森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

2023年を愛したい。

2023-01-01 04:06:28 | 梢は歌う(日記)

2023年、新しい年が明けました。

昨年中は、皆さまのご訪問、ありがとうございました。また今年もよろしくお願いいたします。

そして更にこの新しい一年が、皆さまにとって、善き一年になりますようにとお祈りいたします。

 

例年と違って、今年は喪中なので新年の集まりもなかったのですが、代わりに年末に実家に家族で行きました。

それに合わせて妹の名都さんもやって来て、蝶子さんの息子君も一人帰って来て、なにげに賑やかな31日のランチ会になりました。

 

「なんだか2022年はろくでもない年だったわ。」と私は言いました。続けて

―だから2023年は、良い年に絶対にしたいわ。―と言うつもりでしたが、蝶子さんが、その言葉の前に

「本当だよ。スノウさんが死んじゃったんだから。」と言ったのです。

あまりにもドライな直球な言葉に、思わずワッと泣きそうになりましたがこらえました。だけど母が追い打ちを掛けるように

「蝶子さんの姉妹はこれで全員集合かい?」と言いました。

 

―蝶子さんの姉妹って、あなたの娘って事じゃないの!? ―

と母の言い方に、首を傾げたくなりましたが、母はまた何か納得がいかないかのように、同じ事を聞いてきました。

「蝶子さんの姉妹はこれだけかい ?」

しかし私たちはなんとなく母の気持ちが分かるような気がしていました。

 

3人集まっても、何か少人数のような気がして寂しいのです。

「ひとりいなくなっても、10人いなくなったような気がしてしまう。」と蝶子さんが言いました。

確かにスノウさんは賑やかな人でした。でも寂しいのはそれだけではないのよね。

 

「でも世の中には、一人っ子や二人姉妹の人も大勢いるじゃない。最初から一人や二人よ。」

「本当に。」となんだかしみじみと3人で頷き合いました。

 

だけど私は、この時ちょっと昔の事を思い出していました。家族6人が全員で集まっても「たったこれだけしかいない。」と感じたあの時を。

それは「家族の頂点」と言う記事に書いたことです。

 

「寂しい。他の部屋にもいるんじゃないか。」と言った他の部屋は、これから出会う家族たちのいる部屋、未来だったのじゃないかと言う話です。

でも今の寂しさはそれとは違います。

私たちはその寂しさを受け入れて、今、傍に居る縁した人たちを大事に生きていかなければなりません。

 

母は今年90歳になります。

お祝いしようと姉は張り切っています。

そして来年のお正月は、また楽しい賑やかなお正月を復活させようと私は思いました。

 

新しい年が明ける時、いつも希望がそこにあると思うのです。

この一年を愛して丁寧に大事に生きていきたいと思います。

ああ、そうですよ、そうです。

この年を、「新しい戦前」になんか絶対にしてはダメなんですよね。

 

また指を折って歌など詠んでみました。

 

「良き年に  必ずすると 決意する  

   笑って生きる  それだけだけど」

 

 

 

画像は全て、帰りの車窓から。


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