ある日実家の母が、
「最近、みんなに会ってないね。どうしているのかしら。元気なのかしら。」と言いました。
と言うわけで、11月3日に集合したのです。
と言いましても、母はアルツハイマー型認知症で、みんなと会って喜んでも、帰った後、その数分後にすべて忘れてしまうのは承知の上でした。
だけど会っている時のその瞬間は、きっと楽しくて嬉しいのだと思います。だからそのわずかな時間の幸せのために、出来るだけ会って行こうねと言うのが姉妹の気持ちです。
姉妹集合の日にちなどを決める時、ふと、「そうだ、今年もあれをやろう。」と思い立ちました。
大人たちだけの線香花火大会。いや、すぐに「大会」などと付けたがるのは、日本人の癖らしいです。
とにかくみんなでやる線香花火。
昨年もやりました。
上の記事にもリンクしていますが、私がなにげに花火を意識してしまうのは、2020年のスノウさんと過ごした最後の夏が忘れられないからなんですね。
最初は姉妹三人でと思いましたが、そこでまた閃きました。スノウさんの娘ちゃんを呼びましょうと。
おばさんばかりではアレなんで、横浜暮らしのラッタさんも呼びました。
そしたら、たまたまですが、母の弟さんから電話があり
「近頃、親戚の人の夢ばかり見ている。」などと姉に言ったそうなのです。それってヤバくないですか。(いい方の意味じゃなくて(笑))
思わず姉は3日の日にみんなが来るとお誘いしたのです。
姉のたまう。
「ただ二人が来て、何でもないような事だったのに、なんだか大ごとになってしまったわ。」
確かに。
だけどたまには良いんじゃない。
楽しい賑やかなお昼のお食事会とお茶の時間が終わって、おじさん夫婦は姉夫婦が家まで送り帰っていきました。
毎回忘れてしまうので、これは私的メモですが、今回はおじさんがあんなことを言うし、彼らも母に殉じた年齢なので良しとしたいと思うのですが、若い人を先に呼んだときは、彼らは別の時に来てもらおうと、決めました。あっ、姉にもその旨を伝えておかなくちゃ。
本当はこの夫婦の事が、子供の時から大好きなんですよ。おじさんは面白い人だし、おばさんは良く気が利くし働き者で、母にもよく気づかいをしてくれてありがたいと思っているのです。
だけどおばさん、しゃべりすぎ。
そして主に自慢話。
私たちだけだったらね、少々心の中でうんざりしていても、ずっとニコニコして聞いてあげます。この時も最後までそうしていたと思います。
だけどさ、これ、気を付けましょう、シニアの皆様。
話したいのは分かります。
だけど若い人たちにちょっと話を振っても、さぁ~と横から話もかっさらって、ずっとしゃべっている・・・・。
若い二人から顔の表情が消えていくのが気になって仕方がなかったです。
まあ、こういう時、「眠くなっちゃったのね。ご飯をいっぱい食べたから。」で片づけられちゃうのですが、違いますよ。つまらないんですよ。ご老人のお話がと言うのではなく、自慢話が。
なにげにこれは私に対してのメモかも。
もっと人生を重ねたら、過去の方がなんたって比重が重くなるわけで、話したくなるのは当然。だけど話していて楽しいのは自分ばかりなので、若い人には過去の栄光を語るまいという所です。でもね、そんなの寂しいじゃないと思うじゃないですか。だからお互い様なんだから、同年代で語り合うか、もしくはブログなどで発散させたらいいのですよね。
「昔、こんなことがあったの。私ちょっと自分の事、凄いと思っちゃった。」と書いても、誰かに何か言われる筋合いはないってものですよ。シニアになったらむしろブログを書けってなものですよね(笑)
私と名都さんは、元々頭がパッパラパー、違う言い方をすれば気持ちが若いということになるわけですが、叔父さんたちが帰った後は若い人たちとアニメの話やら来年には行きたいと思っている旅行の話やらとおしゃべりも弾み、楽しい時間を持ちました。
夕食後に花火をやるのだと言うと、そこまでは待てないとラッタさんは帰っていきました。また母はその時間は既にお布団の中なので、予定通り女4人で線香花火をやり、またまた楽しい時間を持ちました。
私は思わず、
「夏の終わりの 線香花火」と言いましたら、
姉に
「もう11月よ。」と言われましたが、その翌日は凄く暑い日で、別に間違えてないんじゃないかと思ってしまいました。
11月の初めには、夏の残骸が残っていたように思いました。
だけどこれを書いている今日、そして明日などはかなり気温が下がるみたいです。
本当に秋は儚い季節になってしまいましたね。
この花火は夏の送り火。私は線香花火の光を見ながら、妹を想い、父を想っていました。
だけどちょうどこの日、陶芸のサークルを始めた時にお世話になっていた方が亡くなったのだと、後から知りました。これからもお世話になりたいと思っていた大切な方でした。知らず知らずのうちに、その日に送り火代わりの線香花火をしていたことが、何となく不思議なような気持ちになりました。
本当は全く意味などないのだと思います。
だけど人は、時には何かしら意味をそこに感じてしまうものではないでしょうか。
やはり縁あった人たちとは、その縁を大切にしていきたいものですね。
実家にて線香花火をしました。
— 霧島花子 (@kiriy2009) November 4, 2024
「夏の終わりの線香花火」と言いましたら「もう11月よ。」言われました。でもその翌日は半袖でちょうど良い気温。
やっぱり、これは「夏の送り火」ってことでイイんじゃない!? pic.twitter.com/4Op9GG2GYD