森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

桜と坂の東京散歩 その2《胸突坂》

2018-04-15 00:04:07 | お散歩&写真日記

桜と坂の東京散歩 その1」の続きです。

撮り忘れてしまった藤寺の画像を頂いたので、追記しましたので、そちらも見てくださいね。

お昼も頂いて、エネルギーも充填したした私たちは、次には「胸突坂」を下って行きました。

もちろん「関口フランスパン本店」の目の前が、その坂と言うわけではなく、

その坂を目指してテクテクと歩いたわけなのですが、

その頃、私は少々「東京散歩」を舐めていたことを思い知らされつつあったのです。

何をかって言うと・・・

靴が・・・。

 

だって「東京」って言ったら

大都会。

騙されてはいけないのですよ。

山あり谷ありのその場所の上に、アスファルトで塗り固めコンクリートの城を建てまくり

そして都を築いてしまった。それが「東京」なのだと言えなくはないのでは。

そんな所に歩きやすいけれど普通のタウンシューズを履いて来てしまったのでした。

 

そんな靴では

少々甘かったのですね。

 

足の裏が痛い・・・。

 

だけどね、まさかトレッキングシューズで来るわけにもいかないじゃないですか。

こういう時はどうんな靴が良いのかしら。

いろいろ課題ってありますよね。

 

課題があるから、頭を使う。

だからお出掛けって、やっぱり良い事なんじゃないかなって私は思います。

 

それに街を歩くと、いろいろな

「えっ、これは何 ?」

と言う事にも出会うでしょう。

 

例えば

何かしら。ここは。

 

門から見えた風景は、ひっそりとしていて素敵なのですが。

ここが何かと言うのは、後から別の道を歩いていたら説明のプレートと出会ってその謎は解けたのです。

東京都内の大学生と大学院生のための男子寮でした。

本館は旧細川侯爵邸とかなり趣深い感じがしましたし、お庭も。

だけど男子寮だったのですものね、

おばさん、その雰囲気に惹かれてフラフラ入って行かなくて良かったわ~。

 

しばらく行くと

こちらは思わずフラフラと入って行きました。

だってやっぱり素敵な雰囲気なのですものね。

 

だけど今回はその中の展示は見ないで、肥後細川庭園散策に留めました。

小高い丘になっている所から

外を見ると

 

神田川の桜ロードが見えました。

トップ画像は、後からその風景を撮ったものです。

 

今年の都内のお花見ポイントで、「目黒川」がかなりの人気だったみたいですが、他だって負けていなかったのですよ。

 

この公園では、公園内にある松聲閣(しょうせいかく)を見学したり、

そこで貸し出している和傘を使ってお友達と撮影会などをして遊びました。

 

そこを後にして

予定していた「胸突坂」まで戻ってきました。

肥後細川庭園内を散策すると、その坂の下の道まで来ていたのです。

 

その坂の麓に近い所には「関口芭蕉庵」があるのです。

ここは「かつて松尾芭蕉
が神田上水の改修工事に携わった際に住んでいた住居跡が元になっている。
」のだそうです。

 

ここは侘び寂びのきいた小さな庭園が良いのらしいけれど、この時すでに4時。

足も少々不安。

来た、見た、制覇した

と言う流れで退場しました。

だけど、「胸突坂」は見どころがいっぱいでした。

 

で、出てきたところで、お友達が

「次はこの坂を上って、そして・・・」と言いました。

 

 

 

えっ、上る ?

分かんない、日本語が・・・

 

ってなわけにも行かず、

この後私たちは、いや、私だけかもしれないけれど

気合と根性を友にして

上って降りて上って降りてを繰り返したのですよ。

 

 

もはや「散歩には有らず、東京トレッキング」

「その3」は何処に行けばそんな楽しい事が出来るのかの記録です・^^;

ふぅ。


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桜と坂の東京散歩 その1

2018-04-14 01:05:54 | お出掛け日記

今年の桜の季節の終わりは殊の外早かったと思います。

あっと言う間にやって来て、そしてまた、あっという間に去って行ってしまいました。

「桜が今綺麗だよ。はよ、早く行きなされ。」と

言うような記事を書いても、間に合わないくらいだったと思うので、ゆっくり書くことにしたのです。

ご興味を持たれた方がいらしたら、また来年の参考などにしていただけたらと思います。

 

 

文京区、桜と坂の3月の東京散歩の記録です。

東京丸ノ内線茗荷谷駅で降りた私たちは、拓殖大学の正門から裏門に抜けました。

この大学のここ、覚えておくとちょっと楽しいのですよ。

ドラマで使われることもたまにあるみたいですから。

トップ画像は、裏門の方です。

そこを抜けると「茗荷坂」

こんな風にプレートがあったりすると、ちょっとコレクションしたくなるのも人情と言えるでしょう。

それで、少し歩くと再び有った坂名のプレートの写真を撮りました。

「藤坂」

 

しばらくして、「あっ、シマッタ。」と思いました。

なぜなら、その藤坂の横には藤棚がある古いお寺があったのですよ。プレートを読むと、

やっぱりそのお寺が坂名の由来みたいじゃないですか。

そのお寺には、ちょっとだけ行ってみましたが、画像はないのです。

 

反省したので、ちゃんと坂の写真も次は撮りました。

 

上った坂は、このど真ん中に映っている方ではなく、左側にほんの小さく映っているもう一つの道の方なんです。

電信柱と歩きスマホの人を切ったら、こんな風になってしまいました。

でも桜と電車とで、何気なく好きな写真になりました。

この坂は「庚申坂」。

その坂を上ってしばらく行くと、

「文京区桜まつり」なる所に出くわしました。

と言っても、偶然に出くわしたわけではありません。

 

 

                                   

 

 

 

つかの間の春の時間。

目的は「播磨坂」でした。

 その「播磨坂」を下まで下って、一本横の「吹上坂」を上り、元来た道を目指します。

 そして再び「庚申坂」を下りるのもつまらないので、ちょっと違う道を行きました。

そこは「今井坂」。

 この坂には「徳川慶喜終焉の地」のプレートが。

今そこは「国際仏教学大学院大学」の敷地になっているみたいです。

 

そして

 このような所に・・・・・。

 

スマホさん、便利です。

後から写した画像をチェックしてみたら、場所情報が出ていました。

東京都首都高速5号池袋線あたりです。

 

そして更に坂道散歩は続きます。

なんだか不思議な光景です。

狭い道に堂々と存在する大きな木。

きっと最初に木があったのかな。そしてそこに後から道が出来たのかしら。

などと考えながら、

「七丁目坂」

今回も影と人とのツーショット。

「今回も」と言うのは、前回の「東京散歩」の時もそうだったからです。

 

そして「関口フランスパン本店」にて遅い昼食(1時58分)を頂いたのでした。

 

昼食を頂いて、再び元気回復。

「その2」に続きます。

 

追記

ツイッターのお友達から藤坂の横のお寺の画像を頂きました。

『藤寺傳明寺』4月10日撮影 

」様から。


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ライブビューイング 髑髏城の七人・極「修羅天魔」

2018-04-13 02:03:51 | 観劇・コンサート日記

今日は夜に予定外のお仕事が入り、このライブビューイングを見に行く事は決定していた予定だったので、何としても乗り越えようと決意して臨んだ一日でした。大げさなようですが、そのくらいの気持ちではないと、家事・遊び・仕事は並び立たない時もありですよね。

朝からビーフシチューを作って、猫たちともしっかり遊んでやってからお出掛けしました。

と言う話は、私以外の人にはどうでも良い事だと思います^^;

まあ、頑張りました、一日。

 

だけど「修羅天魔」は、その頑張った一日に見合う素敵な作品でしたね。

 

私はこの「髑髏城の七人」を、劇場に行って観たことが無いのですが、ゲキ×シネやWOWOWなどで、またやはりライブビューイングで、人を変えての作品でこれで4回目。だけどまったく飽きませんね。

もちろん今回の「修羅天魔」は、極楽太夫がヒロインで捨之助も蘭兵衛も出てこない新作です。

それでも極楽太夫(雑賀のお蘭)が天海祐希だったら、カッコイイに決まりでしょう。

 

ライブビューイングでも見損ねてしまった「シーズン鳥」は歌あり踊りアリのバージョンだったらしいです。そうすると「極」もその分け方で言ったら、そちらの囲みに入るのかもしれません。結構歌や踊りがありました。

それって娯楽性があって、舞台を見る楽しさのテンションが上がりますよね。

極楽太夫も結構歌っていましたね。

 

ああ、どうして天海さんを宝塚の時から知って居なかったのかしらと、変なところで悔やむ心が出てきます。

そして「まっ、いいか。今、楽しまさせてもらっているんだから。」と、すぐになるのですが・・。

 

兵庫役の福士誠治さん、良かったです。

今までこんなハンサムな兵庫は居たのかって思ってしまいました。そりゃ、捨之助も蘭兵衛もいなかったら、ハンサム枠がここに来ても不思議はないってものかしら。

だけどハンサム枠は他にもありました。

《ちょっとだけネタバレしています。》

 

夢三郎の竜星涼も凄く綺麗で、また悲しかったですね。

私、途中で指を追って数えてしまいました。七人の中に、この人は入ることが出来るのかしらって。

ああ、8本折れてしまう…って事は…彼に死亡フラグが立つか、または彼は蘭兵衛のように・・・・

…結局彼は天魔王の隠し子でしたが、彼が無界の里と共に滅んでしまうと言う物語の展開が、この先の「髑髏城・・・」であったとしても、それもありなのではと思ってしまいました。

ありとあらゆることが可能な「髑髏城の・・・」だと思いました。

もしも彼が最初に出てきた夢三郎のままのキャラで、無界の里と共に滅んでしまったら、そっちの話の方がハンカチ絞って泣くって思ってしまいました。そのぐらい夢三郎は素敵だったのですものね。

 

竜星涼は「アンナチュラル」のフォレスト葬儀社の人。

ドラマの途中で、気が付きました。そうすると、今まであまり意識してなかった葬儀屋さんが気になってしまったり、またはこのお芝居を見に行くことが、ますます楽しみになったりもしたのです。

だけどこの人は朝ドラ「ひよっこ」の綿引さん・・・。

好きな人を見つけるのって楽しい事ですね。またの作品で出会えることも楽しみになって行くと思います。

 

登場人物ではないのに「捨之助」の名前は一回だけ出てきますね。

きっと中島かずきさんが好きなのかも、そのセリフが。

正確に書けないので、書きませんが「~も、~も三途の川に捨之助。」

捨之助の名前はそこから来ているわけですが、やはりこの「髑髏城の七人」にはなくてはならないセリフだったのだと思いました。

 

皆それぞれに旅立って行くラストも好きですが、この物語のように、皆でまた同じ再生の道を歩むと言うのも、素敵な終わり方だと思いました。

 

(デーモン閣下が劇中歌を作ったり歌っていたりしてたのですね。今、チラシを見て知りました。彼の歌をまったくと言っていいほど知らなかったので、ちょっとだけ驚いたと言うわけなのですが、またの機会があったら、また「修羅天魔」も見たいなと思いました。)

 

追記:(A.M 8:19)

真夜中に記事を書いたので細かい事が何も書けませんでした。また細かい事を書きだすと、お芝居の感想はキリがないので止めているのですが、一つだけ書いておきたいと思います。
回る舞台(客席が回っていたのか舞台が回っていたのか ?)の演出が凄く生きていたと言うのは、何も私が偉そうに言う事でもないと思うのですが、なるほどなあ~と感心したのは極楽太夫(お蘭)が「これから先も生きていくのは修羅の道」と言った時に、彼女の背後で回って行った数々の場面シーン。

この舞台では、「走馬灯のように流れる過去」と言う表現が可能なのですよね。

この舞台でも、ぐっとくる感動シーンでした。

 


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土俵に向かって走って行った女たちのカッコよさ

2018-04-10 00:53:21 | 梢は歌う(日記)

世の中で起きた事を数日後に書くと、もう古い話のように感じてしまうほど、毎日いろいろな事が起きますね。

それでも書いておきたい事ってあるじゃないですか。

あの相撲の土俵の上で起きたことは、自分でも覚えておきたいので書いておきたいと思います。

あの市長が倒れてしまった時に、いち早く土俵に上がって何もせずにおろおろして立っていた男の人たちを尻目に、即心臓マッサージをした女性はもとより、それを見て、すわっと言う感じで後に続くように土俵をめがけて走って行った女性たちのカッコ良さはなかったですよね。

 

ビュンビュンって感じで走って行きました。

 

ああ、私もかくありたい。このような時にこのように即動ける人でありたいって、とっさに思いました。

 

そのシーンは、後からのニュースではあまり流されてなかったので、正しき状況を見る事が出来て本当に良かったと思いました。

AED講習なんかを受けたことのある人だと分かると思うのですが、あの心臓マッサージは、マジ疲れますよ。

「まだですか。」って言いたくなるほどの体力使うのが、あの心臓マッサージですよ。

それに素人だと、命を預かってしまうので、出来ればそう言う状況には出会いたくないのが本音ですよね。でも出会ってしまった時、自分の判断で最初の一人目になって良いものか悩むのではないでしょうか。あまりにも多くの人がいた。それゆえに、あの男の人たちは手を出す最初の一人になれなくて、ボーっと立っていた状況になってしまったのかもしれません。その後その女性に指示されてか、男性が引き継いてマッサージをしだしたように見えましたが、どうだったのでしょうか。

あの女性はプロの看護従事者だと言われていましたよね。あのような状況で、そのような方が飛んできてくださって、本当にラッキーで「ありがとう、ありがとう、ありがとう」と思う所ですよね。

そして続いて飛んで行った女性たちも、倒れた人もそれを助けようとした人も助けなくてはと走って行ったのだと思います。

カッコいいです。

子供たちに見せてあげたいシーンです。

 

そこまでは。

 

その後の事は、日本全国津々浦々みなさんご存知の、相撲協会のカッコ悪い「女性は降りて男性が上がって下さい。」のあれですよ。

見るべきものを見るべき行司さんのこの発言もどうかと思うけれど、間を空けて二回も言わせたくせに、それを「若い行司」の一人のせいにして謝罪をする人もどうかと思うよ。いや、そちらの方のほうがどうかと思います

 

伝統か命かって、そんな比べようもない事じゃないですか。それよりもなぜそのような伝統が生まれてきたのかを、日頃から深く洞察すべきなんじゃないのかしら。まさか、よもや、よもや、マジに、女の神様が嫉妬するからと言う知識どまりってわけじゃないだろうな。←結構イヤミ

テレビを見ていて塩をまく親方たちにも腹が立ちました。

相撲ファンの人の弁によれば、このように塩をまくのは普通の行動だそうですが、それはこの場合、通用しないのでは。あの行司さんの発言の後にシャカシャカ出てきて、チャッチャっと撒けば、清めたように感じるのは普通の感覚ではないですか。

それまで興味もないから考えたこともなかったのですが、あの夜テレビを見ながら、ふと考えてしまいました。

 

「きっと昔の女性は土俵云々ではなくて観戦からダメだったような気がするな。」と私は夫に言いました。

「それは不浄とか関係なくて、女性を守るためだったと思うの。なんでかって言うと、巨体の格闘技だから危ないって言うだけじゃなくてね、男の裸体を女性たちに見せるなんて、あり得なかったのだと思うのよ。昔の日本はそう言う国じゃなかったかしら。」

そして日本と言う国は、何でもあからさまには語らず物語の中にその本質を隠す・・・・。

 

もちろん真実は分からない事ですが、もしも上っ面だけが伝わっていきそれを伝統と言うのなら、少しは考えた方が良いと思うのです。

私は例外を除いては、こういう伝統も良いのではないかと思っていました。でもわんぱく相撲で女子が地域で優勝しても、会場が国技館であるゆえに、その女子は全国大会に出られないのだと言う事を知って、少しはではなくて、ちゃんと今の時代に合うように考えた方が良いと思ったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

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同じ春の季節でも同じ春ではない

2018-04-08 00:41:43 | お散歩&写真日記
 
つかの間の桜の季節を楽しみましょ♪
2014年から「東武アーバンパークライン」などとカッコよさげな名前に変わったみたいなんだけれど、どうもまったく馴染めないで未だに私にとっては「東武野田線」。いや、むしろ「東武野......
 

 

今週はとにかく予定変更の連続でした。ボランティアをサボり、美容院に行く事を先延ばしにして、直接映画館にて買おうと思っていたライブビューイングのチケットもネットで済ましました。だけどサボれないものもあります。図書館にて本の返却と予約本の受け取りです。

「よし、行こう ! ついでにまた『運河』あたりのお散歩をしてこよう。」と思いました。

そう思っていましたら、グーグルフォトが「この日の思い出」と昨年の画像を送ってくれました。過去からのデーターを送ってくれるのは、gooのブログばかりではありません。

そして私は吃驚しました。昨年の同じ日(4月6日)に私は同じように運河に訪れていたのです。

因みに上の囲みは、昨年の4月7日に投稿したもので、運河散歩の記事です。

 

昨年の同じ日の運河は、まだまだ桜日和でした。

だけど今年はソメイヨシノの花は、完全に終わっていました。

まだ咲いているかなどまったく思っていなかったので、あまり残念にも思わず、それでも水辺の春の風景の美しさを楽しんでまいりました。

 

今回はふと閃いた思い付きでしたので、ひとりでのお散歩でした。

 

それでもまずは昼食です。

そこは昨年と同じ場所で。昨年は時間が遅かったので終了してしまっていたランチを、今年はゲットできました。

食後は梅ジュースのホットで。

今年初めてのたけのこご飯でした。

窓から見た風景。

近くに座っていたおばさまたちの声が聞こえてきました。

「本当に桜が満開の頃来ていたら、ここからの風景は絶景ね。」

確かに近くも遠くも皆ピンク。素敵だったと思いました。だけどもう一人のご婦人の言っていたことに、私は心の中で頷きました。

「その頃来ても、ここも混んじゃって座ってその風景なんか見られなかったと思うわ。」

 

このお店のすぐ近くに咲いていた菫です。

 

 

ハナニラも群れて咲いていると、なかなか綺麗ですね。

春に群れて咲いて綺麗の代表格はやっぱり

季節は早くも次へと進んでいます。

 

葉桜になって赤く染まった桜を大量に見続けているうちに、どうせふらりと来る事が出来るなら(いや、いつだって一人でふらりは得意なのですが。)、来年はやっぱり花の盛りに来てもいいのではないかなと思ってしまいました。

 

この後私は図書館に向かい、夕方からはバイト先に出かけたので12865歩歩きました。

 

夜はルート君の誕生日でしたので、とりあえずのケーキ。

 

 

私も含めてだけれど、皆データって結構好きですよね。昨年はどうだったのかとか今まではどうだったのかとか。

でも本当に大事な事は、データよりナウじゃないかと思いました。

つまり今現在の情報です。

意外とそれは何にでも当てはまることなのかも知れませんね。

 

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2018年の4月1日は日曜日

2018-04-07 12:06:40 | 梢は歌う(日記)
 
2017年の4月1日は土曜日。
 2016年の4月1日は金曜日。 今年の4月1日は水曜日。 4月1日、火曜日 4月1日、月曜日。今朝実家にて「今日は4月1日だ。」と私が言うと、父はそれには返事もし......
 

上の囲みは昨年の4月6日に投稿したものです。そしてその囲みの「続きを読む」をクリックすると、記事は遡っていき、2013年からのツリーになっているのです。

そこにはまだ生きていた父との会話などを書いており、それを読むといつも父の事や、その頃の父との別れの日々を思い出すのでした。

昨年の記事ー。

>2013年の4月1日。その日の事がそんなにも印象に残るとは思わなかった私は、父と本当に他愛のない噓吐き合戦をしていたのでした。
その年の5月1日には父は居て、6月1日には父は居なかったー。

 

そしてまた、

>大切に生きよう。丁寧に生きよう。

ささやかな暮らしで良いからね。

と言う一年の指針を立てたのでした。

「四月はもう一つの新年だ。」と言うのは、毎年言っているマイコピー。

 

新年と節目である節分の頃と(私の場合は誕生日も兼ねて)そして新年度、自分の暮らしを見直したり目標を立てたり、そして一度立てた目標を修正したりと、そう言う明らかに分かりやすい時に考える事は大事な事だと思います。

 

こんな風に、このツリーのシリーズは、父との想い出、何気ない一年の指針、そして日記を書くと言う、私的には意外と大事なものになっているのです。

 

今年の私の4月1日は、めまいの為に一日中家に引きこもり、お買い物などを夫一人にやってもらいました。夕方からはかなり良くなったので、夕食も普通に作りました。(土曜日は夫殿が作ってくれました。)

それでも自治会の文書を一枚見直して、一つだけ駒を進ませました。

そんな私の楽しみは「西郷どん」を見る事だったのに、ドラマはオヤスミで「西郷どんスペシャル「鈴木亮平×渡辺謙の120日」になってしまっていて本当にがっかりしました。これは見なかったので、きっと見た方は面白かったのではないですか。

だけどドラマだけが楽しみだったなんて、悲しい私・・・。

前日の31日には、wowowで楽しみにしていた「闇の伴走者」の続編が始まって、しっかりと私、見ましたよ。

そして夫殿に言ったのです。

「私さあ、病気になって明日死んじゃうかもねって時でも、面白そうなドラマがやっていたら見るんじゃないかと思うのだけれど。」

「それは言えるな。」と夫。

もちろんそれが叶うには、それ相応の条件は居るのですが。

 

そんな条件が適って父は最後までやりたい事をやることが出来たと思います。

だけどその彼が選んだ選択は、最後に渾身の絵を描き残すことでもなければ、家族に手紙を残す事でもなかったのです。それは引き受けていた自治会の老人会の、またはサークルのもろもろのイベントや仕事をやり遂げる事だったのです。

 

私は桜を見ると父を思い出します。

父が好きな花だったからなどと言うロマンチックなお話ではありません。

この事は、2015年のこのツリーの記事にも書いてありました。

>「みんなは桜の花が咲いたとかまだ咲かないとか騒いだり、咲けば『ああ、綺麗だ。』と言うけれど僕はもう何にも感じないよ。綺麗だと感激もしないし、はっきり言ってどうでも良い。」

その年、父は私にそう言ったのですが、「もう」と言ったのは、死が直前に迫って来たその年だからを言っていたのではないと思うのです。その「もう」は、ここ何年もと言う意味だったような気がしました。いや、それはずっと昔からなのではないでしょうか。

父にとっては、桜の花なんかずっとどうでも良かったのだと思います。

それでも父は「今年の桜を・・」と言う記事の中で書いたことですが、その年の「お花見会」を成功させて、涙を誘う挨拶をしたのでした。

 

人は皆それぞれ、違うものであり、同じ感覚なのだと思い込んではいけないのです。

誰もが心ときめかす、桜の開花。でも父にはどうでも良い事でした。

彼が大事に思っていたのは、それを通しての人との触れ合い。そして更に大事だったことは、自分の力を生かせる場所を持つことであり、そしてそこでの責任を貫き通す事だったのでしょう。

父は相当自分大好き人間で、自分の何でもこなせる器用な能力も愛していました。その自分を大切にする毎日が、結局は人のために役に立って行ったのでした。だからそれは滅私奉公の事を言っているのではありませんが、それでも私は「誰かの為に生きるって、大事な事だな。」と言う事を父から学んだと思っています。

それは見知らぬ誰かの為に何かせよと言っているのではありませんが、私の周りにいる方々では、これなら自分にも出来るなと、偶然か必然かで何かやられている方々は、皆はつらつとしていてすこぶる若く感じるのは、偶然とは言えないような気がするのです。

因みに、孫の世話を押し付けられている方々も、…いや、楽しく第二の母親業をやって居られる方々も、同じかなと思います^^

 

そう言えば父は、紅葉とか菊の花とかがきっと好きだったような気がします。

言うなれば、「秋好むおやじ」だったのかな。

 

生きていれば、「どう?」と言って見せつけたであろう「春は花の祭り」の残りの画像を載せておきます。(4月2日に病院に行ったついでにしたお花見散歩の写真です。)

 

 

これは真っ白な花桃。

 

よそで枝垂桜を見てきた後で、ここに来ると、この公園の枝垂れは結構立派なんだなと気づかされました。

 

公園を出て・・・

もう次の季節が迫っていました。

 

 

向こうに見えるのは

 

梨の花でした。

 

そして

 

長閑な田舎の風景→公園→そして街の中

そんな私のお花見散歩。

ちょっと1万歩を超えてしまいました。

そりゃ、もともとが不調だったのだから翌日クタクタしていても無理はなかったのかしら。

 

そして花より団子タイム。

 

 

 

 

 

 


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「グレイテスト・ショーマン」観ました♪

2018-04-05 23:43:36 | 映画
 
「ラ・ラ・ランド」を見てきました。
 映画がいろいろな事を教えてくれます。「ラ・ラ・ランド」の意味の「la」はロサンデルス・ハリウッドを意味し、主にハリウッドをさす場合が多いらしいです。また次の「la」は......
 

 

上の囲みは昨年の4月5日に投稿したものです。

今日はひとつ前に2月に観た映画「空海―KU-KAI―美しき王妃の謎《主題歌も美しい》」の感想を書きました。でもせっかく「ラ・ラ・ランド」の感想が過去より送られてきたので、もう一つ続けて映画の感想を書こうと思います。

 

 

3月(29日)に観た映画は「グレイテスト・ショーマン」でした。なんとこの「ラ・ラ・ランド」の製作チーム参戦の映画なんですよね。(「ラ・ラ・ランド」、素晴らしかったです♪)

この「グレイテスト・ショーマン」は、映画館で予告編を見るたびに、なんでか涙がこぼれました。

ああ、そう言えば、私は泣き虫で「泣くイコール良い作品」とは限らないと言っていますが、だからと言って意味がないわけではありません。

あっ、まったく意味がない場合もごく稀にありますが。目が乾いてしまっていたりする場合とかね。

だけどたいがいは心が何かに反応するか動くかするから、その証として涙が出るのだと思います。

予告編の映像だけでも、圧倒されるような音楽の響きがありましたよね。

 

「行かなきゃ。」と思いました。

 

そして期待通り。

もう音楽でねじ伏せられました。

物語は単純で、すこぶる分かりやすいです。

お話だけ見ると、もう桜の季節を何十回も見て来た私の心はピュアな部分だけで成り立っていないものだから、このモデルになったバーナムと言う人は、本当はかなりの俗物だったのじゃないかとか、ちょっとだけ疑ってしまいました。

いや、映画の中でも、ほんのちょっとそう言う部分が見え隠れしたような気がしました。

 

だけど彼は結局は妻との・・・・ってネタバレになるので書かない事にしましょうか。

ネタバレ部分の感想を書いても良いのですが、この映画はそんなに分けて書く必要もないような気がするので、止めておきますね。

 

この映画は「ありのままで~♪生きるのよ~♪」って言う大ヒット作がありますが、底辺は同じじゃないかと思います。

とにかく歌はみんな好き。

励まされました。

 

映画のシーンの音楽を貼ろうかと思いましたが、・・・

ちょっと紹介したいのを見つけてしまいました。

ヤダ、もうこれ、泣けちゃうわよ。↓

映画『グレイテスト・ショーマン』「This Is Me」ワークショップセッションの様子

 

 

 

 

 

 

 

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空海―KU-KAI―美しき王妃の謎《主題歌も美しい》

2018-04-05 15:35:29 | 映画

 

2月(28日)に観た映画の感想を書きます。

最初のこの映画に誘われた時に、タイトルから「空海」の伝記映画かと思いお断りしました。でも後からそれが夢枕獏の原作のものの映画化と知って、ああ、「陰陽師」と同じ傾向と思い込みワクワクして出かけたのでした。

実は「陰陽師」のかなりのファンでして、そしてそのファン仲間が居たのです。その時、もうこれは「寅さん」のように毎年やってくれないかなあとそのお仲間たちと言いあっていたものですから、それは期待値もあがるってものでしょう。

空海と言ったら密教でしょう。密教って言ったらね、呪文でしょう。

空海がなんか呪文を唱えながら、タァーとか言うのかと思っちゃった・・・・・・

 

言わないよ・・・・・。^^;

 

ええと、どっちから書こうかな。

映画館で初めて寝ちゃった話をしますか。

それとも声をうっかり出してしまいそうなくらい泣いた話をしますか。

 

やっぱり泣いちゃった話をします。でもご存じのように(知るわけないか^^;)、私は泣き虫で、「泣いた」がイコール「素晴らしい映画」って事ではないのですよね。ただ心はしっかり動いたって証です。

 

この感想はあらすじは書きませんが、何気にネタバレしています。まあ、ばれても良いのではないかと思う事しか書かないようにはしますが、もう映画館での公開は後わずかだと思いますが、この先何らかの形で見ようと思う方で勘の良い方はお気をつけてくださいね。

この作品は、言うなれば「誰が彼女を一番愛したのか」ってなものだと思います。

私は泣きました。その愛に。

これは家のテレビで一人で見ていたら、声を出して泣いたかもしれません。

ちょっとマニアックな事を言ってしまいますが、昔読んだ漫画の「地球へ」のラストの方で、政府側のミュータントの人たちが

「もう体なんかいらない。捨てて行くよ。」と意識だけが宇宙に旅立って行くシーンがあって、目の奥が痛くなるくらい泣いた事があるのですが、ちょっと同じような事を私は感じたのです。

究極の愛には相手の犠牲を強いるものではなく、やっぱり自己犠牲が存在するのかもしれませんね。

 

で、もう一つの件ですが、確かに前日は睡眠時間が少なくて寝不足ではあったのです。でもそれはいつもの事なんです。映画館でふと眠くなっても、瞼をぎゅうと閉じて2秒目を瞑れば、だいたいスッキリします。だけど今回話がちょっと飛んでしまいました。

私的にはチョービックラポンよ。

それは寝不足のせいばかりじゃないなと、私は思いました。

ここからはすべての文の冒頭に「私的には」と言う意味が付け加えられています。私個人の私的な感じ方ですのであしからず。

テンポが自分とは合わないのです。なんかもっと違う描き方があったんじゃないのかしら…と思ってしまったのかもしれません。

映像は本当に豪華絢爛で綺麗です。見ごたえ十分です。さすが日中合作映画です。でもそこに「もっと別の・・・」と思える隙間が生じてしまったのかもしれません。

先にも書きましたが、空海が真言密教の曼陀羅の秘密を解くようなものでもなく、ぶつぶつと呪文を唱えるものでもありません。彼は言うなれば狂言回しのようなものです。そして同じポジションに白楽天と言う存在もいるのです。確かに空海と白楽天なら魅力的ではあるのですが、彼らはホームズ&ワトソンではなく、ホームズ&ホームズ、ワトソン&ワトソンにも感じてしまって、惜しいような気がしてしまいました。ただこの白楽天のホワンシュアンはイケメンでなかなか良い感じです。吹き替えも高橋一生ですしね。

楊貴妃のチャン・ロンロンもクールビューティで、男たちが皆くらくらしてしまうのに説得力がありました。

あっ、そうそう。これ原題は「妖猫传」で英語では「Legend of the Demon Cat」。つまり日本以外でこの作品を見られる方は、どの人に感情移入するかは分からない事なのですよ。たぶん中国の人は、やはり白楽天よりなのではないかと推理してしまいます。

これは物語的にも、日中の「中」の皆さんにとっては相当満足度も高いと思います。ただ「日」の皆さんはどうなのかなと思ってしまう所です。日本の役者さんたちの魅力が皆最大未満の段階どまりだったような気がしてしまったからです。

 

それでも見終わった後、愛の物語と映像にそれなりの満足をしていた私は、喫茶店にてお茶を飲みつつ、ゆっくりと映画のあれやこれやを脳内で反芻していました。そこで出てきた言葉・・・・

「あの映画のタイトルは、やっぱり『空海』ではなかったような気がするな。」だったのです。

 

でもこの映画の原作は、「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」なんですよ。

やはり描き方の問題なのですよね。だけどこの映画は製作費が150億円なんですって。そりゃあさ、観て頂かなくちゃね、中国の皆さんに。

だけど染谷将太は人を食ったような笑い方が上手いですね。ラストに「分かっていましたよ。」みたいに笑いながら振り向いた空海に、私はスカッとした気持ちになりました。

 

そして最後にこれ。

「音楽が良かったよね。」とお友達に言われ、確かにその時はイイナと思って聴いてはいたけれど、あちら様の音楽かと思い込んでいた私は、その後すっかりと忘れていたのです。

ああ、もう、少しは予備知識も大事だよと、この音楽を聴いて思いました !!

RADWIMPSが歌っていたのですよ。はい。知らなかったのは私だけかもしれませんね(/_;)

この音楽の事を知って見ていたならば、もしかしたら映画全体のイメージがもっと変わっていたかも知れません。

音楽にはちょっとそう言う力もあると、私は思っているのです。

 

Mountain Top [映画『空海―KU-KAI―美しき王妃の謎』主題歌]

 

Shape Of Miracle RADWIMPS MV

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春は花の祭り2018《猫と猫と私》

2018-04-04 16:11:30 | お散歩&写真日記

久しぶりに「めまい」の症状が出てしまい、土日に何とか歩けるように回復させて

病院に行きました。その途中の花たちをゆっくり見ながら歩いていたら、なんだか元気になって行ったと言うことを

ひとつ前の「春は花の祭り2018《それが、花の力なのか?》

に、書きました。

 

それの続きです。

とぼとぼと歩く病院までの道。

それは春の花の祭りの続く道でした。

もしも花を見る事が、私のクスリだったとしたら、

そりゃ、あなた・・・

1本2本、または少々の花見では、そんなことは(元気回復)起きないと思います、私。

 

それはたぶん「圧倒的な」花の量にもよったかもしれません。

 

なんと言う素晴らしい季節でしょう。

 

 

 

 

 

 

 

家を出てから病院横の薬局を終えるまで、4時間半掛かりました。

めまいと聴力検査。

両方とも、OKでした。

なんでこの人来たのと言う感じ・・・・。

 

いつも病気の事は詳しく書かないけれど、

本当は1週間前からわずらわしくなっていた耳鳴りの事は気になっていたので、

聴力検査をクリアしたのはホッとしました。

めまいは、本当に待ち時間の間に治ったと言う感じです。

 

だけど・・・・

治ったと思ったのは、ちょっと違ったみたいです。

 

もう大丈夫かと、昨日の火曜日は、いつも出掛けているあるボランティアに参加しようと思っていました。

ところがお昼ご飯を食べた後、急に疲れを感じてお昼寝タイム。

ここ最近は、お昼寝自体もあまりしなかったのですが、ひとたび寝たらぐっすりと1時間モードです。

お昼寝したとしてもいつもなら15分ぐらいで目が覚めるのに、やっぱり調子悪いんだなと思いました。

 

それでも起きようと思ったら、いつの間にか猫のももちゃんがやって来て、私の真横でぐるぐる言っています。

画像は昨年の12月のものなのですが、こんな感じです。

幸せそうなももちゃん。

 

 

じゃあ、あんずさんは何処に ?

居ました。

私の足元に。

これまたぐるぐる言いながらのお昼寝で、なんか幸せそうです。

 

この猫さんたちの幸せを破ってはいけないと、

更に30分はお布団の中でぬくぬくとしていました。

所謂

「猫あるある」ですね^^

 

猫と猫と私の、静かで幸せな午後のひとときでした。

 

それで、結局昨日はお出掛け休止。

そしてそれは今日も。

まあ、当初の計画通り、

溜まっていた自治会のお仕事をゆっくりだけど、ひとつずつ片づけて、

お仕事だけは休まずに行くと言う事で良いと自分に言い聞かせています。

そう言う時もあるよね。

 

だけど明日辺りは、ちょっとね、行きたいところがあるのです。

(遊びのご用には、ちょっと萌えるワタクシなのですが^^;)


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春は花の祭り2018《それが、花の力なのか?》

2018-04-03 00:10:45 | お散歩&写真日記

何か昨日、

「体調復帰するまで休みます。」

とか言ってなかった、私 ?

だってね、体調、復活しちゃったのですよ。

 

めまいって、経験ある方は分かると思うのですが、

結構厳しいのですよ。

重症だと、トイレに行くだけでも吐きそうになってしまうし、

それはもう大変なんです。

そんな経験を何度かして、

どうすれば良いのかなんて事も

ちょっとだけ知識を生かせるようになったのも良かったのかもしれません。

 

昨日は厳しかったので、

これは3日はダメだなと思ったのです。

 

それで月曜日の今日、病院に行く事にしました。

とぼとぼと歩いて行きました。

 

うちのマンション、

源平花桃なくて寂しいなと思っていたら

有ったのですよ。

えっー!!

いつから君は居たの !?

 

これはたぶん今年から。

ああ、凄く嬉しいな♪

 

トップ画像は、病院に行く道すがら、

空き地に咲いていた

スノードロップ(?)

 

そして菜の花

 

 

↑ これはこぶしの花でいいのかな。

 

 

うちの方は結構のどかな風景が広がっていたりします。

そんな場所にも

はまももが咲いていました。

そして

ハナニラ。

 

遠くに見える

民家の山桜。

 

花を見ながらゆるゆると病院に着きました。

あらッ、私、なんか元気が出てきたような気がする・・・・

 

しかし私の第二の故郷である我が町は、

客観的に見てみると、

けっこう田舎ですね。

だけどまたそこが良いと、私には思えるのです。

 

花の画像の写真日記、続きます。

コメント (4)
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