goo blog サービス終了のお知らせ 

森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

何もないようで何もない日はない

2015-02-11 19:08:27 | 梢は歌う(日記)
 
2014年2月8日は大雪
いつか、想い出すのでしょうか。2014年、2月8日は雪がたくさん降ったことを。 ルートが本当に疲れ果てた顔をして、昨日の夜、帰ってきました。8日の...
 

日記です。

昨年の2月8日はたくさんの雪が降り、とうとうルート君は家に帰ってくることが出来ず、凍える街を歩きネットカフェにてその日のねぐらを確保したと言う、親としては切ない日だったのです。

私はこの時の経験から、もしも大雪と予報されていた5日に電車が止まってしまったらと考えて大宮駅周辺の女性専用のネットカフェを検索なんかしていたのです。こういうことは抜かりがないんだけれど、それ以前の事がね…💦

最近の事を脈絡なくつらつらと書き綴ります。

「ハムレット」の感想は、未だ書きはじめていません。

書きたいことがいっぱい過ぎちゃって、困ります。

加えて、藤原君が23歳の頃の「ハムレット」はいかがなものかと思ったら、なんとYOUTEBUにアップしてくれている人がいて、実はそれも土日に見ていました。

なんていうか、それも藤原君は素晴らしいよ。

 

でもYOUTEBUで「ハムレット」を見ていると、相当PC前に縛られるわけで、合間合間に家事はやるものの、相当贅沢な時間だなと思いました。

 

その贅沢な時間と言うことでは、最近WOWOWのオンデマンドに入りました。

WOWOWはもともと有料なので、オンデマンドはタダです。

これを聞いて、ちょっと思うことはないですか?

そう、NHKのオンデマンドは今でも有料ですか?

私、これに対しては前からツイッターなどではっきりくっきり言わせてもらってます。

NHKは有料で、しかも結構お高いのですよ。

オンデマンドはタダにすべきですよ。

自由に使えて、NHKが大好き大好きってなれば、ちゃんと加入してお金を良識がある人は払うと思います。

WOWOWは見ない日もあるけれど、大好きなので止めようと思えません。

それでそのオンデマンドに入って、もちろん見逃したドラマを見ているのですが、昨年やってたものも公開されています。

嵌ってしまったのは「ホワイトチャペル、終わりなき殺意」。

ホラー色の強いサスペンスでこう言うのだーい好き♪

 

だけどこのように書くと「PC前で動画ばっかし見ているのか、この女は。」と思われてもしゃくなので〈ある程度事実だが〉ほかの事も書きます。

お仕事はほんのちょっとだけれど、ちゃんとやってます。ほんのちょっとになったので、PCで動画を見るような時間が出来たんですね。

仕事が少なくなってしまったので、じゃ、もっと頑張れるように何かしようとか、今の私にはとても思えないのです。思えない時にはやらないで、家の掃除をしますよ。

とうとうその順番が来たのです。

昨日やったことはドレッサー周りの掃除とお片付けです。ドレッサーぐらいなら私でも移動が出来ますから、裏側とかの埃とも格闘しました。

ドレッサー周りのお片付けをすると、もうしばらく何も買わなくて良いのだと分かるし、毎日もっとおしゃれに過ごそうとかも思えるから大事な事だと思いました。

 

まったく前の話と関係のない話です。ある時、朝ツイッターを開いたら「ココナッツオイル」の文字が並んでいました。はっきり言ってミーハーな人なので、即密林サイトで申込みしました。

ところが後からメールが来ました。

「売り切れちゃって、いつになるかわからんよ。」と言うもの。

もう、みんなもミーハーなんだから!!

