森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

15日はぎゅうぎゅうの濃い一日

2006-11-16 08:13:05 | ’08/12/7までの未整理日記
 朝、パソコンのスイッチを入れると、目覚まし代わりに何か打ちたくなってしまったりする。特に、早く「功名が辻」のことを書きたいなとか思っていたりすると、珈琲を飲みながら、ちょっとパチパチと打ってしまう。
「やはり私は淀の宣戦布告が・・」
ふと時計に目が行くと、もう7時。窓の外が朝日で燃えている。

 やばい。こんなことしている場合じゃなかった。9時には人が来るんだよ。子供が家に来る仕事をしているが、その母達、しかも初めての人たち二人がやってくる。台所の流しが食器の山済みでも、洗濯物が溜まっていても、優先順位は、絶対に掃除だ。10時には終わることなので、その他の事は後回しだ。

 とりあえず食洗機も洗濯機もスイッチは入れる事にして、2時間で、夕べの戦争の後のような仕事の跡片付けと掃除と犬の世話と、身支度と資料を揃えてトーク考えてと・・・

 9時5分前にはバッチリだ。。いつもギリギリで動く私でも、いつも何とかなっちゃうから、行動パターンが変わらないのかもしれない。
 
 ところが、10時には終わらなかった。予定があるからと言って、月曜日に約束していた人が自分の用が終わったからといって、人の都合も省みず、予定にねじ込んできた。う~ん。。。。。。。。

 でも、概ねお話は巧く伝わったように思われるし、お部屋はスカッと片付いているし、すでに時間は11時半を回っていたが、まぁ満足な午前だったと思う。



 それで、午後からの私の予定は「デス・ノート」を観に行く事だった。早く観たくてたまらない。どうも一緒に行ってくれる友人も見つからないので、一人でお気軽に行く事にした。

 その為に急いで洗濯物を干していると、大事なことを思い出した。
―そうだわ、病院に予約の電話を入れなくては。
此処のところ、なんとなく調子が悪い。少しでも調子が悪くなると、すぐ癌ノイローゼになってしまう私だ。だが、ずっとグズグズしていた。行ってもいいと思える病院が見つからないのだ。行かなければならない病院は婦人科だ。友人達はみんなどこに行っているのだろう。リサーチ入れても、悪い噂ばかりが入ってきて、行きなれない病院選びは難しい。

 先日、見舞いに行った病院はどうだろう。でも、遠いしやっぱり噂は芳しくない。産科で有名な所はいやだ。近所の病院は理由があって行きたくない。

 でも、友人が行こうと思った病院のことを教えてくれた。手術の腕も確かな女医さんの病院だと言う。ネットで調べたら、完全予約らしい。
―土曜日辺りに予約取れないかなぁ。
が、電話をかけて聞いてみると。。。。なんと来月の半ばまで予約がいっぱいらしい。えー、そんなのでは私死んでしまうかも。。。と言う事はないけど、やっとの思いで電話したのでがっかリしてしまった。すると、受付の人が、この病院を諦めるか来月の予約にするか悩んでいる私に、今日の午後ならと言ってくれた。
―行きますよ、もちろん。だけど、「デス・ノート」よさらば。

それから、病院の送迎バスの時間調べて、場所調べて、シャワー浴びてバタバタと出かけた。午後は家に帰り着くまでの5時まで、病院に費やされたが、気にかけていたことが一つ終わって良かった。この子宮がん検診のことは、また近いうちに御報告したいと思っている。



ふぅ~、やれやれ。病院教えてくれた友人にお礼の電話を入れた。報告がてら、「デス・ノート」を捨てて行ってきたと言ったら、友人もその映画が観たいと言い、なぜか夜、行く事になってしまった。

ま、マジですか~。それから、私は目の色変えて夕食つくり、洗濯物片付けて、片付いてなかった台所を磨いて、よし完璧とチェックしてでかけた。



友人が
「今日の予定がクリアできて良かったね。」と言った。

軽くお茶飲んで帰ってきたら、午前1時。さすがに疲れたわ~。


―それで、今日はぼんやりとしています。
「デス・ノート」は良かったですよ。感想は必ず書きます。近頃書きたいことが山のようにありますが、本当に時間は限られているのが悲しいですね。





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追記です♪

2006-11-13 07:55:58 | ’08/12/7までの未整理日記
朝、夜中に書いた記事に加筆していたら、やたら長くなってしまいましたので別に抜き出しました。おまけの方が長いのは、私のくせかしら。前の記事から読んで下さいね。

