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森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

龍馬伝-28回「武市の夢」

2010-07-12 09:36:29 | ドラマ (大河)
今回は2部の終わりでした。

前回、吉田東洋を殺したのは自分だと大芝居を打った龍馬でしたが、ドラマ的にはどういう展開になるのかなとワクワクしていました。
動きましたね、大殿様が。
見せてくれました。近藤さん。

と、そこから書きはじめたいけれど、少し順番を追って書いてみます。オープニングの名前、回想、回想で凄かったですね。流石二部の終わりだけあると思ってしまいました。どんな風に出てくるのかと思ったら、それは「マ・ト・メ」と言う感じで大した映像でもなかったので、ちょっこし期待はずれでしたかしら。

でも、オープニングの前に、早くもちょっと泣かされてしまいました。

弥太郎の「武市さんの為にそこまでするのか」←の方言のセリフ
にも、心打たれましたが、なんと言っても龍馬の家族の優しさにです。

にいやんが、
「知らないものは龍馬の事を悪く言うものもいるだろうけれど、わしらだけは龍馬の事を信じていてあげような」的な事を言い、皆が頷くシーン。良い家族なんですよね、本当に。

そして、龍馬が東洋殺しを告白したと言う報告を聞いて、容堂が動きます。容堂は武市がいる牢にやってくるのです。

「坂本龍馬ちゅうもんが東洋殺しを名乗り出たが、わしはそんな嘘は信じちゃあ・・」土佐弁の語尾はなんて言うんでしたかねえ。まあ、いいや。「いない。」
「東洋殺したのは、武市、お前たちだと思っている。」と、真正面切って、床に座り込み膝詰めトークの大殿様なのでした。

武市は自分の行動には忠もあり義もあったことを、容堂に心の底から分かってもらいたかったのだと思います。

もっと前なら、武市が「大殿様の為」にというたびに、それは容堂の気持ちを逆撫ぜするものでしたが、今日の容堂は違っていました。武市の想いが知らず知らずのうちに伝わっていたのかもしれません。
「長宗我部でなくて山之内だったら、わしはどれだけお前を可愛がったろう。」
「お前は良い家来。」

武市にとっては夢のような、聞きたかった言葉ばかりだったと思います。土佐の差別の歴史は生半可なものではないのです。容堂の頭が異常に固かったわけではないのです。彼にそれを言わせたと言う事は、凄い事だったと思います。

そして武市は、東洋殺しの罪を認めます。そして、以蔵を楽にしてやってくれと頼むのでした。
決して「助けてくれ」とは言いません。なぜなら、邪魔になる者たちを以蔵が消していった事は事実だからです。武市も命乞いなんて、もちろんしません。
容堂は武市に切腹を言い渡します。
それは武士として死んでいく事を意味しているのでした。
「腹、切りいや。」とそこで容堂は、脇差を武市に差し出すのでした。
死ね、と言われても、その「死」の意味が違います。
脇差を渡す。凄いなぁと思いました。ところが吃驚、それ、近藤さんのアドリブだったのですって~~!!

やりますね・・・!!コンドーウさん。

そして、翌日龍馬が弥太郎の手引きで牢に忍び込んで会いに来ます。(しかし、弥太郎、いつも口を押さえられて・・・いつか手違いで窒息するぞなんて気が散って・・・笑)

このシーン、何気に武市の心情解説だと思いました。
容堂と武市のシーンは、凄く良いシーンだったけれど、武市の心情が分かりづらいと言うか難しい。
じっちゃん、ばっちゃんから、子供まで見ている大河ですから、ハイレベルグッドを求めると、視聴率が反比例なんて馬鹿げた事も起こりえるのがテレビの七不思議ってなところでしょうか。

龍馬と最後に会うのは、物語的にはそんなに良い展開とは思えないのですが、あんな大芝居を打ったのに、これで武市と連絡が取れないで、彼が死んでしまったら、龍馬の気持ちは半端になってしまい、物語的には変ですし、何より武市が自分の心情を丁寧に話したのが良かったですね。
昔龍馬が弥太郎に言った、下士も上士もない世界が来る。武市はずっとその事を忘れなかったのですね。
動揺する龍馬をなだめる弥太郎の演技が、もの凄く自然体で、これまた良かったですね~。
「武市さんは、この先を竜馬に託したんだぞ」←の、土佐弁のセリフ。

そして、ここからのシーンですが、如何にライター様の腕ひとつで、物語はこんなにも面白くする事が出来るのかと、ただただ感心をした次第なんです(何と比較しているかはさておいて)

妻への武市からの手紙。
「二人でのんびりと暮らすという約束は果たせなかった。」まあ、普通・・だけど
「もしも来世ちゅうもんがあるのなら・・」・・・・・・うううっ、泣ける。。。。。。


以蔵への手紙・・・は、まあそんなにインパクトは高くなかったのですが、その処刑シーン。
顔の腫れも引かず、以蔵は醜いまま死んで行きます。あっ。「醜い」に過剰反応しないでくださいね。でも、佐藤君はイケメンも売りのひとつだと思うのですよ。モデルっぽいその容姿、素敵ですよね。だけど、そんなもので勝負しなかった所が凄く良く感じました。
最期に、愛した女との良い思い出が記憶に蘇って消えていく以蔵。

この時橋を往来していた人たちが、跪いて以蔵の冥福を祈るシーンが印象的でした。

武市の切腹シーン。
解釈しようとする者に
「待ちや!」と静止して、自らの腹切りだけで死んでいく武市。壮絶です。ゆえに首と胴は繋がったまま。これこそ武市の自分は信念に基づいて正しい事をしたのだと言う、彼の意地だったように感じました。

そして、龍馬たちは薩摩へ。

見ごたえありました。3部の展開も楽しみです♪











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必殺仕事人2010

2010-07-11 01:42:26 | テレビ・ラジオ

もう良い子はオネムの時間だけれど、シャワーを浴びてきて、ちょっとだけ目が覚めたので、また眠くなってくるまでの短い時間にかけるだけ書きます。

このブログ内でも、何度か「仕事人」が大好きと言っている私ですが、今日のスペシャルだってはずせるわけがありません。お待ちしていましたよ。
期待通りの面白さでした。

中村主水、藤田さんはどう絡んでくるのかも気になるところでした。
彼の見送り方、見事でしたね。

ある日突然に、張り紙一枚でいなくなってしまう主水。
「急な命で・・・・」このたび移動になったと言う置手紙。

移動、文面では突然の引越しなんですが、お菊と小五郎の態度は現実に対しての態度であって、神妙でお別れの寂しさが漂っていました。
仕事に行く時に、いつも座っていた椅子の上に経師屋の涼次が
「あんたの取り分」と言って、お金を置いていくシーンも良かったですね。

これもいつも言っていることですが、私が「必殺」、好きだなぁと思う理由の一つは照明の綺麗さだと思うのですよ。光と影。夜のシーンが本当に美しいんです。でも、これはリアルではない。桜の頃には夜桜の、夏の頃には川面が光る。
本当に夜、特に江戸時代なんですから、あんな煌く明かりなんかないんです。でもこれ、娯楽ドラマなので、そんな事どうでも良いんです。見やすくて美しければ。
あの明かり。何気に都会の明かりと共通点があると思うのです。綺麗だけど、時には寂しくて怖い。
まさに殺し屋集団にぴったりですね。

今思うと、新仕事人の主水は殺意が全く感じられなかった所が凄かったのですね。だから、
「あっ、何々様~」と敵との間合いまで飛び込めてしまったわけです。
だって敵からしてみれば、冴えない下っ端にしか見えていないわけですから、油断してしまうのですね。
反面、東の小五郎は時々凄く怖い顔。その時には殺意がぴりぴりで空気が変わるのです。
上手い見せ方していたのですね。

ちょっと、今回はそうはいきませんでしたが、お話的に上手く出来ていて、なかなか良かったのでした。
「表と裏の生活は、俺の方が年季が入っているんだよ。」と言う小五郎の捨て台詞。


仕分けや今の世相を連想させる設定で、始めは理想に燃えていた風間右京乃助小澤征悦)がどんな風に変貌してしまったのかも見物でした。私財投じて理想に燃えてやっていた事が、自分の首を閉める展開になってしまったときに、それを乗り越える力はなく、誘惑に負けてしまった男と言うのにも、ちょっと哀れさを感じてしまいました。
小五郎の妻の懐妊騒ぎとか新たな同僚との掛け合いとかも、考えさせられたり面白かったりしましました。

新たな同僚の妻には
「美味でございまする~」と言って欲しかったです・・・って無理か。


結局の所、殺し屋さんたちのお話であんまり熱く語るのもどうかと思いますが、まとめてしまうと、娯楽番組として本当に楽しいのです。途中でお伊勢参りのダンスが入ったり・・・その時不自然に遠くの方で踊っている子供のシーンがあったりで、アレはジャニーズなのかなと思ってみたり・・・。

そして一番凄いなと思っているのは、衣装さんじゃないかと。お菊さんの着物もそうだけど、
仕立て屋の匳も涼次の着物もお洒落。そのお洒落さ、足袋というか靴下と言うか、そんなところまで徹底している所が、はっきり言って私のツボなんですね。


と言う所で程よく眠くなってきました。それでは、また~。
あっ、そうそう。それのHPは→ここです

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図らずも、ぶらりひとり旅

2010-07-10 18:24:11 | お出掛け日記

実は、私はそそっかしい。見た雰囲気はそうでもないんだけれど、 意外と半端ない。
このことは、「ツヅク」と言って、結局書かなかった、「サザエさんの娘」にも書きました。

そして、木曜日の8日にも、またもやってしまいました。

何をって・・・

ああ、電車を間違えてしまったのですよ。
近頃常磐線って、とんとご無沙汰。つくばEXと言う、何気にスピードのある路線が出来てしまってからアキバに行くにも早いので、そちらばっかり利用していました。
だから、常磐線に仕返しされました。ウソ、私がうっかりさんだからに他ならないのですが。

亀有の映画館に行こうと思っていました。「ANJINイングリッシュサムライ」のシネマ版を見に行くためにです。そのお芝居は劇場でも見ましたが、シネマで見ると、あちらこちらが大写し。違う楽しみ方があるはずなので、楽しみにはしていたのです。でも、公開日が少ないし、近所の人だけが来るわけじゃないと思うのに、10時20分からの始まり時間。優しくない設定です。でも、バタバタ出かけました。その日しかなかったので。(何とはなしに、八つ当たり的な書き方。すみません、悪いのは私です。)

でも、北千住で降りなければ行けなかったのに、北千住から各駅になるのだと勘違いを、なぜかその時だけしてしまった私は、ずっと乗ってしまいました。アレッと思ったら日暮里だったのです。

アーウチ。

時間計算しても、もう30分ぐらいは遅刻です。

もうヤーメタ。

という訳で、上野まで行ってしまうことにしました。何にもリサーチしていなかったけれど上野まで行ったら何かやっているだろうと思いました。

でも、あの時気がつくチャンスはあったのです。実は電車の中で、ぐっすり寝ていました。そしたら「パン!!」と音がしたのです。ちょっと斜めに立っていたおじさんが杖を落としたのです。落としたのは杖なのですから、もっと年配の人だったかもしれません。でもその人は私から離れた所に立っていたから、関係ないのです。その「パン」と言う音で目を覚まし、ちょっと考えてみれば良かったのです。

が、目を覚ますと、何と私の目の前に老婦人が立っているではありませんか。
「あら、すみません。お座りになりませんか。」と席を立とうとすると
「お気遣いなく。」と立つ事を静止されました。私も、もう若者ではないので、席を替わるのは意外と難しい事なんですよ。しっかり目を覚まして、私の横を見ると、お若いお姉さんが、膝の上に問題集を広げていました。

勉強していたから良いってもんじゃないだろうと私は思いつつ、やっぱり席を替わるのは難しいと思いました。私が立って、その人が座ったら、そのおねえさんはかなりバツが悪かったように思います(普通の感覚ならね。)その年配の人は次の駅でササッとそのお姉さんの隣に座ることが出来ました。ああ、良かった。

と、そんな事をあれやこれやと思っていて、気がついたら日暮里だったわけなんです。


上野の公園前出口では、美術館の案内とチケットが買えるようになっています。
その時の様子だけの判断ですが、その時間帯、一番人気は「シャガール展」。
いいじゃない、シャガール大好き。
でも、国立西洋美術館の「カポディモンテ美術館展」も捨てがたい。チラシの美少女が気になります。

で、結局、美術館のはしごをすることにしました。

「ああ、図らずも、ぶらりひとり旅をやってしまったなぁ。」と思いました。

昨年当たりに家の近所を自転車で、シャリシャリ行くというのが、私のテーマのひとつにしようと思ったのでしたが、暑い寒い雨だに左右されて、一向に実践出来ていないのです。それさえも「あまり」と言う感じなのですが、それに加えて、たまには電車でぶらりと出かけようと考えていました。
たいそうな所ではなく、本当に「ぶらり」と言う感じに。

そして、それが今日計画変更でなってしまったのでした。

よく考えてみると、上野って何回も来ているのに、あまり良く知らない場所なんじゃないかと思いました。
上野の山、実は遊歩道と言う感じで緑がかなり残っているのですね。

そして、一番上の画像は、その緑の中で見つけた野口英世の銅像なのでした。
知ってた?

上野の山にある噴水。なんたって、映画館に行くと思っていたのでカメラなんか持っていません。もうすぐ電池切れになりそうな携帯のみです。その辺も、あ~あ・・・。




そして、こんな建物も。

上野といえば動物園に美術館、それに不忍池に上野東照宮、精養軒・・・後。有名な鰻屋さん。

でも、もっといろいろありそうなのですよね。また、ぶらりと来ようと思いました。

「シャガール展」と「カポディモンテ美術館展」の感想は、近いうちに載せますね。でも両方とも9月と10月までやっているので、焦る事もないんですが、お勧めできる展覧会でした。

「ANJIN」は結局行く機会を失って残念な事になってしまったのですが、いつかまた近所の映画館でもやって欲しいと思っています。
その、舞台の感想は一応→ここです。


ちなみにその日のランチは、駅中レストラン。上野駅の中で頂きました。画像はココ→上野駅でカツ丼なう。
残念ながら、見かけよりも美味しくない・・涙。
甘くないカツ丼なんて、カツ丼なんて・・・嫌いさ。

予定外の一日。
結構楽しかったですよ。

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星に祈りを

2010-07-08 01:59:59 | 家族スナップ
会えない時間が愛育てるのさ♪

牽牛と織姫のお話聞くと、いつもその歌が浮かんできます。

織姫は彦星に会うと
「あのね、あのね・・・」と結構うるさい。だって、意外と連れ添って長いから、甘ーいと言うより、一年分のアレヤコレヤを聞いてもらいたい織姫。だけど、男は結構ロマンチスト。人差し指で口を押さえると
「ここに一緒に座ってシーンと星を一緒に眺めようよ。」なんて言う。
女は順応性が高いから
「うん。」なんて頷いてその肩にもたれるけれど、二人で星を見つめていたら、急に寂しくなってきて織姫は言った。

「私たち、いつまでこんな事続けるの。」

さてさて、牽牛はなんて答えるのでしょうか。
― 人々が僕たちの事なんか思い出さないくらいに夢を忘れてしまうまで。
とか、
― 地上のざわめきが消えるまで。
とか。

いずれにしても、牽牛と織姫。一年に一度の逢瀬は止めて欲しくないかもしれませんね。


えっ!?
昨日は雨ですって。

雨だから会えないって言うのは、そりゃフェイク。
だってサ、雨を降らす雨雲のその上空は、いつだって晴れているんですよ。二人の逢瀬を見ることが出来ないだけ。誰だって愛おしい人との再会は静かなのが良いじゃないですか。
雨を降らせているのは、きっとあの二人ですよ。どおりで七夕って雨の日が多いんですよね。



ところで、先日ラッタさんが
「お腹が空いた~~」とキッチンにやってきました。
「ほら、背中とお腹がくっつくぞと言う歌を、俺は初めて実感したぞ。」と言うので、見ると、その幅は10センチもない感じ。
「私もお腹が空いた~、ほらお腹と背中が・・・」
「おい!」
「・・・は、ふくよかなお腹で分かりづらいが、内臓の胃袋あたりがぺっちゃんこ。」
「それでも説得力ないぞ。ちなみにだな、俺様の長年の疑問はだな、何かがあって食料が何一つ食べれなくなった時、debuはdebuのまま死んでいくのか、それともやせ細って死んでいくのかと言う事なんだ。」とのたまう。
「ああ、それね。みんな誤解するけれどさ,たぶん、ふくよかな人はふくよかなまま死んで行くのよ。」
「やっぱりそうか。それじゃ、無駄に蓄えた脂肪は、やっぱり無駄じゃ。」と、お腹がすいている割には、ご飯作成の邪魔をして去っていきました。
ちょっと過激表現はお許しアレ。
今の話は戦争中の時とかじゃなくて、遭難の時のイメージのお話なんですね。
ふくよかなと人と普通の人が、何も食べ物を口にすることが出来ない状況にいたら、ふくよかな人から倒れていくのですよね。例えば私でも・・・。そりゃ、痩せますよ、今よりかはだいぶ。でも、じゃあスレンダーになって倒れるかと言うとそうはならないのです。脂肪を燃やすにはそれなりの食べ物がいるのですから。脂肪って、体が余分なものをせっせと蓄えてくれている結果なんですよね。それなのにそんなときに役に立たないのです。
無駄なものに、いつか役立つと言うものはナシ。
「無駄に蓄えた脂肪はいざと言う時も役に立たない。」←注:水難は除く

ラッタ君とのおしゃべりは結構好きな私です。

またある日、ルート君が
「卒研が大変だから、今から行って、学校に泊まるかな。」と言いました。
「どうぞどうぞ」と私が言うと
「ひとり分ご飯を作るのが楽だって思った?」と聞くので
「ううん、今日はから揚げだから、私の仕事は一緒だもん。」
「なんだって~。から揚げじゃ、学校へは始発で行くかな。」

またある日、疲れ果てて帰ってきたルート君。ご飯を食べる元気もありません。彼のおかずを取っておいたら、真夜中に「俺様のものは俺様のもの。貴様のものも俺様のもの。」と言う思考のラッタ君に食べられてしまいました。
我が家は食後のアイスコーヒーはインスタントで作ります。飲みたくなった人が4人分のグラスに珈琲の粉と砂糖を入れておくのです。それだけでも後からの人はちょっと楽なんです。凄く喉が乾いていたルート君は「この前のお返しにあいつの分、飲んじゃえ。」と二杯目の珈琲を入れている途中で、私は転寝から目が覚めました。
「悪いけれど、それ私のだから仕返しにならないよ。でもいいよ、飲んで。」と言うと、代りにコーラを注いでいってくれたルート君なのでした。
ぜんぜん違う二人だから楽しい。

例えば20歳の時に、あの人とは結婚するかもナと思いました。あの人って、夫の事。でもその先は何にも見えなくて、君たち二人のお母さんなんてものになれるなんて想像すら出来ませんでした。

私の願いのひとつは、二人の幸せです。(キッパリ!)
今日の私は大真面目。
そして、
全てのお母さんたちの密かなそんな願いが叶いますように。

今、ふと思いました。
みんな誰かの子供なのだから、それって「世界が平和で幸せが溢れていますように。」と祈る事と同じなんだなって。

それではおやすみなさい。皆様いい夢を。
これからサッカー見る人もいるのかな・・・。

でも最期はやっぱりこのシンプルな願いですね。

また、今日も一日良い日でありますように ☆







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ギャンブル・ナイト

2010-07-07 02:12:45 | 思いつくまま
やっぱり、今日の真夜中の私はまじめじゃないの。

今日は七夕。
そう思ったら、星に願いを。
まじめな事を考えそうなものだけど、真夜中はそうはならない。

ちょっと思い出話などを。
私はいろいろな夢を見ます。


ある時、パチンコに行って、大勝ちした夢を見ました。
ちなみに私はパチンコなんてめったにやりません。めったにと言うか、前に言ったのは15年ぐらい前かしら。その前は新婚の頃。結婚する前も少々。
人生で数えるくらい。しかも、ちょろちょろっとやってすぐ帰ると言う、パチンコ好きな夫には許しがたい女房。
根気がない私には、パチンコなんかは向かない遊びなんです。それに何でもポジティブ思考なので、もし勝って足元に箱なんか置かれちゃったらと想像しただけで、もうドキドキしちゃって、もうダメポってな感じです。

だけど、私がパチンコの話なんて、ちょっと吃驚ですか。
あのね、昔のそれって、意外とゲーム感覚で楽しかったのですよ。なんとなく大らか。ちょっとやってちょっと勝てたら、ああ面白かったねで終わり。だから、「パチンコで勝つ」の意味がさすらいのギャンブラーさんたちとは違うのですが、あまり負けたと言う経験が無くて、それなりの思い出話もあるんです。

でも今日は夢のお告げの話です。

そう、パチンコの夢を見たのですが、パチンコ台の中を流れていくのは、なんとスパンコールじゃないですか。キラキラしていて、まるで夢のよう・・・って、夢でしたね。そして、ジャラジャラと玉が出てくるのではなく、さらさらさらさらとスパンコールが流れ出てくるのですよ。それが本当にキラキラしていて、まるで天の川のようなんです。

「うわあ、なんて綺麗なの。」と言っているところで目が覚めたのです。

それは日曜日の朝に見た夢だったのです。
朝食を食べながら、夫に言いました。
「夢のお告げがあったから、今日はパチンコに私も行くわ。」

で、勝ったのですよ。
それは子供も居ない頃のお話です。

またある日、幼い子供と里帰りをしていた私は、この話を急に思い出し、まだ独身だった妹に話して聞かせたのです。
すると妹は、
「偶然にも、私にも夢のお告げがあったから行ってこよう。」といそいそ出かけていきました。妹はかなりの凄腕だったのです。
が、夕方帰ってきた彼女は、ぼろ負けだったのだと言いました。

「夢はどんな夢だったの。」と思わず聞くと
「流れてきたのは、そうめんだったのよ。」

思わず
「それって、そうめん流しじゃん! 」
「やっぱし」

チャンチャン

まあ、夢のお告げもいろいろあるようで。



ちなみに、今の私はギャンブルにはお金をかける趣味は無いですよ。時々宝くしを買うくらいでしょうか。ただ、一回ぐらいは競馬場に行って本当の馬のレースを見てみるという経験はあっても良いかなと思ったりもします。
だけどのめりこんで馬券は買わないと思います。絶対に負けると思いますから。
昨日ラッタさんが面白いところを教えてくれました。

あっという間に三連敗。

かなり笑えるレースです。
そのレースはここでできます。→「JRA CINEMA KEIBA
ずっとあるかは分かりませんので、あしからず。

 
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切り取る力①

2010-07-06 01:32:13 | 思いつくまま


どう考えても、前の記事の画像は大きすぎて、あの画像からアンリ・ルソーの絵を連想するのは難しいって思ってしまいました。近頃写真がバーンって言うのが好きなんですが、やっぱり時に応じてが必要ですね。でも、上の大きさならどう?
やっぱり、無理・・・?

まあ、それはムニャムニャ・・・

タイトルに、①ってつけたけれど、別にこの記事が長いから付けた訳ではなくて、ふと時計を見たら、またも深夜になっていたからです。でも今日は先ほど疲れ果て転寝タイムが長かったので、今は元気なのですが、タイトル的には数分じゃ書けないから①を付けて、また今度と言う事にしました。
でも次回かどうかは分かりません。タイトルからしてまじめっぽいでしょ。そう、そのまじめなオハナシをしたいんですけれど、明日の私がまじめな人かどうか分からない・・・

ええ加減な奴じゃけ ほっといてくれんさい♪

深夜なので壊れ気味。

ええと、明日はゴミ捨てして洗濯して、キッチンを片付けて掃除機をかけて仕事の準備をして、夜までお仕事。そして夜はクリミナル・マインドを見る。明日はハードバージョンのいつもの生活。だけど、きっと何かがそこにはあるはず。自分の中の切り取る力があるならば、平凡で何気ない日常でも、何もない日はないのだから。

と言うわけで、おやすみなさい。
& おはようとこんにちは。
今日も一日、素敵な一日を♪

・・・・出来たらお散歩には行きたいな。

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あんでぱんだんな気持ちで

2010-07-04 01:31:57 | 思いつくまま
「あんぱん」で「だんな」じゃないですよ。
「あんでぱんだん」

やっぱり夏の緑って、アンリ・ルソーの絵を連想してしまいます。
同じ事を、2007年の8月1日、夏真っ盛りに書きました。→「八月葉月は光がきらり」
毎年同じことを思う。そう、同じ人ですから、私。
それで「あんでぱんだん」の意味ですが、それは「自主・独立」。その事は→「さらば涙と言おう」に。

リンクに飛んでも過去の記事に飛ぶだけなんですが、gooはタグがないから、時々関連記事繋げたくなってしまうのですよ。

この記事は7月1日にアップしようと書き始めました。なんと言っても「ついたち」と言う日は大切です。月の初めにいろいろ決意する。2010年の下半期の最初の日にアレヤコレヤと考える。私の好きなスタンスですね。
でも近頃時々ちょっとうんざりする事があって、この場所に心が向かわない時が多々ありました。そんな時、ツイッター記事に助けてもらったりして、更新してきました。そんなに無理して更新しなくたって良いのにと思う人もいるかもしれませんが、それはそうじゃないんですよ。

ブログを始めた時の私のテーマのひとつ。
「私はここにいます。」
このブログを止めない限りは、そのテーマには添っていこうと思っているからです。
と言う事は、少々嫌な事があっても乗り越える力を持つことが大切なのだと思います。

乗り越える力と、突き進む力。どんな小さな出来事に対しても、それは共通してあることだと思います。人から見ればささやかな悩みであっても、そんな悩みを乗り越えていく、かわしていく事によって、自分の力を溜め込んでいく事が出来るのだと思います。

「自主・独立」、
人はある時には規制の概念からのそれを図るために、大きな旗を振らなければならない時もありますね。
でも、ささやかな毎日を送る私たちにも、昨日までのがんじがらめに陥った思考から自分を解放する、そんな「時」があるのだと思います。

アンリ・ルソーが描く様な、濃い夏の緑。
そんなものからも、何気なくいろいろなことを感じたり学んだりする事が出来る、生きるって素晴らしい事ですね。


この記事、書き出しから時間が空いてしまいました。それでもうひとつお話を。

6年生の国語の問題集の問題に、こんなものがありました。
パスカルが言った名言
「人間は考える(  )である」
(  )の中に、この問題の後ろにある例題から言葉を選んで記号を入れるのです。
でも、ある少女の回答には、そこに「動物」と書かれていました。

ただ言葉を入れるだけだったら、バツにはしたくない回答だと思いませんか。

「ここに『パスカル』と、言った人の限定があるからね。しかも『人間は考える動物である。』では、あまりにも普通だし・・」
うーん、そう言ってしまってから、確かに普通っちゃあ普通だが、なんだかとっても大切なシンプルな言葉だと感じました。
「ふふふ、しかも記号じゃないし。」と少女は笑いましたが、正解が分かりません。
葦が何なのかが分からないと、ちょっと難しい「知識問題」です。こう言うのは一回は答えを教えても良いのです。
「『人間は考える葦である。』、あっ、足じゃないのよ。足を入れると気持ち悪いし、『考える足』とか言うと、意味不明か、さらに哲学的になってしまうから。」
決まりきったようなボケを入れて、少女を笑わせてから
「葦って言うのはね・・」
・・以下省略

ただ、名言として残っていくものは凄いですね。「動物」である部分を葦に例えるだけで、人間はどんなものであるのかを表現しきってしまうのですから。
だけど、少女が問題を最期まで読まずに、、そこに「動物」と書き込んだのは、閃いてその閃きが嬉しかったからだと推理する事も出来るのです。しかしどんなに私が気に入っても、この問題はバツ。しかも偉い偉いと褒める所でもないんですね。
嬉しくても、グッとそこは押さえ問題を最後まで読み、分からなければ、ことわざ事典を引いて見るとか(ことわざじゃないけれど、載っている場合が多い)、例の言葉を辞書で引いて正しい答えを出すのが本来の道筋って言うものです。

でもね、そこは人それぞれ。
「いやあ、『パスカルの』と言う言葉がなかったら、 『人間は考える動物である。』。ああ、本当だと思って、丸をつけてあげたいわ~。だってね、人間は本当に考える事が出来る動物なんですよ。分からないなと思ったら考える。やっぱり分からないなと思ったらさらに考える。どうしようと思っても考える。困ったなと思うことがあっても、考える。それが出来るのは人間だけなんですからね。」

と言うわけで、下半期もがんばっていきましょう♪




いや、本当の事は誰にも分からない。百年先の日本を憂いてきりリと未来を見つめている鳩ではないと、誰が言えるのだろう。

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