京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

さかい目を越える

2008年11月24日 | 日々の暮らしの中で
近しい人を見送り喪に服し一年。これからは少しづつめでたいことにも目を向けていこう、そんなさかい目としての一周忌を勤めた。
両親、そして昨年急逝した弟と、いずれも早すぎる年齢だ。うわついた心で過ごす私に課せられた試練、そう思えてならなかった。

「東京」。人・人・人。雑踏、活気…。東京駅ホームに降り立つやゾクッとし、自分が一変する瞬間を味わう。日常まとっているものをはぎ棄て、素の自分に戻るかのような嬉しさ気楽さを感じる。まるで二重人格者のようだ。
この街の空気を吸い、蘇る力をもらう。東京が好きだ…。たまにこうして東京の地を踏ませてくれるのも亡き者たちの計らいか。

ここに暮らす息子と、今回欠かせぬ話題もあった。そして弟の残した美しい3人娘のその後、新婚の甥っ子達、若い彼らとの再会・交歓は大きな幸せであり喜びの機会となった。

友人は弟を「歩く誠意」とからかったというが、丁寧な仕事をこなしてきたようだ。
「ジャーナリストには書いたものがある。物書きには書きものが残る。立派な作品を残した。」
結城氏からの追悼のことばだった。
一人ぐらい…の思いを末娘に「文香」の名で残した。ジャンルは異なるが同業界で編集に携わりながら、息子もかなり精力的に叔父の歩んだ道を追っている。
いくつもの若い命は希望を持って踏み出しているのだ。育っている。

私にもまだまだできることはたくさんある。日常出くわす困難や挫折で倒れたとて恥ではあるまい。
立て直しつつ、そんなに強がらないでも済むように生きていきたいものだ。ぼちぼちながら、極力地道に、平凡に、楽しんで。

コメント (6)
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