森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

ささやかな幸せ・ささやかな輝き

2011-02-04 16:20:50 | 思いつくまま

いつも思うよ。

朝は闇を破ってやって来るって。

同じ時間のちょっと南の空は、

 

ほらねっ、まだぜんぜん夜っぽいじゃない。

それからね、

遠くに見えるマンションの明かりが、まるで遠くに見える打ち上げ花火のようだなって
やっぱりいつも思うよ。

 

 

1月の最後の日曜日、夫がケーキを私に買ってくれた。
「1日は、ママちゃんの誕生日だから。」

私は食べながら
「明日、雪降ったらどうする?」なんて、オーソドックスな照れ方をして、そのケーキを食べたのだった。

☆        ☆       ☆

 

近所の友達は、お互いに誕生日を知らない。
それでも前日今年初めて友人達とお好み焼き屋さんで奥様ランチをした。自分の分はチマチマ自分で焼くのかと思っていたら、友人が全部やってくれたのだった。マッタリとした幸せな時間。でももしかしたら友人は一人でふぅふぅ言っていたのかもしれない。

その彼女が、新しい時計が欲しいと言った。
「欲しい形があって、30万なんだけど、大黒屋で新品同様だったのに3分の一の10万で売っていたのよね。500円玉貯金で貯めようかな。」
私は言う。
「500円玉貯金では先が長いね。旦那に上手く言ったら?きっと買ってくれると思うな。」

彼女は自分の夫に凄く気を使って生きている。その代償なのか、彼女の夫は誕生日とか母の日に彼女へのプレゼントを欠かさない。それも高額の。

そう言えば、と私は思い出す。私はかなり昔から時計を持つ習慣をやめてしまった。でも、最近わざわざ携帯を出して時間を確かめるのが面倒になってきた。
「私も時計が前々から欲しいと思っていたんだった。ホームセンターで売っている1000円ぐらいの文字がやたら大きいやつ。」
実はその時計、イギリスに友人が持ってきたもの。私と同じく時計を持つ習慣がない彼女が旅行用に買ったものだった。旅行の時なんかは時計はやっぱり必需品かもしれない。
「そんなの何時でも買えるじゃない。」
「それが買えないのよ。だって、ホームセンターに行くときは必ずそんなものが欲しかったことを忘れちゃうのだから。」
「そりゃ、何時までも買えないわ。」と納得する友人たち。

500円玉貯金をしても、それを手に入れたいと思う友人の方が私の「欲しい」を勝っている。彼女の方が先に買うかも知れない。
そうだ、買い物メモ帳に「時計」と書き込んでおこう。

そしてその時計をして、また何処かに行きたいと思う。私の500円玉貯金は、まだ1万5千円・・・

 

☆      ☆       ☆

 

毎年くれる姉と父からのおめでとうメール。
「私からのメールなんて驚いた?」と言いながら妹からも珍しくメールが来た。

翌日の朝、やたら早起きをした私は闇を破って朝が来る光景に、

「人生って美しいな。」と心の底から思ったのだった。

 

☆      ☆      ☆

近頃、私は物欲がない。欲しいのは心への栄養&刺激。かなり貪欲。

自分へのプレゼントは、やっぱり自由時間でそして映画。まあ、安上がり~!

選んだのは「しあわせの雨傘」。

ヒロインが最後に歌う。
「××××××」と。←ネタバレになっちゃうからね。

心の中でヒューと口笛を吹く。

この映画をその日に見ろと、運命がそう言ったのだ、きっと。

前にこの映画を見に行こうと決めてあった日は、胃カメラを飲む日に変更になってしまった。それで、2月2日まで待つ事にしたのだった。

待って良かったなと私は思った。

パズルは上手く組み合わされた方が美しいから。

☆     ☆       ☆

 

近所の友達は誰も私の誕生日なんて覚えていないけれど、つい、ブログとかでそれらしい事を言ってしまうので、みんなに「おめでとう。」言われて単純に嬉しかった。(みんなと言う言葉でくくって申し訳ないです。心の中では個人名で感謝しています。)

皆様ありがとう♪


口の悪いラッタ君なんかは、
「また、死に近づいたのが嬉しいわけ?」なんて言うけれど、通りすがりに肩を三回ぐらいは揉んで行く。
そして私は答える前に自分の部屋に消えていく。だけど私は答える。
「うん、嬉しいよ。ここまで来なくちゃ見えないものってあるからね。」

 

←夕方、ポストに言ったら届いていた葉書。A様、ありがとう。

 

☆     ☆     ☆

昔、母が
「生きてるうちに、良い思いをたくさんしたやつが勝ちなんだ。」と言った。

その頃私は何にも持っていなくて、母の言った言葉がなんだか嫌な言葉に聞こえてきた。母を大きく見せる必要もないので、はっきり言うが、その時、母は私が嫌だなと思う意味で言ったのだと思う。借家でなんだかいつも働いているような私への、嫌味だったのだと思う。

そのくらいのことは親だから言う。

でも彼女の言葉は、心の中で沈殿しまた浮かび上がってくるようなところがあって、私はまじめに聞いている。

なぜなら最近、私は母の言った言葉は本当だと思う。

「生きてるうちに、良い思いをたくさんしたやつが勝ちなんだ。」と、朝の風景に心惹かれながら、そう思う。

 

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする