森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「キャットニップ」3

2019-11-17 17:53:03 | 漫画・マンガ・まんが

トップ画像は我が家のやんちゃ姫あんずさん。まだ小さいと思っていましたが、2015年生まれであっという間に4歳です。

 

そして、こちらはももちゃんです。ももちゃんは2010年生まれでいつの間にやら9歳です。

10月の終わりから二匹揃って下痢などをするようになって、ちょっと憂鬱な10日間ほどを過ごしていましたが、何とかホッとできる日常が戻ってきました。10日間のニャンコ顛末記はそれなりにあるのですが、2匹が元気になった途端、なんだかもうあまり覚えていないような気がします。とりあえずはももちゃんが入る大きなキャリーケースを、夫殿が有給休暇を取って買いに行き、今はそれがリビングに2個デンデンと置いてあるという状態でしょうか。

だけど、考えてみたら9年と4年、病気知らずで来てくれたことに本当に感謝したいです。

ニャンコ1匹、下痢が続いても本当に気持ちが暗くなります。

9歳なんて、まだまだ若い。まだまだ生きると私は思っているのですが、11月14日に読んだ「キャットニップ」を読むと、8歳で急速に老いて行く猫や、20年生きてそして静かに去って逝く猫の話に、胸がザワザワします。

 

多頭飼いの大島さんはいったい何匹の猫たちを見送ってきたというのでしょう。

「キャットニップ」は、ずっと彼女が描き続けてきたサバシリーズやグーグーシリーズの、彼女自身の日常と猫のいる生活と言うテーマではなく、ひたすら猫たちへのレクイエムだと私には感じるのです。

だから泣きます !!

そして泣けます !!

老いた猫たちとの別れや、過酷な外猫さんたちの運命にも。

 

猫のいる生活は豊かな生活だと思います。ただそこに居てくれるだけで、思わず微笑んだり幸せな気持ちになれるからです。だけどその幸せは、いつか来る別れの悲しみと言う逃れる事の出来ない約束をしているからなんですよね。

長く長く生きてねと、我が家のニャンズを思わず抱きしめたくなる1冊です。

もちろん猫を飼っていない人たちにも、この地上で生きていく仲間として、猫たちに愛を感じるような1冊だと思います。

・・・・

キャットニップ (3)
大島 弓子
小学館

・・・・

関連記事 : 「キャットニップ

「キャットニップ2」と「なのはな」

「グーグーだって猫である」

グーグーだって猫である〈5〉〈6〉


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それを覚えていることにする。

2019-11-14 15:55:33 | 梢は歌う(日記)

美人の条件は、もちろん顔立ちが良い事はその一つにあげられると思う。

だけれどある程度の年齢になって来ると、どんなに顔立ちの良い人でも、激しい加齢の攻撃とは闘わないわけにはいかない。

その闘い方はいろいろとあると思う。

治五郎先生じゃないけれど

「戦わずして勝つ!!」で、その加齢を受け入れて輝く人もいる。

その受け入れると言うのは、決して「もう、いいや。」と投げやりになることではない。

または下がる皮膚の細胞にあがらうように、肌のケアを怠らず化粧などの工夫をして、かつての容貌を保とうとする人もいる。

いずれにしても、やはりある程度の年齢になると、綺麗にしている人が綺麗なのだと、または美しくあろうとする人が美しいのだと私は常々思っているのだ。

まあ、その理屈で言うと、ある程度の年齢になると顔立ちの良さと言うのは一番の条件ではないという事になり、若き日にはその部分で少々面白くない事があった方々には、チャンスと言えるかもしれないぞよ。

ところで、先日亡くなったKさんは後者の人だった。

 

彼女の霊前に花を供えに行った時、(『「声をあげて泣いていた・・・。』)彼女の夫の口から、

「彼女は女子力が高かったからねぇ~。」と言う言葉が出た時には、誰もが頷く事ではあったけれど、それが夫の口から出た事には、私は少々驚かされた。思わず我が夫殿の顔が思い浮かんだのだ。

「ないな~。」と、なんだか自分自身に反省を求められるような気さえした。

 

みんなで訪れた彼女の家からサイゼに移ってランチをしている時に、ここ何年も彼女とは会っていないけれど、ずっと昔には一緒にランチなどをしたNさんが、遠い昔を懐かしむように

「綺麗な人だったよね。」と言うと、つい条件反射のようなスピードで「えっ。」などと言ってしまった私。

「あっ、いや、何でもない。」と慌てて言い直すと、

「良いから言って。」とSさんが言う。むしろその先を聞きたいのかと、あえて言った。

「綺麗な人と言うよりはね、いつも綺麗にしている人だと私はずっと思っていたよ。」

「うんうん。本当にその通りだよね。」と皆頷き合った。

見方によっては、女って微妙な所で怖いなと言う会話かも知れないと思う。

だけど60代の後半をいくつか超えた人の本当の頑張りどころを皆見ていて、やはりそちらを忘れたくないのだと私は感じたのだった。

 

     ※      ※

昨日の明け方夢を見ました。

ドラマなどで見る裁判所や大学などの踊り場のある薄暗い階段の下に私は立っていました。そこに向こうからKさんが小走りでやって来ました。

「あ~、花ちゃん。」とKさんが可愛らしく小さく手を振りました。

「あっ、Kさん !  お久しぶり~ !」

夢と現実は、変な風にリンクしています。

私は彼女の顔を見て、ホッとして

「なんか、間に合ったなあ~。」と思ったのです。

「退院出来たんだね。お茶飲む時間とかある ?」と、私が聞くと

「なんかこの上にね、用があるのよ。ちょっと行ってくるね~。」

「うん。じゃあ、またね。」と私は言い、階段を軽やかに上って行く彼女を見送りました。

そこにまた別の友達がやって来ました。

「何してるの ?  こんな所で。」

と言うので

「うん。もしかしたらkさんが戻ってくるかもしれないので、ちょっとだけ待っているんだ。」と言うと、

その友達は、階段を見上げて

「彼女、すぐには戻っては来ないと思うよ。」と告げ、思わず二人でその階段を見上げ、あることを夢の中で思い出しました。

な~んだ、間に合ってなんかいなかったじゃん。もう彼女は居ないんだよ。と思った所で目が覚めたのでした。

 

目が覚めて、あーあ、もう彼女は本当にいないんだなぁとしみじみと寂しく思いました。

だけど、彼女は本当に綺麗でした。

輝くような笑顔に若々しく美しい顔、そして艶々の長い髪。

今までで一番、本当に美しいなと思ったのでした。

 

彼女は49日前にお別れに来てくれたのでしょうか。

もう彼女とはお別れ。

だから私は、その最後のお別れの時の彼女をずっと覚えている事にしようと思います。

 

※ ああ、髪がパサパサ。クリームを付けようっと。

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それが良いのか悪いのか、考えないから分からない。

2019-11-12 16:18:03 | 梢は歌う(日記)

なんて言うか、(目先の)楽しい事を見つける事に関しては、私、まあまあスキルが高いと思うの。

最近嵌っているのは「ナンプレ」。9月の2か月に一度の定期検診の病院で、ツイッターに流れてきたプロモーションのナンプレ。やってみたら面白くて嵌ってしまいました。この2か月一度の病院は、本当に半日かかるのですが、11月の検診の時は、これのお蔭で長い待ち時間があっという間に過ぎた感じがしました。

と言う事は、私、ナンプレは好きだけれど時間がかかります。目標タイムが7分のものが30分ぐらい。これでも早くなった方です(^_^;)

寧ろこれをどうやって7分で終わらせることが出来るんだって思ってしまいます。可能性のメモを書いたり消したりしているだけでもそれなりに時間がかかるし・・・・・。

たぶん出来る人たちは書かないのでしょうね、そんなの。

どの道にもメッチャ凄い猛者がいるのでしょうね。囲碁や将棋のように。

恥ずかしながら入り口の入口に居ますが、楽しんでいます。

これはネットでも遊べるけれど、メモも書けないし、物によっては間違えるとマイナスが付くので、ああ、間違えたのかと深く考える事もなく訂正が効くので、今の私にはアナログが面白いような気がします。

 

段位認定ナンバープレース入門編2 150題
たきせ あきひこ
白夜書房

 

先日の日曜日、ふと思い立って色鉛筆画を描いてみました。

 

ふと思い立ってだったものですから、画用紙に描いてしまうし、せっかく買ったお高い色鉛筆も使わずにごく普通の12色で描き始めてしまいました。でもそのうちどんどん嵌って来て、その買っただけで大事にしまってあった色鉛筆も使って、それなりに完成させてみました。私は自己満足の人なので、最初に描いた割には、まあまあじゃないかとニヤニヤしています。

なぜ、これをふと思い立ったかと言うと、作ってあった押し花がそれなりに溜まったからなんです。

これで何か作品の様なものが作れないかと思い、こんなイメージとメモのつもりで、描いてみたのです。

だから最初はこんな感じ。

この絵の上に花を置いてみたりして考えてみたのですが、悟りました。いきなりこんなの無理じゃんって。

ここの部分は、押し花をちゃんと先生について習っている方々には、思わず頷くところだと思います。

だけど元々色鉛筆画にはチャレンジしたかったので、押し花はこれには関係なくても、それなりに絵は完成させてみたのです。

押し花は、欲張らずに栞とかもしくは作品を作るにしてもグラデーションなどを作っていこうかなと思いました。

花はそれだけでも可愛らしいので、並べるだけでも意外といけるかもしれませんね。

写真を撮った私の影が映ってしまいました。あまり気合が入ってない写真ですね(^_^;)

と言うのも、ちょっと並べて見ただけで、片づけてしまったからなんです。

でもこんな風に飾るのも良いような気がしますね。

 

その日曜日の10日は皇室パレードの日でしたね。

本当はちょっと行ってみたいなと思っていました。でも、先週、家事があまり出来なかったので、日曜日は本当に朝から夜まで家事を頑張ったのです。家事を頑張りだすと、弾みがついて来て、ついでにおやつの炊飯器ケーキも作りました。あずき入りで結構好評なんですよ。前日のマンションのサークルのミーティングの時も作って持って行き、美味しいと言われていい気になっています。

それにしたって、パレードには行かなくて良かったです。行けば写真を撮ることがメインになったと思うのですが、前の方の早い人が、前日の午後3時から待っていたのですって。無理だわ~、私。

写真を撮れずに旗を振ってだけでは、私は満足できなかったと思うので、行かなくて正解だったと思ったのでした。

だけどテレビでパレードを見て居た時、「あっ、そうか、写真ね。」とテレビを映してみました。

 

なんか雅子さま、良い笑顔でしたね。

思わず涙ぐむなんて、好感度アップだったのではないかしら。

 

最近私の友人・知人、「誰が一番冴えないか選手権」に参加している方々が多いです。病気に骨折にリストラ・・・・。

皆大変です。残念ながらこの私もそこにエントリーしてしまっていました。歯痛だったり目に一瞬だけですが問題が生じたり、足が痛くなったり、そしてボ・・ボウ・・・、まあ、これは言うのは止めておきましょう。とにかく病院に薬に湿布と仲良し。。。。ろくでもない。

それでお仕事と病院以外は家に居る事が多かったのですが、家に居ても寝込む事は無いので、いろいろとやるべき事が片付きました。

これ、ひどいと思いませんか。

洗濯用ハンガーですが、ピッチをつまむとパキパキ割れてしまうのですよ。こんなに壊れてしまっては捨ててしまえとなるわけですが、なんて言っても私はケチなので、百均でピンチだけ買ってきて修理しました。この事は以前にもブログに書いたことがありますが、同じような事をまたしていました。安い不良品の様なものでも、ちょっと手を加えると愛着の愛が生まれますよね。

 愛着の愛のあるハンガー^^

そして

 買ったばかりのリュックが一回使った時に、ポケットの中が破れているのが分かりました。

今思うと、一回使っても、これは返品対象になったと思います。縫っていて分かったのですが、裏地が劣化していてバラバラと剥がれるのです。それで貼ってあった裏地が剥がれて、ポケットの中にまた使えないポケットが現れてしまったのですね。その生地の部分も苦労して補強すると、このバッグへの好き度が上がりました。

 

確かに毎日の暮らしの中では不愉快だなと思うこともあるのですが、毎日、家に居ても楽しく暮らしています。

 

胸がキリリと鳴く」の中で

>『お仕事のピークの時代が過ぎて、次の時代をどう生きて行こうかと悩んでいた(今も悩んでいます)私に

彼女「そんなの簡単よ。毎日に楽しい事を見つけて生きて行けば良いのよ。そう言うのは得意なの。」

私(心の中で)「そんなので良いのだったら、私だって負けてないんだけれど。」

 この二つの言葉は、時には反発、時には共鳴と思考の振り子を揺らしながら、今でも考えさせられる言葉です。』

と、書いたのですが、本当にその言葉は「時には反発、時には共鳴」するずっと心に残っているのです。

 

吉田拓郎氏のライブに行って、歌を聴いているうちに、心の扉の鍵が開き、ライブ中であるにもかかわらず自分の世界に入り込んで何を思ったかと言えば、やはりこの事だったのです。

やはり人はいくつになっても、自分自身を少々買いかぶってでも、目先の楽しみだけに生きずに大志大望を持って生きなくてはならないのではないかー。

毎日を楽しい楽しいと思いながら生きていくのは、確かにある日突然終わりの時が来ても、なかなかの人生だったと思えるのに、半ば自分に似合わない大志大望を抱いたせいで、同じように終わりの時が来ると、夢半ばで敗れた人のように悔いるかもしれないー。

そうであっても、そう生きるべきなのではないか・・・・・・なーんてことを思っていたのです、私。

その事は「パシフィコ横浜で幸せな夜」の中に謎の言葉で三行ほど書いています・・・・(^_^;)

 

ところが今のワタクシ・・・・?

 

いったい何が自分にとって大志なのか、大望なのか分かりません。

毎日楽しい楽しいと生きていれば、きっといつか来る終わりの時には楽しい人生だったと思うのかも知れません。

だけどそうかしら ?

これだけの人生だったと、一筋の涙を流し虚しく思うかもしれません。

結局は、何も考えていないから分からないまま。

そして今日の日も、終わっていくのでしょう。

 

とりあえず、夕方の日が落ちていく前のなんとなく眩しい空は綺麗だね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「声をあげて泣いていた・・・。」

2019-11-10 02:25:38 | 同じ時代の船に乗る
 
10月の東京散歩は「おばあさんの原宿☆巣鴨」と
考えてみれば、「おばあさんの」と冠をつけるとは失礼なこった。前から興味あったけれど、なんだか行き辛い場所ではありましたよ。だけど行ってみれば、違和感ナシ。既にそんな年頃に私......
 

上の囲みは昨年の11月5日に投稿したものです。

巣鴨と言う地名を聞くと、私はあの人を思い出します。いつかその街が好きだと言っていたkさんに案内されて、賑やかにその街に行ってみたいと思っていました。思う事があってしばらくは会えないと思っていました。でもいつかまた何事もなく普通に会えると思っていました。「サイゼで集合ね。」と電話を掛けたら、普通にね。

でもそれはまだ先の時間にと思っていたのです。だから昨年の巣鴨には別の人たちと行きました。

だけどいつでも普通にあると思っていた「先の時間」と言うのは無くなってしまいました。

今年の11月5日にお友達と一緒に4人で彼女の御霊前にお花を供えてきました。

 

※          ※

 

先日、別の友人と会った時の会話ですが、

「だからそれがどうしたの ?」と言う話の内容でも、人はそこに意味とか意義とかを見つけ出してしまうものなのではないでしょうか。

ある人が、郵便料金が上がることを癪に思って、上がる前の最後の日に郵便が届くようにと、今まで手紙など出したことなどなく、それどころかずっと連絡もしてなかった弟に手紙を出したら、その手紙が届いた日にその弟さんの亡くなった連絡が来たという話。郵便料金の値上げの件はタダのきっかけで、本当は弟さんの事が気になっていたのではないでしょうか。

そういうのを「虫の知らせ」と言うのかも知れないねと、友人が言いました。

 

それならば、あれもそうかもしれないなと私は思いました。

先日、がん闘病中に脳こうそくを起こし、その後亡くなってしまった友人のKさん。その彼女と最後まで定期的に電話で連絡を取り合っていたSさん。

Kさんが亡くなったその日、もちろんSさんは、それを後にご家族から連絡が来るまで知る由もなかったのでしたが、その日に彼女は私にお茶でもしないかとメールをくれたのです。そのメールに私は夕方まで気が付けず、結局は翌日に会ったのでした。

こう書くと、何だか普通の奥様ランチのお誘いじゃんと思うかもしれませんが、私とSさんはこの数か月、いえ、もしかしたら年単位で会っていなくて、そして「今日、今から会おう」と言う仲でもなかったのです。やっぱり彼女は、その日は分けも分からず気持ちが落ち着かず、誰かと電話をしたり会いたかったのではないでしょうか。

 

※         ※

お花を供えに行ったその日、Kさんのお連れ合いからいろいろと話を聞いてきました。

ー最後まで決して弱音を吐かず愚痴も言わなかった。

 

そうだったんだ。凄いなと私は単純に思い胸を打ちました。すると後からMさんが

「私の知らない彼女の話を聞いているみたいだった。彼女がそんなに強い人だと思わなかった。」と言いました。

「そうなの ? 私はそう言う人だと思っていたよ。」と私は言いました。

 

Mさんに対して、ちょっと言葉が足りなかったかもしれません。今度会ったら、付け加えておこうと思います。

KさんはMさんの事が大好きで、だからいつも本当の弱い自分を見せていたのだと思います。そして愚痴などを聞くのも彼女の役目だったと思うよって。

そしてその顔は私には決して見せない顔だったのですよと。

 

また彼が語った別の話で、病気の告知を受けた時の彼女の一番最初の発言が

「仕事を止めなければなりませんか。」で驚いたというもの。

ああ、胸が痛いと私は感じました。それが彼女の一番の未練だったのだと思いました。

彼の話はいろいろと本当に心に残るものが多かったです。

短い時間で、夫婦で語った話や医師の叱咤や、最後に姉妹にかけた電話など・・・・・。

彼女の最後の日々が目に浮かんできました。

そして癌の治療でもうやることが無くなって治療終了が告げられた時、その時一緒に居たお嫁さんが後から言っていた事を彼は淡々と言いました。

「声をあげて泣いていたって言ってました。」と。

 

それを聞いた時、一瞬花びらがハラリと落ちるようなスピードで、治療終了を今日が明日になるように受け入れた愛子さんの姿や、詳しい話を聞かされず「花ちゃん、これはその死に至る病なんだろうか。」と聞いてきた父の姿が脳裏に浮かんで消え、私は唸るような声を出しそうになりました。

 

彼女の家を去った後、私たちはいつものサイゼで遅いランチを頂きました。

だけどちっとも人の話が耳に入って来ません。

「ゴメンね。私の意識はあの家のあの部屋にまだいるらしいの。それでね、今、私、頭の中で全部の会話をリピート中なんだ。」

あまりにもぼんやりとしてしまうのでそう言い訳すると、何を話したのか忘れてしまうとSさんは言いました。

「大丈夫。私が覚えているからね。」と、私は言いました。

 

※         ※

その翌日、ふとメールを開いて昨年の巣鴨の記事のお知らせを見て、

「ああ、きついなぁ」と思いました。私たちの仲間うちでは「巣鴨」と言う言葉はKさんに結びつくものだったから。

Kさんは愛子さんと同じ日に亡くなって、そして昨年の10月10日に愛子さんへのレクイエム記事である「rest in peace」書いたのだけれど、その同じ今年の10日にその死を知って、そして5日の日には「巣鴨」の記事・・・・。

いや、そこには何も意味などないのかも知れません。

だけど、「だからそれがどうしたの ?」と言う話の内容でも、人はそこに意味とか意義とかを見つけ出してしまうものなのではないでしょうか。

 

分かったよ、Kさん。

 

Mさんの紹介で、私はSさんを知りあなたを知った。

あなたは友達。だけどやっぱり友達の友達と言う距離感があったと思う。

ある時はその距離が近づいた時もあったけれど、やっぱりどうしても友達の友達という距離があったと思うの。

それでも悔いは残るよ。

「桜の花が今年も綺麗に咲いたね。」「今年の夏は殊の外暑いね。」とかメールを送れば良かったな。

まったく弱音もはかず愚痴も言わなかったあなたも素敵だけれど、声をあげて泣いて、脳梗塞の後遺症でまだちゃんと話せなくても、お姉ちゃんに電話をして、そしてその人に看取ってもらったあなたが大好きです。

これは絶対と言えるのだけれど、その最後の日々で、あなたは私の事を1秒だって思い出さなかったと思うよ。

そんなの当たり前だよね。それで良いんだ。

でも、

大丈夫。

私が覚えているからね。

 

 

 

 

 

 


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相棒18 第5話「さらば愛しき人よ」

2019-11-07 01:37:28 | ドラマ(相棒)

「相棒」での佐藤江梨子さん、懐かしい~。

やっぱりあのお話を思い出してしまうのだけれど、だけどまったく雰囲気が違うので、本当に彼女って思ってしまいました。あのお話と言うのはシーズン4の8話「監禁」。あれ、面白かったですよね。右京さんが女子高校生と楽しそうにお話居ていたり、金庫の中身が同人誌とか(確か)。薫ちゃんも懐かしい。って、なんの話の感想を書いているんだって !?

あっ、そうだ。金庫の鍵を開けてもらいたかったら・・・・・・って、まだ過去のドラマの感想を書こうとする私・・・(^_^;)

だって、同じ日に古い金庫の鍵を開ける番組をやっていたものですから、あの人に頼めば良かったのにとか思ったわけですが、はい、もう意味のない事を書くのは止める事にしますね。

 

で、今回のドラマの感想。

もう「スノウ」が可哀想過ぎる。それにつきますよ。

あり得ないっしょ。あの母親の裏切りは。

「えっ、そこ?」かも知れませんが、はい、そこです。

「あんなお父さんでも、お母さんは本当は愛していて、お母さんの愛する人を奪ってしまったのかと思った。」と言いながら余命いくばくかとなった母と真実を語りあい許し合ったシーンは、確かにしっとりとしていて良かったのだけれど、やっぱり、ちょっと気持ちが悪い・・・・・。

「DVはなかった」と言えと言った父親の親戚筋も気持ちが悪いけれど、いったいどうやって青酸カリなどを入手したのか、それを冷静に料理に混ぜ込んで親殺しをする子供も気持ち悪い・・・・・・

 

これはきっと、良い方に解釈すると、そのなんとなく気持ちが悪いという世界観を作っているんだなと思いました。

出口のない世界に生きて、唯一その出口の鍵は言葉だけ。そんな世界に生きていたスノウ。

それを自分勝手な思い込み男に殺されてしまいました。

 

スノウことユキの死体がトランクから見つかった時、手を合わせる警察の人たちの間で、ひとり微笑む金子。きっと彼は

「俺が彼女のすべての苦しみを終わらせてあげたんだぜ。」などとまたも自分勝手に思い込み満足したのかも知れませんね。

だけど別れた後もお互いに愛があった亘とユキ。トランクの中で小さく丸まった姿の昔の恋人と再会するなんて、一生のトラウマになってしまいそうですよね。

 

私的ツボは、コーヒー専門店の様なあのようなお店に行っても、紅茶を頼む右京さん。

あっ、そうそう。あの殺されてしまった同居人の女性。あの方は何で殺されなくちゃならなかったのかしら。ある意味、とばっちり?

じゃあ、あの人が一番可哀想じゃないですかね。

 

 


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半分、面白い

2019-11-06 01:24:01 | トルコ旅行記

トルコ旅行から帰って来て、友人に

「良かった ?」と単純に聞かれると、少しだけ私は戸惑って

「うん ?     うーん ?」と、首を傾いでしまっていたのでした。

帰国後すぐの時、

「とっても良かったよ~。お勧めできる場所だわ。」と言い淀んでいた私。

「絨毯屋さんがしつこ過ぎて・・・・・・。」

 

あんなにあんなにですよ、カッパドキアの風景に心惹かれ、可愛らしい猫たちと出会い、過去の遺跡に心トキメかしたというのに、開口一番の土産話がそれですよ。

いやいやいや、変な話ですが、私のリアル友達のほとんど、たぶん風景・遺跡・猫の話を誰も聞きたいとも思ってないし、話をしても聞かないと思う・・・・・・・・(^_^;)

だから私はブログを書いているわけですが。

 

で、友人たちとその話で盛り上がったその時、誰かが何でも最初から3分の一の値段から交渉し始めればいいのよねと言いました。

へぇ、そうなんだと私は思いました。

詳しい事を書くと誰かのプライバシーに触れる事になるので書けませんが、結局は、4分の一の値段まで下げて美しい絨毯を買った人がいました。

その売り方のあれやこれやに、私はもろに異文化と言うものを感じ、嫌悪を感じました。

良いものを安く買った人も高額なお金が入った売り手も、後から大きなバックマージンが入るガイドさんも皆満足したのかも知れません。だけどそれは、長い年月をかけた作り手の労働への敬意がぶっ飛ぶような売り方です。

結論から言えば、きっと、その絨毯には買った値段の価値しかないと言えるのだと思います。いや、本来のと言う意味ではありません。本来なんか関係ありません。売値がそのものの価値を決めてしまうような売り方だなと思ったのです。買われた方にとっては別ですよ。『本来の価値』で良いと思います。ただ売り手側にしてみれば、違うなと、私は感じたのです。

これは社会と言う海原に出た時に気が付いたことなのですが、今もそれが通用するかは分かりませんが、昔の私は物を売ることが得意な人だったのです。

だから感じたのです。売り方ひとつで物の価値をこんなに下げるやり方は違うのではないかと言う事を。私が売り手か買い手か、どちらの立ち位置に立ってその売買を見ていたのか、それは誰にも分からない事だったと思います。

黙っていられないので、ガイドさんに言いました。

すると彼は言いました。

「彼らがしつこいのは作り手のためだ。作り手の人々はお金に困っていて、早く現金を渡してあげたいがためだ。」と言いました。

確かにしつこ過ぎるー。

だけど言ったのはそこじゃなかったのです。どことは書けませんが。そのガイドさんの発言から、自分たちでも分かっているんだなと思いました。しつこいって。

 

でもほらっ、私、後からしみじみと考えるタイプなので、私も同じようにしつこく考えてみたら、これは私が日本の貨幣価値を持ち込んで考えていたからなんですね。

きっと今のトルコでは、4分の一になってしまった金額のうちの半分が作り手に入って行くだけでも、その金額で十分な金額なのかも知れません。お客は一人ではなく、それが毎日となれば、残りの半分の収入で売り手の社員一同とガイドのリベートなど十分なのでしょうね、きっと。

だけど・・・・と思います。

じゃあ、この買い方だったら、押しの強い人の勝です。何人かの人がこの絨毯屋さんで買い物をしました。

「30万で。」「40万で。」「二枚で100万で。」と口々に言いましたが、写真など見せあって「これを買った。」と言う人は、あまりいませんでした。中には半額で買った人も3分の2で妥協した人もいたかもしれません。

そこが面白い所じゃんと思う人もいるでしょう。

ただ、私はご免です。意外とそう言うのダメダメな人なんで。

あまりお得に買えそうもありません。誰かが値切った分を値切れなかった私がその分を穴埋めしそうですよ~(/_;)

 

もちろん今回は私はまったく買う予定はありませんでした。でも私は衝動買いが結構多い人。

家がフローリングにリフォームした後だったら、シルクは無理でも15万円ぐらいの小さ目なマットなど買ってしまったかもしれません。でも今は使う所が無いので無事衝動買いクリアできました^^

トルコ絨毯はかなり目の保養になる美しさを持っていました。

 

表と裏

 

 

 

あっ、いつ行ったかと言うと、ギョレメ野外博物館に行った日の出来事でした。これらも含めて観光の一環と思えば、それもまた楽しからずやと言う所でしたね。

 

同じ日に陶器屋さんに行きました。

  

このようなお買い物ツアーの部分では、作る工程などを見学させ、いろいろと工夫している部分が面白いと思いました。

 

 

 

 

かなりの目の保養になりました。

このお店では、私、ちょっと迷いました。食器は買っても後悔しない方です。ここで少々お高めのものを買っても、私はこの先、ずっとそれを大事に使うと思いました。だけど一枚の大きな鉢型のお皿を迷いに迷って、結局止めたのです。大きさが後ほんの一回り大きかったら、きっと買い求めたと思います。その時はかなり心トキメクブルーの色だったけれど、今はその柄も思い出せないので、買わなくても悔いなしと言う所です。

でもここでいろいろと物色したので、エジプシャンバザールでは小鉢やコーヒーカップなどを時間もかけずに買ったのだと思います。

 

トルコのお土産と言ったら、トルコ石なども挙げられると思います。

あのブルーの色には心惹かれるものがかなりあります。

ちょっとここだけは興味があったので行く前に検索しました。で、やっぱりそこで買うのは止めておこうと最初から決めていたのです。

実際に行ってみると、意外と感じのいいお店だと思いましたが、当初の計画通り、私と星子さんはそのお店を抜け出して、隣のタイル屋さんに行ってしまったのでした。私のお土産のタイルのほとんどはそこで買ったのです。

そのお店でも、ちょっと危うい事がありました。凄く素敵な壁掛けを見つけ、星子さんと柄違いで買う事にしました。値段交渉も話が付いて、いざお支払いと言う時に、ふとその壁掛けの下の方の柄が剥がれかかっているのに気が付いたのです。そう、その素敵な模様はタイルに貼ってあったシールだったのです。

もちろんそれはキャンセルさせていただきました。

 

トルコの(要らない)買い物ツアー。

最後は皮革屋さんでしたね。

私、ここはちょっと期待したいと思っていたのです。

何か夫や息子たちの男性陣へのお土産になるものなんかないかしらと思っていたもので。

でもここは革のコート屋さんでした。

私はお肉を頂かない動物の革は使わない事にしているんです。でも羊さんはそのお肉も頂くわけですから、許容範囲。頑張れば買えないお値段ではないし、少しは心は動きました。さっきも書きましたが、意外と衝動買いの人なので。

だけどなかなか気に入ったものが無かったのでした。私はdebu(今は !!)だけれど、決して大柄の人ってわけでは無いので、たいがいは袖が長い・・・・。

しっくりこないのです。デザイン的にまあまあかなと思ったものの裏地がバーバリー柄で、やはりそこが私的にはダメで止めました。途中まで良いものがあったら買うかもしれないという雰囲気が漂っていたので、トルコの方々のしつこさ攻撃にあっていましたが、そこは既に学習していたので、「買うものはナイナ。」と思ったら、その攻撃をササット交わし逃げ切りました。

なんだか疲れます。

「人生はもう長くもないというのに、こんなことで自分の時間を使いたくないものだわ。」と私が嘆くと、

「これが入っているからこのツアーは安いんだ。」と星子さんが言いました。

日帰りバスパックツアーでも山梨なんかは水晶の宝石屋さんやワイン屋さんに行くから安くなっているものもあるでしょう。それと同じって事ですね。

と言うわけで、私は結局、絨毯もトルコ石もコートも無しでガイドさんが連れて行ってくれた陶器屋さんでの買い物も無しでした。

お買い物ツアーの部分は、私的には無駄な時間に感じてしまいました。それでも様々な工夫から半分は面白かったと言うべきなのでしょう。

 

  

 

コート屋さんのミニファッションショー。

観客の人(ツアーのお仲間)も引っ張り出されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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いだてん第41回「おれについてこい!」

2019-11-04 13:41:01 | ドラマ (大河)

しばらく「いだてん」の感想はお休みしていました。

なんでもありブログなので、ドラマの感想を書き続けるのは結構厳しいものがある事はここ数年で分かっていましたが、なんたって良作でありながら視聴率が低いとなれば、「好きな事を応援する」と言うわけで感想を書き続けていました。

田畑編になり面白さもさらに増したように感じ、もう応援しなくても良いのではないのかぐらいの事を思っていたのですが、連続ドラマと言うものの復権と言うのは、なかなか難しいものがあるようで、面白さに比例して視聴率もあがると言う事がいかに困難であるのか分かりました。

この人が褒めているから見てみようかと言う事もなさそうで、結局は何の役にも立たなかったわけで、他の書く事もあってしばらく休んでいたわけですが、ずっと楽しみにそして楽しくある時はウルウルとしながら見続けていました。

 

視聴率の事もありますが、「いだてん」は呪われているなと思えてしまうのは、出演者たちの不祥事・・・・

ドラマや映画に参加する俳優さんたちは、それがチームであることを意識して頂きたいものですね。

などと、これは前にも言っていたようにも思います。

だって同じ事ばっかりで、こちらも同じ事ばっかし言ってしまいますよ。

今ふと、劇中であの人が「うま !!」と叫んでいた事を思い出してしまいましたが、心の中であなたには「しか」も付け加わるんじゃないのと思ってしまいました。

でもあの人、ドラマの中ではいい感じでしたね。

大松監督の豪快さも感じさせ、私の知っている幼き頃に見た東洋の魔女たちへの記憶が蘇えってきました。安藤サクラさんの河西さんも良かったですよね♪

私も頭の中がごちゃごちゃの人なんで(そう言う問題じゃないかも知れませんが)、あまり徳井さんの事を考えたくないのですが、しばらくは少々暇になると思うので(確かな事ではありません。)、その間にいろいろと事務的な事や生活面などの整理整頓をしたらいかがでしょうか。そして、彼には彼の持ち味がある人なので、またの復活をお待ちしています。

 

ツイッターでの話題の一番は、やはりあの冒頭の「お知らせ」になってしまいました。まあ、そうかなと思います。

「配慮、編集」と言いながら、しっかりと彼を映し、感動できるドラマの内容をしっかりと保ちました。

私もあのお知らせがパッと出た時には、「あっ、そう言えばそうか。」と驚きつつも、そんな反応。でも、声だけとかの変な場面になっちゃうんだろうなと思っていたら、まったく違いましたので、それにも驚きつつ嬉しく思いました。

 

田畑のまあちゃんが、まったく盛り上がらんと言っていましたが、テレビ前では近づいて来る1964年の東京オリンピックに心はワクワクしてきました。

その昔、私は幼かったものですから、或る日突然オリンピックは始まったのですよ。そこに至るまでのワクワク感を私は知りません。だからテレビ前で、こんな風に決まって行ったのかとワクワクするのです。

でもこれって、ある意味現実逃避かな・・・・・・って今、思ったな・・・・・・

書きながらいろいろな事を思います。

要するに、今、目の前に迫ったリアル東京オリンピックに、あなた、ワクワクしていますか?

 

マラソンは札幌に行っちゃうし・・・・・って、私これには反対はしません。確かに早起きして沿道の応援ぐらいは行きたいと思っていましたよ。でも選手がもしパタリとイッテしまったら、それこそ東京オリンピックの大汚点になってしまうでしょう。

 

と言うか、私吃驚しました。久しぶりに「いだてん」の記事を書くので、前の記事を遡って読んでいたんです。そしたらですね、「いだてん12回「太陽がいっぱい」」の中で

>『だけど「太陽がいっぱい」。

2020年の東京は大丈夫なのって誰もが思ったのではないでしょうか。

いっそ、マラソンは北海道でやったらいいじゃないって、唐突に思いました。

それじゃ、「東京オリンピック」じゃなくなるってか。

だってさ、東の外れのちっぽけな国の地理なんて、世界のほとんどの人になんかわかりゃしないよ、(きっと)

それに日本は狭いんだよ。移動する選手も飛行機に乗せたら、ああ、隣の都市に来たって思うよ、(たぶん)』

って書いてあったのですよ。思わず笑ってしまいました。

 

でもそれでもやっぱり札幌は遠いなと思ってしまうのです。ある意味、オリンピックは都市開催でもその国のお祭りなんですよね。早くから東京でなくてももっと近郊の都市に、こちらからお願いすると言う英断が出来ていたらナと思うのですよ。あるでしょ。皆が避暑に選ぶような場所が。

そんなことを言うと、スタジアムがとか言われそうなんだけれど、でも何か一つが決まって、そこから知恵と言うものは生まれてくるものだって、私は思っているんです。まあ、もちろん後の祭りですがね。

あー、でもさ、一番バカバカしいのは、こんなスポーツの祭典を真夏にやるのは狂ってるって誰もが思っているのに、蹴飛ばせない状況にあることですよね。

あっ、ほら、リアルオリンピック、考えるとワクワクではなくてムカムカする・・・・・(^_^;)

 

ドラマと同じように是非ワクワクしたいものですよ。

ワクワクと言えば、この記事の前でお休みした最後の記事が、「いだてん32回「独裁者」」なのですが、

そこに

>『このドラマ、語り手の志ん生一家の物語を語って行くのはもちろんの事ですが、もうひとり何気にひとりの青年の「家族の歴史」を語っているんですね。それもさりげなく。

そう言えば五りんって、本当の名前は何だっけ ?

関東大震災は1923年。ロス五輪は1932年。岸会長逝去は1933年。

シマの娘は今何歳?

新しく登場してきた四三の弟子小松勝はどんなふうに関わっていくのか、気になりますね。』

なんてことを書いていたのですよ。お休みしていた間に、小松の話は終わって五りんの出自が分かりました。

 

私が自分の記事を遡っていたのは、「いだてん第3回「冒険世界」

にたどり着きたっかったからなんです。

そこに

>『今日、私がちょっと「好きだなあ」と感じたシーンは、美濃部孝蔵が落語の練習を公園で一人している時に、その横を四三が大きな声で歌って横切って行く所です。孝蔵がそこで落語の練習をするのにも、そこまでの経緯があって、そして四三が思わず大きな声で歌ってしまうのも、そこに行きつくまでの物語がちゃんとあるのです。それが何気ないところですれ違う。

「うるせぇなぁ」と孝蔵は言います。

さりげなく関わっているのです。

ー う、うまぁいなぁ、官九郎。

私はしみじみと思い、嬉しくなってしまうのです。

ドラマ好き、または映画好きの心をかっさらうシナリオだと思います。』

 

その公園で五りんは、過去に耳を澄ますように立ち止まります。

オリンピック話をする志ん生一家とオリンピックに向けて駆け抜ける人たちの交点に五りんは存在しているのだなと、しみじみと感じました。

そしてお話の本流ではありませんが、人とのかかわり合いや触れ合いなど、なんだか同じような構図で出来上がっているのではないのかと、やっぱり私はまたしみじみと感じたのでした。

 

死しても未だにちゃんと主張する嘉納先生、チョー嫌な感じの川島役をかっこよく演じている浅野さん、いろいろ見どころがたくさんでしたね。

そして一番吃驚したのは、本物の岩ちんも本当にチョーハンサムだった事でしょうか。

かっこ良すぎます。

これは松坂さんが演じて大正解ですね。

写真をどこからか拾ってきたかったけれど、見つからず・・・・・。

気になる方は、土曜日の再放送を見てくださいね。

 

 長くなって申し訳ありませんがあと一つだけ。

小池さんが「私のオリンピック」などと言ったら大炎上間違いないと思います。でもまあちゃんが言っても、誰も何とも思わない。

それはそこに想いと魂が込められているからだと、皆分かっているからだと思いました。

誰もが「私の」または「俺のオリンピック」と思える2020年のオリンピックになれる事を、今からでも祈りたいと思っています。

 

 

 

 

 

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相棒18 第4話「声なき声」

2019-11-03 09:12:02 | ドラマ(相棒)

遅れて感想を書いていますが、遅れた割にはなんですが、正直に言ってしまうとどうも今回のお話は好みではないです。

まあ、人の好みはそれぞれなので、そこの所は許していただきたいところです。

外国人技能実習生の描き方でも、なんとなくモヤモヤした気持ちになりました。

 

この制度は、多くの人にとって「知ってるけど知らない」世界ではないでしょうか。前に何かワイドショー的なニュースでも話題になったように思いますが、ちゃんとやっている所は凄くちゃんとやっているのです。じゃなければ、この制度は死んでしまい、多くの外国人の労働力を頼らなければならない企業が来月にも潰れてしまいます。

今の日本は、子供が少ないと言う未来の問題もありますが、その子供を産んでいく世代の経済的自立が困難と言う問題があると思うのです。ある時期、日本は順調にレールに乗って高校・大学と進んできた人たちが最後の就職の時に、リーマンショックやその後の災害などで、そのレールから弾き飛ばされた人がたくさん居ると思います。数年をかけてそれぞれの(路線違いであっても)レールに戻り進み始めた人がほとんどだと思いますが、中には戻れずにその労働力を対価に見合わずに提供していたり、または心が弱り提供さえ出来ない状態になっている人もたくさんいるように思うのです。その人たちへの丁寧なケアなど聞いたことがありません。

埋もれた日本の若者の労働力掘り起こしなど目を向けないわけですから、目の前の労働力不足には外国人の労働力に期待しないわけにはいかないのですよね。

そしてその事が、あまり世間には浸透していないんじゃないかと思うのです。そこにこのようなマイナーなお話・・・・・。

「誰か助けてください。」

いやいやいや、あなたたちはいったいどのようなルートで日本に入って来たのかって、そこから気になってしまいましたよ。

きっとこの人たち人買いに買われてきたんだなって、首を傾げてしまいました。

 

別にすべてを否定しているわけでは無いのです。正しい人たちがいれば、必ずそれをベースにして悪が生まれてくるってものじゃないですか。だから彼らは手紙を書いたのですよね。正しく訴える所に。

でも・・・・・。

なんであの人死ぬほど追い詰められたって言うのかしら ?

(もっとあのカッコいい女上司を信じても良かったのでは。)

 

ふと、何で人は飛び降りる時靴を脱ぐのかと不思議に思いました。フェンスとか乗り越える時に靴を履いていた方が良いじゃないですか。靴を履いていると足の方が重くなって体が変にねじれて、顔に靴がぶつかったら痛そうだなとか思ったりとかするのかしら。

そんな事を朝から言っていたら、夫殿が

「『自殺しました』の印で残すんじゃないかと思うよ。」と言いました。

まあ、その説で、靴が無いから他殺じゃないかと、この「相棒」でもなっていたのですよね。

更に私は思います。

じゃあ、靴を脱いだ時、靴下が破れていたら今日は止めて置こうってならないかな・・・。

「なるな、それ。」と息子君。

ああ、そうだよね。

だったらさ、靴を脱いで五本指ソックスを履いていたら、あの人もやっぱり今日は止めておこうってなれば良かったのになぁ・・・。

 

それから私が一番疑問に感じたのは、ジャーナリストには書かないと言う表現の自由はないのかと言う点。

中川は別に政治家と癒着してもみ消したとか、買収されて書かなかったと言うわけでは無いのですよね。

彼は、自分の強い語気があのかとくの人を自殺に追い込んだのかと悩み、書こうとしたが書けなかったのですよね。

悩み苦しむ時間さえ与えられないものなのかと思うのですよ。

私はあのWチェックのドラマと言うか映画を思い出しました。ズボンのベルトと吊りバンドから

「あなたはWチェックの人ですね。」と言う日航機の事故を描いた地方新聞のアレですよ。(おばさん特有の度忘れ中)

裏を完全に取らないと、記事にしないマスコミの良心には惜しいなと思いつつ感動しました。

《追:アップ後、読み直したら思い出しました。『クライマーズ・ハイ』でした。嫌ぁね。おばさんって(^_^;)》

彼の元に遺書はなかったのですよ。読んでもいなかったのですよ。普通まだ記事にはしないでしょ・・・・・って私は思ったのですがね。

それなのに風間が中川を(結果的には)その道から追い出すような記事を書くなんて、なんか私にはよく分かりません。

 

と言うわけで、私的には好みではなかったのでした。

先にも言った通り、人の好みはそれぞれなので、そこはお許しくださいね。

 

ああ、事件自体の事を忘れてしまいました。

靴を隠して自殺を隠ぺいした・・・って事でいいのでしょうか。

あの人が靴を隠して良かったですよね。だから事件として皆が捜査し、諸々の真実が暴かれたのですから。

自殺だって分かっていたら、「中川のすべて胸の内」くらいになってしまっていたかも知れませんよ。

世の中何が幸いするのか分かりませんよね。

 

ああ、あと、ロケ地はいろいろと素敵でしたね。

チェックしました。

ふふふ←不穏な笑い。

なんか新しい楽しみ方を見つけちゃったかも^^

 

 

 

 

 


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カドキョイ散策とトルコのお土産あれこれ

2019-11-02 13:36:52 | トルコ旅行記

トルコ最後の観光場所はカドキョイと言うトルコの人が普通に行く商店街のような場所でした。

なんとここ、円はもちろんですがドルも使えません。トルコリラのみです。

もうそう言う事、せめて前日に言っておいてくれないかなぁ。

その時の私、もうトルコリラすっからかんよ。

あとは持っていたドルを使えば良いかなと思っていたものですから、ちょうど無くなって上手くいってたと思っていたくらいなのです。

まあ、頼みの綱は星子さんがまだたくさん持っていた事なのですが。

 

 

ガイドさんは、雰囲気でも楽しめればと思ったのでしょうね、きっと。

だけどこの街は、意外と楽しかったですよ。

ここが最後で良かったかも。

楽しい想い出のまま空港に行けたのですものね。

あっ、でもどこが最後でも楽しい想い出ばかりだったでしたね^^

 

 

なんか雰囲気ばっちり。

大きなワンコも狭い道の真ん中に寝そべっていましたが、そのワンコは飼われているんだなと分かりました。その子たちの耳には鑑札を付けられていたからです。

狭い通路、賑わう商店街、そしてその通路を陣取る犬やアヒル・・・・・

やはり画像は少なめになってしまいました。

 

それにこの頃ワタクシ、ちょっとイヤーな予感がしていたものですから。

ガラタ塔辺りから、なんとなく怠い・・・。

最終日であり気も緩み疲れも出てきたのかも知れませんが、薬をトランクから出し忘れて飲めない状態だったのです。

自分の病気の事は、このブログ内では詳しく語った事はないのですが、今までも上手く病気とはうまく付き合ってきて、時々その存在を忘れていました。だから今回も「別に平気でしょう。」とタカをくくっていたのですが、どうもそうはいかなかったみたいです。

なーんとなくお腹が痛くなるような予感がしていました。

 

ところで、「バザールでございます。その2」の中で、星子さんが自分に言い聞かせるように言った、

>「ここで美味しいサバを食べられたから、もう満足だわ。」

私は黙ってにっこりと笑いました。

だけど心の中では

「そりゃ、違うでしょ。」とにやりと笑っていたのです。

と言うくだりはここに繋がるのです。

 

何かでリサーチを入れて、サバサンドを食べてみたいと旅の初めから思っていた星子さん。

ガイドさんは「出来たらご案内いたします。」的な事を言っていたので、もしも運の悪い方向に何かが向かってしまったら、ダメだったと言う可能性もあったわけなのです。それを心配して「もう満足」だなんて強がりを言っていたのですよね。

だけど私は言いました。

「大丈夫よ。だって私昨日、星子さんがサバサンドを無事に食べる事が出来ますようにって、あなたの代わりに祈っておいたから。」

旅と言うものは、ほんのちょっとのマイナスがずっと心に残るものなのですよね。

ガラタ塔の所では書かなかったのですが、一階の所でトルコの王族の衣装を着けての写真館があったのですが、私、本当はチャレンジしたかった!
時間もなかったけれど、頑張ればなんとかなったと思うのです。だけど元気がなかったのです。

グランドバザールでは、本当はランプを買いたかった・・・・・。
でも頭の中で家の中の置く場所が見つからなくて止めてしまいました。
それはある意味正解だったのですが、やっぱりちょっと悔いが残っているんです。

だから星子さんだって、旅の最初から食べてみたいと思っていたサバサンドが食べられなかったら、きっと・・・・・・ねっ。

だから私、代わりに祈ったと言ったのでした。

 

別の願いが通じたわけではありませんが、このガドキョイで食べられることになりました。

 

 

だけどなんたって、私、お腹に不安を抱えていたものですから、星子さんが頼んでも、それを見ていればいいやと思っていたのです。でもまあ、卑しいものですから「一口頂戴」はありかなと。

席について、最初に戸惑った事は、

「そう言えばサバサンドって、トルコ語で何て言うのか聞くのを忘れっちゃったね。」と言う事だったのです。

星子さんが壁に貼ってある魚の絵を指さして、上手に伝えました。

下の画像だと、大きさがイマイチ分からないと思うのですが、これは結構大きくて、星子さんが半分に切ってもらいました。

それで「一口頂戴作戦」は立ち消えて、しっかりと頂いてしまいました。

だけどこれ、サバとパンは意外なくらい相性があっていて、記憶が残る美味しさだったのです。

しかし、後からこのサバサンドを前にしたそれぞれ二人の写真を見た時に、私は大笑いしてしまいました。

私はもろに、これを食べても大丈夫かしらと言う「ザ、不安」と言う顔をしているし、星子さんでさえ「疲れた~」と言う顔をしていたからです。とても美味しいものを目の前にしての顔ではなかったからです。

だけど先にも書きました通り、サバサンドは絶品でした。

 

 6月23日以降、日本のニュースでも、トルコのイスタンブール市長選挙戦の結果を伝えるお祭り騒ぎが流されていました。たぶん当選したのは下記の人だと思います。至る所で選挙戦が繰り広げられていましたが、このガドキョイでの支援者のダンス風景は印象的でした。

サバサンドを食べている時、同じツアーの人からの情報で雑貨屋さんが面白かったと聞いたので行ってみました。

そしてもしもまたイスタンブールに行く事があったら、私はこの街にはまた訪れたいと思いました。

この街はトルコの人、またはトルコの旅行者の街。

お店の人に交渉してもびた一文、いや、1リラさえ負けてくれません。あるのは親切な接客と優しい笑顔だけです。

私は思わずホッとします。

自信をもって付けられた定価。その値段を見て品定めをする楽しさ。

私はもう値段交渉をする買い物に飽き飽きしていたのだと思います。

そして買ったのは下の服なんです。安物ですが、夏中活躍しました。

 

本当はブルーの袖ありと迷ったのですが、今思うと星子さんはその後もトルコリラをたくさん持っていたので、もっと両替してもらってそっちも買えば良かったと思ったのですが、後の祭り事項が一個増えただけとなりました。

今でもこの服を着ると、

「イスタンブールで買ったんだ♪」とテンションが高くなります。

 

ついでなのでお土産あれこれをちょっとだけ載せてみます。

グランドバザールで追加で買ったタイルの飾り。額が付いていたのとブルーの色が珍しく、思わず買ってしまいました。

タイルは姉妹たちと母たちのために既に買ってあったのです。トルコ石屋さんを訪れた時に、そっと抜け出して行った(^_^;)隣のタイル屋さんで買ったタイル。鍋敷きにと思っていましたが、勿体ないので花瓶敷きなどに使っています。

これをカッパドキアの土産物屋で見かけて、絶対にどこかで買おうと思っていました。とうとうグランドバザールまでっ買えず、時間が無い中がばっと取って買いました。色とりどりあります。あえて値段は書きません。メッチャ安いです。

エジプシャンバザールで買った自分と家族のためのお土産です。これをトルコリラで支払ってしまったので、私は一気にトルコリラ貧乏になってしまった次第。

で、小鉢。

下のは小物入れです。食器としての安全性はクリアしてないのですって。鍵を入れたりピアスを入れたりなどに使います。これも机に並べるように買ってきました。15個ぐらいかな。

ガイドさんはこう言うお土産を「ばらまき」と言っていて、マロングラッセを勧めてきました。

まあそれはそれでいいのかも知れませんが、私の友達はやっぱり上のミニポーチとか上の小さな小物入れに凄く喜んでくれたのですよ。思った通りでした。

あとはスーパーで買ったGODIVAのチョコレートとか(普通のお値段でお安いのですよ~!!)トルコ産のチョコレートとか麩菓子のようなお菓子や蜂蜜とか。

またはナッツとかイチジクのドライフルーツとかくずマロングラッセとか(炊飯器ケーキで大活躍してあっという間になくなりました。)。そう言えば指輪も一個。指輪と言ってもお安いものです。円単位で行って三桁で買える(笑)

小口で働いていたりサークルに入っていたり、グループの違う友達など、(何気に今リア充なのかしら。)小さなものをたくさん買ったと思ったのにそれでもやっぱり数が足りなくなって少々苦労しました。

見てもお分かりだと思いますが、絨毯もトルコ石も皮革製品のコートも無しです。

観光がメインなので、私はこれで十分です♡

 

ガドキョイを後にして、私たちは帰りの飛行機に乗るために空港に向かいました。

だけどこの旅行記は、まだもう少し続くのでした。


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ハロウィン&出産記念日

2019-11-01 01:28:50 | 梢は歌う(日記)

※ ドラマ「相棒」が始まると、このブログはなんとなく「相棒ブログ」の様相に・・・・(^_^;)

(と、言いながら、今では一緒にワイワイする人たちもいなくなって《いや、探したりアクションを起こせばいらっしゃるのよね、本当は。》チョピッと寂しい私です。)

で、言いたい事はそうじゃなくて、今回もまだ見ていないから、遅れますって事なんです。なお、この文章は、感想を書いたら消えます・・・・・    (笑)

 

※                     ※

 

ハロウィンの日は、私の最初の子供の出産記念日なんだ。

離れて暮らすラッタさんに、普通に「誕生日おめでとう。」などとメールを送っても、彼は素直には喜べない人。

自分の誕生日を単純に喜べないやつはだなと説教を垂れたい気分にもなるけれど、悲しい事に親がストレートに思った事が言えるのは、ある程度の年齢までの様な気がしてしまう。そりゃ、相手も同じ大人だものね。

私だって、父や母に何か偉そうに言われたらムカッと来るに違いないもの。

と言っても、もう父に何か言われることはないんだけれど・・・・・(/_;)

ああ、いや、ちょっと待てよ・・・・。

この前父からは何か重要な事を伝えられたのだった。だけどこの話はまた長いんで、また今度話すね。

(最近、そう言うのが多いんだけれど、なにげに「また今度は」適当な時に、一応書いてます。(^_^;))

で、話を元に戻すと、だから私は、朝

「今日は私の最初の出産記念日です。今日、何か一つでも楽しいと思った事があったら、私にありがとうと言いたまえ。」とメールしたんだ。

 

※      ※

ここ数年は、もうハロウィンの飾付は良いかなと思っていたのですが、一昨年から子供会のハロウィンイベントに協力し、外に飾りつけをするようになっていました。 →「楽しいハロウィーン♪

だけど今年はサークルの花の買い出しと日にちが重なったのでスルーしました。

なんかこう言うのって、ちょっぴり寂しい感じもします。マンションではすっかり子供たちの人数も少なくなってしまい、こういうイベントに協力してあげる人も早々は居ないのですよね。

もしも来年もその子供会のハロウィンイベントが続いていたら、来年は協力者として参加しようと思いました。

そう言った世間とのほんの微かなかかわり合いって、やっぱり大事な事だと思うから。

 

ところで、じゃあ、今年は何もしなかったのかと言うと、やっぱり季節は感じたいものでしょう。

だから玄関の飾付は、ハロウィンバージョンにしました。

だけどこれだと11月に入ったら、さっそくまた飾り直さなくてはならないのですよね。次は何にしようかな。

それから、今年はほんの少しだけ部屋の中にもやったのです。

今年の2月に家に来る子供のラストを見送ったと思ったのですが、「終われば始まる」を地で行くように、また小学生の子供が一人だけお勉強をしに来ているのです。

その子のために気持ちだけの飾付をドアと窓にしました。

 

帰る時にお決まりのあの「trick or treat」に言うまでを英語で遊ぶと言う感じで、最後にお菓子をあげたのですが、魔女の帽子をかぶって写真を撮ろうと言うと、初めて拒否られました。このイベントは、子供たちは皆大好きで、そのミニ仮装をするのも大喜びで帽子などは奪い合いでした。だから私はほんの少し驚いてしまったのでした。

なぜかと後からちょっと考えてみましたが、単純に彼がシャイなだけかもしれません。ハロウィンイベントは今まで何もやった事が無いと言ってましたから。

いずれにしても、何年やっていても「初めて」に遭遇できる楽しい仕事なんだなと新たに認識しました。

だけど写真ははにかみながら撮ったので、後でその子のお母さんに送ってあげようと思っています。

 

※      ※

 

最近お片付けを頑張っています。

しかしやってもやっても枯れない井戸のように湧いてくる紙ごみって・・・・・・という話はさておいて

ちょっと気になっているお芝居のフライヤーも気になる所。

だけどそれを取っておくから、果てしなく続く砂漠の砂の様な紙ごみ状態になるのですよね。

で、写真を撮ってポイと捨てました。

そのフライヤーが下の画像です。

高橋一生さんがきじるしの王次をやるのかと思ったら、違いました。

佐渡の三世次でした。そりゃ、そうかもね。

しかしこのメイク、ハロウィンの日にアップでも何ら違和感がない感じです。

期待出来そうですよね。

 

※      ※

夕食後、朝からずっといろいろと頑張っていたので、意識して目を休めようと夕寝しました。

その時にラッタさんからメールが来ていました。

そこには美味しそうな夕食の画像が貼ってありました。

 

 ※       ※

 

お約束の写真を載せていませんでした。

「必ずやって来るあんずさん」

 

 

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