森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

日光浴ノート☆2021☆船の旅

2021-06-13 13:04:12 | お出掛け日記

「あらたふと青葉若葉の日の光」

この句は、芭蕉が日光の二荒山(東照宮)を訪れて詠んだ句ですが、場所は違っていても、しみじみとこの句の響きが胸に染み渡りました。また、同行した曾良が詠んだ句は

「剃り捨てて 黒髪山に 衣更」

曾良が芭蕉と同行する際に、黒髪を剃り坊主になりました。折しもこの地を訪れたのは衣替えの日で、自分が黒染めの僧衣になった事と黒髪山の麓でこの日を迎えたことを掛けて、旅の決意を表した句と言われています。また、この句は「奥の細道」に曾良を印象的に登場させるために芭蕉が作った句とも言われています。

恥ずかしながら、少し前まで日光に、黒髪山と言う低山があるのかと深く考えもせずに漠然と思っていました。だけどそれは男体山の事で、和歌の世界では黒髪山と詠われている事を知りました。興味がなければ、知識などはそのようなもの止まりになっているものも数多くあり、歳を重ねた今であっても、知る楽しさには事欠きません。

と言うわけで、トップ画像は船の上から見た男体山です。

 

 

2015年に、初めて千手ヶ浜に来た時は、赤松から低公害バスに乗ってやってきました。

浜に居ましたら、湖を渡ってクルーズ船がやってきました。そして桟橋に着くと、人がたくさん降りてきたのです。

その時、湖を渡ってもこの浜に来ることが出来るのだと知りました。

 

是非に次の来るときは、その船に乗って来たいものだと願っていました。

だけど・・・・・。

実は今回の日光は日帰りの旅。

時間の事を考えて、今回も低公害バスを選択したのでした。

しかし私と星子さんの弥次喜多コンビで、何もないわけがないのです。

いろいろあって、いろいろあって、いろいろあって、・・・・・(^_^;)

菖蒲ヶ浜から船に乗る事になったのでした。

(ふふふ)

今は山つつじも満開で綺麗でした。

でもなんたって良いのは青い山と静かな湖かしら。

 

菖蒲ヶ浜から千手ヶ浜までは15分ほど。

料金は400円です。

中禅寺湖から菖蒲ヶ浜経由なので、中禅寺湖からも乗る事が出来ます。その場合は1000円。

大使館別荘や立木観音などを回りたい場合は乗り降り自由なフリー切符もあります。1400円。なんかこれも良いですよね。

 

 

そして

帰り

なんたって良いのは、青い山と静かな湖、そして日光の日の光だったのでした。

 

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さよならを告げた5月だった。

2021-06-12 02:16:02 | 梢は歌う(日記)

6月も半ば過ぎですが、5月のおまとめ日記を書こうと思います。

これでも昨年よりは、ちょっと早くに書いてます。→「森と水辺に救われた5月」

だけど昨年は、おまとめ日記は5月までしか書けなかったように思うので、今年はちょっと頑張りたいと思っています。

 

5月は薔薇の季節。

その薔薇の画像と一緒に先月を振り返ってみたいと思います。

 映画 (だいたい、いつもここから始めます。大好きな趣味なので)

別記事に書きました。→【近未来二番館のお知らせ】5月に見た映画

 

 お芝居 (久しぶりにこの項目が出てきました♪)

「終わりよければすべてよし」を見にいけました♪

これに影響されて、家でも録画してあるものをガンガン見ようと思いましたが、結局は1作品だけでした。

「贋作・桜の森の満開の下」NODA・MAP

 

 ドラマ

大好きな「おちょやん」が終わってしまいました。

ずっと好きだった「おちょやん」

2018年に原作を読んでずっと見たかったドラマをイッキミしました。

『池袋ウエストゲートパーク』を読みました。(本の感想です。)

「池袋ウエストゲートパーク」(ドラマの感想です。)

 

 は、この画像の下から

 

 読書

・ 「扉はひらく いくたびも」-時代の証言者ー

 竹宮惠子さんの自伝です。

 漫画

・ ポーの一族「秘密の花園」Vol.7

月刊フラワーズは、本当にこの1作品しか読んでいなくて、すこぶる勿体ないです。今度「月9」でしたか、「ミステリと言う勿れ」をやるんですよね。面白そうだなと思っていましたが、一度も目を通したことがないのです。やっぱり読むべきですかね^^

・ 「モザイク・ラセン」を読みました。

感想などは書いていないのですが、「とってもしあわせ モトちゃん」も読みました。

知ってる方には懐かしい一冊なのではないですか。

 

 は、この画像の下から。

 

 お散歩

友人と薔薇園に行きました。

またある時は、奥様ランチの後で、なんとなく心が満たされずに、また一人でこんぶくろ池経由で薔薇園に再び行きました。

雨が続いた後だったからなのか、「こんぶくろ池」の森は一段と鬱蒼としていました。今までで初めて、ひとりでは怖いなと感じました。

この「こんぶくろ池」には5月は2回行きました。

 お出掛け

「守谷野鳥のみち自然園」に行きました。その記事は

・ 「守谷☆野鳥のみち自然園」に行きました♪

・ 確かに尾瀬のような道が・・・♡

・ 鳥のみちから守谷城址へ

・ 悲劇か喜劇か、それは腕の力の問題だ!

緊急事態宣言中だったので、記事どころか一言も触れていませんでしたが、20日の日に用があって浅草に行きました。

そこには浅草では考えられないような、シャッター通りと言う風景が広がっていて、涙が出そうなくらい悲しくなりました。

 は、この画像の下から。

 日記はやっぱり(自分の記録の為に)必要かもしれません。

皆既月食が有ったり、また虹を見たり、片付けられてしまった花の救済をしたりと、静かな生活の中にも刺激的な事はたくさんありましたから。日記ブログは(飽きて)休止中。ちょっと考えようかしら。

5月もお友達と散歩したり、お茶を飲んだり、またおうち訪問などして楽しい時間を共有出来て嬉しかったです。

 は、この画像の下から。

 さよならを告げた5月でした。

田村正和さんとの別れは記事に書きました。

さらばでござります

何処にも触れていませんが、漫画家の三浦健太郎さんの若すぎる死を20日の日に知った時もショックでした。

この方は「ベルセルク」の作者で、一時期、姉の子供から借りてある所まで読んでいました。

その死を知って

「えっ !? 未完だよね !」と、一番先に口に出た言葉です。

「ベルセルク」を愛していた人たちは、皆それぞれの、その物語の終わりを自分の中で作っていくしかないのかも知れませんね。

無念な事だと思いますが、その想いは断ち切って、安らかにお眠りください。

 

そしてこの5月は、私は大事な友人を、とうとう見送る事になってしまいました。病気が発症してから16年も経ってしまったそうです。最初は意思の疎通も出来たけれど、この10年位は、ほとんど寝たきりだったように思います。私は1年か2年に一度、訪問させていただいていました。今はコロナ禍だったので、敢えて訪問していませんでした。

だけどそんな時に、お別れの時が来てしまいました。

納棺の前にお別れに来てと、旦那様が言ってくださったので、お別れの挨拶をしてきました。

気持ちの強い人で、すぐにクヨクヨする私を勇気づけてくれた人でした。彼女が病気になってしまった時、私は本当に寂しかったです。

彼女の耳元でしっかり言いました。

「友達でいてくれてありがとう。友達になってくれて嬉しかったよ。」

あれっ ?

今、まぶた、動かなかった ?

ドキドキ・・・・ !

って、なったけれど、そんなわけないし・・・・。

ああ、だけどお返事してくれたのかもと思いました。

傍から離れる時「バイバイ、また30年後に会おうね。」と私が言うと、

「だから、何でまた30年なの?!」と星子さんが、また言いました。またと言うのは、愛子さんのお葬式でも私が言ったからです。

だからそれはね、そのくらい生きないと、姑に負けるからなのかもね。いや、30年生きたって負けてるけれど。

 

以下は、上に書いてきたことの写真日記です。

 

5月の「こんぶくろ池」

 

25日の月。皆既月食は26日でしたが、その前日あまりに月が美しかったので、バイトの帰りに撮ったのです。

17日の虹。

花の救済。大株に育ったノースボール。だけど花壇の整理で抜かれてしまったので・・・

 

20日の浅草

 

バイバイ

 

2021.6.17 投稿


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日光浴ノート☆2021☆クリンソウ☆仙人庵

2021-06-11 23:24:39 | お出掛け日記

・「日光浴ノート☆2021☆クリンソウ」の続きです。

 

「仙人庵」のクリンソウは、群生している様が可愛らしいです。

だけど途中であった人に、「仙人庵のクリンソウは如何ですか。」と聞いたところ、年々花は少なくなってきていると言っていました。

毎年この季節に訪れていると言う感じがしました。

私たちはその「毎年」を知らないので、以前と比較する事もなく、この群生を嬉しく思いました。

それなのに、この場所での写真を数枚しか撮らなかったのです。家に帰ってから、その事に気がついて驚きました。

でもそれには理由があったような気がします。

 

私たちは、中禅寺湖の浜辺で昼食を取り、その後にクリンソウを求めて、最初に「草加市立奥日光自然の家」に向かったのです。そしてそこでの楽しい時間の後(前の記事)、再び湖畔に戻ってきました。

行きより帰り道は早く感じます。

道を知っていると言う余裕でしょうか。

それもあって、帰り道の新緑の風景を堪能しながら歩いていました。

でもこの時も、これといって画像無し。

撮り忘れてしまったのです。

風景が美し過ぎたと言うのもありますが、ここでも鳥の鳴き声が素晴らしくて。

ただこの水辺に来た時に、思わず「カメラおばさん」の血が騒いだのです。

 

「ああ、やっぱり、日光ってイイナぁ。」としみじみと思い、思わず写真を撮る枚数も多かったと思います。

私のスマホはもう5年目で、あっという間に電池残量が減っていきます。

それで充電器にセットしながら、仙人庵に戻ってきたわけですから、やっぱり接続したり外したりしていると、無意識に写真枚数も減ると言うものですよね。

それが、仙人庵での写真の枚数が少なかった理由だと思います。

 

 


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日光浴ノート☆2021☆クリンソウ

2021-06-10 21:06:27 | お出掛け日記

『疲れた時にはお日様にあたり日光浴をいたしましょう。

心が疲れた時にも大好きなものの気の力に囲まれて癒すことも大事だと思います。

私の場合は森の木々のささやき・水辺のせせらぎが、心の日の光になるのかもしれません。

その日の光は、名前のごとく「日光」にありました。』

 

2015年10月4日5日と日光を訪れた時のブログ記事「日光浴ノート☆千手ヶ浜」の冒頭に書いた言葉です。

それからずっと日光旅行記は「日光浴ノート」です。

 

最初に日光を訪れた時から、ずっと行きたいと思っていた「裏見の滝」には昨年行きました。

そうすると、今度はこのクリンソウを見に来なければみたいな気持ちになってきました。

なぜなら、日光の千手ヶ浜に最初に来た時に星子さんが、

「ここはクリンソウが有名なのよ。見たことがないのでぜひその季節に来たいな。」と言ったからです。

そして今年、この季節にやってくる事が出来ました。

そして見ました、たくさんのクリンソウを。

写真日記なので、数回に分けてアップしたいと思います。

 

この記事のクリンソウは「草加市立奥日光自然の家入口」の花たちです。

数はそんなではなかったのですが、背景が森と言うのが、凄く素敵でした。

 

新緑も素敵でした !!

次回は、千手ヶ浜の仙人庵のクリンソウの写真などをアップしたいと思います。

 

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「痛くない所を探すのが大変なの。」&紫陽花の季節

2021-06-09 00:23:00 | 梢は歌う(日記)

自慢じゃないが、うちのマンションに咲く紫陽花たちは、本当に綺麗なんだよ。

 

(実は自慢してます!)

マンションの花咲かおじさんたちの手の入れ方がすこぶる良いからと言うのも、その一因だと思います。

毎年毎年、その風景に慣れる事なく見るたびに感動しています。

感動できるものが身近にあるという事は、幸せな事なんだと思います。

感動は実は若さのエッセンスでしょう・・・。

 

 

 

だけど、最近の私は、実は昨年からずっとずっと膝の痛みと戦い中。痛みと闘ってるだけで、治療中ってわけではないんです。薬の副作用で、けっこう早くから骨の薬を飲みだして、整形には掛かっているんです。だから自分の現状を医師に言うと、

「運動してね~。」で、湿布薬をくれて、ハイ、終わり~。

「ヒ」の文字が付く注射をする病院は結構あると思うのですが、「痛いだけで効かない。」「癖になるから止めた方が良い。」とか言う人も多いんですよね。

私が気休めでも「ロ」が付くなんかを飲むのはどうかしらと、その医師に言ったら「そんなの意味がないですよ。それにお値段も高いじゃないですか。美味しいものを食べた方が良いですよ。」と言うのです。

どうしようかな~、どうしようかな~と悩んでいるうちに数か月たってしまいました。

それに加えて、最近は太ももの辺りが神経痛になってしまって・・・・

ああ、泣くわ~(ノД`)・゜・。

足が痛いので、歩き方がヨチヨチ。それっていわゆるおばあさん歩きでは ?

だけど6月6日の日曜日、マンションのサークルの集まりがあったんです。

 

そこで私は、近況報告のつもりでグチグチと言ったんです。膝が痛いだの神経痛だの・・

すると88歳になられた方がおっしゃいました。

「何言ってるの。若いのに。そんなのどうってことないのよ。私たちくらいの歳になると、痛くない所を探すのが大変なのよ。」

この方は頭もすっきり、ユーモアたっぷりの方で、会話も面白いのです。

「そうなんですか ? じゃあ、指とかは ?」

あまり痛くなりそうもない所を、私が言ってみると

「痛いの。」と可愛らしい声で即答。

それで思い出したのですが、この方は全部の指が痛くなる病気だったのです。シマッタシマッタ !!

「肘は ? 」と又聞くと

「痛いの。」

ー 肘なんか、痛くなりそうなところだったな。もっと痛くなりそうもない所を思い浮かばなかったのか、自分。ー

と、とっさに反省。

「とにかくね、本当に痛くない所なんかないのよ。」

すると80歳近い方々が、皆一様に頷いたのです。

もう参りましたと言う感じがして来て

「分かりました。私のコンナノ、大したことがないんですね。」と、思わず言ってしまいました。

 

するとまた皆一様に頷いたのでした。

※         ※       ※

 

6月7日は母の誕生日でした。しかも母も米寿だったのですよ。

今は「こんな時代」なので(またスノウさんの体力不足なので)、今は集まる事はせず、またみんなで集まれた時に改めてお祝いをしようという事になっています。

それでも私は、そのサークルの集まりから帰って来て、姉妹のみんなでラインにメッセージを残そうと提案しました。サークルの88歳の方と会話をしていて、母の事を強く思ったからでした。そして次の時を待たずに、今できる事をしたいと思ったのでした。

私はこの紫陽花たちの画像と共に送りました。

 

昔から耳が悪くて、今はもっと悪くなって、片方の耳は全く聞こえず、もう片方の耳も良く聞こえない母。

もちろん普段は補聴器を付けていますが、それでも時々会話がトンチンカンになると姉は言います。

「ボケて来たんだ。」とも言います。それを聞くと、私はとても悲しくなります。月並みな言い方ですが、本当にそんな言葉しか思い浮かびません。

だけど私たちのメッセージを見て、母は涙が出るくらい嬉しかったと言ってくれました。姉の蝶子さんが母の動画も撮って送ってくれました。

その動画の最後に「またね。」と言って手を振る姿が写っていたのですが、ちょこっと首を傾げて手を振るしぐさが、本当に愛らしく見えたのです。きっとそれが本当の母の姿なのだと思え、思わず微笑んでしまいました。

耳は遠くなってしまいましたが、きっと母は、痛くない所を探すのが大変と言う事だけはなさそうです。

 

 

 


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なぜその夢を見たのか・・。

2021-06-06 00:35:31 | 家族スナップ

ちょっと気持ちも軽い土曜日の夜です。

なぜなら4日の金曜日に妹のスノウさんが退院してきたからです。

そう、スノウさんは5月24日から入院していたのです。

 

21日のラインでの姉妹集会の時にスノウさんは言いました。

「何か膀胱炎になっちゃってさ、病院に行きたくないから市販の薬を買ってきて飲んだら楽になった。」と。

スノウさんは7年前から乳癌・肺がん・脳腫瘍・脳腫瘍の再発・何処かの内臓の癌と闘病中で、今は歩く体力がありません。行きたくないと言うのも分かるような気がします。楽になったのなら良いのかなと、深く考えずにそう思ってしまったのかも知れません。

だけど彼女の目下の懸案は、あまりおしっこが出ないという事だったのです。

漠然と、おしっこがあまりでないのに膀胱炎が治るものなのかしらと思いました。この病気は女性なら経験がある方は多いのではないかと思うのですが、抗生剤も飲みますが、水分もたくさん飲み菌を体外に押し流す必要があるのです。

そもそもおしっこが出ないから膀胱炎になってしまったのではないのかしら。

妹は、病院に行っている時に、この大事な事を医師に伝えているのかしら?

その時、なぜか今は行かなくても、妹は週が明けたら病院に行くのだと思い込んでいました。

 

ところが土曜日の深夜に夢を見ました。

深夜族の私ですが、その日はまたいつも通りに真夜中の2時近くに寝ました。

あっと言う間に深い眠りについて夢を見ました。

実家の親と姉妹で、ワシャワシャと旅行に行っている夢でした。姉妹との旅行にワシャワシャと言うのはまさにピッタリな擬音語かと思います。詳しい内容など覚えてもおらず、部屋でワシャワシャっている夢。

その後、私はホテルのロビーにやって来てフロントで、何かの申し込みの書類を書こうとしていました。ふと振り向くと、背後にスノウさんが車いすに乗っていました。彼女はやけに眩しく光っていました。

「お姉ちゃん、あのね、私、またーーーーー。」

「新しい癌がーーーーーーー。」

ええっ !?

「ちょっと待って、今ちゃんと聞くから。」と私は言い、スノウさんの車いすに置いてある腕に腕を重ねてました。

「私、何のために生きてるんだかわからなくなっーーーーーーーー。」

言葉の語尾がすべて消えていき、何を言っているのかよく分かりません。

これって、夢だけど夢じゃないアレだわ。

そう夢の中で思う私。

夢は自分の脳が見せる映像で、会話は実は自分が作り出しているものだと思います。会話が聞き取れない事も、あまりない事ですし内容が分からない事もあまりない事だと思うのです。なんたってセリフは自分自身が作り出しているようなものですから。

それでも私は言いました。

「スノウさん、それは違うよ。生きているだけでいいんだから。それだけでみんなの為なんだよ。生きて。お願いだから。」

そして私はスノウさんをそっと抱き寄せたのでした。

 

そこでパチリと目が覚めた私は、ムクリと起きて時計を見ました。眠ってからたった40分しかたっていませんでした。

私は怖くなってしまいブルブルと震え、その後眠れなくなってしまいました。

だけど朝になったからと言って、何か変な連絡が来てるわけでもなかったので、ホッとはしては居たのですが、それでも凄く気になって、翌日の月曜日に電話しました。

やはり歩けないから病院にはいっていないとスノウさんは言いました。

「熱とか出ていないんだよね ?」と聞くと、

「ううん、出ちゃった。38度超えちゃったかな。」

スノウさん !

病気になれちゃってると言う感じがしてしまいました。

「あのさ、膀胱炎では熱は出ないんだよ !!

もう、それは別の病気だよ。癌じゃない人もなる病気だよ。高熱が出るよ。今そんな高熱になったら体力的に耐えられるの。今から、病院に電話して!!旦那と娘に頼みなさいよ。 電話、一旦切るから、どうしたのか報告してね。頼むよ、すぐにやってね。」

と言うような内容の事を、もっと長くクドクドとガミガミと言いました。

 

ところでその後、ちっとも報告の電話がかかって来ません。

それで姉の蝶子さんに「煩いと思われても嫌なので、お姉ちゃん、電話してくれない ?」と頼みました。

 

姉が電話すると、

「今、救急車の中なんだ。あっ、今病院着いた。」と言うお返事だったのです。

 

ああ、良かったと思いました。

そしてそのまま入院しました。

その日の夜は、「ありがとう」のスタンプが来て、何やら訳の分からない言葉が送られてきましたが、意味も分からず、たぶん熱でぼんやりしていたのでしょう。その後数日は何も音沙汰もなくて、その間は本当にドキドキしていました。27日あたりからようやく普通の会話が出来るようになってきました。

それまでは、ずっとぐっすりと寝込んでいたようです。

 

彼女が明るく能天気な事を言ってくると、私の心は本当に軽くなって幸せな気持ちになるのでした。

 

25日の私と一番下の妹の名都さんとの会話。

「花ちゃんが電話してくれて良かったな。私やお姉ちゃんだったら、嫌がってる人に病院に電話させることは出来なかったと思うから。」と、彼女は言ってくれました。

「いや、あの夢を見なかったら、私も電話しなかったよ。どうしたって何か意味があるって思うよね。」

「明日、お父さんの命日だから、戻って来ているのかな。夢で教えてくれたのかな。」と名都さん。

 

ああ、確かに、そうかも知れないと私は思いました。

そう言えば、あのワシャワシャとしていた旅行の夢の中で、宿の一室のシーンの片隅に父もいたような気さえするのです。

 

何も確信のない話です。それでも私は父に感謝し、思わず涙が出そうになったのでした。

 

 

 

 

 

 


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「モザイク・ラセン」を読みました。

2021-06-04 14:23:26 | 漫画・マンガ・まんが

5月に読んだ漫画の感想です。

図書館にあったので借りて読んだのですが、読み進めていくうちに、このコミックを私は持っていることに気がつきました。整理されていないでしまい込まれている私の漫画たち・・・・・

またやらねばならぬことを、見つけてしまったような気持ちになりました。

常に手に取れるように整理してあったならば、「あれが」この作品の冒頭なのだったのだと、迷う事もなかったのでした。

「あれが」と言うのは、この冒頭のシーンの美羅の夢のシーンです。

白い鳥の美羅に黒の鳥の姿の少年が叫びます。

「ミリディア~ン!!」と、最初は途切れるような小さな声で、だけどそれは毎夜々見るようになっていき、少年は美羅に助けを求めているのです。

断崖の上から叫ぶ少年のシーンに、くぎ付けでした。

なんだかワクワクしてー。

またはドキドキしてー。

これは1982年の作品で、私がまだ母になる前のものです。

この物語の全体を私は忘れていき、そしてこの冒頭のシーンだけが記憶の沼に残っていたのでした。

その後、私は多くの「好き」と出会いました。

そしてある時気がついたのです。

私の「好き」の底辺にあるものは、「誰かが何かを叫んでいる」なのではないかと。

それを想う時、いつもこの作品の冒頭のシーンを思い出してきた私です。

 

かと言って、この物語自体は、異世界ファンタジーもしくはSFです。

ただ異世界の黒の王の正体などを考えると、やはりファンタジー色が強いのかなと思います。美しく育った青年ラドリ・マッキャベリと美少女の美羅。

楽師たちの愛、王子の愛、そして二人の愛。それらがさりげなく冒険と戦いの合間に描かれていて、少女漫画の王道のような気もしましたが、望都氏が描くとそう感じさせない所が良いですね。

すっかり忘れていたから驚くことも出来たのですが、この作品には下半身が繋がった双子の兄弟が出てきます。兄は顔は醜いが知能があり、弟は顔が美しく「天羽」を呼び寄せる力がありますが知能が未発達なのです。この設定って・・・ !

これが「半神」に繋がっていくのだなと思うと、「わぁ~♪」と言う気持ちになりました。

だけどこの兄弟に起きた事を思うと・・・・ちょっと胸が痛かったです。

 

 

 

 

・・・・


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ポーの一族「秘密の花園」Vol.7

2021-06-03 00:48:10 | 漫画・マンガ・まんが

薔薇の季節になると、薔薇を愛する薔薇族の皆様の祭りになる。ブログ界隈もツイッター界隈も、やっていないので知らないが、きっとインスタもフェイスブックなどもそうなんじゃないかなと思う。

桜の季節だって、同じように花の祭りになるのだけれど、何でか薔薇はまた違った人を惹きつける魅力があるような気がしてしまうのだ。

一年中薔薇の花が咲き乱れるポーの村。薔薇を求めて旅を続けるエドガーとアラン。

「ポーの一族」が長い間、ずっと人を惹きつけ続けている、その隠れアイテムが実は薔薇の花なのではないかしら・・・・などと思ったりしているまたも深夜に、また少々遅れての感想を書きます。

 

ちょっとヤバいんじゃないかな、ラスト。

以下はネタバレしています。

一体何のために出て来たんだと言いたくなってしまったダニーは、幽霊を見て窓から転落してしまいました。結局彼は、心を通わせたアーサーとパトリシアを引き裂いただけ。

だけどその後、アーサーの若かりし頃の恐ろしい過去が明らかになるのでした。

結婚もしたくなかったし、子供も欲しくなかったアーサーは、ピアノ教師のダイアナに、水仙やイチイやスズランなど毒のある植物のお茶をダイアナに飲ませてしまいます。子供だけ降りてしまえば良いと思って。

ダークアーサー・・・・・。

人は過ぎて来た過去で、いろいろと悔いの想いで押しつぶされそうになる事は、誰にでもある事だと思います。

でもこれは「過去の悔い」では収まらないと思ってしまいました。

一方パトリシアも、夫と和解したものの、過去の手紙を出したころの事に想いが飛び涙を零すのでした。

このパトリシアの悔いの涙と、アーサーの過去の苦しみは、同じ次元では語れないものがありますよね。

きっとパトリシアは光の方へ、そしてアーサーは闇に落ちていくのでしょうか。

そう言えば「ランプトンは語る」で、このアーサー卿は何と語られていたのだっけなと思いました。

本を読み直したくなかったので、安易にウキペディアに頼ってしまいました。

すると・・・・もう昔に描かれていることだからネタバレにはならないと思って書いてしまいますが、それでも程よく忘れていて思い出したくない方は、【】を飛ばして読んでください。

 

【1885年5月までの間に10枚描く。その3か月後の8月21日、多量に吐血して亡くなったとされていたが、・・・・・】

 

もちろんその後、彼は他の作品にも出て来て、2015年にはエドガーをまた助ける人であるのですから、いろいろと予想はつくわけですが、

それでもこの後どういう展開になるのか、ワクワクドキドキして次号を待ちたいと思います。

 

しかしなぜフォルテはパトリシアの子供たちを、アランの所にいざなったのでしょう。

近寄る子供たち。その時アランの目がパチリと開いて。

ヤバイですね。アランは乾ききっているのではないかと思います。目を開けたら、そこにご馳走が覗き込んでいるようなものなんですから。

アランの見開いた瞳も怖かったですし・・・・。

 

8月号は6月28日頃発売。今度は忘れないようにしなければ。

(なにげに、今月号の感想が遅れた理由を述べてしまったかもですねww)

 

・・・・・


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悲劇か喜劇か、それは腕の力の問題だ!

2021-06-02 01:31:06 | 梢は歌う(日記)

本当はちっとも笑えない話ですが、それを笑い話にしてしまうのが、私と言う人間なのかも知れないと思いました。

トップに載せた画像の風景を見て、思わず笑ってしまいましたから。(ついさっきまで、あそこで蝉のようになっていた人がいたかと思うと・・・!)

ふふふと笑いながら、ある事を胸に刻むために写真に撮った風景です。

 

だけどまた、その時ある事が分かって、私はショックでした。

つまり何かのパニック&サバイバル映画のキャラで言うと、一番先に「キャー !!!」としがみついていたものから振り落とされて、サクッといなくなるチョー脇役のおばさん役にしかなれない事に。

それに星子さんと私だと、私の方が遭難リスクが高い人なのだとも思いました。体力・身体能力が劣っているからではありません。

「大丈夫、大丈夫よ。」と何度か言いました。根拠なくそう思い、そういう時の行動だけは早いから。たいがいは、と言うより今まではほとんど「大丈夫。」だったのです。

だけど今回はちっとも大丈夫ではなかったのでした。

 

5月28日の金曜日に「野鳥のみち自然園」に行ったお話をしてきました。最後のエリアが、「守谷城址公園」でした。「自然園」全体が事前にちょっと調べても、全くイメージがつかめなかったのですが、「城址公園」の方もまた然りだったのです。

見逃し多し。

そんな感じで、また行かなくてはと思っているのですが、この日はこの日で時間的に、そこまでで終了と言う時間になりました。

お城を攻めてはみたものの、どのように撤退するか地形的になんか分からず、ついつい道があるものだから行けるのかと、湿地帯に出てしまった私たち。下の地図でも分かる通り、この城はかつては四方を海で囲まれていたのです。

今でも、周りは湿地帯です。

そしてそのことを甘く見てしまいました。しかも前日は雨だったものですから入ってしまったのは良いけれど、普通に道が作られていると思ったのに、かなりの水が浸水していたのです。

もと来た道を戻れば良いものを、なんたって猫族なものだから、前に進むことしか考えられない(アホな)私です。と言ってもかなり無理をしながら進んでしまったので、もと来た道を戻るのも、かなり大変だったと思います。

水没してしまった道からの、私の考えた安易な脱出方法ー。

下の画像を見てくださいね。

緑の湿地帯の草の多い所を、ホップステップジャンプと進み、白い柵にしがみつき、その柵にしがみつきつつ柵の一番下の所を横に歩いて行きアスファルトの上に着地すると言うものでした。

ほらっ、普通にいいアイデアでしょう ?

 

で、飛びましたよ。

ホップステップ・・・って。

で、そこから私は間違えていたのです。

草がしげしげと茂っている所は、むしろ逆に水が深かったのです。だから草がしげしげと茂る事が出来ていると考えるべきだったのですよね。

「キャー、パンも踏んでいないのに体が沈んでいく~!!!」←心の声

トレッキングシューズだったのが良かったのか、ギリギリ水は靴の中には入りませんでした。だけどとにかく早くと思ったので、最初に思っていた場所ではない所に辿り着いてしまったのです。つまり裏側までホイホイと歩いて行かなければならない場所。もしくはその柵を乗り越えなければならない場所にです。

ところがですよ・・・。

この柵、私には意外と高かったのです。一番上の柵が、私の胸のちょっと上辺り。そうするとこのバーを私は順手で掴めません。逆手で握った時、頭で考えたことがすべて吹っ飛ぶ現実が、私を待ち構えていたのです。

つまり体を腕で支え切れないと言う現実。

掴まりきれていないので一歩も足が横に出ないんです。しがみつくのみ。

どうしよう~、この柵の下はまだズブズブだし・・・・

とその時、蝉のように柵にしがみついて動かなくなった私に、「どうしたの?何やってるの?」と星子さん。

そこで、私は自分の計画を言いました。

「草がいっぱいある所は、思ってたのと違って水が多いよ。」

「なるほど」と言って星子さんは渡って来て、そしてその柵を乗り越えていきました。

たぶん彼女は彼女でどうするか思案中だったと思うのですが、この蝉女を助けなきゃと思ったのだと思います。

 

だけどほらねっ。普通に良い計画だったのよ。

どうするのチビデブな私?

もう靴はどうせ汚れてしまったのだから、ズブズブ覚悟で下に降りて、ササット水のない所まで行こうと思いました。

そしてそこまで移動して

「ちょっと待ってね。(柵の向こう側に行くのに)どうするか考えるから。」と言うと、

「あっ、ここ切れているよ。」と星子さんが上の方に柵の切れ目を見つけたと言うので、そこまで柵につかまりながら歩いて行き、切れている所からようやく脱出できたのでした。

 

なんかいろいろとショックでした。

カッコ悪かったから ?

いや、そんなことどうでも良いです。

確かにカッコ悪かったのですが、本当にどうでも良い、そんな事は。

 

このコロナ禍で、体力が落ちると言うでしょう。そうならないように気を付けてきたつもりでした。でもそれは「足」の事ばっかり考えてきたのです。せっせと歩いてきました。でも腕はどうだったのかしら・・・・?

何も考えてこなかったな~・・・・・・・。

そして思いました。腕の力がない事が分かって良かったなと。

 

その日に頂いた、遅い時間のランチです。マックのこれ、美味しいですね。

 

 

それを頂きながら、私は言いました。

「何か、笑っちゃったね。喜劇だったわ。もしくはコントね。」

「あの時、後ろの湿地に背中から落ちちゃったら、悲劇だったかも」と星子さん。

「やめて、そんな事が起きたら(起きそうで必死だったが。)、悲劇どころじゃなくて、本当にどうしましょの世界よ。だって、そのままじゃ電車に乗れないものね。」

喜劇止まりで、ああ、良かった !

 

と言うわけで、家の中の片隅で眠っていた、これを起こしました。

 

 

 


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