森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

夏よ、お前を2011<その3>ラジオ体操はいかが?

2011-07-31 01:36:01 | 思いつくまま

=夏の思い出を語りましょう。=

夏の朝の思い出と言ったら、「ラジオ体操」ではないですか。

私が子供の頃は、7月だけあったのか、もしかしたら8月のラストにまた1週間だけ付け足してあったのか、そんな感じでした。出席者多数。あれの良い所は、朝から友人たちと会い今日の遊ぶ約束などを出来るところにもあったかもしれませんね。

でも何が楽しみだったのかと言うと、やっぱり最後の日に貰えるご褒美のノートとか鉛筆だったんじゃないのかしら。それからあの判子を押してもらえるラジオ体操カードでした。

何でそんなものがと今なら思うけれど、イヤ、今でも枠がスタンプで埋まっていくのって楽しいですよね。ポイントカードとかも。

人には日常のささやかな楽しみが、実は極上の楽しみだったりもするのですよね。まして世界の小さくて狭い子供なら、こういうイベントは大切だと思います。

普通は「ラジオ体操」は子ども会が主催ですよね。

ある年、朝に弱いラッタ君が休みがちだったのに、まだ幼稚園だったルート君は皆勤賞でした。幼稚園児も参加して良かったのです。但しスタンプはありでもご褒美はナシ。幼稚園児を勝手に行かせることはなかったので、要するに私も皆勤賞。
良い思い出です。そう言えばルート君はそんな事を忘れてしまっているでしょうね。何かの機会があったら話してあげたいけれど、男子諸君は、母の思い出話を嫌う傾向があるので聞く耳を持たないかもしれないですね。

 

ラッタ君2年生の思い出はもっと彼は聞きたくないに違いありません。

近所から近所に引っ越しても、学校の校区が違ってしまった為に、学年の区切りまで前の地域に席を置いていました。それで子ども会も前の所でちょっと遠かったのです。でも自転車でそこに行っていました。

そこは公園といっても、ただ広い広場で普段は放置。申し訳程度に公園用玩具が片隅にあるようなところでした。夏祭りがあるので夏前にようやく草刈をするのですね。広すぎて夏祭りも暗くて寂しい感じ。自分が役員の時にその意見を言ったら、みんなも思っていたようで照明二倍にし、明るい夏祭りが開催でき褒められた事があります。

そんな駄々広い広場での片隅で、子供たちはラジオ体操をしていました。何故片隅かと言うと、夏前に草刈しても、草は既に伸びて、なんだか虫と格闘しながらと言う感じの、あまり良い環境の場所ではなかったからです。真ん中は草むら。端の方はまだマシと言うことで端っこでやっていたのですね。でもそれも良かったかもです。。前の記事でも書きましたが、ラジオ体操に気軽にサンダルで行ったら、足元が草の露で濡れたと言う事は、自然な経験だったかもしれませんから。

今では無駄に早起きの私は、昔は早起きが苦手。ラジオ体操に子供を行かせようと思ったらちょっと緊張。

ある朝、ふと気がつくと6時25分。
キャー、大変とラッタ君をたたき起こし、身支度させ、追い立てて行かせました。

ちょっぴり遅れちゃうけれど、まあ良いや。ふう、ヤレヤレと思って改めて時計を見ると・・・

ギャー、5時半!!!

昔からそんな事ばかりしているのですよ。1時間、時間を間違えたのです。

自分も急いで着替えてラッタ君を追いかけました。

ラジオ体操の会場までは自転車で5分以上は掛かるところにありましたが、後から追いかけたのでは、途中で追いつく事なんて出来ません。公園に行ってみると、ラッタ君、なんと公園のど真ん中の草むらで堂々と・・・・をしているじゃありませんか。

何とか小僧みたい。妙に絵になるなんて言ったら不謹慎ですか。時々ささやかな日常でも、映画的な場面ってあるでしょう。
早朝。澄み渡った空気。足を濡らす草の葉の露。誰も居ない空き地のような公園。その真ん中で彼は・・・・・

 

「ラッタ~、ママ、時間間違えちゃった。」
「うん、そうみたいだね。そんじゃ、帰ろうか。」
「ここで待っていないの?」
「もうイヤです。」

と、子供やる気に水を指してしまった母なのでした。

そんな事でも良い思い出です。

 

ツイッターでも毎朝、今も「ラジオ体操に行って来た。」と言う言葉が並びます。

だけど今ではうちの近所ではやっていません。音が五月蝿いだとかお母さんたちが大変だからとか、そんな理由でなくなってしまったのです。これも時代かなとは思うのですが、現に遣っているところもあるわけですし、子供も少なくなって働くお母さんたちにも負担になって大変だなと思ったある地域では、子ども会行事から町会行事に変更し、地域ぐるみで遣っているところもあるのですよ。

伝統を守ると言う事は、それなりの努力が必要なんだと思います。

それに、自分だけの考えで「こんなもの」みたいに思うのも間違いだと思うのですよ。

 

自分が子ども会の担当だった時には、朝も弱いし、ラジオ体操の第二は覚えていないし、ふらふらして参加していました。小さな子ども会でしたので、担当は三人しか居ませんでした。でもひとりは何か行事があると、ことごとくその前に腰痛になるという不思議な人でしたので、実質は二人。その相方さんが「ラジオ体操なんて意味が無いと、以前からずっと思っていたわ。この先のお母さんたちからも喜ばれるから止めない?」と提案されました。フウフウしながら参加の私なので、即答で賛成とでも思っていたのでしょうか。

即答で反対しました。
「私の時には止めるというにはナシにして。」

来年、再来年の事は、その人たちが決めればいいのです。でも私は自分の時代まで流れてきたものを次の人たちに繋げたかったのでした。

同じ時期、学校の役員会での合間のおしゃべりで、ある人が自慢げに自分の提案でラジオ体操を止めさせたと言いました。何で鬼の首を取ったような言い方をするんだろうと、私には不思議でなりません。時代を変えるということは自慢になることもあるけれど、これはそうなのかなと首を傾げてしまいました。

でも私は逆に自分の次の人たちに襷を繋げた事の方が自慢です。

だけどやっぱり、うちの地域もそれから二、三年後には無くなってしまいました。

 

ちょうどその頃、今のお仕事を始めたのだと思います。

夏休み前のある日、うちに来ている子供がポツンと唐突に言いました。しかも寂しそうに。

「ないんだよ。うちのほうでは・・・・、ラジオ体操。」

「ほら~!!」って思わず言ってしまった私です。もちろん心の中で。

 

「麦藁帽子」は7文字。「ラジオ体操」も7文字。

じゃあ

「ラ~ジオ体操はもう消えた~~♪」夏休みの替え歌でって、歌い辛いな、ヤッパシ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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