・「戸定が丘歴史公園その1」の続きです。戸定邸を出ると広い庭園があります。今回は、その写真日記です。芝生が植えられた洋風庭園としては、日本最古なんですって。 東屋が......
昨年も史料館はお休みでした。慶喜から贈られた陣羽織とやらを見ていません。それだけでも、またここに来る理由になると思いました。
なんかムリムリに3つ書きました。
も、合わせてお読み下さると嬉しく思います。