森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「わたしを離さないで」

2016-03-20 00:56:12 | テレビ・ラジオ

今期のドラマの中で、この金曜ドラマ「わたしを離さないで」が私の一番のお気に入りでした。

日本生まれでイギリス育ちのカズオ・イシグロの「Never Let Me Go」(わたしを離さないで)が原作。

 

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)
土屋政雄
早川書房

 

この物語は既に映画にもなっていて、私はその予告編を映画館で観ました。

今その映画のHPなどを訪れて動画などを見ますと、ここまでさらしていたのかと驚かされるのです。You tubeで確認した映画館での予告編にも、やはり「ある目的の為に」「特別な使命」「提供」と言う言葉は出ていて、クローンの臓器提供がテーマなのだと容易に推理出来た事を思い出しました。

そう言う映画は、「もういいや」と、その時は思ったのです。なぜなら同じテーマの映画でユアン・マクレガー主演の「アイランド」を見たからです。この映画はSFアクションで物語の設定はかなり衝撃的で、なかなか面白かったのですが、似たようなものならばもう良いと思ったのでした。

でも「わたしを離さないで」の映画は

「この命は誰かのために。この心はわたしのために。」というコピーで、予告編からもまったく切り口が違う事が分かりました。

しかも映像が詩的で美しい。

とっても気になりました。ですが家の近所では公開されていなくて、見に行く事は叶いませんでした。

それのドラマ版となれば期待値が上がるのも無理のない事だと思います。

 

そしてこのドラマは、私の期待に応えてくれた質の高いものでした。

 

どれだけハンカチを濡らした事か。

 

もしも私がある日、今の環境で自分がクローンであると知ったならば、そしたら私は驚くかもしれませんが「それが何か?」と思うと思うのです。クローンは人間だと思っているからです。だけど、クローンゆえに人権もなく自由も未来もないと言われたら、私は何を思うのでしょうか。

「アイランド」のヒーローとヒロインのように戦うのでしょうか。それとも運命を受け入れて生きていくのでしょうか。

 

これはクローンたちから臓器提供を受ける事が出来るようになった近未来を、その提供者側からの視点で描かれたSFです。

でもそれは世界観の設定でしかないような気がします。提供者である彼女たちを可哀想な人たちとは見る事は出来ず、さながら自分たちと重なるものを感じるのは、実は自分たちでさえも本当は何者であるのか分からないのだと、心の底で思っているからなのかも知れません。

 

陽光学園の時代に渡された宝箱。

恭子の宝箱は、生きてきて触れ合った人との思い出の品たちでいっぱいになってしまって、蓋も閉まらなくなってしまいました。

陽光の園長だった美恵子先生は、その宝箱をなぜ渡したのかをこう語りました。

「奪えないものを与えたかった。体は奪われても想い出は奪われないあなた方だけの物だから。」

 

私たちだって、見えない宝箱に想い出でいっぱいにしながら生きているような気がします。

私たちは何処から来てどこに行くのか。何のために生まれてきたのか。その答えなど出せぬまま、そしてやがては死ぬのです。

恭子は、私たちはその生きる目的があらかじめ知らされていただけと語りました。

 

であるならば、生きるとは、その見えない宝箱をいっぱいにするための毎日なのかも知れません。

(これもドラマ内で、もっときれいな言葉でまとめられていましたね。もう一回見ないと、その言葉を忘れてしまったみたいです💦)

 

因みに臓器提供の話は、いかなる分野のいかなる切り口で有っても辛い話が多いような気がします。

 

最後にこのドラマの印象深かったシーン。

美和を演じた水川あさみさん、凄く良かったです。ずっと恭子を苦しめ続けた美和でしたが、その彼女の本心が見えて来た頃から泣きっぱなしです。

そして手術室に向かう時に美和が言う

「わたしを離さないで!!」は二つの意味で心に食い込みました。

一つはヒロインではないのに、タイトルにまでなっている重要な言葉を言うのかという点。そしてもう一つは、そのまま単に心に深く響いたのです。感動と言うのでもなく感銘と言うのでもなく、なんていう言葉が良いのでしょうか。ただただ涙が溢れました。

 

ともが最後に言った言葉も印象的でした。

「もう一度恭子に会いたいとずっと願っていたんだ。会えたばかりでなく一緒に暮らせたなんて。願いはずっと叶っていたんだよ。」

 

夢はずっと叶っていたー。

それに気が付くことが本当の幸せなのかも知れません。

 

命を断とうとのぞみが岬に来た恭子。その足元にトモのボールが流れつくと言うのは予想できた展開でしたが、それでも泣けました。

美しいシーンはたくさんありましたね。

終わってしまって少々ロスの私です。

 

 

わたしを離さないで [DVD]
キャリー・マリガン,アンドリュー・ガーフィールド,キーラ・ナイトレイ,シャーロット・ランプリング
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

 

 

わたしを離さないで Blu-ray BOX
綾瀬はるか,三浦春馬,水川あさみ,伊藤歩,麻生祐未
TCエンタテインメント

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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相棒14「第20話 ラストケース」

2016-03-18 19:09:36 | ドラマ(相棒)

最終回と言う事で2時間ちょっとのスペシャル。

どうでも良い事だけれど、そのちょっと出っ張った部分でリアル視聴率を落とすかもと思いましたよ。と言うのは、今週水曜日の10時台は「フラジャイル」も「ヒガンバナ」も最終回。ぜんぶは見る事が出来ないので、何を録画しようかと考えると、長いし出っ張るので「相棒」を録画して、10時台のドラマの一つを選択してみると言う方法を取った人も多かったのではと推理しました。

いつも遅れて感想を書いているので、もう視聴率も出ていました。それでも15.8%で、何とかスタッフの皆さんもほっとなさったのではないですか。

視聴率なんか関係が無いや、良いドラマであれば良いのだと普段は思う私ですが、何でかやっぱり「相棒」だけは気になるようです。

ずっと応援してきましたからね。

 

さて最終回の感想です。

 

あまり深く考えないでサラリとみればなかなか面白かったですよね。

 

それでも先にがっかりしたことを言いますと、「相棒14『第15話警察嫌い』」で

>そしてそのスタッフブログによると、第15話は最終回の序章になる事件なんですって。

でしょうね。

面白かったんだけれど、すべて途中で終わっている感が否めませんものね。

広域暴力団の娘、色川は結局は痴情のもつれが殺害の理由だったと言う事で良いのですよね。

一番の、「うん? これで終わりでいいのか。」と言う部分は、警察官の父親を持つ青木がなぜそこまで警察嫌いになったのかと言う部分ですよね。

彼はまた登場してきますよね、きっと。

 

と書いたのに、この予想は大外れ。青木の父親絡みの話かと期待しちゃったわよ、まったく~。

 

それに最後まで見ると、このシーズン14全体が結局、亘がいかに特命にやって来たのかって言う序章かよって言いたくなってしまったのでした。

でもまあそう言うのもありかなって思いました。

私的には官僚のオチャラケキャラに馴染めなかっただけで、特命係のおちゃらけた人だったら、何の問題もないのです、たぶん。

しかしですよ。法務省の事務次官の日下部さんは。どうしてあそこまで亘の事を大切にしちゃってるわけ?

もしかしたらラムネさんと同類項?

生きがいを見つけた場所に行けるように「背中を押して谷底に突き落としてあげました。」と言うその顔には、愛が溢れていましたよね。

 

これで秋からのシーズン15はあり得そうです。

気になるのは、米沢はその時どのようなポジションかって事ですよね。

 

では、またシーズン15でおあいしましょ・・・・う?!

あっ、いやいやいや、ここで終わってしまってはいけないのですよね、やっぱし。

 

物語の感想を何も言っていないのでした。

でも正直な事を言っちゃうと、テロちゃんたちが何を言いたいのか分かり辛かったです。

要するに国民の危機感を高めて、対テロシステムを構築せよって事で良いのでしょうか。

もちっと、じーさんバーさんでも分かりやすい言葉で解説が欲しかったな。

特に伴野は何を言いたかったのか、さっぱり分からない。

でもこの人は、ど派手な自殺。

 

最初の射撃訓練場での惨殺シーンも恐ろしかったけれど、この焼身自殺のシーンも怖かったです。

でも思わず、心の中で歌っちゃった。

「フランシーヌの場合は~あまりにもおバカさん♪」って。

自殺の方法はみんな恐ろしいけれど、ダントツ怖いのが、この焼身自殺です、私。

 

そう言えば、金井塚が

「殺人は初めてなんです。」などと言いながら銃を打つシーンがあったでしょう。

私、あそこで「必殺仕事人」の一番若手の隆生が、最初の時に

「殺しは初めてなので、ひと想いと言うのは無理かもしれません。」的な事を言うじゃないですか。私、それを連想してしまいました。

「殺人は初めてなので、一発ではし止められないかもしれません。」とか言えば良かったのにね。

 

でも伴野が言った

「俺は無意味な殺人はしない。」には、微妙に腹が立ちました。何言ってるんだいってな感じ。

でもそこで腹を立てると、冷静には物事を見る事は出来ないのかも知れませんね。

いかなる場合でも相手の立場になって考えてみると、彼なりの意味とかがあり、見えて来ることもあるって所でしょうか。

 

ゴミの件とかもお勉強になりました。

あと・・・・メモメモ…タラバはザリガニと。

 

※  シーズン14は文句を言いつつ、全話の感想を書けました。

拙い感想で申し訳なかったのですが、読んでくださってありがとうございました。

 

 


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日記を書こう☆その2

2016-03-18 01:44:28 | 梢は歌う(日記)
 
デカンショ~デカンショで♪

お友達のブログを読んで、気が付きました。 昨日って巷ではホワイトデーとかじゃありませんか。我が家ではその気配すらなかったのでした(ノД`)・゜・。チクリンと嫌味を言うのは簡単だ...
 

上の囲みは、昨年の3月15日に投降したものです。

今日も草薙君のドラマ「スペシャリスト」の最終回を見ていましたが、昨年も彼のドラマからこの上の記事は生まれたのです。

そしてその「デカンショ~デカンショで♪」の記事の中で、私も替え歌を作って載せているのですが、思わず、

「これ上手いな、誰が作ったの。あっ、私か。」って思ってしまいました。

私って自画自賛の人ですから (^_^;)

でも微妙にメロディには乗せ辛い歌詞なんですけれどね。

 

その中の

>まとわりつくなと 邪険にしてたが 〈コリャコリャ〉

やがて最後は またひとり 〈ヨーイヨーイ デッカンショ〉

という歌詞で、ちょびっと涙ぐんでしまいました。もちろん私は夫を邪険にもしてないし、まだ彼は生きているのでひとりにはなっていませんよ。でも悲しくなっちゃったんだな、これが。

 

肺炎と言う病気が治ったと思ったら、夫殿にはまた大変な事が起きていて、私は憂鬱マックス。思わず昨日まで過食に走っていました。(怖くて体重計にも乗れないわ。)ところが今日の夜ご飯の時、あまりの気の重さに胃が動かず気持ちが悪くなってしまったのです。

本当にこんな事じゃだめだと、強く思いました。

今日(と言っても、日付が変わったから昨日)、友人と話していたのですが、やっぱりお母さんと言うものは元気じゃなくちゃいけない存在なんですよね。

よわっぴな私ですが強くなりたいと思います。

 

3月11日に「日記を書こう。」と言うブログ記事を書きました。その日から日記帳と言うアナログで毎日の記録を付ける事にしました。でも思いついたので、今年の1月1日からの遡り日記をつけてみました。遡り日記をつけるのって、意外と面白いんですよ。1月当りのはほとんど手帳を頼りに書いたのですが、2月などは夫が退院して来たらボーっとしちゃったのか手帳は真っ白で、記憶とかブログとかを頼りにつけてみたんです。

 

それを付けてみると、本当に今年の1月2月は病院通いと仕事とお片付けと言うそんな毎日だったなと思いました。

そんな毎日でも、森を求めてウロウロしたり、ドラマを見たりテレビで映画を見たりブログを書いたりして、それなりの楽しみを見つけていたのだと思いました。

毎日が幻のように過ぎていくー そんな風に感じる事の無いように、やっぱり日記は付けていきたいと思います。

 

以下はアナログ日記では残せない、簡単な写真日記です。

これだけで記事を書けば、私の毎日は本当に楽しそう。

私はこれをブログマジックと呼んでいるのです。

 

我が家のホワイトディーは数年に一度しかありませんが、今年はその数年に一度の年だったみたいです。

 

最近はチョコのチョコ返しが流行っているみたいです。

これは10日の日に早々と貰いました。

 

12日は久しぶりに私一人で横浜の実家に行きました。

お正月以来の姉妹全員集合です。夜はラッタ君もやって来てみんなで豚しゃぶ。楽しかったです。

翌日はその姉妹たちとラッタ君の部屋の見学会。おばさんたちに押しかけられて、実は座る所もなかったのですが、みんな適当に場所を取り、彼の部屋でケーキなどを頂きました。

その後、みんなで横浜に出てランチでワイワイ。そして解散です。

横浜駅に着いたら、ちょうど東海道線が来ていました。それがたまたま上野東京ラインと言うやつだったのです。東京で降りないで上野まで行こうと思いながら、ふと日暮里まで行くんじゃないかと上野でも降りませんでした。近くに路線図が無かったので、上野の次に何が来るかなって、ちょっと遊び心で乗っていたんです。

いつも京浜東北を使ってゆっくり寝ながら帰って来るので、東海道線の路線に興味がなく知らなかったのですね。東京上野ラインは日暮里には止まらないって事を。

で、尾久と言う所で下車しました。始めてきた駅だったのでちょっとワクワクしましたよ。もっと時間があったら駅周辺をウロウロしたかもしれません。

 次は赤羽だったので、そこから帰っても良かったのですが、元来た道を帰りましたとさ。

 

 おまけ。その日、横浜の実家で姪が作っていたウサギ。

 

 

 16日にドトールで飲んだ「カフェ・ショコラ オランジェ」

 

そして17日、コメスタで食べたちょっとリッチなランチ。

 

 

玉手箱になっているドルチェ。開けるともあ~っと煙が出ます。ドライアイスの煙なんですが

「あっ、やっだー。歳を取っちゃったんじゃない。」と私が言うと、お店の方は

「大丈夫です。」と。

そんなに真面目に応えなくてもって、ちょっぴり笑ってしまった私です。

 

美味しいものを食べると元気が出ると思いました。

 

 

 

…が、その魔法は解けるのは早い・・・かも。

モヤモヤしていたお仕事の悩みは一つ解決しました。

私自信は2016年をどのように生きたいのか、少し自分の事を考えようと気がついた真夜中です。

 

 

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真田丸第10回「妙手」

2016-03-15 08:32:48 | ドラマ (大河)

タイトルの「妙手」の意味は

  1. たくみな技量。すぐれた腕前。また、その持ち主。「琴の―」
  2. 碁・将棋で、他人には予想もできないうまい手。   by goo辞書

碁や将棋を打つ人ならば、この「妙手」と言う日本語が頭の中に浸透しているのかと思いますが、この言葉、普通の人は日常的には使わないのではと思います。もちろん意味などは字を見れば分かると言うもの。だけれど「名人」とか「名手」とか、そう言う簡単な言葉を用いる事の方が多いと思うのです。でももしこの「妙手」と言う言葉が、自分の中で浸透していて、聞いただけでイメージが膨らんでいたとしたら、もしかしたら今回のドラマは、見ていた段階で、相当三谷氏のシナリオに、もっと感心していたと思います。

 

だから昌幸、ドラマの中で碁ばかりを打っていたんだなと思ったのです。

言うなれば信幸も信繁も彼の駒。

 

家康の所に行って堂々と交渉させるのは、信幸の出番。

虚空蔵山に対上杉用の城を作らせる約束に成功しました。

この城は実は徳川に作らせる対徳川用の城って言うのも、本当に凄いね。

 

この時の信幸はかっこ良かったですよね。

沼田領を北条に差し出す約束をしてしまった事に、先に真田との約束はと問い詰める真田勢。

家康の「じゃが・・」に

「じゃがではござらん !!」ときっぱり。

この交渉の場の信幸が、彼の武将としての本来の姿なのかもと感じました。

筋の通ったと言うか、ドーンとぶつかる話の交渉には凄く向いているのかもしれません。

だからすぐに切り捨てると脅す本多忠勝のような人は苦手なのかも知れません。

 

でもその後の信幸は・・・・・

 こーんな顔をしていましたね。そっくり~!! って思っちゃった。

 

本多忠勝に剣で脅されると身を挺して守るのは信繁。そして策を用いて交渉の場にあたるのはこの信繁の出番です。

沼田を守るために上杉の力を借りる事にした昌幸は、裏切った我々に力を貸してくれるでしょうかと問う信繁に、だから策を用いると答えます。どのような策をと問われると「知らん。」と。

それを考えるのは信繁自身。

「ええええー!?」と言うのかと思ったら、信繁は嬉しそうでした。

 

そして単身春日山城に乗り込み、戦芝居が成り立つのですがー。

これは上杉景勝の性格をよほど読み込んでいないと出来ない策だと思いますよ。

その一手は凄まじい賭けだと思いました。

乗り込んだ段階で切り殺される可能性だって大きいわけですから。

 

その戦芝居のシーンでは、私はあまり関係のないくだらない事を考えていました。何かと言うとほら貝の音とはそれぞれの軍で違うんだなとか、戦場ではやっぱり目立つ兜が大切なんだなとか。

その兜の事ですが、「愛」の兜の良さが、このドラマで初めて実感したワタクシ。だってそれが目印で、「ああ、あやつが兼続か。」って認識したのですから。

上杉に戦を仕掛け敗退したと言う戦芝居のおかげで、それを信じた北条は沼田城から一時兵を引く事にします。

 

昌幸は遠く離れた所で碁を打つシーンばかりが出てきましたが、この回自体がパチンパチンと碁石を置いて陣取りをして行く碁のようなものだったのかも知れません。打っていたのは昌幸。そして相手は・・・・徳川?

そしてその中でも、やはり離れた所にいてその動向を聞いているだけの本多正信ですが、この人が実は相手だったのではないかと思ってしまいました。

「そろそろ真田安房守には消えてもらいましょう。」

あっ、「死んでもらいましょう。」とストレートに言ったんだっけ?

これって昌幸が勝ち目のないような後の途中で席を立ち、うっかりのような顔をして碁盤の上の駒を滅茶苦茶にして終わらせてしまったのと同じことのような気もするし、次の一手を打ってきたような気もします。

その駒として選ばれちゃったのが・・・・

最近人気急上昇中の(私的には)室賀様。まっ、分かってることなんだけれどね、分かっていても選ばれちゃったことが悲しい。

前回の感想にも書いたのだけれど、消えていく人に愛着がわくように書くのが三谷氏の罠なのよね。

その罠にちゃんと嵌っちゃってます、私。

 

今週のきりちゃん。

女会議で人質に関しての話題。

ババ様は人質たらいまわしを経験し加えて歳だし、信幸の妻のこうは病弱。昌幸の妻の薫は「アレ」だし、信繁にも嫁をという話になって、人質に出すのに嫁取とはとちょっとと言うのですが、それって大いに自分の身に降りかかる災難を避けたい一言だったと思います。

「えーー。私、もう人質にはなりたくないな。」って、すっかり自分が嫁になるのは想定内・・・?

 

だけど今週の梅ちゃん。

先週のウキウキランラン朝帰りの結晶がお腹の中に。

良いですね。

「ふたりでお待ちしています。」って。

 

「あなたは私にはなくてはならない人だ。」

これは信繁の本音であって、そして唯一の口説き言葉なのかな。

そしてプロポーズ。

次回は「祝言」

 

 

ええと・・・。

私はどちらかと言うと歴史の知識は教科書レベルなので、いろいろと検索したりして楽しむ派なのです。大河は歴史を扱っているので、その事実は知っている人多いよねと言う前提で書かれているシナリオだと思うので、この先の流れを知っていても楽しめるのが、やっぱり大河なのですよね。三谷氏はそこが凄く分かってるような気がします。

それを思うと、自由に名前が付けられるこの人に梅と言う名前をなぜ付けたのかと思うと、私はこの先の物語の予想展開で心がざわめきます。まったくもって予想は外れるかも知れませんし、今は詳しくは書かない事にしますが、三谷氏の事だから計算に入れているのかなとか、そう思わせていて肩透かしを食らわせるつもりなのかなと、彼の一手を考えたりするのも楽しいかもしれません。

 

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昨年の記事☆「2011年を生きた猫たちへ」 

2016-03-11 23:51:05 | 梢は歌う(日記)
 
2011年を生きた猫たちへ

こんにちは。私は猫のももです。私のお話を聞いていただけますか。私は2010年の秋に生まれて、そして2011年にこの家にやってきました。1.ママは、その時、今新し...
 

 

上の囲みは、昨年の3月11日に投降したものです。

上の中の文章で

>あの時と言う点があり、そこから今と言う点に線でつなぎ、その線を覚えていくのだとママが言います。

と言うのがあるのですが、あの時、あの震災の時から昨年までの4年間を、我が家の猫のもも吉が語ります。

この地上の上では、やはり人間と言う生き物である私たちが社会と言うものを作っていて、多くの動物たちが共に生きていると思います。そのような動物たちをも守っていくのが、社会を作っている人間の役目だと思います。

もし良かったらお読みください。

是非読んで欲しいと思っています。

 

 

ところで先日、小学校5年生のある少年に

「もうすぐ、3.11だね。」と言いましたら、彼は言いました。

「ああ。でもいつかみんな忘れちゃうんだよ。」

「えっ、そうかなあ。そう言って忘れちゃうことを『風化』って言うんだけれど、やっぱり忘れちゃいけない事ってあると思わない?」

「うーん。そうかもしれないけれど、僕は忘れると思う。」

 

彼との会話はここまでです。

ひねくれた子供だと思いましたか?

でもこのお話には続きがあるのです。

3月11日は終わってしまいますが、また近いうちに、このお話の続きは書けたら良いなと思います。

 

だけどこの少年が言った

「ああ。でもいつかみんな忘れちゃうんだよ。」という予言だけは、外れて欲しいと願っています。

 

 


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日記を書こう。

2016-03-11 01:08:22 | 梢は歌う(日記)
 
野田市散策日記その1
私の暮らしのテーマのうちの一つは、家の周りもしくは近所の探索です。知らない場所や新たな発見などがたくさんあるのではと、まだまだ思えるからなのですが、近頃、しょうゆの街野田市に赴...
 

 上の囲みは昨年の3月10日に投降したものです。

昨年のブログ記事などを読むと、結構アクテブに行動していた事が分かりました。

それがちょっとやり過ぎてしまって、一年の後半は大変な目に合ってしまったのですが。

 

今年はその反動か、どこにも行きたくないし何もしたくない。

何もしたくないなどと書くと、心の病気かと思われそうですが、今のところは大丈夫みたいです。

何もと言うより「お片付け」をしなくてはと言う想いに囚われているのです。

囚われているから、他の事が何も出来ないのです。

 

思うに、なんにでも囚われてはいけないのですよね。

「かくあらねば」「こうでなくてはいけない。」

そんな想いに囚われて、自分ばかりか人にまで要求するのもどうかと思うし、自分を窮屈にさせるのも自分自身なんですよね。

 

やっぱり、行動の記録・あった事の記録・思った事の記録などを日記に書いて、そしてそれを時々読み返すことによって自分を客観視する事は大切な事なのかも知れません。

 

私にとって今は、いろいろな事を考えたい、そんな季節なのかも知れません。

 

 

 

 


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相棒14「第19話 神隠しの山の始末」

2016-03-10 12:51:47 | ドラマ(相棒)

やっぱしさ、今回の「相棒」は、右京さんのクルクルと回ってパッと立ち上がる、それに尽きるわっ。

水谷さんは62歳。その前後のお歳の方々、あんなこと出来る?

役者さんは凄いなって感心しちゃいました。

それに今回、右京さんの顔も、いつもより若く見えちゃって、メイクを変えたのかしらなんて失礼な事も思っていたのです。

なんだかちょっと昔の水谷さんが戻って来たようで、少し嬉しい・・・・。

 

だからみなさん。

予想通りに今回のお話が、「なーんかイマイチ」という結果であっても、どうぞお許しくださいませ。

って、何で私が謝ってるんだ。

それこそ傲慢と言うやつですね。そちらの方を謝らなくちゃいけないかもですね。

 

だけど何がどういけないのって言うくらい、面白く感じなかった不思議な回でした。

きっと再放送で見たら面白く感じる回なのかも。

だって、右京さんは頑張ってる。

俄相棒の電話局の人とのコントも楽しい。

ああなってこうなってのひねりも効いてる。

犯人は最後までフェイクがされている。(と、言ってもかなり前半でこの人が真犯人って分かっちゃって、夫などは、もうみんな分かっちゃったからとお風呂に入っちゃう始末)

良く出来ていたんじゃないかと・・・・・   ・・・・・     ?

 

昼間の再放送時の「相棒」はかなりお気楽に見ているけれど、夜オンタイで見ている時って、なんだか期待値が高いのか厳しい目で見ちゃうことが多いような気がするんです。

それにブログで感想なんか書いてなかったら、もっとヘラヘラして楽しめるんじゃないかなって思ってしまいました。

 

だってテレビ前で好き勝手な事を言って、それで終わりですものね。

その好き勝手な部分をブログに書くのは、時には気が引ける時があるんですよ。

でもちょっと敢えて書きますね。

考えてみると、もっとひどい事をさらっと言ってる人たちもいっぱいいるのですが・・・・。

 

視聴率低下の犯人とかと言う事はまったく関係のない話です。

私、反町さんは私の取っては「で、あるか」のチョーカッコいい信長様です。眉間にちょっと皺を寄せて低い声でセリフも少なく、その横顔だけで、物事を語る良い役者さんだと思っていますし、好きな俳優さんです。

だけどこういうおちゃらけた役を、ほとんどやってこなかったですよね。

なんでそのチャレンジを、この「相棒」でしたんだろう、させたんだろうかって、私思っちゃうんですよ。

最終回前で言うのもなんだけれど、いや逆に最終回前だから、本当に思っている事を言いたいのかも。

とうとう、そのキャラに最後まで馴染めなかったんです。

官僚のオチャらけキャラ。

 

反町さんは仲間さんのスケジュールの都合で繋だと最初から言われていましたが、設定も官僚の出向と言うもので落ち着かないようなものを感じさせましたよね。本当に最初からワンシーズンなのかも知れません。

次回の予告編で

「これが私の最後の・・・・」と言うセリフを言っていましたが、果たしてどうなるのでしょうか。

 

ところで全く今回のドラマの感想を書いていませんでしたので少々・・・

 

この鬼の夫婦が…じゃなくて、陶芸家の夫婦が個展をやっても全く見向きもされなかったのは、技術でだけではダメで先生のアイデァがあってこその作品だったのだと気づかされたと言っていましたが、そのアイデァの部分を人は才能と呼ぶんですよね。

この夫婦には秀でた才能がなかったと言う事になるかもしれませんが、少なくても右京は見に行ってそれなりの評価をしていたわけです。才能がなかったわけではなく、彼らには師匠にこき使われて挙句に名声を得られないと言う大きなひがみがあり、それに負けてしまったのだと思います。

だいたい師匠を、作品を生み出す窯で焼いてしまったこと自体が、すでに魂を売ってしまったんですよね。

陶芸家の夫婦の夫は、俺の手は汚れまくっていると言うのは、そう言う意味で凄く納得できました。

だけれども、右京は見抜いていました。

彼らは人など殺せない人なのだと。

 

自分勝手な都合で人を殺す人は他に居ました。理由はなんであれ、一度でも手を汚せる人は、何度でも殺せるものなのかも知れません。

村の為と言いながら、結局は、村の発展の足を引っ張ったのは自分。

この人は大人しい顔をしていながら恐ろしい人でしたね。

なんとかの為と言いながら自分の行動の言い訳をする人は信用しちゃいけませね。

「じゃあ、私はどうすれば良かったんだ。」

その時右京はパチンと指を鳴らす・・・・ってなわけにはいかないのでした。

 

少々と書きましたが、書いているうちにいろいろと思い出して少々ではなくなってきました。

長くなりそうなので後は箇条書きに。

◎ なんで骨をあんなに簡単に宝石強盗犯の斗ヶ沢に見つかる所に置いておいたのか。あの祠の所に宝石を隠そうとして掘ったら骨が入っていた骨壺を見つけたのかも知れないけれど、そう言うシーンが無かったから、どうしても置いてあったように感じちゃう。

