森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

遺恨ありー明治十三年最後の仇討ち

2011-02-28 03:13:08 | テレビ・ラジオ

スペシャルドラマ「遺恨ありー明治十三年の仇討ち」は凄かったですね。映画並みの重みと見ごたえががありました。

そしてラストはもう涙ぼろぼろでしたよ。

テレ朝、良い仕事しました~~。

このドラマをやるって言うのは、やっぱり一番最初はツイッターで知りました。本当に情報は一番早いですよ。すぐに検索しちゃったので、臼井六郎の仇討ちの物語とその裁判の結果は知ってはいたのです。でも、「知っている」、そんな事は何も意味のないことでした。
物語の迫力を本当に堪能しましたよ。

仇討ちは、ほんの数年前は誉れ。だけどそれから数年後の仇討ち禁止令後では殺人。
仇討ちは名誉か殺人か。
いや、そんな事はこの物語のテーマではありませんでした。そう言ってしまっては、この物語の趣旨とHPの「見どころ」に反するような事を言ってしまっている様ですが、そういうわけでもありません。

以下の感想は、時々あらすじも書いていて完全にネタばれになっています。

六郎の台詞。
「人の子として、無残に殺された親の敵を討ちたかった。」

ただそれだけなのですよね。だから、もう一人の敵を討てなかったことを無念に思いながらも、六郎は死罪になっても受け入れたのかもしれません。

数年前ならば藩に届ければ良く、法廷自体がないわけですから仇討ちが法廷で裁かれる事がなかったわけです。まだ一人無念を晴らしていないと思えば、逃げると言う選択もあったかもしれません。でも六郎はしっかり警察に出頭します。仇討ちは殺人、罪に問われる事なのだと時代の変化を理解していたのです。六郎は毅然と法廷に立ちます。だけど彼は静かに言い放ちます。
「母を殺した萩谷を捕まえて、この法廷で同じように裁いて欲しい。」
動揺する中江判事。

 

だけど、「遺恨あり」、この無念はそんな武士の本分や美徳とか時代変化とか、そんな事は全く関係がない深い心の問題なのでした。もちろん、六郎が武士の子供であった事は大事な点ではあったと思います。

 

大好きだった父と母。
深夜の物音に気付き、その部屋に行ってみると、母は滅多切りにされていました。その姿はあまりにも無残だったので最期まで映し出される事はありませんでしたが萩谷の蛮行を見たら、容易に想像が出来る事だと思いました。
そして、転がっていた首のない父の死体。
その横には妹のつゆが震えていました。

この妹のつゆの事が、このドラマではあまり描かれていません。こんな目にあったこの少女は何を思い何を考えていたのだろう、兄をどう思っていたのだろう。本来ならばもっと中央に描かれても良さそうなものなのですが、敢えてそうしなかったのだと思いました。なぜならこの物語は実話を基にして作ったもので、このつゆという少女は、あの惨劇の部屋で実は両親と共に事切れていたそうなのです。幼子を殺さなかったのはテレビ的配慮だったのかもしれません。

その後父の首は、まるでごみを投げ入れるかのように庭に投げ込まれました。

またも六郎の台詞。(だけどかなり不正確。)
「あの幼かった昔、母の無残な姿を見、父の首を抱いて泣いた日に私の心は死にました。」

その日からずっと敵を討つ事だけを目標に生きてきたのです。

 

そしてそれを自分の人生のすべてをかけて支えていった「なか」と言う女性。

なかは臼井家で下働きをしていた少女でした。

またも不正確な台詞ですが、
「私も見てしまったのです。滅多切りにされていた奥様と首のないだんな様のお姿と泣き叫ぶ六郎様を。あの時からこの戦いは二人だけのものだと、勝手に思い込んできました。」

こんな不正確な台詞でも、思い出すと思わず涙がこぼれます。同じ地獄を見てしまった二人だからこそ、仇討ちをする事にこの二人には迷いがなかったのだと思いました。なかにはなかの戦いがありました。県庁に勤めては情報を探る、妾になってはお金を得て六郎に経済的にも支えていました。

 

六郎の師となった山岡鉄舟の娘は、たぶん六郎に恋心を抱いていたのではないかと思います。だけどそのように身を挺して六郎を支えているなかを知ってしまっては、敵わないと思ったかもしれません。でも彼女も最後まで六郎の味方であり続けました。

復讐だけの青春であっても、良い出会いはたくさんあったのでした。

これが良い出会いと言うのかは別ですが、敵として討たれた一瀬の妻も素晴らしい人でした。如何に仇討ちとは言え夫を殺した相手なのに、その六郎がさらに復讐の道を進もうとしている事を感じ取ると、
「あなたは生きて生きて生き抜いてください。」と諭すのでした。
なぜそんな事が言えるのか。それは彼女が武士の妻だからだと思いました。

 

幕末から明治に変わっていった時代は、確かに激動の時代でした。時代は大きく変わると、時を読む事ができた者たちの予想通りになっていきました。だけど、極端に言ってしまえば昨日までが正義、だけど今日からは悪と言われるが如しの事も多数あったことだと思います。また、ずっと在ったものを無用だと切り捨てる事も同様だと思います。たとえば武士の心、魂とか。

武士道的精神論は、いわば心の文化であって、時代が変わったからといって号令と共に消え去るものではないのですよね。

今の時代にも実はそのような心の文化が、先祖の出自関係なく底辺には根付いているようにも思うのですが、それはただの願望でしょうか。

 

最後の武士と言われた六郎の師、山岡鉄舟は滅び行く士族の精神的擁護者でもありました。ゆえに弟子であった六郎可愛さだけからではなく、六郎の裁判に温情を中江に訴えるのでした。

それは中江にも伝わって、死罪に相当すべきだが、士族たるゆえに終身刑が申し渡されます。鉄舟はその判決に礼を述べるのでした。中江の下した判決に救われたのは六郎の命だけではなく、士族たちの心でもあったのだと思います。

 

その後、帝国憲法発布の恩赦で10年で出獄する事が出来ました。
が、六郎にとってその10年は何の意味もなさず、悪夢の道を歩き続けていたのです。

鉄舟の竹光のメッセージも無視して、一瀬の妻の言葉も無視して、中江の「今度やったら助からないぞ。」と言う警告も無視して、(しつこい?)、とにかくみんなの心配をみんな無視して、六郎はもう一人の敵のところに向かいます。

まさに仇討ちだけの人生。

だけど萩谷は、仇討ちに来ると言う六郎の妄想に怯えきり、錯乱を起こして首をくくってしまうのでした。
この物語が奥深いのは、敵役もしっかり描いていた点だと思います。時代が変わって冷静になり、自分が裁判所の判事たる職についてみれば、過去のあれはまさしく殺人であったと一瀬は考えていたかもしれません。また、多くの士族の反乱に加わって命のやり取りをしてきたはずの萩谷が、なぜそれでも六郎の影に怯えたのかは、容易に推理する事が出来ました。なぜなら殺す必要もない者を滅多切りにしてしまった、それはまさしく単なるヒトゴロシ。

六郎の影はすなわち罪の意識。

惨めにぶら下がっている萩谷の姿を見て、六郎の仇討ちの長い旅は唐突に終わってしまいました。

 

日本人はなぜか忠臣蔵もそうですが、仇討ちの物語が好きなんですね。仇討ち直後から六郎は世間では人気があり美談として取り上げられていたそうです。だけど当の六郎の心は空っぽです。

仇討ちだけの人生だったのです。終わってしまっては空っぽ。

 

「皆々様へ・・・」
と言う手紙・・・・
なんだかジーンときながら、トラウマにさえ成っているあの大河のあのシーンを思い出してしまった私・・・。みんなで「naoezyo」を読むあれです。
もう嫌ね、こんなところで・・・・

川辺で父の形見を投げ捨て、泣き崩れる六郎。

故郷の、今は誰もいなくなって荒れ果てた生家を訪ねた六郎は、そこで少年時代の自分の幻と出会います。

「父上~。」
明るく家に入ってくる父の姿。

敵を討って取り戻したかったもの、それはまさに普通の家族の幸せ。

と、そこに六郎は立っているなかの姿を見つけます。

「お帰りなさいませ。」

六郎はかすかに微笑んで、そして物語は終わるのです。

 

うううっ、また思い出し涙です。
演技派藤原竜也といわれるゆえんはここですよね。

微かに笑う。だけど心の底からのぱぁっとしたオーラが出てきて、そのわずかなワンシーンで、ああ、もう大丈夫だって思えてしまうのだから。

藤原竜也さんの他のシーンもみんな良かったです。六郎と鉄舟の殺陣のシーン、凄かったですね。16歳の六郎、しっかりその年齢に見えました。とにかくどのシーンもみんな良くて、彼の贔屓筋の私としては良作に恵まれて本当に満足しております。まさに藤原竜也の代表作になりましたね!

DVDは発売決定。予約受付中ですよ。

遺恨あり 明治十三年 最後の仇討 [DVD]
藤原竜也
ポニーキャニオン

 

ちなみに、撮影には結構「明治村」も使われていましたね。
あっ、ここ行った、ここ見たと、ちょっと違った楽しみ方もさせてもらいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



コメント (2)
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