森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

グーグーだって猫である〈5〉〈6〉

2014-11-10 00:51:08 | 漫画・マンガ・まんが

先日本屋で買い求めた「キャットニップ」はグーグーが亡くなった後の続編だと分かったので、読んでなかった「グーグーだって猫である」の5と6を読もうと思いアマゾンで注文しました。

これは本の感想ではない事ですが、単行本で4冊まで持ってると、一冊だけ文庫と言うのはちょっと嫌だなと思ってしまうのですよね。でも何の本かは忘れましたが、前にも同じような事があり単行本の中に一冊だけ文庫と言うシリーズを持っているように思います。でも今回はそれを避け、中古新品と言うのをほぼ二倍のお金を払って買い求めました。本音を言えばちょっと面白くなかったのは事実。

「キャットニップ」と言う新作も出たしwowowでのドラマも好評で、今なら本屋さんで注文して気長に待てば再版ってこともあったかもしれません。

2008年からその続編の事も気にもかけてなかったくせに、ひとたび読みたいと思ったら待てなかったのでした。それでも安く手に入る文庫を避けたのは並べた時の美しさにこだわったわけではなく、私の目の衰えに理由があると思います。

どんどん歳を取っているのです。

でもそれは私だけでなく、大島弓子さんもそしてグーグーにも。

2008年から同じように3年の歳月が流れて2011年がやって来て、そしてそれからさらに3年が経ったのです。

 

グーグーだって猫である5 (角川文庫)
大島 弓子
角川書店

 

グーグーだって猫である6
大島 弓子
角川書店(角川グループパブリッシング)

結論から言うと、少々割高になっても早く読めて本当に良かったと思いました。

 

やっぱりちょっと読んでは泣いて、また泣いてと読み進めていたわけですが、今では6巻の表紙の「んるる」というグーグーの鳴き声を見ただけで涙が溢れてしまうのです。

と言いましても、この物語は作者とグーグーのふれあいの物語ではなく、大島さんと猫たちとの物語。

でもサバと言う猫を亡くして、ペットロスになってしまった彼女を救ったのは紛れもないグーグーで、その後の猫愛の行動に彼女を進ませたのは、この猫の優しい性格にもよったと思うのです。どんな猫にもウエルカムの態度を取り面倒見の良かったグーグー。

だから他の猫と大島さんの交流と触れ合いとそのドラマは日常的に続いていくのに、グーグーが死んでこの物語は終了するのです。

「グーグーだって猫である」の4巻までで止めてはいけなかったのだと痛感しました。なぜならそこまでだと、彼女の加速する猫愛についていけないような気がしていたからなんです。挨拶しても返してこない近所の男性。さりげなく描かれていても、野良猫に餌をやりその出産を手伝い、敷地内に猫小屋を作る事への反感なんじゃないかと感じました。

なんだか不安になるような展開でした。

 

だけれども5巻6巻を読むと、そのぶれる事のない猫とのかかわり方に首がたれるような気持になって来て、そして感動するのでした。

短編で成り立っているのでどのようにとかは言えませんが、あえて一つのエピソードだけネタバレで書かせていただきます。

14匹も猫が居ても、大島さんはその1匹1匹にそれぞれにちゃんと愛情を注いでいます。だからたくさんの猫の中のその1匹が死んでも、その悲しみに落ち込むのでした。

2011年の2月、テンミケと言う猫が死んで、その悲しみが癒えずに街の中をとぼとぼと彷徨う大島さん。帰宅して大勢の猫に迎えられて、そしてその時にあの3.11の地震が来たのでした。

あまりにも大きな出来事で

「あの時、私は」と言うそれぞれの「あの時」がある事件や出来事の事を、私は「共通体験」と呼んでいるのですが、思わず大島さんの「あの時」と私の「あの時」を重ね合わせてしまいました。

テンミケの死の悲しみのさなかの大島さん。献血にチャレンジしようと決意をツイッターに書き込んでいた私の午後。

子供たちと声を掛け合っていた私。動かずその場で揺れている猫たちに囲まれていた大島さん。そうして私たちはそれぞれの場所で、あの恐怖の数分間を耐えていたのでした。

 

昭和の初めもしくは大正時代からの女性史を描くドラマがあったならば、それはすべてあの戦争を描かないわけにはいかないのですよね。

それと同じように、いつしか平成の日々のドラマを描くときには、あの3.11を多かれ少なかれ描くことが多くなるのかもしれません。

 

グーグーはあの震災から、そんなに日にちを空けずに亡くなりました。

 

2011年は大きな大きな一年だったと思います。

 

漫画の感想ではありませんが、我が家の猫のももは2011年にやってきました。

余震続くどさくさの中、簡易な卒業式が行われて就職も決まっていないと言うのに世間と言う大海に放り出されてしまったルート君。

その後の彼の青春は地味でありながらドラマチック。

心がぺしゃんこになったり、泣きたくなる日もたくさんあったと思います。

でも彼は言いました。

「いやあ、もも吉にはさ、ドンだけ癒されたか分からないな。」

そんなもも吉もルート君が大好きで、気まぐれにですが時々一緒に寝ています。

 

 「グーグーだって猫である」4巻までの感想は→こちら

「キャットニップ」の感想は→こちら

 

 

 


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相棒 season13第4話「第三の女」

2014-11-08 12:13:25 | ドラマ(相棒)

―その若い女性はポワロに、自分の犯したかもしれない犯罪について相談しに来たのだった・・・・

って、ちゃうやろ。

でもタイトルの「第三の女」にアガサ好きさんの中には反応した方もいたんじゃないですか?

それとも映画好きさんは「第三の男」を連想したかもしれませんね。

ふと、今回の「相棒」はなんか映画とか本とかのタイトルをわざと持ってきているのかと気になってしまいました。「許されざる者」なんてもろに映画タイトルですし、じゃあ「14歳」なんてものもあるのかなと調べたら映画ではないけれどマンガでありましたよ。

なんと楳図かずおさんの作品で、「漂流教室」の続編のようなものらしいです。

「環境破壊による人類滅亡、危機的状況を乗り切ろうとする子供たちの奮闘、親子の絆と別れといったテーマを圧倒的な迫力で描ききっている。また、過去の楳図作品の集大成としての意味も持っている。」

何それ、すごーく読みたい!!!

と、この本をアマゾンで検索しようとしたら、またまた違う「14歳」を見つけてしまいました。アマゾンサイトの説明によると

「大人と子供の間で揺れ動く多感な時期、"14歳"という年齢に焦点を当て、ミュージシャンたちに話を聞いた『PATiPATi』連載のオムニバスインタビューの完全版。」

ふむふむ。

「相棒」のドラマの中で描き切れたかは分かりませんが、14歳という年齢は、やはりそのように受け止められているんですね。

と、ここでもしかしたら「許されざる者」なんて本もあるのかと思ったら、ありました!

こちらは歴史小説のようです。

じゃあ、もしかしたら・・・・

って、やめておこう。きりがないです。

因みに、アガサ・クリスティの「第三の女」はポワロが晩年になった頃の作品で好みが分かれるようですが、同じタイトルで夏樹静子さんの「第三の女」はかなりの傑作のようです。

下の方にリンクを張っておきましたので、興味のある方は覗いてみてくださいね。


こんな風に何かを連想させるタイトルがいつまで続くのかは分かりませんが、ちょっとだけおまけの楽しさを感じた私です。

 

ところで今回のドラマではこの「第三の女」の意味としては、内村刑事部長が言った

「三浦が抜けて、もう一年か~。」

と言うことで、イタミンの係に配属されてきた浅木真彩。彼女は今までは警察庁に出向していて階級も警部補とイタミンよりも上。そんな彼女を最初はイタミンは面白く思わなかったようなのですが、何しろ彼女は切れる女。

これが「相棒」のゲストでなかったら、むしろ彼女には残ってもらいたいようなキャラだなと思いました。なかなかあの三人は面白い感じになりそうな気もしたのですが、ちょっと切れすぎちゃってダメかな。

あの三人と言うのはイタミンと芹沢と彼女と言う意味で、私にはこの「第三の女」と言うのは単純に、捜一コンビがトリオになるべくの第三の女と捉えたのですがどうでしょうか。と言うよりもじゃなかったら「第三」の意味が当てはまる所がないんじゃないかな。

こんな時私は、かつてお邪魔していた「相棒馬鹿」さんのサイトを懐かしく思います。主様もですが、他の皆さんもきっといろいろ教えてくださったと思うからです。

日向。さん、他の皆さんもお元気ですか?

おっと、秋だからかちょっとしんみりとした気分になってしまいました~。

 

証拠品である鍵をくすねたと思われる彼女は、いかなる目的でやってきたのか。

いかなる経緯でやってきたのか中園に聞く右京。

この時の中園参事官の羊羹つぶしは可笑しかったですね。彼に潰せるのは羊羹ぐらいかと思えちゃうのですが、内村刑事部長と中園参事官はどうやって上に上って来ることが出来たんだろうって、時々思ってしまうのですよ。でもなんか好きです。二人とも^^

羊羹つぶしもだけれど、ラストのイタミンのうっかりなお礼シーンも良かったです♪

 

今回のお話は実はかなりぎゅうぎゅうといろいろ詰まっていたと思います。

防犯カメラを巡っての警察庁との談合事件の告白、防犯カメラの位置情報の暴力団への流出と言う事件、そして別にその同じ防犯カメラの位置情報という重要機密情報をキャバクラに置き忘れると言う紛失未遂事件。全部がかなり大きい事件です。これに全部殺されてしまった名取と言う女性が関与していたわけです。

彼女が殺されなかったら置き忘れたそのディスクは無事に持ち主に戻り、その三番目の事件は事件にすらならなかったわけですが、彼女が死んでしまって、それはロッカーの中に置かれたままになってしまいました。

だけれどこの事件があったから、そのロッカーの鍵を取り戻すために、浅木は警察庁のその上司から送り込まれてきたのです。

だけどもちろん、そんな事は浅木の心中には関係のない事で真実を暴き事件解決がその目的だったわけ。恩があり尊敬していた先輩だった名取の為に。

良いお話だったと思いました。

 

―そうか。

第三の女と言うのは、もしかしたらここかな?

私は話しながら考えるB型人間なものだから、書いて整理って事が時々あります。

第三の事件から送られてきた女って事かもしれませんね。

 

であるならば、タイトル、結構深いし、難解ジャン。

えっ?

タイトルタイトルってうるさいって!?

すみませんねぇ。細かいことが気になるのが私の悪い癖なの。

 

 

 

14歳 (1) (小学館文庫)
楳図 かずお
小学館

 

14歳
佐々木美夏
エムオン・エンタテインメント

 

第三の女 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
小尾 扶佐
早川書房

 

第三の女 新装版 (光文社文庫)
夏樹 静子
光文社

 

許されざる者〈上〉 (集英社文庫)
辻原 登
集英社

 


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相棒 season13第3話「許されざる者」

2014-11-06 09:58:22 | ドラマ(相棒)

 

冒頭からネタバレしています。再放送時か何かの時にチェックするかたはお気をつけてね。

 

タイトルは「許されざる者」。

あの人は本当に許されない者だと思いました。

 

だけれど私、今回ちょっとだけ騙されてしまいました。この「騙される」と言うことは、「相棒」ファンなら嬉しいことなんだと思います。なんかもう、いつも騙されたいのです。騙されて「おお!」と言いたいのですね。

それで何を騙されたのかと言うと、あの女弁護士が殺されてしまった長谷川が本当の犯人だと知ったが、あの告白の時だったと。

「えっ、今なんて言ったの?」

無実と思うから弁護した。だけどそれは殺人を犯してしまった「許されざる者」を世に放ってしまった。だから責任を取って自分で始末をつけた。

「ああするしかなかった。」

そうは思えないし、ありがちな物語の展開―。

それでも私、思ってしまいました。

弁護士って何だろうって。

冤罪から人を守る。または過度に処分されないように守る。大切な重要な事だと思います。だけれど、罪を犯したものを弁護士の手腕によって罪なき者にしたり、少なすぎる量刑にすることではないと思うんですよね。ふと思い出してしまうのは、あの母子殺害事件。私的な感覚的な感想ですが、あの弁護士集団は変な事ばっかり言ってた狂った集団に見えましたし、記者会見の時に「これほど意義のある・・・・滑ったの転んだの・・・」と涙ぐんでいた若い弁護士の人などは、無念にも殺害された若き母親の命には微塵にも思いがいかない自己満足の塊に見えました。

死刑廃止の自分たちの主張に裁判を利用していたに過ぎないと思いました。

 

おやっ?

とすれば、この女弁護士と実は同じようなものではないのかって思いました。

いつ思ったのかって言うと、たった今。

 

だいたいサスペンスのドラマファンは、時間で推理するんですよね。

ちらりと時間を見て、あっ、違うんだって閃きました。

この女弁護士は知ってたんだわ、最初から。

だからか。

 

告白本が出されてしまったら、能力は疑われても、たちの悪い犯罪者に騙されてしまった被害者でもある弁護士と世間からは思ってもらえるけれど、最初から自分で嘘の冤罪の構図を作り出してしまっては、この人自体が犯罪者ですよね。

でもこの女は悪びれない。

「私を待っている弱者の為に、冤罪の裁判の記録が欲しかった」のようなことを言いますが、要するに自分の書いた物語の1エピソードのようなものだったのですね。

司法の根幹が穢れてしまうような許せない人ですよね。

 

サスペンスの基本の確認。

犯人は必ず余計な事を言って墓穴を掘る。今回は「合鍵の作れないカギでも」ってな所。そこまでは右京さんもまだ彼女を疑っていなかったような気がするのですが。

 

教訓

物取りに見せたいときは、部屋の中を荒らし過ぎない事。

って、おいっ!!

 

流れるような展開と、ひねったラスト。怪しい人もたくさん出て来て、面白かったです。

 

 

おまけの関係のないお話

「許されざる者」って聞くと、やっぱりクリント・イーストウッドを思い出しちゃいます。

日本版は見ていないので渡辺謙さんは連想できませんが、面白いかな~、日本版も?

 

 


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キャットニップ

2014-11-04 01:41:21 | 漫画・マンガ・まんが

久しぶりに本屋に行ったら、この本と遭遇。「グーグー」シリーズ以外の本なんだと買ってきてさっそく読みました。

キャットニップ
大島 弓子
小学館

 

だけれどこれ、最初の一コマ目に衝撃の言葉が!

「うちには12匹の猫がいます。以前は14匹でしたが2011年内にテンミケ〈3歳〉とグーグー〈15歳〉を亡くしました。」

ええええ!!

グーグーは死んじゃったのか!

ちょっとショックです。

でも15年も生きたのなら長生きだと思うし、漫画の中の主人公はいつまでたっても色褪せない不死のものであっても、現実の猫とはいつか別れがやってくるのですよね。

 

だけれどこのシリーズのファンの方から言わせると、何をいまさらって感じなのでしょうね。

まさに今更だと思います。

「グーグーだって猫である」の感想はいつ書いたのかと調べたら、なんと2008年だったのです。もうそんなに経つんですね。その時は4巻まで持っていたのです。いそいそとその続きから密林サイトでぽちりましたよ。

だけど定価じゃなかった(ノД`)・゜・。

教訓。

好きな漫画はアンテナはって、即ゲットしておくこと。

でもきっと、かつての私は「グーグーだって猫である」の3巻辺りで作者の考えと微妙にずれを感じて、その時の新刊であった4巻まででこの本は終了させてしまったのではないかと思い出したのです。

 

それなのに、何をいまさら苦労して〈5巻は〉その続きを読もうと思ったのかと言うと、それはこの「キャットニップ」を読んだからにほかなりません。

大島さんの猫愛はひたすら猫の幸せ側に立っていて胸を打つのです。

 

30の短編で綴られている猫たちと大島さんとのふれあいのドラマ。しかしほとんどが闘病記や別れの記録のような気がします。

たった30の物語が容易に読み終わりません。

なぜなら1話読むごとに、ううと泣いてしくしくとまた泣いて、涙をふくと、我が家の猫のもも吉を覗きに行くと言うことを繰り返していたからです。

細かい物語の感想は書けませんが、また新作なのでネタバレ感想は敢えてやらない方が良いかとも思うからです。だけれどなんとなく誰かに優しくなれるようなそんな本だと思いました。

 

彼女のやっていることは誰にも出来る事ではありません。

なんたって病院代が半端じゃないと思います。

でも人はそれぞれ、何か自分の出来る事があるように思うのです。それは猫とか動物に対してだけじゃなくて、関わった人に対してもー。

 

 

グーグーだって猫である6
大島 弓子
角川書店(角川グループパブリッシング)

 

明日届くかな。読むのが楽しみでもあり怖いような気もします。

「グーグーだって猫である」4巻までの感想は→ここです


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藤原竜也の一回道 #3

2014-11-03 11:54:42 | テレビ・ラジオ

また今回もニヤニヤしていたら終わってしまったと言う時間でありました。

録画を見たのが遅かったので感想も遅れました。

しかしこの番組、たっちゃんの酔っ払いトークでほとんど構成されているのでしょうか。

それでいいのかと、おばちゃま〈私の事〉はほんの少しだけ心配になってしまったのでした。つまりここに来て、ファンは良いけれど他の皆様はどう思われるのだろうって初めて感じたのです。

でもだから深夜放送なのですよね。録画してまで見ようと思うのはファンだからこそですものね。

と、最初に思っていたことに再びたどり着いて納得したわけですが、たしかcsでやっていた時は夕御飯を作る頃にやっていたような・・・・・。

 

まっ、酔ってはいてもへべれけと言うわけではないし、面白いし可愛いしやるべきことはやってるし、それで良いんだな。

おばちゃまは甘いんです。

と言うより、作り手はこの自然トークにかなり自信があるのよね。それが伝わってくるのが良いんだな、これが。

 

だいたい楽しいってのが一番ですよね。

冒頭、車の中でピーナッツの入ってない柿の種に突っ込んでいたたっちゃん。

思わずおばちゃま、ピーも入っている柿の種の袋を開けてポリポリと食べてしまいました。

 

美味しい蕎麦屋に行こうとわざわざタクシーにまで乗ったのに、着いた先は、お名前出しちゃうけれど「民芸」だったと言うオチ。

「民芸」は家の近所にも、ちょっと車で行った所にもあって、ちゃんと作ってるから確かに美味しいよ。

だけれどスタイル的にはファミレスの枠内。

タクシーでここと言うのは・・・・・って思ったんだけれど、もしかしたらこの街では、このファミレスが出来たって言うのが自慢なのかもしれないじゃないと思い直したのです。

 

これは何度もどっかで言ってることで、数年も前の事なので状況も変わってるかもしれないから駅名を出さないけれど、結構大きな知名度の高い地方の駅前で、その周辺のファミレスっぽい所で時間を潰そうと思ったら無くて、ささやかなショックを受けた事があるんです。

東京周辺の街を基準に何事も考えちゃいけないんだなと言うのが、その時の教訓なんです。

 

お話を車内酒宴に戻しまして、妙な所で萌えたのは彼の

「藤原を企画してまだまだ甘ちゃんだったな。」

といきなりここで

「『あまちゃん』、見てる?『あまちゃん』、面白いよ。クドカンさんの。」と連想ゲームのように言ったところです。

何気に同じ時間を共有していたのですね。

 

今回もコテコテのとび職人ルックも似合ってましたね。あのベストを着るのはマイクのためでもあったのですね。

あの職人さんの髭も良かったのに、後からはつけてなかったのが残念。

でも食事中の鳶の棟梁の歩くだけのミニ芝居。

あの程度で嬉しく思う私って・・・・(;'∀')

「そんなに遠くに行かなくてもいいよ。」と声が入りますが、彼的には入口から入ってくる所から「鳶」なんですよね。

歩き方が変わってました。

彼はそう言う人。だから私もそう言うファンなんですよ。

 

意外と気に入っているのが最後のかいどう君の差入道。

今回は竜也君が好きな炭酸系の飲み物と言うことで、超高圧炭酸水。

「喉とか痛くならないの?」と用心深く飲む彼。

分かるよ~。だって喉は凄く大切だものね。

でもそれは美味しくて気にいったようです。

次は「ドリアンサイダー」

やっぱりこれは

「臭っ!!!」

でも「飲むと上手いね。」だそうです。

最後にかいどう君に「ありがとう」と言って、「みんなにバイバイって。」とかいどう君の手を振らせて今回は終了です。

 

次回も楽しみです♪

 

 


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「東京ラーメンショー2014」

2014-11-02 15:27:07 | お出掛け日記

東京駒沢公園にて。

近くの場所に用があって別にここを目指して来たわけではなかったのですが、何となく楽しげなイベントだと思いました。10月30日木曜日と平日でお昼ちょっと前の時間だったので、そんなに混雑していませんでした。

それでも行列ができている所はありました。

私がチョイスしたのは、さっぱり味の尾道ラーメン煮玉子付きです。

 

細麺です。さっぱりだけれどコクはあります。

「ああ、尾道行きたいな。」とか遠い街に思いを馳せながら美味しくいただきました。

妹の名都さんがチョイスしたのは京都ラーメン。

実は私もどっちにしようかちょっとだけ迷ったのです。

お互いにスープの味見なんかをし合いました。こちらはちょっと深い味わい。ほんの少しだけ甘さも感じました。やはり美味しかったです。

 

私、思ったのですが、このイベントは女性向きにハーフという量のものがあれば良いのにと。

「そしたら、私、4杯いっちゃうよ。」

「それじゃ、二杯分だろ。」

と、ご馳走してくれたやはり妹のスノウさんのツレアイさんが言いました。

「うん。せっかくだから無理しちゃうわ、私。」

と言っても、実際にはハーフなんかないわけで、口裂け女ならぬ「口だけ女」をやっていたわけです。

だけれど、いろいろ試したかったのは本当です。

ツレアイさんのと姪っ子ちゃん(スノウさんの娘ちゃん)のスープも試食。

みんな違う味。

当たり前かもしれないけれど、ラーメン好きにはたまりませんよね。

ラーメンショーはお昼を食べに来ただけでしたが、楽しかったです♪

 

いろいろステージのイベントも有るみたいです。たまたまですが私が食事中の時は、アイドルでしょうか。女の子たちが私服でダンスの練習をしていました。

11月3日まで。

 

※       ※        ※

ラーメンショーとは関係のない話ですが、その日は朝が早くて6時半には家を出ました。元々早起きの私は、そんなに家を早く出る時も朝食はちゃんと頂きます。

待ち合わせをした妹は、朝食の分をコンビニで調達。

それがコレ。

 テレビでも取り上げられたのですってね。すごいアイデアだと思いませんか?

思わず感心しちゃいました。

 

ここまで書いたらついでなので、その日の夕方。

せっかく自由が丘というおしゃれな街に来たので、どこかでお茶などでも頂いてから帰りたいと思いました。

とは言いながら、入ったお店はオシャレとは関係はなかったです。

でもいただいたケーキは美味しかったです。

えっ?!

いやいや、ひとりで2つ食べたわけではありませんよ。

名都さんと一個ずつ。

この季節はやっぱりモンブランなんだな~と思った次第です。

 

※         ※       ※

 

流石に3日続けてのお出かけは疲れました。疲れた×83ぐらい。いや、何、数字はチョーテキトー。

 


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同じ風景でも《2014年のハロウィーン》

2014-11-02 00:45:48 | 梢は歌う(日記)

とうとう11月になってしまい今年もあと60日。

だけれど10月の終わりの日にハロウィーンがあるって言うのも、一つの季節の終わりという感じがしますね。

しかしいつから日本でもこんなに「ハロ」「ハロ」と言うようになってしまったのでしょうね。まあ、お祭り好きの日本人なので、仮装して街を練り歩くなんて気質的にあっていたんじゃないかな。

 

かく言うワタクシも「ハロウィーンパーティー」のようなものを、なんだかんだと言って10年以上やってきました。

もちろんお仕事の流れの中でのイベントです。

その10年に思いをはせると、いろいろな想い出が断片的にではありますが蘇ってきます。良い想い出もあれば、少々苦い想い出もあります。

それはすべてにおいて言えるものかもしれませんね。

 

お仕事は静かにフェイドアウト中です。

だから今年も一応やりましたが、すこぶる静かだったハロウィーンイベントでした。

子供たちは楽しそうにはしてましたが、でもその日の事をいつか思い出すかもしれないと言うレベルのものではなく、

「こりゃ、新年会はもっとちゃんとやらなくちゃ。」と反省してしまったのでした。

何しろ、やるよと告知した前日に「そう言えば」と思い出すような生ぬるい気合の入れよう。

「生ぬるい気合」、言うなれば「テキトー」。

要するに慣れだけでやってしまったようなものです。

飾りもいらないかなと思いましたが、いやいや、ちゃんとやろうと思い直し、「ハロウィーンの飾り」と書かれた段ボールを開けました。

すると中からすっかり忘れていた飾りたちが・・・・

今年はこんな風にリビングに飾ってみました。

 

 

これは同じ飾りでも、昨年は

 

かぼちゃたちの集合写真みたいで賑やかに撮ったのです。花たちも煩いと言うか、陽気なおじさんの帽子みたいです。

これはその前の年に作って玄関に飾ったのでした。

 これは背景がうるさい。

でも人間の目って不思議なもので、見るべきものだけに目がいくものなのですよね。だから花も上から見下ろせたこの飾りは結構評判も良かったのです。ちょっと気合の入れ方も違っていたのかもしれません。

 

だけれど同じ飾りで、よく毎年違う風に楽しんできたなって思いました。

同じようにハロウィーンの日は毎年くるけれど、毎年違う。

 

それと同じように、平凡に見える毎日も「同じ」と言う日はないのですよね。

昨日と言う日の思い出を愛おしく思い、今日という日の時間を丁寧に、明日と言う日を信じて2014年の残りの日々を大切にしたいと思います。

 

 

―だけど私もちょっとは成長したのかも。

だってこの花の飾りは今見ると、なんかイマイチよ。

って、3年も飾っといて、それはないか。―

 

※       ※        ※

『ハロウィーンが終わると秋は足早』 2013年

『ハロウィーンのもも吉』 2013年

『我が家のハロウィーンは』 2012年

『昨日はハロウィーン』 2009年

『一足先にハロウィーン』 2007年

『ハロウィーンで遊んでいます』 2006年

 


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