ところが月曜日にピアノのお稽古に行きましたら、先生がココナッツオイル入りの珈琲をごちそうしてくれました。

ガーン。

普通に近所のスーパーで売っていたそうです、なんか値段も半分よ(ノД`)・゜・。

ちゃんと届いて使いこなせたら、また報告しますね。

 

いつ来るかは分からないものと言えば「東京駅開業100周年記念Suica」、申込みしました。

並んでまでは欲しくなかったけれど、ネットで申し込めると分かったら買いますよ。

だって東京駅loveですから。

プレミアとかの付加価値なんかいらないんです。「記念」と言うのが大切なんですよね。

そういう人きっと多かったと思いますよ。

一番わかっていなかった人たちは、東京駅の人たちだったんじゃないかなと思いますよ、これ。

忘れた頃、連絡来るのかしら。

じゃあ。毎日ちゃんとメールをチェックしなくちゃね。

 

家を独立して出て行ったラッタ君のツイッターを時々覗いています〈了承済み〉

カルボナーラを作ったり、ネギ塩チキンを作ったり、そして今回はザッハトルテを作ってました。

姉の今年の目標の一つは、我が家のレシピを作ることだそうです。

ちょっと私、それ真似しちゃおうと思いました。

ラッタッタ小僧に負けるわけにはいかん。

 

ところが昨日からワタクシ、体調がすこぶる悪く、キャベツを切った段階で夫に変わってもらいました。

どのようにと言うのは、これからお食事中の方もいるかもしれないので…ってこれがヒントかしら。

うんうんと唸って寝てましたら、ルート君から電話が入りました。買ったばかりの彼の車がぶつけられてしまいました。

彼は彼で凄く落ち込んでいたと思うけれど、おかーちゃんは、ルート君が無事ならそこはどうでもよくて、やっぱりうんうんと寝てましたとさ。

 

今年は私にとって「元年」。そう名付けたのです。

そう名付けても、何をしたらいいのか何から始めたらいいのか迷うばかりです。

とりあえずお勉強です。

「東葛地方を旅した人々」と言う講座に出たのもその一つでした。これはこれでかなり面白かったのですが、そこから次にと言うのは難しいような気がしました。

半年かけて行う有料講座と、3月からの無料講座に一応申し込みました。

私はこの年になったらアウトプットの方が大事な事だと思うんです。でも時にはうまくインプットしながら、明日を夢見ていきたいと思います。

 

タイトルと内容があってないような気もするのですが、日々ささやかに毎日本当に何かあるなと思っている私なのです。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花燃ゆ第6回「女囚の秘密」

2015-02-11 11:29:30 | ドラマ (大河)

※ この記事は日曜日の夜から書きはじめ、ちょっと書いては止めていたら、今日はもう水曜日ではないですか。もう、こうなりゃ意地でも終わらせたいと思います。^^

 

ちょっと大河とは関係のないお話からさせてください。

先日の日曜日、「東葛を旅した人々」と言うタイトルの講座を受講してきました。吉田松陰が東葛を抜けて会津に行く様子が書かれている「東北遊日記」に興味があったものですから。講師は千葉県立中央博物館の方だったのですが、その方が言うには、もう少し大河の中でも取り上げられるかと思ったら一言で終わってしまってがっかりしたのだそうです。お気持ち、分かります。少しだけですが講座の中で紹介された「東北遊日記」は凄く分かりやすい旅行記なんですね。そして目の前に広がった筑波山を見て、感動したのかそれとも何か心が動くものがあったのか彼はその風景を見て漢詩を詠むんです。

講義をしてくださった方は流れるようにお話をしてくださるかなり聡明な方と思いました。でもその人が「このような詩を即座に詠めて羨ましい限りです。」とかおっしゃったとき、寅次郎は藩主に「藩の宝」と言わしめた男だったなと思いました。半端じゃないんですよね。

でもこの方が寅次郎の脱藩の件に触れた時に、「短慮のあまり」と言った時には、ちょっと苦笑、ちょっと共鳴。

どんなに素晴らしい能力のある方でも、最初から完璧な人はいないのです。

その成長の物語は、やはり面白いものがあると感じます。

因みに東葛と言うのは、東葛飾郡の属したすべての市町村の事で野田市、流山市、柏市、我孫子市、松戸市、鎌ケ谷市、市川市、船橋市、浦安市の事を指します。

 

 

ちょっと余談ですが、東葛を旅した人の中には小林一茶がいます。この人の経歴では少年期の10数年がまったく不明です。

もしもこの人の小説を書くとしたら、この不明の10年をいかに描くかで小説の面白さが変わってくると思うのです。

史実と史実の点と点を結ぶ不明の部分をいかにどのような線で結ぶのか。

物語の醍醐味はそこにあると思います。

 

「私はあなたを憎みます。」
だけど糸は久子の手に触れて
「憎んでいる相手の事は忘れないと思いますから。」と言うのでした。

怒らせても憎まれても、そうしてここに乗り込んでくればいい。そうまでしてただ会いたいんだと言う母の心。それに応えるかのように言う糸。

うわーと、私は思いました。

このシナリオ、上手いです。

思わず涙がジワーッときました。

 

「ありがとう。」と告げる久子に文は
「お二人の事はワタクシが覚えていますから。」

またもそのセリフが私の寸止め涙に追い打ちを掛けるのでした。

 

べそをかく寸前で帰った文を、母はまたも笑顔で迎えます。

「ちょっと待ってね。」と縫物を脇に寄せて、文が泣きつく場所を作る母。

「あなたは泣くと長いから。」

「違います。肩をもんで差し上げようと思ったのです。」

だけれど、文はその母をそっと背中から抱きしめるのでした。

―お母さん、大好き。

そんなセリフはありませんが、「憎む」と言う言葉が繋がりの凄まじくも切ない母と娘の対面を目の当たりにした文には、母の温もりと笑顔はどんなにか心を癒すものであったかと感じたのです。

 

今回のお話、タイトルは「女囚の秘密」と、なんとなくつまらない感じがしたのですが、中身はかなり私的ツボにはまりまくりました。

そしてすべてのエピソードがうまく絡み合っていたようにも感じました。

 

小田村伊之助も江戸から呼び戻され明倫館で講師を務める事になりました。殿の面前で今必要な事を学ぶ重要性を説きますが却下され、松陰の力が必要だと野山獄に会いに行くのですが、松陰は金子の死から立ち直ってはいませんでした。

なんとなくうじうじとしている寅次郎。

その松陰に家族は差入れの本などを欠かしません。その欲しいものリストに紛れていた達筆のふみ。

だけれどその掠れ具合から、文は誰ともわからぬ人に筆を一本差し入れるのでした。

 

偏屈な感じの富永有隣でしたが、この贈り物は彼の心を鷲掴みしました。書を教えてあげようかとおもちかける有隣。それを聞いて獄中の者が見な燃え上がりました。我も我もと有隣に教えを乞い、野山獄が何とも言えない楽しいカルチャースクールになってしまいました。奇妙な連帯感と言うのでしょうか。

そこに高須久子のエピソードも絡んできて、久子がやはり文の差し入れたお手玉をなぜ捨てたのかと言うことを、全員で耳を澄ますシーンは流れ的に不自然でなく良いなと感じました。

すでにまったく正確なセリフは言えませんが、久子が

「たとえムチ打たれるような人生でも、それでも生きていくのは良い。」ようなことを言い〈もしかしたらカスってもいないかも^^; 〉

寅次郎はその言葉でうじうじワールドから脱出を図っていくのですね。

 

その後、寅次郎がなんか素晴らしい事を言うのです。

孟子の言葉だっけかな?

解説付きだけれど、女性に孟子かってちょっと思った…💦

でもその言葉で、眠れる囚人大深虎ノ丞が感銘を受け獄から出て来て、もっと何か語れと言うのです。

「今日はとっても気分が良い。」

眠れる虎は説得力がある感じで、みなうんうんと従います。

 

そこに差し入れを持ってきた伊之助と文。

皆に講義をしている姿を見て、伊之助は

「私には私のやらねばならぬことがある。」とくびすを返して帰っていきます。

 

これは立ち直った寅次郎を何とかするための行動と見るべきなのかもしれませんが、私には、伊之助の心にこれもまた火が付いたような気がしたのです。

誰かが頑張っている姿からは勇気と言うものが与えられ、行動する原動力になるものなのですよね。

 

そして一人残された文さんはいきなり立ち直っている寅次郎の姿が不思議に思えて

「なんでこのような事が・・・」と呟きます。

すると司獄の福川が

「強いてあげるなら一本の筆かな。」と言います。

「筆!?」

やっぱり文さんには何のことかさっぱり分かりません。

 

実はこういうささやかなエピソードの絡み合いが、私は好きなんですよ。

歴史にその名を残す。

それが出来るのはほんの一部の人だけ。

 

だけれどきっとこのようなエピソードが山のようにあって、それらがああなってこうなってと大きな出来事を支えているに違いないと、私は思っているからなんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝から大汗 ('◇')ゞ  その2

2015-02-07 01:38:12 | 梢は歌う(日記)

「朝から大汗 ('◇')ゞ その1」の続きです。

夜ではなく夜中になってしまいました。💦

※       ※       ※

朝書いた「その1」の記事の趣旨は、

「私、最近ボケちゃったのかしら~。」ではなくて、何か心に引っかかるものがある時は、「気のせいよ~。」と無視せずに考えて見る事は大切ですよと言う事ですからね。あしからず。

 

何か自分にとって良からぬ事がある時には、警鐘の鐘が鳴ると言う経験ってないですか。

私は過去にそういう経験があって、上記に書いたように「気のせい」と思って痛い思いをしたことがあるのです。長くなるので今回は書きませんが、心の中のザワツキ以外何かその警鐘の鐘は物に現れたりすることもあるみたいです。人の見えない部分の力はなかなかのものですよね。この警鐘の鐘が大きな事件の時に鳴る人は幸いな人だと思います。

不思議な事に昨日〈おととい〉開かなかった折りたたみ傘は、今朝〈昨日の朝〉開いてみたら簡単に開いたのでした。

時系を直すのが面倒なので、日付が変わってしまったのでおとといだけれど、もう昨日と言うことにしておいてください。

 

とここでまとめたらなんかとっても綺麗な感じで終わるのですが、そうはいかないのが私なのです。

バスは時間的にはあと1分もなく来ることになっていた時に家に帰ったのです。

でもバスって遅れて来るものじゃないですか。

それで私、家に戻ってまたとんぼ返りでバス停に戻ったんです。

その時だって心の中の声が

「無理じゃね。」って言っていましたよ。

でもトライしてみるのが私なんです。

因みに家からバス停までは我が家の他の家族には2,3分で着くそうですが、私の足だと5分はかかります。それでもすごく近いのです。

 

チケットをカバンの中に入れ、また猫の頭を撫ぜて←なぜまた撫ぜる!?

のしのしのしと小走りに行きました。

まあ、予測は少々していたけれど、バスは目の前で走り去っていきました。

 

次のバスまで20分もあるで、再び家に帰りました。

猫のもも。

「なんでこやつは出たり入ったり出たり入ったりしてるのにゃ。」と言う顔。

 

家に帰ってもこれと言ってやる事もないのでまた猫の頭を撫ぜていたら、凄く可笑しくなってきました。

だってチケットの事を思い出した時も、心の中では「あああああ」ぐらいの叫びのリアクション。だけどリアルでは「あっ」ぐらいのほぼ無表情。

バスが目の前で行ってしまっても、心の中では「ああああああ」ぐらいのがっかりリアクション。でもリアルは無表情。黙々と歩いていって黙々と帰って来てるわけなんですよね。

しかも2往復・・・・・・

「ばっかじゃないの」

これ、もう笑うしかないでしょ。

そして猫は要るけれど、他に誰もいない部屋で一人で「アハハハハハ」と笑ってる・・・・。

 

私、思いました。

人間なんかやっぱりすべて完璧なお利口さんより、アホでマヌケな方が人生楽しいって。

 

次のバスは、なんと時間ぴったりに来ました。

このバスがぴったりに来ると、前のバスで乗り換えようと思っていた電車にギリギリに乗ることが出来るのです。

走って行ったらその電車に乗れました。

 

何のために、ああ、何のために私は無駄なトライをしたわけ!?

その時、ふと閃きました。

「あっ、つまり、運動だったのか。」

 

ただいまワタクシ大肥満と言う病にかかっていて苦しんでおります。

1か月に1㎏ずつ減らしていくのが、リバウンドと言う再発を起こしづらいらしいです。

だけど生活をあまり変える事が出来なくて、1月の目標を達成できていないなと、それも昨日の朝に思ったばかりだったのです。

 

とにかくあっちでノシノシ、こっちでノシノシと歩き廻り、ずっと汗を書いていた1日でした。

と言うわけで、その日の夜体重を量ったら、図らずも目標を達成していました・・・とさ。

 

 

「生きるべきか死ぬべきかそれが問題だ。」

まあ生きていれば、毎日問題は出て来るものさー。

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝から大汗 ('◇')ゞ  その1

2015-02-06 08:51:44 | 梢は歌う(日記)

昨日は寒かったんですよね~?

ええ、そーですよね~!?

大雪だって天気予報にもあったし。

昨日はどんなに大雪が降ろうとも、私は出掛ける決意をしていたんです。

でも気持ち的には前日は雨乞いの気分。→「こうなりゃ雨乞い

私の雨乞いが功を奏したのか〈ナわけないが〉、天気予報はラッキーな事に大外れ。本当に良かったです♪

 

でも昨日の朝の段階では分からない事だったんです。午後一番から長々降り続けるようなことを朝の段階では天気予報では言っていたし。

私の家はマンションなので、朝着替えたら今でも一回は暖房を切ってしまうくらい密閉性があるのでいつもなんとなく薄着です。それで毎回と言っていいくらい出掛ける時は失敗してしまうので、今回はかなり薄いものを重ね着して出かけたんです。電車などが遅延してしまうと寒い中で待つと言うこともあり得るかなと思ったりもしたものですから。

その遅延と言うことを考えて、朝から夕飯の為にカレーも作りました。

 

いろいろ遣るべきことをやって、もう完璧ねと思って家を出たんです。

だけど・・・・・

 

出掛ける先が劇場だったので折り畳み傘が良いかなと思ってパッと手に取ったのが、いつものやつではなかったのですが、それでもいいやと外に出て開こうとしたら開かなかったんです。

― どうしてなの? 錆びてないのに。

でもそこで傘が開かない原因究明なんかしている時間はありません。バスの時間がありますから。

―完璧じゃなくなるけれど、そこにあるビニール傘でいいや。

 

ところがバス停で・・・・・

どうも我が一族はほぼ全員が強迫観念症の疑いがあるのですが、多分に漏れず、この私もです。

出掛けると、家は大丈夫かと心配になるのです。

だからいつもはグータラして家事はかなりの手抜きなのに、ちょっと出かけようと思うとあれやこれやと働くのです。

バス停で、何かが私を引き留めるのです。

脳内チェック。

― ドライヤーは使ってない。

トイレの水は止まってた。

カレーは作ったけれど、ちゃんと火を止めた。何度も確認した。

猫のトイレは綺麗。

お昼御飯も上げた。

猫の頭も撫ぜてきた。

何も問題はないな。―

 

だけどやっぱり、行くなと何かが私に訴えるのです。

 

じゃ、もう一回。

― ドライヤーは使ってない。

トイ

あっ、ああああ、分かった!!!!!

 

私はびゅーんと家に戻りました!!

猫のもも、「なんだ、もう帰ってきたのか?」のような顔をしてお出迎え。

 

「ええ、これがないと出掛ける意味がないものですから。」

といそいそとバッグにテーブルの上のチケットを入れました。

 

 

これじゃ「朝から冷や汗」が正しいと言う感じですよね。

続きがあるのですが、今日はこれから来客があってブログ時間がタイムアップです。後半は夜書こうと思います。

見てきたお芝居は「ハムレット」。キャストがみんな美しかったです。感想はゆっくり書く予定です。

 

では皆様、今日も一日頑張りませう。

 

 

 

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相棒 season13第14話「アザミ」

2015-02-05 01:06:57 | ドラマ(相棒)

さあ、ブログに感想でも書こうかなとHPを開いたら、びっくりするようなことが書かれていました。

もうご存知の方も多いと思うのですが、甲斐享は今シーズンの最終回で卒業なんですね。

本当は二年間の約束だったのにお願いして今シーズンまでやってもらったそうです。

期間としてはそのぐらいが良いような気もするのですが、過ぎてみるとあっという間だったようにも感じますよね。カイトには若さゆえに暴走するようなそんな部分をもっと見せて欲しかったような気もします。と言っても最終回までには、あと5回ぐらいあるはずですから、この「相棒」を最後まで楽しみたいと思います。

でもちょっと嫌な予感・・・・・まさか殉職なんてことはないよね・・・・・

そのニュースの記事は→こちらです

 

今回の「アザミ」の感想ですが、美しき双子の少女と言うのは、それだけで絵画的だと思いました。

そしてその双子が片割れだけになる。

それはなんて悲しい切ない物語なんだろうと感じてしまったのでした。

 

バイオリン工房と言う「音」に関係のある設定をしながら、実は見ているものにはかなり視覚に訴えて作り上げられていた作品だったと思います。

演出が全体的に綺麗でしたね。

少女の「音質が違う。」と言う内緒話のシーン。

「内緒」と言って階段を駆け上る少女のシーン〈実際はフェイク〉

〈美しく撮れたから、何度も見せたのだとちょっと思ってしまいました。〉

実際は防護服代わりだった着ぐるみの怪しい雰囲気。

カップの内側にいた蜂の気持ち悪さ。

そして最後に右京によってそっと部屋に置かれた花束。

 

犯人は双子の女性ではなければ良いのにって本当に思ってしまいました。

醜い人たちで殺しあえば良かったのだ。そして彼女は父が残した工房をみんなと共に守っていって欲しかったです。

 

「あの人たちはアザミよ。」

この言葉自体も美しい。

少女が最後に握っていた花がヒントにもなるわけですから。

ライターさんはこの花の棘を思ってこの物語を作ったと思うのですが・・・・・

 

だけど野に咲くあざみの花は、本当に可愛くて綺麗なんですよ。だからあざみの花は手折られたくなくて、その葉の裏側に罠のように棘を張り巡らせているのです。

もしかしたらタイトルの「アザミ」と言うのは犯人の女性を指して言っていたのかなと思うのは、やっぱり考えすぎなのかも知れません。

 

夫が最後に、最初から右京に頼めば殺人犯にならなくて良かったのにと身もふたもない事を言いました。

―だからね、この女性は右京の事なんか覚えていなかったし、事故死で片づけた警察は信用できなくなっていたし、少女が死んだときには右京はロンドンにいて知らなかったし・・・・

 

やっぱし広報活動は必要よね。

警視庁のHPに「暇な特命係あります。」とか「特命係オープン中。納得がいかない過去の事故死、一応聞きます。」とか載せたら良いのになんて、一応言ってみたりして^^

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花燃ゆ第4回「生きてつかあさい」第5回「志の果て」

2015-02-04 09:54:49 | ドラマ (大河)

この大河がイケメン大河と言われているのは、もう納得しています。そして今回4,5の流れで幕末ホームドラマと言われているのも納得したのでした。

 

時代の規格外で生まれたものの行動は凡庸な人間には理解できないものなのか。だけどテレビ前の人間だってほとんどはその凡庸な人間なんじゃないですか〈これ、前回も書いたけれど〉。

だからなのか、どうも凡庸な我が夫殿は毎回寅次郎に対してチクチクと批判がましい事を言ってうるさい!!

 

普通の者が死罪になってもおかしくない事をやっても育と言う優しい罰で済むのは、彼の才能が抜きんでてて誰もが認めるものだったからだと思います。

夫婦間で彼の才能は藩の宝と思われていたのよねなどと話していましたら、藩主もはっきり言いましたよね。

「寅次郎は藩の宝ぞ。」と。

 

だからこそ夫殿は腹が立つのです。自分の思った通り周りを顧みず突き進む寅さんに。

 

このドラマは見る年代によって感想が違うのではないかと思います。すでに年齢を重ねて来てしまった私たちから見れば、寅さんは青年だけれど、まだまだ子供のような感覚なんですよね。

後の天才吉田松陰にだって若さゆえに愚かで突っ走ってしまったことだってあったんじゃないでしょうか。そんな風に伝えられていないだけで。

 

寅次郎の黒船に乗り込んだと言う行動は、この時代の若者の心に火を付けました。また、先日チラ見で残念だったのですが、そのことを小説に書いた外国人もいたのですよね。

今検索してみました。『宝島』の作者ロバート・ルイス・スティーブンソンの『Familiar Studies of Men and Books』 (1882年)に短い伝記が出てくるのだそうです←wiki様情報。

それと言うのもルイスが寅次郎の黒船密航と言う行動に感銘を受け感動したからなんですよね。

 

私自身、「凄いな。素晴らしい行動力だったなあ。成功して欲しかったなあ。」そう思っていたと思います。

 

だけれどそれに振り回される家族が、そこには存在していたのです。

この家族は結束が強く、お互いを思いやっている。それが伝わってきてとっても見ていてホッとします。物言いがキツイ寿さんはちょうどいいスパイスになっていてそれも良いような気がします。

寿さんは言葉のキツイ伯父さん似かしら。

「なぜその場で腹を切らなかった。」などと言うような事を軽々しく言って欲しくないですよね。

 

幕末ホームドラマ、良いじゃないですか。

私、思わずうううっって泣きましたよ。

お兄ちゃんが一人仏間に入って死と向き合っていた時に、嫁さんが

「昼間はバタバタして言いそびれました。おかえりなさいませ。お勤めご苦労様でした。」と静かに優しく言うシーンに。

「おかえり~。」って本当に大切な言葉ですよね。

今日からはもっと心を込めて言うようにしよう…って今決意しました!

 

いつもニコニコ、ここのお母さんのように…って言うのは無理だけれどね。

このお母さんにニコニコ、きっと世間では評価が高いんじゃないかと思うんだけれど、ちょっと私には嘘っぽくて実は相容れない点でもあります。母はこうあって欲しいと言う願望の表れなのかなと思いますが、今後に期待キャラさんです。

 

大沢たかおと麻生祐未、ああ、「仁」だなあって思っちゃうのですが、金子ツルの麻生さんには本当に泣かされました。

本当に優しくて子供を想っていた母。対面を許されても変わり果てた姿が本当に悲しかったと思います。

吉田寅次郎を心から憎んだと思います。

出会わなければと運命を呪ったと思います。

遺体で帰ってきた金子重輔を「ここにいるのは染物屋の息子です。」と言うシーンは胸が痛かったです。

だけれどこの母は、本当に子どもの事を想っていたから、子供の心が分かっていたのですね。彼は高い志を持ち、その志を持ったまま死んだのだと。だからその証のボタンを届けてくれたのです。

 

大河ファンには好き嫌いが分かれそうなシーンだと思ったのは、かなり大事な事を寅次郎に文さんが言うシーンです。

今まで「ありえないよ~!!!」と言うシーンを大河では見せつけられてきました〈とある作品では〉。でもこの展開は「あったかもしれない」と言う展開で、この大河は狙い通り自由度が高いです。

ゆえに面白い。

 

野山獄はお日様タイムがあったり囚人同士で語り合ったり本も読み放題。

寅次郎はここでも前向きに生きようとしています。だけどその気持ちを押し潰したのは、同じ獄の囚人の富永有隣の金子と言う痛いキイワードで突き刺す言葉だったのです。

ちょうど文がやって来た時、寅次郎はかなり暗い雰囲気。

そこに文が金子の死を知らせ、「お兄様が殺した。」と言うのです。

もしもドラマを見ていないで、ここの文章だけ見る事があったなら〈ないと思うけれど〉、なんてことを言うんだと思うと思います。

だけどこのシーン、凄く良かったです。

視聴者の気持ちをバーンと言ってくれたんです。

「父上様も兄上様もお腹を切ろうとした。」←いつもながらセリフは不正確ですよ。

「なぜみんなの事も考えずにそのような行動をとったのですか。」

「兄上様のお考えが正しいと言うのなら、その証をお見せください。」

要するに獄の中で、「中途半端な事してんじゃねーよ!!」

とカツを入れに行ったんですよね。

まさに井上さんのキャラだと思います。

 

お兄ちゃん、今辛い時なのに、ああ、大好きなお兄ちゃんに言いたい放題言っちゃったなあ…とか思いながらかとぼとぼと歩いて戻ってきた文さんをお母さんはニコニコと抱きしめてくれるのでした。

 

次回は女囚高須さんのお話ですね。この人と寅次郎さんは♡♡  どんな風な展開になるのかちょっと楽しみです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年の初めには夢を見よう2015

2015-02-03 01:57:04 | 1年の目標とまとめ・遣りたい事リスト

一年の目標などを同じタイトルで書いたことがあるので、「2015」が付いています。

「年の初め」と言っても、すでに2月に入っていますよと言われそうですね。

だけど人が目標を立てたり、今までの生活を反省し今後の生活を見直したりする機会は一年に三回あるように思うのです。

それはもちろん新年の始まりであるお正月。それから新年度の始まりである4月。そしてもう一回は誕生日です。中には新年度に関係のない生活をしている方もいらっしゃる方もいるかもしれませんし、お正月が誕生日、もしくはうちのルート君のように4月の初めの方に誕生日があると言う人にはこの三回は当てはまらないかもしれません。

ただ新年度が自分には関係がなくても世の中の動きを見て感じたりすることは出来るわけですし、誕生日と重なっても二倍の強い意識を持つことは可能なのかなと思います。

なんでも気持ちの問題なのですよね。

 

2月1日は私の誕生日。

それにしたって、またも二日もずれていますよと思われるでしょうか。

だけどその日の朝、ぱちりと目を開けましたら、先に起きていた夫殿が点けていたテレビから後藤さん殺害のニュースを伝える声が聞こえてきたのです。それに続けて安倍首相のコメント。

深い悲しみと失望とそして怒りを感じながら、私はムクリと体を起こしました。

何という新しい年の始まり方でしょうか。

―こんな事ってあるのか。この年の誕生日を、この先もずっと忘れる事なんかできないなあ。―

そんな気持ちで顔を洗っていましたら、まだ朝も早かったのに電話が鳴りました。夫側にも私側にも老いた人が家族にいるので、朝や夜の電話にはどきりとするものがあるのです。

だけど電話に出た夫が明るい声だったので、ちょっとほっとした私に

「お母さんからだよ。」と夫が受話器を持ってきたのです。

思わず

「どうしたの!?」と聞く私。

「お誕生日、おめでとー!!!」と高い母の声。

「あっ、うん。わ~、ありがとう~♪」

気持ちがぱぁーっと晴れたような気がしました。

母は先日買った携帯から掛けてきてくれたんです。ちょっと耳の悪い母は、本当は電話が嫌いです。

だからたった1本の電話でも、それがすごく嬉しかったんです。

 

たとえば外がどんなに木枯らしが吹いていても部屋を暖めて家族を待つって大切な事だと思うのです。またはしっかり着込んで木枯らしに負けないように体を暖める事も。

それと同じように、どんなに世界が暗く感じても、不安が波のように押し寄せてきても、自分の生活を足元から暖める事がとっても大切な事なんだと思います。

 

まっ、いいか2014」と言う昨年のおまとめ記事の中に書いた

「もっとひっそりと静かに地味に〈しつこい〉、だけど堅実に暮らしていきたい」と書いたのはかなり本音です。

地味になるかはかなり微妙な気もしますが、例年ナンバリングして計画を立てる遊びの予定は今の段階では止めておこうと思います。あれは私的には凄く楽しいし、具体的な行動の目安になるので役に立つのですが、今年は映画館での映画鑑賞、お芝居、美術館での絵画展をメインにはしないつもりです。もちろんまったく行かないわけではありませんが、いつもはそこをメインにして立てる遊びの予定、今年は変えてみようと思っています。

 

と、ここでこの先を内緒にしちゃうとこの記事の意味がないのですよね。

キイワードは本と自転車とうろうろです。

なんじゃそりゃってな感じですが、ナンバリングしないって書いちゃったから^^

でもあまりまだ具体的じゃないから、そんな書き方なんですね。

 

この記事を1日に書かなかったのは、「夢を見る」と言うタイトルのものを、やはりあの日には書くべきではないと感じたからなのです。

だけど本当は、見るべき夢を数年前から見つけられず探している私なのです。

年の初めには夢を見ようーだけどどんな夢を見ましょうか。

自分の「次」が見つけられず、結構もがいているのです。

 

今年は私にとっての「元年」。

そう思って、毎日を進もうと思います。

本も読みます。勉強もします。そして書きます。

きっと見えてくるものがあるとそう信じているのです。

 

 

※     ※      ※

かつて書いた「一年の初めには夢を見よう」シリーズは単純で分かりやすいのでリンクしておきます。

ほぼ言ってることは毎年同じ…と言うのも悲しいが、そんなもんだよねとも思います^^

 

年の初めには夢を見よう2012

年の初めには夢を見よう」2011

年の初めには夢を見よう、その2【遊び編】」2011

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする