森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

妄想漢字ルーム【その弐・幸】

2011-02-09 00:55:48 | 思いつくまま

ある日の私はとっても幸せでした。それで、頂いたメールに「幸せ」と書き込み、「幸せ」の文字を見ていたら、更に幸せな気持ちになってきました。

それは幸せだなと感じた時に、この文字を思い浮かべる事が多いことから来た、ある種の条件反射なのかもしれません。

幸せと言う文字は左右のシンメトリーも綺麗で、真ん中の部分を縦に伸ばしてしまえが、上下にも重なるバランスの良い漢字です。幸せと言うものは、そのようにバランスの良い状態を言うのかもしれません。

 

ところがこの「幸」と言う漢字の語源は、実はかなりの吃驚ものなのです。

コレは罪人が、後ろに手枷を嵌められたところを表す象形文字なのですね。もっと重い罪を問われるかと思ったのに、ああ、手枷で良かったと思うところから、この「幸」と言う文字は生まれたのだとあります。

よく私などは、上と比べて羨むな、下と比べて傲慢になるななどと思ったりもしますが、実は幸せは比較から生じてくる感情なのかと思うと、最初は心揺れるようなものを感じました。

でもよくよく考えてみるとこの比較は自分自信の範疇にての比較なんですよね。そして、その比較の内容も凄まじい。もっと重い罰と言うのは、昔の事であれば、多くの場合は入り口は違くても出口は死に繋がるものばかり。要するに死を免れた幸せと言うことなのかもしれません。

ああ、危ういところで死を免れた・・・
それはまさしく幸せな事であり、つまり生きている事自体が幸せであると言うことなんだと思いました。

やっぱり、「幸」と言う文字は素晴らしい文字なんだなと思います。

と、ここまでは別に妄想と言うわけではありません。

 

以下はまたも妄想kiriy説です。

つい、土の下に埋まっている¥を掘り当てたら、さぞや幸せな気分になるだろうなとかも思ってしまったのですが、それはそれで確かに稀に見るラッキーな出来事かもしれません。^‐^

でも、別の説。

見ようによっては¥に見える部分ですが、まるで人が手を上に挙げて何かを支えているように見えませんか。そして、それは土の下から。そう、今ある私達の幸せは、実は私達の前の、そしてまた前の、また前の人たちの脈々と続く命の連鎖があったからこそ成り立っているものなのだと思うのです。だから「幸」と言う字は、その人たちが土の下から、つまり過去から今の私達を支えてくれていると言う構図であるような気がしてしまうのです。

だからこそ、上のほうで書いた真ん中の部分を真っ直ぐ縦に書いてしまえば、過去は未来であり未来は過去と言うが如く、鏡に映った文字のように重なるのだと思います。またはその真ん中の部分は橋であり、現実の世界と涅槃の世界を繋ぐもの。

時に私達は、ポツンと一人と言う穴が開いたような感覚と戦いながら日々を過ごしているのではと思うときがあります。だけど、だからなのか「幸せだな。」と思う時、その時たった一人でいても、この「ポツンと一人」と言う感覚にはならず、その穴が埋まっているように感じるのは、文字に多くの人の支えを感じるからなのかもしれません。

 

ところで「幸」と言う文字をじっと見ていたら、なぜ「辛」と言う字と似ているのだろうかと気になってしまいました。妄想kiriy説の流れで言うと、人の支えに蓋がされているから、それは「辛い」と言う文字になっているのだと言えるかも知れませんね。

 

と、ここまでが妄想kiriy説ですが、上に書いた事が印象に残り、テストで×がつくといけないので(上記のような事がテストに出るとは思えませんが)少々訂正しておくと、「辛」と言う文字の部首は「亠/なべぶた」ではありません。部首は「辛/からい」でお仲間の文字に辟とか辣とかがあります。
そして、その文字の語源もやはり厳しいものなのですが、こちらは意味から厳しいものがあるので意外と言う感じではありません。

つまり刑罰で顔に刺青を入れる針の象形文字なのです。

ゲゲッ、本当に痛そう。辛いです!と言うわけで、この文字が生まれてきたのだそうですよ。

ちなみに「幸」の部首はと言うと、これは「干/いちじゅう」、いちとじゅう(一と十)だから。

もう、漢字って複雑な感じ!

 

と、親父ギャグならぬおばちゃまギャグが出たところで、「妄想漢字ルーム」は終了です。

 

コメント (2)
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