友「じゃあ、お見舞いは12日の日曜日の夕方行きましょう。」
私「えー、日曜日の夕方なの。
友「あら、何か予定でも。。」
私「予定。。。  いや~、別に何もないよ。いいですよ、日曜日に行きましょう。


だんな「どうせまた午前様ですね。」
私「まさか、お見舞いだよ。だから帰ってきてから、ご飯食べても言いように、おでんにしたんだよ。大根は入っていないけど。」
ラッタ「なんじゃぁ、それ。それは練り物の煮物というのではないのですか。」
私「代わりに、ジャガイモ入れておきました。おいしいよ。」


ただいまと言って時計を見たら11時25分
だんな「ケッ、いつもと同じジャン。」
私「そうねぇ、でも、まだ午後だし。」

ラーメン食べても寒さに震えていた私たちは、ガ●●に行って暖かい珈琲飲んで別ばらデザート食べて、何か面白い話はないかいなと、話を過去に未来に行ったり来たりさせながらいつものおしゃべりをしていた。

―もうすぐ、忘年会の季節だし、次は飲み会の企画だよね。Aさん誘って、Bさんに連絡して、Cさんはどうしているかなぁ―
―Aさんは病気で、掃除と洗濯以外はほとんど寝ていて、飲み会なんてとんでもないらしいよ。Bさんはだんながストレスでプチ家出していたみたい。Cさんはばあさんの看病で、Eさんは18歳で娘が生んだ子供の子守に明け暮れているって。―

 ラッタ君ならここでゴーとか、ザワッとか効果音を入れるところですが。


みなさーん、いろいろあるけどこの時も含めて自分の人生。今日は月曜日、頑張りましょう。それなりに。



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健康だからと過信せず

2006-11-13 00:42:29 | ’08/12/7までの未整理日記
 近頃、週末は出かけることが多すぎて、時間不足に悩まされています。

 昨日の日曜日は、友人の入院している病院へお見舞いに行きました。
子宮摘出の手術を受けた友達ですが、気さくな性格で友人の多い彼女の今日は、見舞い客の対応で追われていたみたいです。
彼女は私より5歳年上です。気持ちがどんなに若くても、体のどこかは少しずつ老いていってしまいます。年を重ねていくと言う事は、心の面ではいくらでも、美しく保っていく事ができても、その器は少しずつ壊れていってしまうということです。そう思うと、老いるということは悲しい事ですね。

 でも、言葉なんかで誤魔化さないで、その現実は見つめていかなければなりません。壊れかけた肉体の、ネジが一本緩んだら締め直し、欠けてしまったら継ぎ足して、動かなくなったらオイルをさし、そうやってメンテナンスをしながら生きていけばいいんですよ。

 実は近頃ちょっと調子が悪い私です。
大切な事は、逃げてはいけませんね。病院に行きましょう。友人に起きた事はわが身にも起き得る事なんですから。


 今日は異常に寒かったですね。夕食のために入った中華料理屋さんは店内冷え冷えとして、ラーメンを食べたと言うのに寒さに震えました。

風邪など引かないで残り少ない今年を楽しみましょう。



そんなわけで、「功名が辻」の感想はまた遅れてしまいます。三成どうしたかなぁ、気になっていますが・・・



次の「追記です♪」に続きます。

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多摩美、学園祭行きました

2006-11-12 02:59:57 | 観劇・コンサート日記

  もう一週間経ってしまいましたが、先週の4日の土曜日、神奈川のはずれ、橋本にある「多摩美術大学」の芸術祭に行って来ました。神奈川のはずれと言っても、隣は東京都なんですが、どうもイメージ的に遠い山の中と言う感じがありました。

でも、イメージは当たっていたかも知れませんね。

    

キャンパスの木々も色付いているでしょう。

お目当ては、そこの演劇部「タマゲキ」の「フォグ・オブ・ア・チムニー」。

 このパンフレットに書いてある言葉

その霧は空へと立ち昇り、この国に止まない雨を降らせた。
悪魔は、雨を憎む。
悪魔を愛した女は、雨を望む。
雨が止んだその時、彼女の傲慢が降り注いだ。

 愛と勇気だけが友達である彼が倒れた時、救えるのは誰なのか。
ジム製粉社の社長のジムは実は元科学者。彼が作りだしたAMは、雨が降り止んだわずかな時に現れ「赤い悪魔」と呼ばれている。「赤い悪魔」は、敵の兵をなぎ倒しそのわずかな時間に死体の山を築いていった。自分の思いをパンに練りこんでいく事が出来るという不思議な力を持っている多香子は、そのAMを愛している。だが、その愛は空回りするばかりで巧く噛み合わない。
 犬の千鶴を初め個性豊かなキャラの巧みな演技で、このSFチックなストーリーは進んでいく。
 最後に訪れたAM最大の危機。多香子は人間としての記憶の全てをパンに練りこんで、AMに食べさせてしまう。その為、多香子は廃人になってしまい、そして、AMは人間になった。だがそれは、少しもAMの望んでいる事ではなかった。
 愛と勇気だけを友にして、「赤い悪魔」として闘い続けたかったのだ。だが、多香子は言い切る。
 「それでも私は、あなたにパンを焼く。」

 舞台劇というのは大きなあらすじよりもセリフ命なので、あらすじ書いても、その良さが伝わらないのが残念です。

 全体的に歌ありダンスありで、とっても良かったですよ。ただ、作者の変わった今回、前回までの大ベテランの人との陰ながらの比較はあるかもしれないですね。

 だから、敢て言ってしまえば、シャワーのように言葉が降り注いでくる事はないかもしれませんが、笑いのエッセンスは充分で、そして何より明快で判りやすいのが良かったと思うのです。

 男が望む「正義」と女が信じる「愛」は、かくのごとく交じり合わないものなのかも知れないとふと思いましたが、どうでしょうか。時には母のどんな時にも愛し続けるという愛は、傲慢の雨である時もあるのでしょうか。

さてその後

     このブレスレットを母に買ってもらい(自分で買えよー)

     このペンダントトップを自分で買って(当たり前でしょ。)帰ってきました。多摩美は美大だけあって、いろいろ楽しかったですよ。

 

ところで、ワタクシ、昨日から突然「ラーメンズ」のファンになってしまいました。ライブに行きたいなぁとか思ったりもして。
ギリギリギリギリジンジン♪ ギリギリギリジンジンジン♪ 
頭の中でリフレーンしちゃう~♪
リリコさんのおかげです~♪

で、その「ラーメンズ」も多摩美の落研出身だ~♪

 


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「南海の」と「南の海の」は違う!!

2006-11-10 11:37:53 | 映画だい好き☆☆

季節の花300から

  この花、変わっているでしょ。ヒスイカズラっていうんですよ。このフィリピン原産の翡翠葛は、大船フラワーガーデンにて写されたそうですが、5月頃になると、温室のある植物園で結構見ることが出来るみたいです。

 私は千葉県野田にある清水公園の花ファンタジアで見ました。普通なら、この花を見て、「へえ」とか「ふーん」で5分ぐらいの話題だと思うのだけれど、私たちだと、こんな花見ても盛り上がってしまいます。大体口火を切るのは私ですけれど。

 「此花って、まさに南海の島に咲く花にふさわしいわね。」

そうそう、なんて言うみんなの同意なんかを得ると、私は黙ってはいられません。

「私の中ではね、『南海の・・』というのと『南の海の・・』というのでは全然違うイメージなんだ。」と言うと、それも分かるような気がする、なんて答えが返ってきます。

―わかってくれるんだなあ、だから友達、長い間やってるのかも知れない。多少いやなところには目を瞑って。。。おいおい、それはお互い様だろって。。

それで、「南海の」のイメージです。

そうそう、この「南海の」の「の」は切り捨ててはいけない助詞です。「南海」ではまた生活に密接イメージがありますね。南海ホークスとか、南海電鉄とかを思い出してしまいます。テレビをつければ、南海キャンディーズのしずちゃんがバンなんてね。

―南海の、そこにある島は何でもありの島だ。例えば花々も、見たことも無いような色鮮やかなものが咲いている。翡翠葛なんて地味なものだ。花に劣らず派手な鳥たちが、木々の梢でケケケケとかタァタァタァとか鳴いている。

うっそうとした密林を切り開いていくと、水溜りのような沼がある。でもその沼は、なぜか湯気がたっていたり、底なし沼だったりする。

何処の火山帯に入るのか判らないが、火山があったりする。又は、海底火山とか。その海に住むのは、何でそんなに育っちゃたのか解らないような大海老や大蛸だったりする。

出遭った原住民は一見恐ろしげだが、ワーワー言いながら酋長の所に御案内するだけの親切な人たちだ。また酋長は何でも知っているような含蓄のあるような顔をしている。それで、そこにはなぜか宝田明なんかがいる。・・・おや~

またその島には、驚くような人種が住んでいて島の守り神になっている。その見たこともないような人はテレパシーで話してくれるので、原住民とのコンタクトも問題ない。

しかも、原住民が頼りにしている御神体は、なんと巨大・・・蛾。

「モスラ~や、モスラ ♪」   ・・・ああ、やっぱり。  

 

「南海の」そのイメージは、私の中では南海の孤島インファント島そのものなのかも知れないですね。どこかにありそうでありえない夢の島です。でも、映画の「モスラ」シリーズでは「南海の」と言う言葉がタイトルに使われているのは「南海の大決闘」だけですが。エビラとモスラとゴジラまで出ます。インファント島のお隣の島はレッチ島。いかにもと言う名前で良いでしょう。

だけど、怪獣の話はまた次の「映画だい好き☆☆」のときに書きたいと思っています。

    でも、おまけ。

 

「では、みなさん、さん。次はお茶でも飲みに行きましょうか、か。
なぜか、一人ではもってみたりして。
「ええ
ええ。行き行きましょう。」と友達も乗ってくれたりして。

 

 良かったわ~♪友達も私同様のアホで。。。   ラッキー

 


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「相棒」―悪魔への復讐殺人

2006-11-09 07:40:23 | ドラマ(相棒)

 最後までたどり着いてみれば、事件は右京が言うとおり単純な事件だった。だが、たどり着くまでには、あまりにも複雑な人々の心の迷路が、そこにはあった。

「時効」に対するメッセージの次は、「精神鑑定による不起訴」と言う法の矛盾に挑戦なのだろうか

シーズン4(四話密やかな連続殺人・五話悪魔の囁き)で出てきた、行きずり連続殺人事件の犯人安斉が殺された。
安斉は精神鑑定の結果、刑事責任能力なしと言う結論で不起訴になっていた。指定医療機関に強制入院していたが、近々退院の予定で、外出訓練の途中での犯行だった。誰が犯人に外出訓練のことを教えたのか。右京は付き添っていたナースの真帆に疑いの目を向けるが、すぐに自首をしてきた末次とは何も接点がなかったのだった。

末次は、安斉に娘を殺された父親だった。末次は心を病んで安斉が助手を勤めていた美咲のところの患者だった。末次もまた、精神鑑定がかけられる。

詳しいあらすじはこちら

  

これは、娘を殺された末次の、犯人への又は精神鑑定で安斉の罪を問わなかった司法に対しての復讐だろうか。身近にいながら安斉の犯行に気が付かなかった事で、いまだに罪の意識に苛まれている美咲は、どのような関与をしているのだろうか。それとも、安斉が不起訴になったときに自殺未遂を起こした別の被害者の母、牧百合江はどう絡むのか。

  

 殺した犯人にはやり直す機会が与えられるのに、殺されてしまった娘達の人生は、もうそこで立ち消えてしまっている。

一つの事件の犯人が捕まって世間から忘れられていっても、その被害者の家族の、又は、その犯人に関わっていた人の心の傷は深く、簡単には立ち直っていかない。

健康な心の持ち主は殺人などしない。人が人を殺そうとする時、すでにその時まともではない。殺人のその時、狂っていない人などいない。殺してしまった事実があるのならば「精神鑑定による不起訴」と言うのは一体何なのか。

「どこまで、壊れていたら良いんでしょうね。」と言う右京の言葉の中に、皮肉とも取れるメッセージがあるような気がする。

 

  

 だけど、「相棒」はそんな切り口だけでは終わらない。

 憑き物が落ちたような入院中の安斉は、自分のしてしまったことを只管悔いて、被害者家族に対しても謝罪の気持ちで一杯だ。かって精神科医を目指していた彼は、一人残されてしまった牧の心のケアまで気遣い、必死に立ち直ろうとしていた。

罪は罪。してしまったことは消えない。だが、人は、何時からでもやり直していくことが出来るのではなかったのか。立ち直ってやり直してはいけないのか。そこには、また別のdeepな罠が仕掛けられているような気がしてしまった。

 だから、安斉は犯人の顔を見たとき、逃げなかった。私には少し微笑んでそれを向かい入れたようにさえ見えてしまった。

私はそのdeepな罠に落ち込んで、涙で画面が滲んでしまった。

                            

今回も、面白かったですね。角田課長の「面白いもの」を教えようとして無視されて、挙句の果てに叱られて、思わず、笑っちゃいましたね。お可哀想に。

伊丹と薫のいつものいちゃつき勝負などいつもどおり小ネタには笑わせていただきました。そういえば、伊丹さん、細かい所で光っていますよね。

もしかしたら、見逃して(又は、聞き逃した)しまったのかも知れないのですが、もう一人の被害者の家族はどうしているのでしょうか。もう一回引っ張る?まさかね。。。

先週は、「雨」「三浦」がポイントだった「せんみつ」、一回抜けちゃったな。なんか悔しい気もするが、お気楽にいきましょう。と、独り言です。

  

 

 

 

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秋は再びドラマ漬け

2006-11-08 09:45:35 | テレビ・ラジオ
昨日の「のだめカンタービレ」も面白かったですね。って、もうおとといですよ~
秋のドラマはみんな面白くて、毎日ドラマにはまって困ってしまいます。(以下、やたら長いですが、おしゃべりで~す。)

ちなみに私の見ている秋のドラマは  
月―「のだめカンタービレ」
火―「役者魂!」「僕の歩く道」
水―「相棒」「14歳の母」
木―「Dr.コトー診療所2006」
金―(映画などがかかっている事が多い)
日―「功名が辻」です。

見過ぎかなあとも思っているのですが、この時間帯の私は、疲れがピークでどうせ他に何も出来ません。時には、うつらうつらとしています。はっと気が付くと最後の15分がざっくり抜けていることもしばしばなので、ドラマ好きを謳っていても、ドラマブログは早々書くことが出来ませんね。
ちなみに、転寝していて抜けてしまった15分ぶんは、皆様のブログにてお世話になっています。

本当は「嫌われ松子」とか「家族」とかにも興味があるのですが、裏番組をビデオにとる習慣はあまりないので、再放送の時などの機会に見たいと思っているのですよ。


 いろいろなドラマが、ブログで取り上げられていますが、見ないドラマのブログ記事を読んだりするのも面白いですよね。そんなわけで、先程、あちらこちらのドラマブログを中心に書かれている方のところへ、主に「今季のドラマの期待度」の記事のところに行ってみたのですね。そしたら、あることが気になって、TBからTBに渡り歩いてしまいました。しつこいくらい。

 へ~!、ドラマレビュー中心の人の多くは、と言うよりほとんどは、「相棒」を初めからスルーなんですね。シリーズ物は見ない書かないと言う事なのでしょうか。「水戸黄門」のレビュー書く人に行き当たった事がないのだけれど、現代版の「水戸黄門」みたいなイメージがあるのでしょうか。それとも「渡鬼」と同じ感覚?

まぁ、単純に好みではないということだと思いますが、揃いも揃ってと言うのが、不思議な感じです。でも、勿体無いですよ~。あんな高品質ドラマをスルーなんてと、「相棒」ファンなので思ってしまいますが。。。

 だけど、私だって偉そうな事はいえません。ある時まで、
「今日は何もないから、『相棒』でも見るかな。」とか言っていたのですから。

我が家の夫婦は、結構会話が多いほうだ思いますがが、その95%はアホ内容に終始しているかも知れません。例えばこんな風に。
かなり昔のある日、真剣な顔で、
「ねえ、一体何時から、『相棒』はこんなに面白くなったのかしら。最初から、こんな風に面白かったかしら。」言うと、
「いや、前から面白かったけどね、もっと単純なお気楽番組だったような気がするよ。でも、最近は何かグット良くなったよね。」と会話が弾みます。それから、スペシャルなんかある時なんかは、
「今日は8時から始まっちゃうから、気をつけてね。」なんて朝、会話している我が家はやっぱり平和ですね。・・・と言うより、ちょっとアホかいな。


 今、私が見ているのは結構人気があるものばかりなので、その良さを熱く語ることもないと思うのですが、この中で、視聴率的にこの先厳しくなりそうだなあと思うのは「役者魂!」でしょうか。

正直、松たか子がどんなに好きでも、何で私がここにチャンネルを合わせるのか自分でもわかりません。見ていて、非常に退屈な設定です。ストーリーもありがちで一言で言うとつまりません。が、見ています。
松たか子の「先生!」と言う目の覚めるような声が聞きたくて、孤独な主人公が他人の人生を勝手に想像するシーンが面白くて、見ているのかもしれません。ここも、松たか子の語りです。

つまらん、退屈、とか言いながら、眠くなった事は一度もない「役者魂!」です。この先タイトルに見合うような、本能寺の頑張りとマネジャーの悪戦苦闘ぶり中心のもっと面白い内容のドラマを見せていただきたいなあと思っています。子供はその頑張りの原動力、トラブルメーカー的な脇の扱いでいって欲しいなあというのも願望ですね。

 「14歳の母」は、その内容から言って話題作でしょうか。
「何で、こんなの見るの。」とブーイングされたけれど、他に見るものがないので「好きにしたら。」と言われて、見始めた作品です。(我が家にはテレビは一台なので、とりあえず見る番組は話し合いなので・・)

なんだかあり得ないでしょと言う展開ですが、毎回涙ぐんでしまいます。志田未来は「女王の教室」の時には可愛い子と言う印象だったのに、もの凄く美しい人だったんだなあというのが一番の感想なのですが、田中美佐子の母と生瀬勝久の父が良いんですよね。

昔嫌いだった田中美佐子は母役をやり出してから、とっても好きになった女優です。

「14歳の妊娠」には何も不思議はない世の中ですが、「出産」と言うと話は別です。もし、自分の子供が三ヶ月以内で、懐妊がわかったら、
「私、その子に会いたいの。」と言う理由で、出産させる事ができますか。しかも、自分の子供の命にも関わる事ですよ。

一番現実から遠い話だと思います。一見、社会に何か投石しているかのように見えてしまうのが、このドラマのまやかしのような気がしてしまいますが、親子のやり取りが、胸に迫ってきてこの先も気になる展開です。

ドラマの話は尽きませんね。また、最終回辺りでいろいろおしゃべり感覚で書いて見たいと思います。その他お勧めドラマはありますか?あったら教えてくださいね。







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「功名が辻―関が原」

2006-11-06 01:12:04 | ドラマ (大河)

    

 今日の「関が原」はいかがでしたか。私にとっては、大満足の関が原でしたが・・・

 最初、吃驚しましたね。ナレーターのおじさんが出てきて解説していました。このやり方って、昔の大河で何かありましたよね。なんだっけなぁ、思い出せませんが、鈴木アナとかがやっていたのではなかったかしら。う~ン、勘違いかなあ。まぁ、いいや。とにかく丁寧に解説してくれました。

解りやすかったです。ホームページの解説もわかりやすいですね。

 しかし、こんな戦場でも「千代が、千代が、」と妻の名前が飛び交うのはさすが「功名が辻」だなと思いつつ、やりすぎだぜ、もう庇ってやんないと、ふと思ってしまった私でした。

 六平太は暗躍して一豊を守っていましたね。打って出ない一豊に説得しに行ったり、悩む小早川の後押ししたりで、何気に一番働いていたのではないですか。徳川勝利に導いたのは六平太だったりして。

とにかく六平太、無事で何よりでした。

 過激少年ラッタ君から言わせれば、千代のお言葉、もしくは他の誰かの説得がなければ打って出なかった彼は情けない事限りないわけです。「かずとよくん」、なんだか四こま漫画のキャラでいけそうです。

ただ、戦場で闘っている一豊はかっこよかったですよ。かっこ良いのか悪いのか、今ひとつはっきりしない一豊ですが、戦が終わって引き上げていく所は良かったですね。
―そんなにうな垂れていると、落ち武者のようだ―みたいな事を家来に言われましたが
―勝っても、寂しい。屍を踏まずに歩け。―  と言う一豊は、やっぱり素敵な人だと思います。

 それから、三成敗走のシーンは、絵的に良かったです。ぐっと来ました。
「なぜだ、義は我らの側にあったのに。」

このことを書くと、先週の続きになってしまうので、そこはさておき、そのほかにぐっと来たのは淀の涙のシーンでした。子供のように三成の名前を呼びながら泣きじゃくる淀。敵の陣地のような城の中で、唯一の味方であった三成。(他に変な尼さんもいましたが)  淀にとっては三成は父であり心の夫でしたね、たぶんですが。

その飾らない少女のような嘆き方を見て、私は思わず泣いてしまいました。

三成はなぜあっさりと捕まったのか。それは次週明らかになる―と引っ張っていましたが、そう言われると気になってしまいますね。

今日の千代はほとんど出番なしでしたが、こんな時妻は何も出来ないで、ただ祈るのみですよね。

 

今日は「関が原」があったり、本能寺があったりで夜忙しくはなかったですか。「信長の棺」もおもしろかったですね。 歴史ミステリーとしても見応えがありました。もう一つ記事を書こうかとも思いましたが、深夜になってしまったので、ここで一緒に一言失礼します。  作家の魂―最後に感じた感想はそれでした。

いずれにしても、秀吉の最後はろくでもないものでしたね。

 

 

 

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ねぇ、君さ。。

2006-11-05 02:43:54 | 詩、小説
  
  だけど、君
  それでも、死んではいけないんだよ
  
  例えばさ、
  呑気に長電話やお茶のみばかりしている陽気なお母さんのその昔、
  クラスに誰も友達と呼べる人がいなくて、
  なるほど、孤独とはかくの如し―なんて事を考えていたなんて知らないでしょ


  
  歩くたびに寂しい、切ない、そんな思いが揺れて胸に突き刺さってきたよ
  その時、彼女はこんなことを考えていた
  
  ―今私が死んだら、私の気持ちなんかに興味のない親達は嘆き悲しむかしら。
  明るくて、ニコニコおしゃべりしているのが当たり前と思っている父、母。
  イラついている私を見るのが嫌い、誰よりも厳しい言葉で私を押さえつける。
  ある日突然、私がいなくなったらば、どんなにか私を愛していた事を思い出してくれるのだろうか。

  私を追い詰めたのはあの子とあの子
  名指しで責めたならば、私の心を切り裂いているあの人たちは
  後悔して、自分の愚かさに気付くだろうか。


  今日死んでも明日蘇る事ができるならば
  私は死んでみたかった。
  気が付いてもらいたくて、
  復讐したくて、
  死んでみたかった。―

  でも、命はたった一つしかなかったから
  そんな人たちの為に、使うわけにはいかなかった。
  お母さんは、そんなことを考えながら歩いていた道だって覚えているよ。

  
  
  それで、それから彼女はどうしたのかって言うと、
  しんしんと雪が降る音を聞くように
  じっとじっと耳を澄まして、心に積もっていく孤独の音を聞いていたよ
  
  
  澄ました耳からはね、
  一冊の本からのメッセージ、音楽の調べ、画家の心、
  彼女は多くの言葉を手に入れた


  そして、やがて春が来て積もった雪の下から美しい花々が咲き誇るように
  心の中のつもり積もった孤独も、ある日突然、溶けて無くなってしまった。

  季節が巡ると言う事はそういうことなんだよ。



  だから、君
  もう死ぬなんて言わないでくれよ

  その苦しみは、人生が君にだけに送った贈り物なんだ。
  「苦い、苦い」と言いながら、泣きながら
  それを飲み干せばいいよ。


  それから目を開けて見るんだよ、
  1000メートル先に住んでいる人の、悲しみを。
  それから感じるんだよ、
  10年後の自分が、今の自分を思い出している姿を。
  
  捨ててしまった想像力を拾ってね。


  ねぇ、君さ。


  
   
  

  


  
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功名が辻43回

2006-11-01 14:30:16 | ドラマ (大河)

今回も詳しいあらすじは大河ドラマ「功名が辻」ホームページでどうぞ

  小山評定のシーンもそうですが、その前も、その後も、ずっとずっと、一豊様大活躍でしたね。

ああ、もう、「待った、待った、待った、長かった長かった長かった。」と、心の中で言ってしまいました。(これって、何気にマイ流行語に御登録)

一豊様、かっこよかったですよ。これこそ、上川隆也だわと嬉しくなってしまいました。

 

日曜日、外出していて間に合いませんでしたので、出先から録画を頼み、ようやく昨日朝から見ました。

 心を決めた一豊が、家康を訪ねて、未開封の手紙を託します。その中にあった千代の手紙が読まれたとき、早くも涙が滲みました。
ひとたび家康に与したならば、人質等に囚われそうになったときなどは、二心ない証として、大阪の館にて命果てるという内容でした。

離れていても、その妻の身を案じている一豊にとっては、その手紙の内容は、衝撃的なものだったと思います。もちろん、家康の前ですから、その動揺は見せませんが、ドキッとした雰囲気が伝わってきましたね。

 前に世継ぎ問題があったときにも書いた言葉ですが、「覚悟」―この地味な弱小戦国大名が持っていた心の財産は、まさにそれだったように思います。

 妻の覚悟のメッセージはしっかり夫に伝わっていました。

堀尾吉晴の息子忠氏が、いざ大阪に向かうと言う時には、城を差し出して闘えと言う父の言葉に迷いを見せていたその時、覚悟を形になって見せると言う道が開けるわけです。

忠氏の言葉を聞いて、「そうか、そういうことか~」としみじみ悟っていた一豊、しかも
「いいアイデアだなあ。」と感心していたので、どう繋がるのかと思ったら、しっかり、小山評定で、ぱくっちゃいましたね。

え~、いいのかな。親友の子供だよとかも思ってしまいましたが、すまなかったと謝る一豊に、軍議からすでにいくさだと学んだと忠氏は言います。聡明な青年ですね。
ちょっと出来すぎだと思いますが、ここで引っ掛かっても意味ないので、サックっとながれたのでしょうね。 

でも、このシーン少し可笑しかったです。
まるで、
―君言わないのなら、僕言っちゃうよ― と言う雰囲気漂っていました。

学生時代を思い出してしまいましたよ。友人から古文の参考書を借りたのですが、そこに清少納言のエピソードが載っていたのですね。
「香炉峰の雪いかならむ」と言われて、黙って簾を上げると言うアレですが、授業で先生に質問されたのに、参考書を貸してくれた友達は、手もあげなくて、じゃあ、答えちゃうよと手を挙げて答えたことがあります。その時、一豊が忠氏をちらちら見ていたのと、同じ事を私もしていたように思うのです。

後で、ゴメンねと言ったのも同じでしたよ。

そんなどうでもいい事はさておいて、豊臣から徳川に移ってきたわけですから、この夫婦の信頼を得ようとする必死さを感じてしまいました。持てる知恵を振り絞って、やらなければならない時は、死に物狂いで頑張らなくてはいけないと言う事ですね。

 

そして、やっぱり見せ場はここでしょう。馬上から、家来達に奮い立たせるべく演説をする所です。吉兵衛最後の時、この事を言っていましたよね。そして指導もしていました。その時素直な一豊は練習なんかしちゃったりして。。

そして、今その時が来たんだと、思いました。(ブログ書き始める時、ホームページを見たら、そのことが書いてありましたね。狙いはバッチリ伝わってきました。)

内容も良かったですね。後続の憂いを立ち、やったことが必ず報われる戦いに、運ある男についていこうと男達も奮起しますよね。また、上川さんのアイデアだったらしいのですが、名前を一人ひとり呼ぶところは、この場面をさらに盛り上げました。

 

今回の「功名が辻」は、朝見たのが良かったのか、何か見ていて元気が出てきました。何かをしようと動く時、それ相応の「覚悟」を持っているものに、見えない力は加担するのだと学んだような気がします。 

今日の私には、その「覚悟」があるでしょうか。

それから、もう一人、この人の人物描写にも、何かの受け取るべきものがあるような気がします。

   「正しき事は必ず勝つ。」と三成は言います。

私も、そうであって欲しいと思います。ただ、正しき事は何なのかが問題なのではないでしょうか。

また、その言葉は一見美しい言葉のようですが、正義=勝利ならば   勝利=正義も成り立つわけですから、
「勝った者が正義なのだ」と言うあまたの争いの理屈がそこにはあって、共鳴出来ない言葉です。

しかも、この三成にはそれ相応の「覚悟」なんかだってあったはず。そう思うと、今日の私のお勉強は根底から覆ってしまいます。

この三成は「美しき正義」と言うものに非常に拘る愚直な人で、実は一豊と通じるものがあるような気がするのです。

対比して描くのが得意な「功名が辻」ですが、いざと言う時には命はてると言う千代に対して、秀頼の姿を見せて諸侯の忠節に訴えさせようとしても、危ない所に行かせたくない母心で即答で断ってしまう淀。雨の中の演説でで士気を高める一豊、片や、夜討ちの案を責めて、仲間達からも嫌われる三成。

 

要するに運気開く見えざる力というのは、人の姿を借りて働くと言う事でしょうか。聡明さより人徳の勝ちと言う所なのですね。

 

とにかく、見たい「功名が辻」を見たという気がしました。来週も楽しみです。早くも週の半ばですが・・・

 

 

 

 

コメント (17)
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