森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

自己紹介で拍手される

2021-09-14 06:25:14 | ランダム自分史

どんなにつまらないようなちっぽけな事でも、思わなければ、その願いは叶わないのかもしれません。

 

高校生か、それとも大学に入ってからだったでしょうか、近所で女性ばかりが集まる会合がありました。その時、名前だけ言う自己紹介コーナーがありました。名前だけですから、さっさと進みます。

名前を言って次の人、名前を言って次の人・・・・・。

皆、頷いたり、その人の顔をちらっと見て終わりです。

だけどある人が

「吉田ナニナニです。」と言ったとたんに拍手が起きました。実は私も普通に迷わずにしました。

そして「あれっ?」と首を傾げると、隣の少女も「何で拍手を ?」と言い、みんなで小さく首を傾げながら、次の人に順番は変わっていきました。

なんでもない話です。

普通の人は、こんな事を覚えていないと思います。

 

だけど私は、変な所で普通ではないので、家に帰ってから、そのことについて考えてみました。

名前を言っただけですが、みんながムニャムニャとかボソボソとか言う中で、確かに彼女だけが、美しくハリのある声だったのです。大きな声で無いのに、迫力のあるちゃんとした声。

カッコいいなと思いました。

そして鏡の前で二・三回、自分の名前を言う練習をしてみながら、いつか私も、名前だけ言って拍手されたいものだなと思いました。

 

最近思ったのですが、近頃では名前だけ言うような自己紹介でも、拍手して次の人に回すと言うのが今時の流れかもしれませんね。

そんな今だと、あの時思った、小さすぎる野望が叶う日もなかったかと思います。

そんな私の小さすぎる野望が叶ったのは、大学時代のゼミでの自己紹介の時でした。

12人ぐらいの憲法ゼミ。女子は三人だけで最後の方。私はその三人の真ん中か最後だったと思います。

タイトルが、そのままなのでオチは見えていますが、その時私が名前を言うと、全員が普通に拍手をして、お約束のように誰かが「あれっ、何で拍手を ?」と言いました。

すると誰かが

「だって名前が女優みたいだから、つい。」と言いました。

私は予想外の言葉を貰って、恥ずかしような気持ちにもなりましたが、ニッコリと微笑みました。

だけどその予想外の言葉が嬉しかったわけではなく、密かに思っていた小さすぎる野望が叶ったからだったのです。

 

因みに私の旧姓は、さほど女優みたいな名前などではありません。ただ今の名前程は平凡ではなかったとは思いますが。

しかし、今これを書いていて、まさに今頃気がついたのですが、なぜその野望を就活の時に叶えなかったんだろうか !?

いや、きっとその頃は、自分になんかまったく自信がなくて、野望がちっぽけどころか、自分自身が小さく感じて、きっとボソボソムニャムニャと名前を言っていたに違いありません。

バカだなと思いますが、今の旦那は(前の旦那がいるわけではありませんが)、そのゼミに居た人なので、それなりに意味はあったのだと信じたいです。

 

 

またあの時の、吉田ナニナニさんは、私よりはかなり年上の方でしたが、私が結婚する時に勤めていた石鹸工場の石鹸を紙袋一杯お祝いにくれました。それで私は石鹸を買わなくても良いと言う生活を5年ほど続けることが出来ました。

年上でこれといって交流もなかったのすが、ある時実家に帰って、

「そう言えばあの人はどうしてる ? 」と尋ねると、既に病気で亡くなっていたのでした。

40になっていたかどうかの若すぎる死でした。

「元々体が弱かったんだよね。特殊な病気を持っていたから。」と父も母も言いました。

元気印のような人だったのにと、私は寂しく思いました。また会ったら、もう一度改めて「石鹸助かったのよ。」と伝えたいと思っていましたが、そちらは叶わぬ事になってしまいました。

 

※ 過去の想い出を語る「ランダム自分史」というカテゴリーを作りました。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月なのに淡雪を想う

2021-09-13 01:56:45 | 梢は歌う(日記)

1か月のおまとめ日記、今年はかなり続いています。

8月のおまとめ日記です。

なんだか過ぎてみると、手のひらに落ちて来ては消えていく淡雪のような毎日を、送っていたかのようにさえ感じるのです。

8月だと言うのに、これといってビッグイベントはありませんでした。

私的なビッグイベントはなかったけれど、大きな出来事はあったのです。

そして私は、今もクタクタです。

 

でも記事はお気楽な項目。

 いつも最初は大好きな映画からです。

別記事に書きました。→【近未来二番館のお知らせ】8月に見た映画

その記事に、まとめました。

 book

「フジコ・ヘミング14歳の夏休み絵日記」

 漫画

ポーの一族「秘密の花園」Vol.9

私の漫画史の記事を3年ぶりに再会しました。

私の漫画史《目次》

「どろぼう天使」☆私の漫画史

「ある方を意識していました☆私の漫画史」

 ドラマ

「#2021年8月26日」☆追記アリ

 ※「相棒」はもうすぐですね♪

「アチアラの秘密」と「ごめん、愛してる」

「ごめん、愛してる」を見終わって

 ※「アチアラの秘密」もやっぱり驚きの連続でしたね。そして二転三転と面白かったです。だけどヒロインに感情移入できなかったのが、少々の残念でした。

「ごめん、愛してる」は記事に熱く語りました^^

・「大地の子」

 ※ 感想は書いていませんが、良いドラマでした。

残留孤児と言われてた人が、日本に帰って来て、肉親に会う番組を、昔たくさん見て、そのたびにもらい泣きして泣きました。そしてその時、「もしも」と自分に置き換えて、たくさん考えました。

子供の時別れてしまい、死んでしまったと思っていた姉妹、または親などと再会したら、きっと立っていられないほど泣くと思いました。

一心が36年ぶりに妹と再会し、そして死出の旅へ見送らなければならないシーンや、最後に実父に「私は大地の子です。」と別れを告げるシーンは、やはり涙を流さないわけにはいきませんでした。

 お出掛け

まったくどこも行っていないなと思っていましたが、よくよく思い出してみたら、ルート君の車でドアツードアで、お盆に実家には帰ったのでした。

いつもなら横浜で暮らすラッタさんを拾っていくのですが、ラッタさんの生活範疇に居た人の調子が悪く、もしもその人がコロナだったら、完全に濃厚接触者になってしまうために、今回は会う事を断念したのでした。後から、その人は陰性だったことが分かりました。だけど今時は、オチオチ熱も出せませんよね。

→「寂しかりけり」

車窓から。いつか乗ってみたいです。

 四季の家

蝶子さんも私も名都さんも、みんなクタクタ。もちろん本当に大変なのはスノウさんだけど。

少し前に友人に「お元気でしたか ?」と尋ねられ、

「ええ、元気・・・・?」と「元気です。」と答えようとしたら、それは偽りのような気がして言い淀んでしまいました。

その後の近況報告で、「元気がないと言うのは当たり前の事ですね。」のような事を言っていただきました。その方は、身内が病になると、それを支える周りの者も大変だという事を知っている方なのでした。

7月の終わりから9月の初めまで、スノウさんは三度目の脳の手術をして、入院していました。一度退院し、それから今度は放射線治療の為に再度入院し、先日退院してきたのです。

退院の日を指折り数えて待っていたスノウさん。

だけど、放射線治療の目的を聞いた時、その退院が何を意味するものなのか、私たちには分かっていました。もしかしたら、それはスノウさん以外だったのかもしれません。

「長い夏だったね。」と私は蝶子さんと名都さんに言いました。

「お疲れ様でした。」と、また言い、そして

「ここまでが一区切り。でも私たちの戦いはこれからだと思う。」と。

 

最近名都さんの調子もあまり芳しくなく、私たち姉妹は皆、同じように彼女の年齢辺りから、どうも何をやっても健康みたいな伝説が崩れて来たので、本当は心配です。

だけど思わず私は言いました。

「名都さん ! もうお姉ちゃんたち、スノウさんの事で頭がいっぱいで疲れちゃってるから、ここで名都さんが少々重い病気になっても、きっと扱いが雑になると思います。」

「えっ!? きゃー !!」などと言って笑い合いました。

 

 ランチ日記

けっこう画像だけ保存してありました。

確かに星子さんとずっとお休みさせていただいているピアノの先生とランチしました。だけどお友達ランチは、それだけだったかも。後は仕事がらみやパパさんと。

さしたるものもないわりに数が多くて、面倒でもあるのでアップは止めておこうと思います。

ただ最近、バーミアン、お気に入りです。

「じゃあ、バーミアンで会いましょう。」と言うと、何故か皆、ちょっとだけ微妙な顔や声になるのが不思議です^^

 

 病院&運命の出会い

8月最後の土曜日は病院の日でした。滞在時間5時間近くで、本当に心の底からうんざりしていました。

ちょっと備忘録として書いておきたいと思うのですが、ずっと思っていた事を、やっと言えました。

薬を減らしてと。

サボって薬がたくさん残っているから、出す量を減らしてなら言える事だと思います。だけどこんなにサボっているのに、何でもないなら、もっと基本の量を減らしても問題はないのではって、そうそう言える事ではないような気がします。

5年ぐらい前からずっと思っていた事だけれど、やっと言えたし、その通りになって、先生は嫌な気分だったと思うけれど、私は清々しました。

あまりにも病院の時間が長かったので、迎えに来てくれた夫が

「今日は止めておこうね。」と、その日に予定していた譲渡会を覗くと言う二つ目の予定変更を告げました。

でも時間を見て、「大丈夫だから、行ってみない ?  久しぶりなんで、今日は見るだけでも。」と私は言いました。

だけど、私の「見るだけ」はいつも怪しい。

 

9月12日(昨日)、我が家にマロン君がやってきました。

 

そう思うと、8月28日は、大事な一日だったと言えるでしょう。

 

 雨や空

青く塗りつぶしたわけではありません。雲一つない20日の日の空です。

白い霧が出ていたのではありません。23日雨風の強い朝の風景です。

 

トップ画像は27日の夕日。

 

主に仕事とお片付けの8月でしたが、それでも何もなかったわけではなかったのでしたね。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月11日、土曜日。

2021-09-11 23:30:37 | 梢は歌う(日記)

 

下の囲みは、昨年の9月11日に投稿したもので、2014年からのツリーになっています。

 

 

 
9月11日、金曜日。

 9月11日、水曜日。 9月11日、火曜日。 9月11日、月曜日。 9月11日、日曜日。 9月11日、金曜日。 9月11日、木曜日。最近、自分の中の老いと向き合わな......
 

 

2001年9月11日の朝、イスラム過激派アルカイダによって米国同時多発テロ事件が起きました。

その時日本は夜で、私と夫はテレビタイム。子供たちはそれぞれの部屋でオンラインでのゲーム時間を持っていました。当たり前の日常が転がっているような、普通の夜でした。

同じように普通の一日を送ろうと思っていた、多くの人の当たり前の一日が、あっという間に変わってしまったのでした。

 

あの時から20年。

今日の朝、私は今日がその9・11である事をすっかり忘れていました。

テレビのニュースで思い出したのです。

年月は、いろいろなものを奪っていきます。

あんなにショックだった出来事も、時が経てば自分の中で風化して言ってしまう事もあるでしょう。または今の自分の生活でいっぱいいっぱいになってしまっていて、余裕のない生活を送っていたりしたら、それも尚更でしょう。

トンデモナイ。一日だって忘れた事は、忘れる事は出来なかったと言う方々もいらっしゃると思います。

だけど私のようにそうでない方も多いのではと思います。

ただ、これは先の戦争と同じように、忘れてはいけない出来事だと思うのです。

私は先の戦争を知りません。

だけど母が毎年、夏に会うたびに「遺言だからね。二度と戦争をしちゃいけないよ。」と言い続けて来てくれたおかげで、私の中でその記憶が生きているのです。

同じように、この出来事も忘れてはいけない事だと思います。

恐ろしい事が起き、たくさんの被害者が出た事はもちろんですが、その後に、何が起きてそれがその時の被害者の方々のみではなく、さらに多くの人生を狂わしていったことも含めて、忘れてはいけないのだと思います。

毎日の中で、今日が何の日かを忘れる事はあるでしょう。

でも思い出せばいいのです。

そしてまた心の中のページに栞を挟むー。

 

私が朝、今日が9月11日である事を忘れてしまったのは、昨日の吉田拓郎氏のラジオが凄まじく良かったことから、彼の事を思い、またそれこそ片時も頭の片隅から離れられない姉妹の事を思い、そして明日やってくる事になっている新しい家族の事を思っていたりしたからです。

思い出し、そして自分の7年そしてあとプラス一年分の9・11の記事を読み直してみました。

書きたい事はみなそこに書いてありました。

そしてつい昨日の出来事のようなことも、そこには書いてありました。

どんな時にも、私たちは私たちの自分の生活を暮らしていくしかないのですよね。過ぎていく日々を愛おしく思いながら。

 

今日の私は、朝はサークルに参加して、キバナコスモスの話や花大根の話などをしてきました。午後からは夫に送ってもらって、ひとりで映画を見てまいりました。帰りに半額になったお惣菜をたくさん買い求め、手抜きだけどリッチなのかプアーなのか分からない夕食で満足いたしました。

出掛けたついでに銀行ATM周り、本屋、無印などでリサーチ&買い物をしてきて、けっこう楽しい一日だったと思います。

 

ジョン・レノン / イマジン (日本語訳付き)

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さよなら、ジャン=ポール

2021-09-10 10:30:30 | 同じ時代の船に乗る

子供の頃、いや、本当に子どもで幼稚園辺りの頃、夕方テレビで映画が放送されていました。

その頃の私は、それが何の番組かも理解できていませんでしたが、後に勝手に「フランス名画座」と呼ぶようになっていました。この番組の事を知りたくて、少し前から検索していると、それは「テレビ名画座」という番組である事を知りました。

その番組は1961年から1968年まで続き、午後3時から5時ごろまでの枠で放送されていたのです。

私の父は時間的に不定期な仕事をしていたので、家にいた時は父とその映画を見る事が楽しかったです。

ほとんど白黒映画・・・・・・・・、いや、ちがう。

我が家のテレビが白黒だったのです。

ある日、父が見ているテレビの部屋に行くと、その映画はもう終盤で、主人公の恋人が(実は妻)亡くなって、嘆き悲しんでいる所でした。その主人公は貴族たちのパーティに押し入り、貴族の夫人のゴージャスなネックレスから腕輪やら、その他もろもろを奪い去ります。なぜか一人の女性の前では意味ありげに、ネックレスを乱暴に奪います。

「この女の人は何かしら。」と聞くと、

「この男がメチャクチャ悪いんだ。」と説明になっていない事を父は言いました。

後にそれは、愛する妻がいるのに変な野望に憑りつかれ、貴族の妻を手に入れようとしていて、それが彼女だったという事が分かりました。

だけど男は、それらの宝石で埋め尽くされた馬車に死んだ恋人を乗せて、そしてその馬車ごと湖に沈めるのでした。

部下たちと共に灯した松明の明かりが湖面に反射して、美しかったです。

この映画を最初から見たかったなと、私は思いました。

しかしなんで子供の時は、世の中がクリアではないのでしょうか。

その映画のタイトルが全く分からず、物語の内容から、私は後にこれが「大盗賊」という作品ではなかったかと思うようになりました。

その「大盗賊」を、またテレビでカラーで見る機会があり、楽しみに見てみると、なんだか微妙に違うような気がしました。それで私は思いました。きっとこの映画は昔作られた映画のリメイクなんだわと。

この「大盗賊」は1961年制作で1962年に公開されました。2年ぐらい後にテレビで放送されても不思議はないのですが、「素敵」と思った水葬のシーンが違うような気がしたのです。

そしてやっぱりネット世界は便利です。

ウィキペディアでこの「大盗賊」を見ると、この作品のテレビ初出は1969年8月の「金曜ロードショー」なんですって。

それに「テレビ名画座」をまた調べると、おもに放送された作品の中に、これが入っていません。

この作品が放送されていたならば、必ずそこに名を連ねるはずです。

だけど「大盗賊」のページに、同じカルト―シュをモデルにした映画が1950年に公開されていた事を知り、私が見たのはそれだったのではないかと、今思っている所です。

 

1950年のそれの主人公はRoger Pigaut。

1962年の「大盗賊」の主人公を、ジャン=ポール・ベルモンドが演じました。

私は、この映画で彼が好きになり、それからもずっと好きでした。

 

幼い頃にほんのわずかに見た映像が忘れられなくて、そしてそこに行きついたのです。

 

その「テレビ名画座」は、おもにフランス映画を中心にヨーロッパの映画が主で放送されていました。その影響だったのでしょうか。私はある時までハリウッドを意識する事もなく、映画といったらフランス映画で、たまにスペイン、またはイタリア映画でした。

そして若かった私にとってのフランス映画の代表的な俳優は、ハンサムの代名詞であったアラン・ドロンでした。

彼がハンサムの代名詞ならば、ジャン=ポール・ベルモンドは、味のある顔と言われていました。

男の人の方がファンが多かったと思います。

フランスでは彼の方が人気も高かったと聞きました。

 

そして二人はライバル視されていました。実際に良い意味でのライバルだったと思います。

1967年にロベール・アンリコ監督、アラン・ドロン主演の「冒険者たち」が公開されました。もちろん、私がテレビで見たのは、ずっと後です。だけどこの映画は、今でも心に食い込み、たぶんこの後にいろいろな方に影響を与えたのではないかと思うのです。本当に素敵な映画でした。

それを見て、ジャン=ポール・ベルモンドが、こういう映画に出たいと言って1968年、同じロベール・アンリコ監督で撮ったのが「オー!」だったと思います。

フランス映画はお洒落と哀愁が命。

この映画をテレビで見た1972年の私には、この映画の哀愁を理解できず、あまり好きな映画にはならなかったのです。

 

アラン・ドロンとジャン=ポール・ベルモンドはライバル。

だけどある時、アランが声をかけ、二人が共演した映画が誕生しました。

それが「ボルサリーノ」でした。

 

2021年9月6日、ジャン=ポール・ベルモンドは88歳で亡くなりました。

その訃報を聞いて、アラン・ドロンは「完全に打ちのめされた。」と述べたと伝えられました。

 

 

レンタルですが、アマプラで見る事が出来ます。

 

 

 

さよなら、ジャン=ポール・ベルモンド。

カッコ良かったし、楽しかったです。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ごめん、愛してる」を見終わって

2021-09-08 23:54:45 | 海外ドラマ

とある準備の為に、少々気ぜわしくしてました。その「とある」については、もう少し先でご報告する事もあるでしょう。そのせいもあって、なにげにブログに気持ちが向かないでいましたが、いろいろと書いておきたい事が溜まってしまったので、またせっせと書いて行こうと思います。

※        ※       ※

見ている途中で「見ています」と書いたので、このドラマの感想を書く予定はなかったのですが、最終回まで見てしまっては書かないわけにはいかないでしょう。

最終回、号泣してしました。

このドラマが放送されていた頃を、私はまったく知らなかったのですが、かなりのコアなファンがいらっしゃったと思います。たぶんそれは今もかしら。

私もですね、今更ながらソ・ジソブと言う方の新しいファンになってしまいました。

 

だけどこの作品は2004年のもので、ちょっとその頃の癖のようなものを感じて、すべてオールオッケーと言うわけではなかったのです。だからもっと早くに、涙がこぼれるかなと思ったのですが、最終回まで保留になってしまいました。

でも泣かないから逆によく見れたみたいな部分もあって、私、あのシーン、ちょっと・・・・・

ウィキペディアに依れば

『主演俳優のファッションやセリフを真似る熱血ファンたちが現れたりするなど、社会現象を起こした。』とあって、きっとこのセリフは一種のパロディ化して流行ったのではないかと思いました。

「飯を食うか、それとも俺とキスするか。」のシーンとセリフ。

落ち込んでずっと食事もとれないウンチェを誘いだして、バイクを運転しながらムヒョクが言うシーン。

「飯を食うか、それとも俺と暮らすか。」

はっきり言って、訳が分からない。だけどきっと、みんなその頃、「キャー」ってなって、胸がキュンキュンなったんだろうなと思うと、なんだかニヤニヤしてしまいました。

で、その頃の若者が、その言葉をまねしたのかななんて思うと楽しいですね^^

 

それなのに、何で最終回に滂沱の涙だったかといえば、いろいろと分かったからです。

韓国の映画でもドラマでも家族を想う気持ちを描いたら、ちょっと日本の上をいくんじゃないかと、私は思っているんです。だけどユンとドゥリは、やり過ぎじゃんと思うほどの母と息子の密接な関係で、ちょっと気持ち悪いなと思っていたのです。

あっ、そうそう。

ここからはネタバレしています。

これから見る方はお気をつけてね。

 

だけど、ユンが自分も孤児院育ちだったと明かして、それで

「僕はお母さんの事を思うと涙が出るんです。」の言葉が理解できるのですね。

本当の子供ではない僕を、ここまで大切に育ててくれたお母さん。愛情を注いでくれたお母さん。思っただけで、心が温かくなるユンだったと思います。

 

それにやっぱりあのシーンは、最高でした。

ムヒョクは元々、自分を捨てた母を恨んではいなくて、何か事情があったのだと信じていました。そして、再会したら、服も買ってあげる、家も買ってあげると言い、親孝行をしようと誓って、それを生きるよすがにしていたのです。

だからドゥリにラーメンを作ってもらって、そしてひっそりと帰る時、

「来世も俺を生んでください。その時こそ満足するような息子として生まれてきます。お母さん産んでくれてありがとう。」と去って行くじゃないですか。

もう滂沱の涙ですよ。

「お母さん、産んでくれてありがとう。」といえた人生ならば、その人生は、けっして悲しいだけのものではなかったと思えるのです。

そして、その母も、作ってくれと強く言ったくせに、ほとんど残されて「まったくイラつく人ね。」などと言いながら、わけも分からず涙がこぼれるのでした。

もう、泣いちゃうよね、こんなシーン。

 

そして、ムヒョクが居なくなってしまってから・・・・。

ユンは結局彼の心臓を貰って、復活します。

その復活ライブの席に、ウンチェは居ません。

ムヒョクと出会った思い出のオーストラリアをひとり歩いて、その想い出に浸るウンチェ。

そして彼の眠る墓地に行き横たわるウンチェ。

 

想い出の中で、ウンチェはムヒョクと想い出の中で寄り添い、そしてウンチェは、また一人去って行くのでした・・・・・・にならなかった!!!!!

 

「メルボルンの墓地で韓国女性の遺体を発見。」というニュースが流れます。

遺体 !!!

「生きているのに、死ぬほど孤独だった彼を 放っておけませんでした。

一生で一度のわがままを 誰かの為でなく 自分の心に従います。

罰は私が受けます。 ソン・ウンチェ」

 

えっ !?

えーーーーーーーーーーーー!?

と、私は、もうびっくりしてしまいました。

だからさ、だからね、韓国ドラマは侮れないのよねと、私はしみじみと思いました。

 

「罰は私が受けます。」

という事は、ウンチェは真実を知ってしまったんだなと思いました。

ムヒョクが居なくなってから、ユンの復活ライブと、ウンチェのオーストラリア一人旅まで1年間の時間がありました。きっと描かれなかったドラマがあったのでしょう。だけどそれをばっさりと切って、あのシーンだけに終わらせ、その後に余分な映像を入れなかったのは、凄いなと思わざるを得ませんでした。

 

よくよく見ると、

その墓石には「安らかに眠れ、ごめん、愛してる」の文字が。

 

미안하다, 사랑한다」「ミアナダ サランハンダ」

「I'm Sorry, I Love You」

 

ちょっと、涙、引きずりました。

かなり・・・・・かも。

 

So Jisubの「雪の華」

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【近未来二番館のお知らせ】8月に見た映画

2021-09-05 22:50:21 | 映画

8月は、連続ドラマなど多数みていたので、映画は少なめだったと思います。

タイトルで、感想のページにリンクしていますので、よろしかったらいらしてくださいね。

 

☆ 家で見た映画の感想です。

「デスノート Light up the NEW world」

「悪の偶像」

「ヴェノム」

「シン・ゴジラ」

「17歳のウィーン フロイト教授人生のレッスン」

「ザ・ライト〔エクソシストの真実〕」

「スプリー」

「デスノート Light up the NEW world」と「シン・ゴジラ」は、映画館でも見た作品で二回目です。

やはり面白かったものや、良い作品は何度見てもイイナと思います。

そう言えば !!

もう数にはカウントしていませんが、我が家では「20世紀少年」、いったい何度見た事か。もしかしたら8月も見たかもしれません。

初めて見た作品の中で、二度見てもイイナと思えたのは「17歳のウィーン」かも知れません。後からもしみじみとしたものがありました。

後からじわじわ来るのが、意外と「スプリー」。承認欲求サイコパススリラー。このジワジワの正体は地味な「ムカムカ」と言うもので、二回見るなんてあり得ない作品です。そんな風に感じていたからか、感想も文体が違った感じになっているかもしれません(^_^;)

こんな風に書くと、「じゃあ、見ないよ。」となってしまうかもしれませんが、人の話など信用しないで(笑)、「どれどれ」と見ていただき、一緒にムカムカして頂きたいと思います^^

 

☆映画館で見た映画は

「フリー・ガイ」を見てきました。

この「フリー・ガイ」は、感想らしい事も書いていないけれど、本当に良作で良い作品でした。上記に怪しい事を書いた「スプリー」は、その映画にも出ているジョー・キーリ―が出ているから見てみたようなもの。そういう連鎖ってありますよね。

 

8月は、洋画が5作品、邦画が2作品、韓国映画が1作品で8作品鑑賞しました。

そういうわけで、8月の終わりで97作品です。

 

【近未来二番館のお知らせ】7月に見た映画

【近未来二番館のお知らせ】6月に見た映画

↑ 1月から5月までの映画まとめ記事は、上の6月の記事にリンクしています。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

《8月の4枚》

2021-09-02 22:54:00 | お散歩&写真日記

写真好きさんが集まっている「#写ん歩クラブ」と言うタグを、時々使わせていただいてます。

そのタグの月一イベントに参加します。その説明は⇒こちらです

 

※    ※    ※

8月は何をしていたのかなぁ。

たしかほとんど、毎日お仕事していました。

短時間であっても午前中や昼間にそれが入るとは、結局どこにも行けないわけでして、

それに加えてコロナ禍でもあるわけで、ほとんど家でじっとイイコにしていたと思います。

 

そんな毎日でも、夕方になれば空を見上げて空を愛し雲を愛し

雨を愛し

猫を愛していたりして

 

8月は過ぎて行ったのだと思います。

 

 

人は遠くに見える雲のシルエットに

雲の王国があるのだと信じた

そしてそこには楽園があるのだと

夢を見たのだ

 

いつも楽園は遠くにあるのだ

平安の時は この先の未来にあるのだ

 

本当にそうかい ?

 

きっと雨はもうすぐ止むよ

眠っている猫は 呼べばすぐに起きて

可愛らしく鳴くよ

 

とりあえず その猫を抱きしめて

3分先の猫のご飯の支度をしようかな

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする