京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

「千日回峰行のこころ」

2017年05月31日 | 講座・講演

5月27日  中外日報創刊120年記念で開講されている「宗教文化講座」に参加した。
本年度2回目。「千日回峰行のこころ」と題した千日回峰行者・光永覚道氏によるお話を、時に声を立てて笑いながら耳を傾けた。
悟りに近づくために行う修行の厳しさをお話であるにもかかわらず、ユーモアを感じる言葉の選び方。この楽しさを、氏は「法話は漫才の始まりというようですが、笑ってもらってなんぼと思って…」と気さくにおっしゃる。

つい2日ほど前の友人との会話の中で、友人からは「お説教や講和が発展して落語になったと思っている」などと聞いたばかりだった。そして、このやり取りの中で、長らく忘れていた策伝さんのこと、京都の新京極にある誓願寺の僧・安楽庵策伝の『可笑記』のことを思い出させてもらうことになった。講演会でも氏の言葉に触れることができ、この話題の重なりは、ちょっぴりうれしい出来事だった。
第5回河合隼雄学芸賞に選ばれた釈徹宗氏の『落語に花咲く仏教ー宗教と芸能は共振する』。仏教の教えが笑いに通じ、庶民の共感を呼び起こす特徴に迫った作品、拝読してみたいと思っている。

講演後いったん帰宅し、娘家族の所へと向かう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恋の隠し方

2017年04月19日 | 講座・講演

一歩外に出れば、そこかしこが花見の場所だった。ようやく喧噪も落ち着いて、静かに自分を取り戻す時間になってきた。
      さくらさくらさくら咲き初め咲き終わりなにもなかったような公園        俵 万智

この1年、光田和伸先生の『徒然草』その真実」を受講することにした。昨日がその1回目だった。
書くことが許されない。しかし、どうしても書いておきたいことがあった。当時、男性が交際していた(結婚しなかった、できなかった)女性のことを書くのはルール違反だったから、途中で断筆。10年以上の空白を置いて、女性の菩提を弔ってから一気に書き出したのではないか。作品の執筆時期、構成を解説された。

仏に仕える身で「つれづれ」とは。隠者の生活に入ってみるが仏の道には入りきれず、することもなく、申し訳ないが退屈だ、と記す。隠者としては失格、恥ずかしい告白である。人と話をすることが恋しい…。隠者文学に「つれづれ」という言葉は用いない。終段を書き終えてからの序段は、驚くべき書き出しになっている、と。

「自分でも理解できないくらい、あほみたいな本です(ものぐるほしい本です)。仏に向かうものでなく、文学書でもなく、筋道だってもいませんし、何の役に立つのでしょうね」。謙遜であって謙遜ではない。本心ではなく、含みのある言葉、「あやしふこそものぐるほしけれ」。言葉がどういう含みを持っているか、きちんと理解することを求められる。
「恋物語が完成している」という見地から読み方を説いてくださることになるのだろう。著書『徒然草 恋の隠し方』のタイトルに見られるように、テーマは「恋の隠し方」だろうか。書きたい話をどのよう混ぜ込んで、話の中に置いてあるか。
聞き漏らすまいとメモを取り続け、何やら今日は朝から肩が凝って困った。力はいり過ぎたのかしら…。

「若葉の梢涼しげに茂りゆくほどこそ、世のあはれも、人の恋しさもまされ」(『徒然草』第19段)

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「日本人の慢心」高村薫さん

2017年04月15日 | 講座・講演

中外日報社の宗教文化講座、今年度の第一回目がありました。講演は作家の高村薫さんです。

「変化していく社会を軸にして日本人の佇まいを考えたい」。
何をもって「変化」とみなすかは、感覚的なとらえ方だが、6年前の東日本大震災という未曽有の体験を機に、私たちは暮らしのスタイルを変えなくてははならない、原発はもういらない、嫌だ、と思った。しかし、現在本当に社会が変化したかと言えば、変わらなかった。政治家は国民の方を見ていないし、海辺の暮らしを捨てることはなかった。私たちは死生観を変えることはなかった。
つまり、人間は変わることが難しいのかもしれない。変えるべきなのに、それができないことは多い。

現代はインターネッとスマホのおかげで、情報集めも容易になり、その気になれば何でも集められる、なんでもわかる、と「大いなる錯覚」をしている。情報は真偽のほども危ういネット頼りで、新聞を読まなくなった。次々とスマホでスクロールして、目に映るのはせいぜい見出しぐらい。少数文字のつぶやきで、意見を言わない。自分に関係のないもの、都合の悪いものは、忘れていく。変化のなさは日本人の「忘却」による。
わかっていても、危機感を抱きながらも変えることができない。変えることをしないで黙認する。これも人間。つまり、人間の価値観は変えにくいものなのだ。

かつては、自分の「無知の自覚」があったのに、今は消えてしまった。「大いなる錯覚」で、無知であることを忘れてしまった。無知を自覚する、自分の分をわきまえることが社会の安定をもたらし、社会秩序ができていた。その重しが今は外れた。そこで、無知のくせに馬鹿にされるのはイヤだ、自分を大きく見せたいと、自分の内に押し込められてあったものを表出していく。

「保育園落ちた。日本死ね」の声に見られるように、個々人の不満は多く、大きなものがある。しかし、政権を倒すだけのエネルギーが集まらない。この声はごく微力だった。韓国でのことなら大きなデモがあるだろうし、暴動にもなりかねない。
現状の問題を、私たちは知らなすぎる。そして、他者への無関心、無理解。無意見の他人任せ、神頼み。スマホで、バーチャルの世界に没入している者が、思い出したように神頼みをしている。
私たちの「究極の無関心」が現政権を支えている。社会の右傾化も、こうした生活者の変化によるものなのだ。社会が変わらない、変えられない理由は、私たち日本人の「慢心」にある。

高村さん、なんて穏やかに話されるのでしょう。声高な部分はどこにもありません。用意された原稿にそいながらですが、次にどんな言葉が続くのかと気をそばだてての一時間半でした。お話の中で印象に残った部分を、ここに残しておきたいと思います。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11月1日「古典の日」

2016年11月01日 | 講座・講演

【世界に誇る古典文学である「源氏物語」の存在が記録上確認できるもっとも古い日付が寛弘5年(1008年)11月1日であることから、一千年目にあたる、平成20年(2008年)11月1日に「源氏物語千年紀記念式典」が開催されました。その式典において、古典に親しみ、古典を日本の誇りとして後世に伝えていくため、11月1日を「古典の日」とする宣言がなされました。】(広報より)

 「古典の日に関する法律」が公布・施行されて今年で5年。今年は原点に戻って『源氏物語』をテーマとした内容で古典の日フォーラムが開催された。
瀬戸内寂聴さんの「源氏物語と嵯峨」と題した記念講演から始まったが、時間を大きくオーバーしてようやく終わるというお元気ぶり。「今日のために、昨日、自分が書いた『源氏物語』を読み始めたら、自分が書いた『源氏物語』がですね、おもしろくておもしろくて、おおかた徹夜して読んでいました。皆さんもぜひ読んでみてください」…と。脇に女性が付き添って、93歳の足取りはとてもスムーズで、足早だった。

三笠宮様が亡くなられ、予定されていたプログラムは一部変更が生じた。彬子女王殿下と中村勘九郎さんによる記念対談「私と古典~江戸の華・歌舞伎と浮世絵」は中止。代わって、井上あさひさん(NHK京都放送局アナウンサー)との対談となった。映画や舞台の裏話など多く、父親としての一面ものぞかせてもらったが、訊ねられたことに答える形で話しにふくらみはなく、仕方ないけれど少しがっかり。

基調講演は林望氏による「『源氏物語』その様々な味わい」。わかった気になれる、わかりやすさ…。
女々しく、はかなきことのみ多き物語。「揺れ動く心の矛盾を描く、それが文学です」と耳にしては、そうそう、な~んてまたわかったような気にさせられる。


「いい一日だったわ」。帰り道、フォーラムに誘った友のひと言もあって、私にとっても良い一日となりました。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 難しいことをわかりやすく

2015年09月05日 | 講座・講演

「平成27年度 中外日報宗教文化講座 禅の風にきく」第4回目は、玄侑宗久氏の「頓悟漸修(とんごぜんしゅう)という生き方」と題した講演だった。初回とこの最終回にだけ申し込んでいる。5月の講座終了時あたりでは、9月とはなんとも先の話だなと待ち遠しさも感じていたが、それもいつしか忘れ…。今日まで氏の著作物も随分拝読している。直接お話が聞ける日をどれだけ待ったことか。

禅は「頓悟」「漸悟」という二つの大きな潮流に分けられる。
●ありのままで、そのままでいいんだ 平常、恒常、無事―といった考え方「頓悟」は、現状の自己肯定につながるので明るく生きられるし、自信も生まれる。
●(頓悟の姿勢を認めはするが)目標を立て計画的に精進、努力することを大切にする―考え方「漸悟」では、競走を生み、目標が達成されればまた新たに目標を上方修正し、常に途中状態が続く。暗くなるし光もない。自己を肯定できなければ明るく生きられない。

 ―10日前に立てた計画。今、状況は変わってしまったのに、そのままでいいの?
道は、考えてわかるものではない。わかる、というのは妄想だ。しかし、わからないと言ってしまえば無自覚のまま。二つの考え方の葛藤が生じるが、分別がなくなると道がわかる。両方が組み合わさって一つの生き方の指針になる。

方向は自覚する必要がある。そして精進、努力が要る。ただ、それを意識し続けているのはまずい。忘れてしまってもまたまずい。しかし、忘れて過ごしていると、あるときふと発見・気づきがある。忘れて過ごしているときも必要な時間、旅なのだ。ありのままは大事だが、学ぶことをしないといけない。大きな変化はあるときふっと訪れるものだから、多いなる気づきを得て、日常を塗り替えていくことが必要になる。

「日常を塗り替えていく」。ここのところ少しばかり考えていたことと重なる言葉を得た思いがした。「わかった」ということは、わかった瞬間に「かわる」、成長していることだと、金子みすゞ記念館の館長さんが以前お話だったが、わかったつもりの「妄想」で終わらせたくはないものだ。難しいことをわかりやすくお話し下さり、よい時間を過ごしたと余韻を楽しんでいる。
氏は言われました。「人の耳は聞きたいと思う言葉を聞けるように和音を発生させ、からめとって聴いている」のだそうです。
 






コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 大塔の風鐸

2015年08月05日 | 講座・講演

ぼんやりと夕焼けの空の色に見惚れながら、暑かった一日が終わっていくのを感じている。今日もまた37度を記録した。

夏季大学二日目、午後からの開講までは壇上伽藍や霊宝館を見学して回っていた。根本大塔内部の立体曼陀羅を拝観しながら、こっそり背中を流れる汗をぬぐう。すずしい風が通り抜けるのが感じられるようになった頃、また外へ。中門、金堂、荒行経蔵と回りながら、果たして根本大塔の風鐸は鳴るか!? と耳だけは傾けていたのだったが…。昼下がりの炎暑の中で、そよりともせず!

夕食後7時を回って再度、ライトアップされた大塔を訪れてみた。
けばけばしい朱塗りの鮮やかさが自分の好みではなく感じていたが、飽きることなく仰ぎ見るようになった。
九輪の宝珠が天上にそびえ、風鐸が吊り下げられている。その風鐸が「あるかないかの風に吹かれて、清らかな音をふりこぼす」(寂聴さん)のを聞いてみたい。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 暑い高野山でした

2015年08月03日 | 講座・講演

第91回高野山夏季大学開講式を終えた直後の「笑いはこころのビタミン」と題した桂文枝さんの講演は、和やかな笑いにつつまれ緊張がほぐれる時間になりました。面白い、これはわかっている?ことでしたが、やはり面白おかしく上手な話ぶりです。笑いを誘うに計ったような間のとりかた、展開、構成、それがまた面白く思えます。「笑いは気の薬」、大いに笑って泣いて感情を発散させストレスをためない。これが身体によいのであって、パワーが人間の生命を燃やしてくるのです、とお話でした。

二日目には、元NHKアアナウンサーで知られる山根基世さんが、「ことばを学び、自分のことばで考えることが話せる、考えを伝えられる子供を育てたい」と朗読の活動に力を入れてることをお話でした。
ことばで思いを表現できない、ことばの力が欠落した子供が増えている。日々の暮らしの中で、すぐ隣にあることばを学ぶことが必要なのに、今は家や学校、それ以上に地域も崩壊していて、異年齢の多様な大人のことばを「聴いて」、真似て、学んでいく場がない。ことばを知ることは、人間を知ること。そういう場となる朗読の活動の輪を広げていきたいと。
知識はしゃべり、知恵は聴く。聴くことは謙虚さの表れであり、大切な言葉の力に数えるべきだと考えておられるのです。

そして、戦争で孤児となり、日雇労働者として働き続けて作った2800万円で「銀の雫文芸賞」を創設した雫石とみさんの生涯を紹介されました。日雇いの劣悪な環境下で渦巻く思いをことばに出せないでいたが、それでは生きていけないと日記をつけ出したとみさん。著書『荒野に叫ぶ声』。書くことで、ものを考えるようになり、振り返り、行く末への祈りも生まれてきた、と。山根さん自身が、86歳のとみさんに取材しテレビ放映を企画。大きな反響があったことを添えられました。

品格を疑いたくなるような講演もあれば、「華やかな共演者」の顔をつぎつぎにビデオで登場させ、『紀の川』のワンシーンの朗読とその場面の映像で講演とされた女優さん。エピソードを話してくれるでもなく、自分のひいきが作ってくれたというビデオのナレーションをなぞるだけのような原稿をみながらの話を少し…。昨年の佐久間良子さんに続き、もう女優の登場など結構だと思うのでありました~。

 

最終日を迎えた朝、5時半過ぎからゆっくり大門に一人向かいました。東西に広がる高野山の総門で、この西の入り口へは宿坊から15分ほど。
驚いたことに、ちょうど門が額縁となって東の空に太陽が顔を見せました。時折雲間に隠れるのですが東の空は明るさを増していき、高野の町並みは静かなたたずまいですが、坊内では多くの僧侶が動き出しているに違いありません。私にとって一年の始まりかな…と思えるような瞬間でした。

帰りの車中で隣り合わせた高齢の女性と話が弾み、「沢山のエネルギーをもらっているの。もったいないから浪費したらダメよ」のことばをいただきました。「お別れを言いに来たんだけど、また来れそうな気がすする」と。来年もお会いできますようにと別れましたが、いろいろなつながりに縁さえ感じる出会いでした。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 「禅の風にきく」

2015年05月28日 | 講座・講演

出光石油のロゴか「□△○」が描かれた看板が、ある日気付くとガソリンスタンドから消えていた、と話しを始められた山折哲夫氏。
臨済宗中興の祖白隠より80年後、江戸時代後期の仙崖。仙崖和尚による笑いに込めた仏の教え。仏くさいのは我慢できないと、芭蕉批判のこだわりを根底に据えたエピソードや語録を楽しく拝聴した。


新築の祝いの席で、ことばを求められて出たのは「家をぐるりと取り囲む貧乏神」――家を出ること出来ない七福神。
な~ぁるほど~! ざわめきと笑いで会場には何度も動きが生じた。なにも知らずにいるものだから、面白い。
臨済禅の土着化に貢献した仙崖の「もどき」の手法ーパロディ、逆説、批判は禅の魅力ではないかと山折さん。良寛、本居宣長、折口信夫にまで及ぶ基調講演だった。わかったような気になるその時だけでも、楽しめればいいか~。時間が経つと何をどう聞いたのやら、さっぱり…。

五月の連休も明けて9日土曜日、友人に声をかけていただいて参加した「中外日報宗教講座 禅の風にきく」。今年は名古屋、東京会場での回もあって、京都での開催は9月にもう1回。その玄侑宗久氏の講演(「頓悟漸修という生き方」)にも申し込んである。とっても楽しみにしているのだが、さーて、「頓悟漸修(とんごぜんしゅう)」とは…。

このところの暑さを吹き払う風は・・・。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 わずか1%、だけれど

2015年03月23日 | 講座・講演

(「お受戒」のあった大師教会の堂内。開始までは写真撮影が許可されました)

ほんの少し日常を離れ、高野山開創1200年を記念した春季特別講座に参加してきました。
講師は倍賞千恵子、鎌田實、五木寛之の三氏。静かに語りかける鎌田さん。これまで著書を読んだこともお話を聞いたこともありませんでしたが、自分が両親に捨てられたことから話は始まりました。拾ってくれた人は、心臓の悪い母親と、治療費を稼ぐために夜中まで働く父親でした。母を見ていて、医師を目指そうとするのですが「高校を出たら働け。勉強などしなくていい」と父親には受け入れてもらえません。「勉強がしたい」、思わず父親の首に手をまわしていたそうです。父の涙を見てようやく手を離した、と。「人の心には獣が棲んでいるんですね」「人は心を持っているんですね」。父親からは「好きに、自由に生きろ」と言うことばが出ました。
医師で作家の鎌田さん。長野県では地域住民とともに「健康づくり運動」を実践し、長寿日本一の県に。畑仕事やボランティア、生きがいを持つことが健康で暮らす秘訣のようです。「99%は自分のために生きても、1%はだれかのために生きませんか」とお話でした。

五木さんは「慈悲」ということばの「悲」に触れて「笑うことと同様、悲しむ・イタム気持ちを育てることが必要だ」と。「悲」の感情、「涙する」という感情が大切で、鬱から抜け出せるヒントになることをお話でした。人々の鬱、不安を取り除くのに宗教や寺の果たす役割は大きいと思うとも。


(リハーサル中です。)

21日夜、声明公演がありました。高野山に伝わるのは「南山進流声明」と呼ばれるそうです。通路の後方から二手に分けて登場。節をつけて歌い上げる仏教声楽。内容などわかるはずありませんが、素晴らしい声量、微妙な節の美しさ、ただ聞きほれた幸せな時間でした。

お彼岸の夕日が大門に当たる光景を見たいと願っていたのですが、午後の講演が16時30分に終わって17時からの夕食に間に合うように会場から離れた宿坊に帰らねばなりません。昼から日差しが出て、西日が壇上伽藍に差し込んでいるのを見ながらの帰路でした。大門へは宿坊を通り越してもう少し歩かなくてはならず諦めましたが、少々心残り…。
二日目は気温も上がって、コートなしで歩ける温かさに。日程は詰まっていましたが、宿坊での出会いにも驚きがあり、心安らぐ楽しい2日間を過ごしました。


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 「言葉と出会う、文学と出会う」

2014年10月25日 | 講座・講演

芥川賞作家玄月氏と俳句グループ「船団」代表の坪内稔典氏とが対談。小説の言葉と俳句の言葉について考えるフォーラムがありました。

前半の講演で玄月氏は、「ストーリーを越えるものとして文体があり、オリジナルティに富む言葉の組み合わせの強度が小説を支える」と、語り口へのこだわりを披露されました。
坪内氏も玄月氏の著書『蔭の棲みか』より表現を取り出し、「言葉の組み合わせの破格の妙が言葉の強度になる」とお話でした。
俳句では、五七五のうち、七五を詠んだ後に頭の五文字にどんな言葉を置くか、句会で読者の意見を聞きながら決める作業も楽しいとお話。玄月氏は、そうした句作りに驚かれましたが、ひとり作業とは異なる俳句の世界のお話は興味深いことでした。

会場には頭にバンダナの同じ芥川賞作家、吉村萬壱氏がおいででした。とは言ってもまったく存知あげず、玄月氏のことも今回初めて知ったくらいですから、作品を読んだこともありません。吉村氏は玄月氏の「文章がいい」と…。
玄月氏は、「一日3、4枚書いては読み直し、推敲する。その先のエピソードなど念頭にはあってもストーリーをせっかちに展開してしまわないように自制して書き継ぐ」スタイルなのだそうです。「大阪人のせっかちな性格をしているのに、小説の書き方は違う、、どうしてだろうと言われます。
文章の書き方、句作りのいろいろなスタイル。言葉、文体、語り口の強度といったことは印象に残りましたが、対談の中で玄月氏が言われたことでは、よくわからない部分も多々あって…。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おひとり様… 

2014年10月13日 | 講座・講演

『お一人様の老後』『ひとりの午後に』などを読んだことがあるが、上野千鶴子さんのお話をじかにうかがうことはなかった。で、興味を感じて、京都YWCAで企画された講演会に参加。土曜日のこと、「自分らしい“老い”を生きるために」と題したお話だった。

「女性が老後をどのように暮らすか。選択肢が増えて、自分の生き方を取ることができるようになった」と。
充実した介護や看護、得られる安心との引き替え、様々なタイプの施設やハウス、在宅のまま…。DVDで、それぞれの選択をして老後を生きる女性たちが紹介された。
上野さんは、どうして老人ばかりで暮さなくてはならないのか、それは嫌だ!っておっしゃる。いろいろな世代が関わり合って暮らせる社会をお望みのようだ。「トータル ライフ(エンディング改め) マネージメント」を提唱。

お話を聞きながら、胸の奥底に何かひっかかるものがある。いつだったか、NHK番組で「老人漂流社会」を見たときの記憶だった。暮らし方など選択の余地もなく、その日一日をどうにかして命をつないでいるかのような厳しい現実。決して人事ではないと思えたからか、上野さんの活動やお話を立派なことだと思うものの、今ひとつ我が身のこととして考えることができなかった。両方の現実になんと大きなギャップがあることか…。友人を誘っての参加だったが、どう思われただろう。終了後は、じゃあ25日にと約束して別れた。
ちょっと寝不足気味で参加したこともあって、意識が飛びそうになるのをこらえ、頭の芯が疲れた。

その、寝不足になった原因の課題は何とか仕上げて終了。ホッとひと息…、人心地ついた。けれど、本当に人としての心を取り戻したといえるのかな?? ついのめり込んで、集中といえば聞こえはいいが、オミットしたことも多くあったような。ちょっとハンセイ…。 
とはいっても、やはりひとまず気分を解放~~!
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 雨に紫陽花も美しい高野山

2014年08月05日 | 講座・講演

8月1・2・3日と高野山夏季大学に参加してきました。雨の高野山でした。

高野山教学部長を勤められる小藪実英さん(福知山の観音寺のご住職)は、ぜひにと高野山へ招かれたことで高校教諭退職後の人生設計が狂ってしまったと、ユーモアを交えながら本音に近い?胸の内も覗かせてくださるお話がありました。(「弘法大師に学ぶ前向きな心」)
4歳で父親と死別、後に寺が全焼するなど苦しいことが多かったけれど「嫌だと思えばストレスに。負けないぞ、負けないぞと思えば根性になる」。不幸があるから生きていく力がつくのであって、「人の値打ちは心の状態で決まる」「心の偏差値を高めよう」とお話でした

最も楽しみにしたのは、最終日の姜尚中氏の「心の力」と題したお話です。
9時からの開始に合わせ8時半開場と案内でした。眠くなる脳みそにつける薬はなく、負けっぱなしの二日間でしたが、この日ばかりは気力充実!? 「6時の鐘」で8時の鐘が撞かれ始めたのを聞きながら会場に向かいましたところ、すでに長蛇の列。ゲストお二人への期待度の証しか、予定より少し早い目の開場でした。

テレビで拝見しているだけだった姜さんが目の前に。あの声です! ソフトな語り口はそのままですが、マイクにのって声もよく通り、メリハリがあってテンポも良く、心の中に収まっていきます。
「相続とは、亡くなった人の人生、つまり物語、命・魂をいただくことなのです」ということばは印象に残りました。

漱石の『こころ』も然り。先生の遺書を私が受けて、第三者に渡していく物語であること。母親の愛情を知らずに、自分は余計者意識のまま「不安」の虜で生きた漱石。「人間一生に一度 真面目になれ」(『虞美人草』)のことばをひいて、「悲劇は人を真剣にさせる」、どうしたら良いのかと、考え抜くことが心の力をつける。最後に、「自分は次の世代に何を伝えたいか」ということになるわけだが、と投げかけられて…。遺書を残すことは一つの形だと言えそうです。

由紀さおりさんは、あの美しい歌声を時々ご披露くださりながら「日本語の美しさ」を説かれました。「日本語は旋律」と。童謡に見られる日本語のやさしさ、美しい響き。濁音と鼻濁音を区別をすることなど、改めて意識させられた点でした。


2日午後から、今回大きな願いでもあった女人堂へ足を運ぶことができました。宿坊からは歩いて20分ほど。すれ違う人もいない道を傘をさしながら一人ぶらりと訪ねましたら、同じような思いの先客が一人。
高野山は女人禁制の時代がありました。高野山の入り口ですが、この先へは入ることのできない女性のための参詣所として設けられた女人堂。建立以来300年、唯一現存する不動坂口(京街道口)のお堂です。女性たちの信仰の篤さ、そんな思いをちょっと想像しながら、ゆっくり時間を過ごして戻りました。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 「古典の日」

2013年11月02日 | 講座・講演

11月1日「古典の日制定記念 古典の日フォーラム2013」が京都コンサートホールで開催されました。
古典の日推進よびかけ人の瀬戸内寂聴さん。小学生の頃に因幡の白ウサギを演じた思い出を通し、「日本人はみんな小さいうちから知らず知らず古典にとりまかれて成長しているものなのですね」と。古典を誇りにして後世に伝えようと、ご挨拶がありました。

クラッシック演奏のあとは、女優の浅野温子さんの古事記を題材にした読みがたり、「大国主神 義父が与えた最後の試練」です。舞台を大きく動き回りながら感情豊かに1人3役を演じ分けて、迫力もある素晴らしい世界に誘われました。現代的な解釈、わかりやすい言葉での脚本だったから尚更です。素足にジーンズ、白のブラウス姿で登場でした。

そして、作家の浅田次郎氏が「私の中の古典文学」と題して講演されました。今、多くの小説が書店に並ぶ。商業ベースによる淘汰もあるが、それを読む人の力による淘汰もあるのだと。消えずに100年、500年と読み継がれる作品のすごさ…。
「芸術は娯楽で、人生を豊かにする最高のもの」だから楽しむことが大切。小説を書くときには自分の憲法を作っているそうで、改憲のないその3本の柱に「美しく書く・わかりやすく書く・面白く書く」を挙げてお話でした

文章を書き足すのではなく、不要な物をすべて除き真髄を見つめていく「平家物語」の文章。中島敦『山月記』の書き出しに見る無駄のない、美しい文章。史記の読み下しぶんの美しさ。陶淵明の美しい詩。陸游。芥川龍之介作品の無駄なく的確で、気品のある美しい文章。
古い作品をに学び、言っても言っても言い足りぬで膨らんだ文章ではなく、3行書くところをなんとか1行にできないものかと文章を練ると。手書きの作家です。

歴史に淘汰されてきた古典を咀嚼しながら伝えていく。それには「読む時間」を作ることで、それが古典を伝えることになるとも…。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 「山上の聖地」高野山で

2013年08月06日 | 講座・講演

8月2.3.4日と2泊3日で高野山夏季大学に参加してきました。
新大阪を午前10時、集合した直行バス利用の受講者は3台のバスに分乗し、講座会場となる「高野山大学松下講堂黎明館」に向かって出発。到着後受付を済ませ、まずは一人で宿泊先に向かうことにしました。ご住職が迎えて下さり、部屋に落ち着くと「ようこそ」とばかりにウグイスの盛大な歓迎です。彼らはモーニングコールまで担ってくれることになりました。


庭に面した長い廊下に続く各部屋の障子は明け放たれており、横になって身体を休めている人もあれば、遅い昼食をとる人など、思い思いに過ごしているのがわかります。おしゃべりの声も聞こえてきます。5人部屋にすでに二人分の荷物は置かれてありましたが、同室者と顔を合わすのは講座を終えて夕食に戻った時でした。
幸い、千葉県から参加された隣室の方と誘い合わせることができ、昼食後は開講式までの時間に宿坊に近い霊宝館をゆっくりと拝観し、写経会場で過ごしました。霊宝館には各地を巡回展示されることの多い童子像すべてがおそろい、といった機会でした。

朝は宿坊の本堂での勤行に参加。寺のこと、満足してもらえぬ面も多々あるでしょうけれどといった意味合いのあと、「せめて心は丸く穏やかに過ごしてください」とご住職は結ばれました。遅れてきた同室者に聞かせてあげたい言葉でした…。7割がリピーターとのこと、慣れは「比較」を生じさせるせいか、部屋では聞きにくい話題に事欠きません。
講座の合間、朝や昼休みを利用して、自由に山内を見学し、写経を済ませ、お受戒にも参加しました。

 
 
(上)根本大塔・西塔 (下)御影(みえ)堂・金剛峯寺の庭園

●「私の野球人生」張本勲氏  ●「虚の空間(余白)はどうして夢想できるのか」上村淳之氏

●「“二期目”に入った安倍政権の課題と展望」後藤賢次氏  ●「辺境の食卓」椎名誠氏
●「葉桜のころ」朗読、「のど元過ぎれば有馬稲子」有馬稲子氏  ●「写真から学ぶこと」織作峰子氏

●「人口成熟-日本経済の問題と対処策」藻屋浩介氏  ●「高野山とそのマンダラ世界」 藤田光寛氏

世界で「辺境」と呼ばれる地では、人々は自然が与えてくれる恩恵の中で生きている。それに文明国で勝手な価値判断を下すからおかしくなる、と椎名さんのお話は始まりました。寺で死者の魂を解放したのちの鳥葬は「ふるまい」であるとするチベットでの例を始めとし、モンゴルの風葬、インドの水葬などの話が多かったようです。「食事情が変わり、ケミカルフードを食べだしているからか最近はハゲタカも食べない」には、驚かされました。死者を送った後は、この世に生きた痕跡をすべて消してしまうという地域がある一方で、永代供養をし墓が増え続けていると口にされたことは耳に残りました。

有馬稲子さんの華やかな存在感は登場された瞬間から、会場内の空気を変えました。スパンコールが煌めくドレスに身を包み、時に鼻を詰まらせ、そっと涙を拭いて終わった朗読。金遣いの荒かった中村錦之助さんとの結婚生活。過ちを繰り返し繰り返し生きてきていると、張りのある声でメリハリの効いたおしゃべり。きれいな立ち姿も素晴らしいと感じました。

初めての参加とあって、空き時間をもう少し工夫できたら良かったと思いましたが、バス車内で隣り合った群馬県の女性との時間は楽しく、往復とも居眠りを忘れるほどでした。来年は90回目、再来年は高野山開創1200年という記念の年です。講師陣の顔ぶれを期待できるでしょうか…。よい体験をさせていただきました。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 春の歳時記

2013年03月02日 | 講座・講演
【京観深々(きょうかんしんしん)シリーズ】の一環で、一日、「京の春の歳時記セレクション」と題したお話がありました。三月、四月、五月の京の歳時記を取り上げ、細かな解説、見どころなどを案内していただけました。そして、各月の中でお薦めとして挙げられたもののご紹介です。

 
■3月15日:「嵯峨のお松明」(清涼寺) ― 清涼寺の涅槃会のクライマックスです。巨大な3本の松明は、「早稲」「中稲」「晩稲」を意味して、吉凶を占うものでもあるようです。お釈迦様の遺徳を忍ぶ涅槃会ですから、巨大な炎は荼毘に付される様子を表すというお話でした。嵯峨大念仏狂言の奉納もあります。

 
■4月(第2日曜日)14日:「やすらい花(祭)」(今宮神社・玄武神社・川上神社) ― 「紫野御霊会」と呼ばれた平安時代から続く厄除けの行列です。京都の三大奇祭の一つで、重要無形民俗文化財です。
赤熊(しゃぐま)や羯鼓(かっこ)が髪を振り乱して練り、躍って病菌を滅するのだそうです。赤熊の髪の色が赤いのは炎の精霊を現わし、それがやがて消えて炭になる様を黒い髪が現わしているとのこと。行列の「花傘」の中に入ると無病息災のご利益有り~、だそうです。

■5月18日:「御霊祭」(上御霊神社) ― 400年以上前の御所車(牛車)が行列に加わり、神輿の御所参内が復活しているのが見どころのようです。

3月14日から16日にかけては「涅槃会」が営まれます。東福寺の涅槃図は14mという大きなサイズで有名ですが、普通は描かれることの少ない猫が登場します。明兆さんが描いている傍で、猫が筆を彼の手元に運んだり下げたりとお手伝いした?とか。明兆が「おまえも描いてやろか?」と言ったのかどうか…。日本一大きなサイズが16mもある泉涌寺のものです。
涅槃図はそれぞれに少しづつ描き方に違いがあります。赤いペアの仁王さん、腕が6本の阿修羅がいたり、釈迦の母親が天界からやってくる構図、「沙羅」の木が東西南北に、「双樹」ですから4×2で8本、葉の色の変化…。チャンスがあれば大きな涅槃図を拝観したいなというのが私の思いです。

私も一度北枕で寝てみようか?と思いました。体内の様々な巡りが良くなると聞いてはいますが…。
                                             (写真はネットより拝借)

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする