京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

海に国境はない…

2008年11月02日 | 日々の暮らしの中で
『銭谷五兵衛と冒険者たち』童門冬二著より。

「海に国境はない」。
この理念に共鳴した多くの人間が出会い、一時代の活躍が描かれている。

江戸時代後期の豪商、北前貿易を推進し海運業者として財を築いた銭谷五兵衛。
武士、商人、町人もが相当な力を持って北方貿易をしている現状がある。

「海とは、何だろう」と龍馬。
「この不思議なもの、心揺さぶるもの。何か自分の心の底に埋もれている無限の力、出口を求めて噴き出ようとしている得体のしれない力……。それを引き出してくれるもの。」
時代の動揺の中で心をを揺らす、熱っぽい竜馬が描かれている。

「人間はどんな時代になっても、国と国の間に、あるいは人間と人間の間に垣根を作りたがります。そればかりでなく、自分の心の中にもいつの間にか囲いをつくって、そこから出ようとしなくなる。そういう境をどんどん突き破って、海の街道を自ら先頭に立って進んで行こうとする精神はこれからますます必要になってくるんですよ」と、語っている。

童門氏の時代小説の大ファンである私は、彼の描いた龍馬像を思いながら、今日のNHK大河ドラマ「篤姫―龍馬死す―」を見た。
国のありようを思い、行く末の危機感を抱き、時代の先駆けとなって生きた人間のエネルギー。

篤姫の毅然とした姿にも心揺さぶられる。人の心をとらえる「徳」。
山岡宗八が家康に言わせている。
「大将と言うものはな、…惚れさせて心服させよ」が極意だと。
竜馬があの時代を生き抜いていたとしたら…、何を日本にもたらしただろう。
コメント (4)
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『お家さん』

2008年11月02日 | こんな本も読んでみた
『お家さん』玉岡かおる著 (上巻)

最初の結婚に失敗し、鈴木岩次治朗と再婚のために神戸に嫁ぐ。
夫が始めた鈴木商店を夫亡きあと、「勝負師感覚」と「ブレーキ役」、両輪の番頭の働きを得、日本一の商社に育て上げていく。実在の〈のれんの後ろですべてを動かした女〉の物語。

よねは言う。
「自分が働いた形跡は、どうせこうして消えていく。本店も、大里も。やはり自分の務めは、そうやってまぼろしのように手にしては消えていく商売(ビジネス)という潮流に、定かな位置を示して進む船の船長となることなのだろう。」

毎朝早く起きて神棚に手を合わせ、家内をきれいに掃き清めみんなの安全と健康を祈る。自分の役割、をわきまえているのだ。
いつの世も、何のために働くか、目標、大きな大義名分がいることもある。
あそこからいつも私達を見ていてくださる、わかっていて下さると思えるのだ。
そう思えればこそ、あの方のためならと命をかけても働くというものだろう。
自分が生きていく目的のような存在。「お家さん」はその象徴なだという。

『ある日、直吉がこう言った。
「今日よりは、こないよばしてもろてよろしおますか?」
訊き返す間もなかった、彼はそのまま膝で三歩下がって、頭を下げた。
「おかみさん、ではのうて、“お家さん”と」
……世間にそれと認められ、働く者たちのよりどころたる「家」を構えて、どこに逃げ隠れもできない商家の女主人にのみ許される呼び名である。…』、とある。

よかれと勧めてきた自分の価値観は自分にも他人にも厳しい。
母としてのよねは、息子、娘と思って育てた珠喜も手から離すことになる。
お家さんである自分が示して来た道。だが、若い者には惹かれてやまない場所があったことを知る。決して母の傍が嫌と言うだけのことではないのだが。
台湾へ行ってしまった珠喜を思う母・よねの胸の内…

今後、さらなる激動の時代の中で、働く者の精神的支柱としてどう役回りを果たしていくのだろう。母としても。逃げられない世界に身を置き、感傷に浸りながらも自らの生きる道を自覚し、常に自らを発見していく。そうした心に触れながらよねさんの生きざまを味わえることが魅力的だ。よねの器の大きさ…。
上巻を終えて。

コメント (2)
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