京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

盆の夜空を飾る

2024年08月16日 | 日々の暮らしの中で

火を灯すには少しきつめだという北風が吹いているようだったが、今年もきれいに五山の送り火が焚かれた。

最近はもっぱらテレビでその様子を拝見している。動画にとってAUSの娘家族の元にも届けた。
昨日は「妙法」のうちの「妙」の火床を車からチラっと見て、暑いさなかに準備を進める地域の方々の努力を思った。

「大」文字は真西に向いてはいなくて、やや北西寄りに傾いて灯される。なので大文字が最も美しく、真正面に見えるのは足利義尚の墓所がある相国寺だという。
銀閣寺をたてた8代将軍足利義政が、25歳で亡くなった子の義尚の菩提を弔うために、相国寺の僧侶に頼んで作らせたのが送り火の始まりだった -という説があるそうな。
とすれば、「大」の送り火は義尚に見てもらうことを目的に灯されたと考えられる、と八木透氏が書かれていたことがあった。

浄土真宗では、お盆に先祖を迎え供養し送り出すといった習俗はないのだけれど、先祖を偲び、お仏壇に手を合わせ…、この先には、京都の盆の夜空を飾る風物詩。煙たなびく送り火を目にすれば、やっぱりしみじみする瞬間がある(小さな声で言っておこうかな)。


先祖のご恩に報いるためには、仏法を何より大切になさいませ…。

                    (小林良正さんの「ほほえみ地蔵」より)
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生きてゆくのにも情熱がいる

2024年08月14日 | 日々の暮らしの中で
娘の夫と娘がそれぞれに誕生日を迎えるので、お祝いのカードを送っていたが、昨日「今朝受け取りました」と言ってきた。5日のずれがあるので、わざわざ中一日あけて7月29日と31日に出したのに何の意味もなさず、一緒に届いた。ということは、はてさて、どういうこと。


帰省されたとか、お盆だからとか、墓参りに来たのでと立ち寄ってくださる方がいる。墓地とは離れているので、わざわざという方ばかりだし、それを思えば留守にもできない。
盆正月だけの出会いとなると、かつては義母でないとせっかくの客人に気の利いた話もできず、愛想無しのままお帰り頂くことになりかねなかった。
「今の人誰?」と問えば、「〇〇さんとこからでた▢▢さんで…」と義母の説明は長く続く。

けれどこちらも先方さんもぼちぼち代変わりが進み、とともに距離は縮まり、身近なところでの会話も成立するようになった。こうして人は生き継いでいくのだろう。
それでもやっぱり家々の歴史への関心は薄く、相変わらずの愛想無しが顔に出てやしないかな? いや、それは言葉に現れているのかもしれないねえ。

「来る人の絶え間を己がものにして」
ときどきテレビをつけて、大阪の桐蔭高校はどうしたかと高校野球の経過を確かめ、“総裁選に出馬しない”という速報を目にしたけれど消した。そして、

 新しく乙川作品を読み始めることにした。
帯裏には「生きてゆくのにも情熱がいる。萌えるように輝いていたときは過ぎてしまったが、終わりはまだ遠いとも思う」とある。
ー 情熱はかけがえのない命のように愛おしい


来る人の絶え間を己がものにして結ぶも涼し滝の白糸
  熊野若王子神社(京都市左京区)の滝を江戸後期の歌人河本延之が詠んだことを「京近江 名所句巡り」に教えられ。

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腰が据われば心も据わり

2024年08月05日 | 日々の暮らしの中で
連日、「不要不急の外出を避け、…」と促す言葉が耳に入って来る。
私の外出などおおかたは不要不急のものかもしれないが、人生、無駄にこそ意味があると言われるではないの。
そもそもは、出歩くことに意味があるのだが、連日〈油照る逃げ場なきこと空気にも  宮津昭彦〉で、顔にまとわりつく熱気に息苦しさを覚える暑気。
この数日は家籠りを決めた。


出好きの腰は据わり、心も据えて、一事に専念。今のうちにしておきたい。書き物をするために多くの時間を割くことができた。

乙川勇三郎氏が作品の中で「推敲するだけでは足りない文章の彫琢」を指摘されていた(「この地上において私たちを満足させるもの」)。 
「わかりやすいことは薄っぺらでもある。何も考えさせない小説に良質な読後感は期待できない」とも。
ひと言ひと言に氏の存在が刻印されていて、私は学んでいる。書き過ぎない、言い過ぎないと心して、言葉を探し、文章を練り、自分の世界を大切に、励むのだった(などと自分で口にしていいものか?)。


乙川氏のエッセイ本は見当たらない。これまで著者の声が聴きたい、語るのを聴きたいと思ってきたので、出会えて嬉しや嬉しや。
すべては生きているうち 励めるうち、日のくれぬうち。

廊下の外で、アブラゼミが鳴いた。
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笑ふてくらそ

2024年08月01日 | 日々の暮らしの中で
娘はまだ夏の暑さが残る8月中旬に生まれた。
湯上りなどには体中にぱたぱた白い粉をはたいて、あせも予防をしていたのを思いだしていた。

   天瓜粉ところきらはず打たれけり 日野草城
まさに〈天花粉まみれの赤ん坊〉だったなあとクスッとした笑いがもれる。

黄烏瓜(天瓜)の根からとった澱粉の汗取り粉は、汗しらずとも言ったのだったか。
誕生祝いのカードの全ての締めに、「笑ふてくらそ ふふふふふ」と書き添えておいた。



「一緒に住んでる人間の顔色を見、いつも上機嫌で居らせてやりたい、ト。ブーとむくれた顔をさせるまい、ト。そのことに心くだいて一生送る、これは人間の一番大切な仕事と違いますか? こんなリッパな、人間の仕事、ないのんちゃいますか? それで一生過ぎたら、ええこっちゃありませんか。そうすることが、つまりは自分のたのしみ、自分の生き甲斐になるんやったら、
ええ人生やありませんか。」
  と田辺聖子さん。

今朝 八月朔日。
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特大プレゼントって…

2024年07月30日 | 日々の暮らしの中で

そよともしない青田。

       七月の大べら坊に暑さかな   一茶

(暦の違いはあるが)まったくまったく、「べらぼう」に「大」の字がつく毎日の暑さ。

24日に西本願寺で雨宿りし、帰宅途中に折りたたみ傘では凌げないほどの雨脚の強さでずぶ濡れになった。まったくもって〈着ながらせんだくしたり夏の雨  一茶〉状態だった。
この日は夜に入っても激しい雷雨が続いた。けれどそれからは雨知らずの酷暑が続く。
午前中は風の通り道を見つけてわが身を移動するも、午後にはエアコンに頼ることになる。




娘の誕生日のために買い求めるには種類がなくて(これでもいいか)という思いで選びはしたが、何か…イマイチ、だけどユニーク?
考えに考えて二日が過ぎて、明日には出したいのだけれど未だにこれといいうアイディアが浮かばない。
私(母)から娘へ、特大のプレゼントを贈りたい。モノではなくて言葉をリボン付きの箱に収めたい。
遺言めいたらまずいじゃない。相手はまだまだ子育て中の“おかあさん”。うーん、だけど花のいのちは短い???

と、エアコンの効いた部屋で考えながら、数枚の写真も選んでみたのだけれど…。
こてこてにならんよう、されどハッピーさも添えて。

お使いに出たついでに中古書店に立ち寄れば、たいていなにがしかの出会いがある。
柳美里著『JR上野駅公園口』。
今までも何度か手に取っては書棚にもどしていたが、やっぱり読んでみようと手に入れた。申し訳ないような値段で。
「出会い頭にいろいろな人と出会い、その衝撃で自分の枠が壊れて何かが流れ込んでくる瞬間、そこから物語が始まる」
どなたが書かれたか忘れたが、こんな書評に目を通したことがあって、これが誘い水に。





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分身の術

2024年07月28日 | 日々の暮らしの中で
「分身の術」って、英訳すると a ninja replication technique となるらしい。



「いったいどれがきみのほんとのすがた。」
「ほんとのすがたなんてないわよ。」
― 『バケルくん』 藤子・F・不二雄

宇宙人から、鼻のスイッチを押すと、押した人の魂が移って、動いたりしゃべったりできるたくさんの人形を託されたカワル少年。
人形ごとに話し方や能力まで変わるのを見て、カワルが宇宙人に問う。
幼年誌で連載されたSFギャグだが、バーチャル空間において複数のアバターを持つことが普通になった現代、示唆に富む言葉だ。

これは「漫画のフキダシ」(伊藤遊)という地元紙での連載コラムからで、6/6付にあった。


私たちが生きる社会は、一つではない。ある意味さまざまな貌をもって、見過ぎ世過ぎして生きている。どれが嘘でどれがホントということではない。
養老猛司氏がなにかで書いておられた。
「今の自分とは違った自分に変わることで、一つきりの人生を何回も生きられる。人生は、自分を変えることができればできるほど豊かになる」


あまり小難しく考えない。忍者好きの(と勝手に思っているだけかもしれないが)娘の夫の誕生日に向けてカードを選んでみた。
封を開けたとき喜びを分かち合えるように、読んで、見て楽しくなるようにと思った心遣いを少しでも察してもらえたら、遠く離れていてもお互いの気持ちも近づいて人生ハッピーに生きられる…のじゃない?
メッセージも書き終えて、裏には笑いがふきだすか、悲鳴が先か、とっておきの一枚も貼り付けておいた。

彼の5日後は娘の誕生日。一日二日ずらして送ろうと思っている。8.9.10.11月と毎月誰かの誕生日が続く。やれやれ、楽しいことだわ。
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音して開く蓮の花

2024年07月22日 | 日々の暮らしの中で
   朝露に
   音して開く白蓮は
   み仏の声
   御陀の声

ずうっと昔、昔に、寺の掲示板で見かけた。


寂聴さんは21歳のとき、夫の赴任地の北京で新婚生活を送っていた。宿舎に近い什刹海(シージャハイ)の湖畔に、夫と赤ん坊と三人で蓮の花をよく眺めに行ったという。
「蓮は開くとき、ポンと音を出しているんだよ」
「なにも聞こえない…」
「だろう? …でもこの辺りの老人たちは…」
「聞こえた! ほら、…ため息みたいな声」
「そんなはずないよ、蓮に声なんかないよ」

今卒寿になって、と寂聴さんの話は続く。
浄土の蓮の花は車輪のように大きく白や赤、青、黄と華やかで、それぞれの色の光を放っているとお経ではいう。
〈もしかしたら、その花の開くとき、それぞれの霊妙な音を発するのではないでしょうか〉(『花のいのち』「蓮の声」)。


冷泉貴美子さんもやっぱり〈花は夏の朝早く、ポンと開き夜閉じます〉と、連載コラム『四季の言の葉』で書かれていた。

誰しも一度聴いてみたいと思うのではないだろうか。
なかなか聞くことができなくて何度も足を運んでいるうちに、死のうと思い詰めた人間の心に生きる力が灯った。花が開くときにポンと妙音をたてるというのは「美しい噓」だった、と澤田ふじ子さんは短編を紡いだ(『花暦』収 「蓮見舟」)。


荷風は枯れて破れた葉が広がる風景が好きだったようだ。
ひからびた茎の上に破れた蓮の葉がゆらゆらと動く。葉の重さに堪えず、長い茎の真中から折れてしまったりもする。
〈揺れては融合ふ破蓮(やれはす)の間からは、殆んど聞き取れぬ程低く弱い、燃し云はれぬ情趣を含んだ響きが伝へられる〉(『曇天』)

枯蓮の風景を思い描くとき、なんやら少し、一瞬なりと体温が下がった気がした。
涼し気に、涼しく過ごすには、なんなりと工夫しなくちゃ。

蓮を見たり思ったりしているとき、仏教圏の国に育ったわたしたちが生死について何も考えていないということはない。これにはうなづけるけれど、蓮見の舟に乗り合わせて極楽浄土へとばかりでも、涼しさを通り越してしまいそう…。

盆月も近い。
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寄り合うことを楽しむ

2024年07月19日 | 日々の暮らしの中で
明日は尼講さんが寄り合って、住職の読経とお話のあと、一緒に昼のお膳を囲んでひとときを過ごします。
基本的に月に一度。ただ8月の盆月はお休みとしているので、予定通りお汁を炊くことになりました。

お花も立て替えたし、先ほど本堂に座卓のテーブルを4つ、阿弥陀さまに向かって正面に2つ、両サイドに一つずつ、コの字の形で並べてきた。
外へ出てみると、左下が幾分欠けてはいるが大きなお月さんが上がっていた。


当番の組が大勢で寄るよりも、高齢者メンバーの中でも“若め”代表の選ばれし2人と私を含めた3人で、なんとか手際よく進めてしまおうと決めたのは、とにかく暑いからです。

「仏さんに」と持ち寄ってくださった野菜もそろい、明日は生き仏の口に入ります。
お汁の具を切りさえすれば、おくどさんに火を入れて炊くだけ。
それぞれに味自慢のお漬け物を小鉢に盛り分けるくらいのことは、きっとどなたかがしてくれるので、おまかせです。
いつものように、お汁と漬け物と、…?で。白米は持参です。が、万が一のために我が家で炊いておきます。

こうしたお膳を囲むにも、当番さんの働きはもちろんのこと、野菜を提供くださる方々の日ごろの丹精などがあってのことを思います。

私の父も祖母に連れられてお講さんでお汁をよばれたことがあった、と何度か聞かされていたことがふと思い出されました。
この本堂のどこかに、子供だった父が座っていたのです。

何十年と、100年のようにもなるのか、代々のご門徒の女人たちによって営まれてきたお講さん。さほど濃い宗教色はなく、〈寄り合うことを楽しむ〉といった色合いが強い。
人と人がつながる、関わり合える場になればよいと私は思っています。


とは言っても、ともに大きな船に乗り合わせたもの同士…の信仰の原点はひそんでいるのでしょう。
互いに生かし生かされて…。
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「またね」と

2024年07月15日 | 日々の暮らしの中で
今夜21時45分の便で日本を離れ、ブリスベン空港へと直行です。
今年に入って直行便が再開されました。

昨日、名古屋のお身内のところで過ごしていたK*Rさんと合流。今日は大阪に住む親友2人が関空まで見送りに来てくれているとのこと。

 

帰りを待つ弟たちや両親へのお土産を用意して、スーツケースも手荷物もパンパン! 
無事に少しでも早く親元へと思うとき、直行便があることは本当にありがたい。

姿が無くなり家の中にぽっかりとした空間が生まれ、寂しさを感じている。
別れたあと、もう一度も二度も名残を惜しむのだろう。

どんな話をしたんだったっけ?
なにに笑い転げたのだったかな?
どういうことを喜んでいたんだったか…。
そういえば、大学の来期の選択科目を登録していた。
難しそうだね…、でも面白そうだと(よくわからないままに)応援。
そうやって一歩一歩、自身の人生の方向づけをしていくんだよね、と話したっけ。

こうしてJessieとの思い出を心に深くとどめつつ、一区切りつけよう。
日々担う自分の務めを果たし、できるだけいそいそと、まめやかに生きていくとしよう。

   一日をゆっくり見つめ
   ゆっくり書いて
   ゆっくり生きて                高木護



「またね」と送信した。
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韓国3日目の夜

2024年06月22日 | 日々の暮らしの中で

梅雨入りのなか、咲き始めた色の鮮やかさは気持ちを晴らすような活力にあふれる。


オーストラリアで暮らす孫たち、男組二人は今日から2週間の冬休みに入ったという。
長女のJessieはすでに休暇中で、お隣の韓国で3日目の夜を迎えている。
友人と二人で20日の朝発って、夜には無事韓国入りした。

2007年。この年は最初の新居を建築中で、そのため3月30日から3カ月半ほど日本に滞在した。彼女には2度目の日本だが、1歳8か月になっていた6月に一緒に韓国に行ったのだった。覚えてはいない、ってのも仕方ないか。
雨のソウルだった。


「どうしてる?」「お天気はどう?雨?」
 ひと言ことばを聞きたいけれど、楽しんでいるところにお邪魔するのは控えた。

たとえわずかな日数であれ、どのような目的での旅行であっても、初めて親元を離れた異国での体験は、一粒の宝物となっていくことだろう。
25日には東京に入るので、早く、早く(日本へ)と待ちわびる思い、無きにしも非ず。
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早いが取柄手抜き風

2024年06月16日 | 日々の暮らしの中で
昨夕、大門を閉めようと外に出たとき、「あーっ、あめ、あめだ」という声が聞こえました。
「あめがふってきたぁ」
近所の小学生です。はずんで聞こえたのは子供心にも一雨の有難さを欲していたのか、ただ単にこちら側の思いだったのか。
しばらくの間、乾いた大地に沁み込む雨の匂いが屋内まで届いていましたが、やがて本降りに。
夜は久しぶりの雨音のなかで本を読んだりしていた。


店頭に新らっきょうが並び出した頃、何年か前に向田邦子流のらっきょうの生醤油漬けを真似たことを思いだしていた。
洗って水けをきったものを漬け込むだけで、2日もすると食べごろになるというものだった。

「早いが取柄手抜き風」の酒の肴だったり料理?が多く記されているが(『夜中の薔薇』)、ただしそれらは決まったように〈いい皿に〉〈九谷の四角い皿に〉〈とっておきの双魚の青磁の皿に〉〈魯山人の俎板皿に〉と、好きで集めている瀬戸物のあれこれを使い、見栄えも盛る。
らっきょうを盛る小皿は、毎年お気に入りの〈「くらわんか」の天塩皿〉と決まっているのだった。
こういう心の持ち方こそ日常うんと真似たいところ。

例のらっきょう漬けはあの年だけのこと。
今夏は、向田流「枝豆の醬油煮」を試してみようかと思いついた。
枝からサヤを手で千切ったものを塩磨きして、うぶげを取り除き、さっと茹でて、酒、醬油、味醂にほんの少し水を足して煮る。出汁も使わず、水だけで。「このほうが自然の味でおいしい」と言われる。大鉢に、山と盛ってみよう。
最初はそこそこで。
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まるまるとまるめまるめよ

2024年06月13日 | 日々の暮らしの中で

        紫陽花の藍きはまると見る日かな     中村汀女

このところ連日30度を超える暑さが続いて、葉っぱは雨が欲しいとしおれて見える。近所から聞こえる幼稚園児の声にも、うつむき加減。
ただ、花はまさに手鞠のような花。

〈まるまるとまるめまるめよわが心 まん丸丸く丸くまんまる〉木喰上人。


2013年でした。滋賀県立美術館で開催された「柳宗悦展」で木喰仏の「地蔵菩薩像」を拝見した折、あの笑みが何とも言えず心に残ったのだった。
その流れで「まるまると」の歌を知り、
「なにごとも笑ふて暮らせふふふふふふふ」の心の持ち方に通じはしないかと知ることになった。・・のだったと思っている。
どちらも、呪文を唱えるかのように何度も口にしてみて。気持ちが動くでしょう。自ずと心もまあるくまあるく、に。

人のちょっと重たい話などを聞かされた日。
どんと胸に落ちた重苦しさを、私はどこに捨てましょう。誰かにに話すわけにもいきません。
人さんの話はよそへはもらさない。もらせない。
そんなときこそ、思いついた方を、「笑ふて暮らそふふふふふ」などと唱えてみるのです。
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空色は

2024年06月11日 | 日々の暮らしの中で
弟の忌明け法要の日、彼の家の庭に残っていたアサガオの種をもらい受け、そのまま1年3ヵ月ほど引き出しの奥で眠らせてしまった。
命を繋いで10代目となった種を蒔いた年、待てど暮らせど一粒の発芽もなく終わってしまった。

その後は2歳4カ月になる孫のLukasと公園で遊んでいて見つけたタネを、毎年取り敢えずの感じで蒔いてきたが、やわらかに青い花びらを広げるアサガオとはまるっきり違って、かっちりとしたラッパのような小さな花を開く。
ただ、わずか4センチほどとはいえ、清楚な青みがかった空色に、白い筋が入って、花芯はまっ白。物足りなさはあるが、咲けば咲いたで愛おしい。
そうは言ってもやっぱり優雅さとは程遠くって…、今年は蒔くのをやめていたのに一人ばえが育った。

  

7日の夕べ、きれいに巻かれてほんのり色を染めた初めての蕾がついた。翌朝、例年とは異なる大きさ、柔らかさで開いた。そして一日はさんで10日に新たな1輪が咲いた。
葉っぱが丸いし、花は小さいし、マルバアサガオってところなのかしら…と思っている。

空色は大いなる自然から授かった穏やかな色。五月晴れの空のような明るい青を、空色と名づけたのであろう。平安の人々は緑味の淡青色に、水色の名と清涼さを同時に与えた。水色は、古来、夏の衣装に欠かせない色である ―と。

眠りが浅く、ちょっと気力が今一つというところでグズグズする日が挟まる。
今年の田植えはどうなったのかしらと訪ねてみたら、小さな苗が育っていた。何やらとても嬉しくて爽快だった。空が青いと水面も輝きを増す。


30度を超える日になった。小さな女の子二人の学校帰りの姿があるだけの路傍に、昼顔が咲いていた。


朝刊で俳人の鷹羽狩行さんの訃報を知った。5月27日老衰のため亡くなられたとある。93歳。

    風光りすなはちものみな光る
                    好きな一句です。
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すべてこれわが師

2024年06月09日 | 日々の暮らしの中で
梅雨入りを前に、大門をくぐった左手にあるタイサンボクが枝葉を整えられてまことにスッキリサッパリと変貌しました。


この高さ。視力もこの世の明るさも回復したとはいえ、見あげた先に白い花弁をみるのがせいぜいのところ。それでなくても〈泰山木樹頭の花を日に捧ぐ〉の感で、甘い匂いとされる香りを風が運んでくれることもない。
阿弥陀さまへの供花です。

5日水曜日に眼科を受診。白内障手術の経過はおかげさまで問題なく順調で、次は3週間後にとなりました。
視力の検査を済ませたあとは廊下でぼーっと座り続け、いつになるのかもわからぬまま長時間の順番待ちでした。真向かいに座った方が文庫本を取り出した。目ぇがよくなって、それが『車輪の下』であることがわかった。
眼科の順番待ちに読書。べつにー、おかしなことではないけれど、なぜかちょっとしたおかしみを感じ、自分は手持無沙汰で困っていました。

昨日、寺子屋エッセイサロンで仲間が集ったとき話してみますと、高校生が話を引き取ってくれました。彼の言うように、私も感想文を書かされた記憶がある。周囲の重圧に負けた主人公ハンスの悲劇的な終末、といった程度の記憶だけれど、絶望の中から新たな人生を見いだせたなら、絶望にも意味がある ーそんな言葉に、とわ(『とわの庭』)の日々が重なった。

2001年9月から1年間、2004年9月から5年間、2回にわたって英国のオックスフォード大学マートン・コレッジで留学生活を送られた彬子女王の『赤と青のガウン オックスフォード留学記』を読んでいる。


コレッジでの、朝起きてからの平均的な一日の様子(「日常坐臥」)、人と人との結びつき(「合縁奇縁」)。中途半端だった英語力、苦労を重ね学問した日々(苦学力行)。どういうきっかけ、経過があって研究テーマを日本美術に鞍替えしたかなどもありのままに綴っておられる。皇族ならではのエピソードもうかがえる。

面白いですよ、とちょっとお披露目。書評で、大きな反響を呼んでいると知って手に取ってみた。
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あれから3年

2024年06月05日 | 日々の暮らしの中で
娘家族がすっかり大阪の地を離れたのがちょうど3年前、2021年の6月5日でした。
この前年の3月に長女が、ひと足早く戻っていた父親の元に帰国しました。そこに下の男組2人と母親が合流して、家族がそろいました。
人気のない関西空港で見送ったときは、もう今生の別れかと思ったほどです。

日本に住まいを移したのが2016年5月。
このときLulasはまだ母親のおなかの中でした。


4年、5年と暮らすうちに、良い人間関係も築けて名残を惜しみましたが、やっぱり家族一緒が一番。


父親がラグビーをしていたこともあり、子供たちはみなラグビー好き。長女は名入りのユニホームを作り、むろん母親も一緒に観戦です。

  

彼らが大阪にいたときワールドカップが開催されました。
ボールは前にすすめればいいのに、どうして後ろへパスを出すのか。不思議でなりませんでしたし、すぐに団子状態…。どうも面白みがわからない。それを変えてくれたのが、Tylerのルール解説でした。老いては孫に教えられです。

今日はクイーンズランドとニューサウスウェ―ルズの試合が3試合あるのだとかで、家族テレビの前に揃い、キックオフを待っていると知らせてきました。ダディはビールとチップスを抱えて姿勢を正し…。ダディさんにはクリスマス以上のビッグイベントらしいです。
喉に詰まってせき込む父親の背を、Lukasがトントン。

たのしみは家内五人五たりがラグビーゲームに声上げるとき

3年!? 3年か…。3年ね…。3年って…。
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