◎ ホステスの里美は妊娠三か月でも自殺未遂。よく子供は助かったなと思う。今回は転落と言うものを甘く見過ぎだと思う。誰か言ってあげてくださいよ。「それでも子供は生きようとしている。」って。そして将来に不安を抱えている彼女に何かいいお話を与えて欲しかったです。

◎ 里美の夫の亮はなんでいつも廃校でぼんやりしているのか。そこに何かドラマがありそうなのにスルー。

◎ 感想を書く前には、本当は影響されるのでいつもはよそ様の感想は読まない事にしています。
でも今回、アップが早かったので英さまのブログの感想を先に読んでしまいました。なるほどなと思ったのは土の事。

私は単純に買ってあった土から、良く揉めた原因が土だと見抜いたなって思ってしまったのですが、考えてみれば移ってくる前に土の事は調べてくるのが普通なんじゃないかと思います。

でなければ、本当に先生と言う人はいい加減な人だったのですね。

◎ 右京のでんぐり返しを見て「放浪記」を思い出した人はいませんでしたか?

◎ やっぱり一番面白かったのは、幽霊・・・・だったかも ( ´艸`)

◎ えっと、やっぱ、タイトルからして・・・・私的には好きくない・・・ ←この我儘はスルーして 

 

 次回は最終回。

8時からです。

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箱庭風プランタを楽しむ♪

2016-03-09 14:21:16 | お散歩&写真日記

2011年の秋だったか、それともその翌年の春だったか忘れてしまったが、箱庭を作ろうとそれ用のプランタをわざわざ発注して作ってもらった。ところが箱庭作りは殊の外難しくて上手くいかなかった。

関係のない話のようだが、私がアメーバーのライフと言うお庭づくりゲームに嵌って行ったのは、実はこの箱庭作りの失敗の反動からなのだ。

だけど思っていたような「箱庭」作りと言うものは諦めてみると、それなりにちょっと気にいった空間にはなった。

以下は昨年の11月に作ったモノ。

 

 ところが、上手く写真が撮れなかったのか、また撮りなおそうと思って放置していて、いつの間にか季節が過ぎ、気が付けば上手く撮れなかったこの写真1枚しか手元になかった。

なぜ放置だったかと言うと、まず12月に新しい子猫のあんずさんがやって来たこと。次に新年初頭から家族が入院してしまった事。それから2月はベランダに出ようとすると、家に慣れたあんずさんがもれなく付いてくると言うわずわらしさがあったからだ。

 

で、

 こんな悲しいあばら家のような小さな庭になっていた。

あっ、これは、すでにはびこっていた雑草なるものを抜いた後。

本当は

 このようにこの草に侵略されていたのだ。

本当はこの名前の知らないこの草(ハコベと言うやつかしら)も抜きたくはなかった。でも仕方がない。庭ではなくベランダなので、この草に侵食されるわけにはいかないのだ。

 

そして先日植え替えて復旧させた私の小さな庭。

 

そして私の癒しの猫ー。

 

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まずは花を見よ !

2016-03-08 23:41:47 | 梢は歌う(日記)

本当の事を言うと、心は春の霞の空のようにずっと晴れないでいる。

夫は入院していた理由の病気は治ったものの、次の苦しみが彼を待っていた。

家族の誰かが苦しんでいると言うのに、家の中が平常であるとは言いがたい。

 

今日、友人に電話した。

1月に電話を貰って、その時に落ち着いたら電話をすると言っておいたのだが、ようやくすることが出来たのだ。

でも彼女は私の夫が入院していた事すら忘れていたような気がする。

 

時々人は自分以外の人の老いに直面して、それが理解できずに戸惑う時がある。

今日の私のように。

 

その時に、彼女が夫の事を聞いたので、

「彼の老後はどうなってしまうのだろう。」と呟くと、

「私はもうすぐ近づいていて憂鬱になるからその話題は止めて。」と彼女は言った。

 

ふと、私は思ってしまった。

老後っていったいいつからの事を指すのだろう。

たぶん彼女が言った老後とは、65歳過ぎの事を言っているのではないだろうか。

そうか?

そう言うものなのか ?

 

ふとそう言うことを疑問に思う人も多いようで

「老後とはいつからを指すのか。」を検索するといろいろと出てくる。

 

やっぱり年金とかそう言うことが線引きなのか。

 

でも「老いた後」と書く老後は、本当はそれだけではないような気がしてしまうのだ。

 

自分の内面に心を向け続ける事は凄く大切な事だと思う。

だけれど、それと同じように他者に意識を向けていくと言う事も、凄く大切な事だと思う。

 

常に世界の中に自分はいる。世界は大いなる他者である。

 

いろいろ考えなくてはいけないような気もするが、すでに深く思考する能力に欠けている。

老いた人の話では、感動する能力も衰えていくらしい。

だけど難しくなんか考える必要なんかないんだ。

 

何を思うか?

何を感じるのか?

 

まずはベランダに、庭に、道端に、そして公園に咲いた花を見よ。

 

 

種がこぼれて、勝手に咲いてくれた花たち。

 

 

 

 

 

 

 

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真田丸第9話「駆引」

2016-03-07 10:39:07 | ドラマ (大河)

「真田丸」が始まる直前のあさイチのプレミアムトークで(確か)、草刈正雄さんが昌幸はコロコロ考えを変えるやつでしてと言っていたて、その時のトークの印象が深かったので、私的にはこのコロコロぶりも実は楽しいのです。

彼は歩きながら考えるタイプで、右足を前に出した時には「右に行く」と言っていながら左足を前に出した時には「左に行く」ことになっているような男と思われるのです。傍から見ればいい加減にも見え、信幸のような男などは、強い信頼の気持ちが無ければブンブンと振り回されているような気持ちにもなってしまうかもしれません。

 

昨日の昼間に再放送と思われますが、災害時の対策クイズみたいなのをやっていて、本当にチラ見だったので詳しくは書けないのですが、ほとんどの答えに「状況による」と言う但し書きが付いていたようです。

非常時の時、大切な事は状況判断に他なりません。

昌幸と言う人は、この状況判断に優れ、まさに災害時の非難の時にはこのような人に付いて行くのがベストなのかも知れないなどと、そんな事を思ってしまったのでした。

戦国時代は常時、非常時です。

昌幸の知略プラス状況判断的コロコロは、この時代の必要な才能に他ならないと思われます。

 

ただこのシナリオで辛く感じるのは、その状況判断で次に裏切る事になってしまうだろう人が良く描かれるところだと思うのです。

先週の朝日信達も然り、また今週の信濃の国衆。室賀正武も。

この人が昌幸と犬猿の仲で、ずっとちょっと嫌なやつで描かれているなら良かったのに。

 

紀行ではこの室賀氏が開いた「前松寺」が紹介されていましたが、その紀行で印象的だった言葉ー。

「戦国乱世を必死に生き抜こうとする室賀氏。大国の狭間で揺れ動いていたのは、真田一族だけではなかったのです。」

 

そんな室賀氏を、ちょっと憎たらしくちょっと頑固に、そして今回のように憎みきれない人として西村雅彦さんが好演し、昌幸の言う所の国衆たちの独立国家なるものに燃えていて胸が痛かったです。

 

さて、先週の信達調略始末から立ち直れない信繁は梅の言葉で立ち直り、策は多くの命を損なわないためにあることを悟っていくのでした。

穏やかに大切な事をゆっくりと話す梅。

癒されますよね、本当に。

「あなたは私にはなくてはならない人だ。」って言いたくもなるってものです。

お兄ちゃんは、はっと気が付いて無い御用を作ってどこかに消えてくれちゃってますし、信繁はウキウキランラン朝帰り。

でもそこに待っていたのは、壁に投げつけられていたお饅頭でした。

 

我が家ではこの時、お饅頭談義。

「お饅頭って、これおはぎのようなものだな。」と夫。

「小麦が無いからじゃない。」とか。

なかなか小道具さん、細かいです。

 

再び部屋にお饅頭を持ってやって来たきりは

「昨日は遅かったのね。」とチクリ。

「それを怒ってるんですか。おかしいでしょ。ここは何もないんだから。」と信繁は自分ときりの間に線を引きます。

なんか笑えるんだけれど笑えない。

このきりには、最初から「生涯のパートナー」と言う冠が付いているから見ていられるんだけれど、それでも痛い。痛すぎます。

三谷氏、これをいつまでやるんだろう。梅ちゃんがいる間はずっとなのかな・・・・・・・ (/_;)

 

きり流の励ましは不成功でしたが、私的には出浦の掛けた言葉が印象的でした。

「信達にも非はあった。」

そうなんですよね。上杉を裏切るのか否かを決めたのは信達自身だったわけですから。

 

ところで立ち直った信繁はさっそくその力を発揮します。

「命を損なわないための策」としての提案が功を奏し、家康の助力要請の戦を勝利に導くのでした。

この時、弟の言うことをちゃんと聞いてやってくれと言う軍議の場のお兄ちゃん、かっこ良かったです。この兄弟は本当に仲が良いですよね。

 

あっ、そうそう。

別に書く必要な無いかなと思いつつ、なんか書いてあげなくてはという気になってしまったのは、信幸の妻のこう。

玄米で固いのかもしれないけれど、御飯一杯すくう力も出ないってどういうことなのでしょう。信幸の話もさっぱり分かっていないみたいだし、この方、コント担当なのかも知れませんが、可愛そうで笑えません!!

よっぽど、妻に人質を断られて

「はい、分かりました。おやすみなさい。」と背中を丸めて出て行く昌幸の後ろ姿の方が笑えました。

 

それからもう一つどうでも良い事ですが、我が家での今週の話題は、

「松おねえちゃんはまだ記憶喪失中なのか!?」でした。

 

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