ある日、友人が腰が痛いと言いました。
私も腰痛持ちなので、
「それ、治るのに一週間ぐらいかかるよ。」
と笑っていたら、あっという間に歩けなくなり、話せなくなり、動けなくなってしまいました。
あれから何年経ってしまったのでしょう。
久しぶりに彼女の所にお見舞いに行きました。
すると彼女は普通に歩き、普通に笑い、私にお茶を出してくれました。
「治っているジャン、凄い、凄いね。奇跡って起きるんだね。」
と、言う夢を見ました。
目が覚めたら、思わず涙が出ました。
よく考えたら、同じような夢を今年に入ってから二回見たのです。
会いに行こう・・・・
会いたいんだわ、私。
以下蛇足です。
読んでくださった皆様がちょっと気になってしまうだろうなと思う事を、こそこそと書いてしまいます。
彼女は優しいだんな様が会社を退職され、至れり尽くせりの自宅看護を受けています。会社勤務以外にも収入の道があったからそれも出来ると思うのですが、本当に素晴らしいだんな様なのです。
私と友人たちは、彼女が出会ってしまった難病には、自分がなるわけにはいかないと、こそこそ言い合っています。もちろん病気は怖いのですが、それと共に、同じようにしてくれる夫を持っているか疑わしい事も怖いからです。
なんか薄汚れて、その辺に転がっているようになってしまいそう。
ヒステリーを起こしている夫を、どうする事も出来ないで、悲しい思いで見つめているとか・・・
夫よ、申し訳ない。朝っぱらから疑ってしまいました。
でも看護って半端ではない。その事をまだ経験のない今から、人の行動を通して自分も徐々に、その覚悟を学ぶべきなんだと思ったりもしたのでした。
重い気持ちスタートの朝ですが、今日も一日頑張ろうと思います。
・・・とりあえず、彼女にメール送りましょう・・・
その家族が、負担に感じると「想う気持ち」すら重荷に感じられてしまうときもあるかもしれませんね。
友人の御姑さんには嫌な思い出がありますよ。私は人にも甘っちょろい人なのに、この人のことは許してあげたくないのです。詳しくは書けませんが、病んでしまうと、会う時間は、本当に一期一会、大切にしたいものです。ご家族の理解度によってその時間がどれだけ持てるのかが決まってしまう場合もあると思います。
ただ、看護の時間が長引くと、病んでいる人よりその家族の方が、訪問やお付き合いが支えになってくる場合もあると思いますよ。
お付き合いは同じようには行かなくても、元気な時と変わらない「想う気持ち」―気恥ずかしいですが「友情」は同じでいようと思っています。
家族のアポの件は、自宅介護の場合を想定して書きました。絶対に必要ですよね。
それから
>その事をまだ経験のない今から、人の行動を通して自分も徐々に、その覚悟を学ぶべきなんだと思ったりもしたのでした。
も、どちらかと言うと、自分が介護する側の覚悟を書いたのですが・・・
分かりやすい文章って、難しいもんですね。