京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

「道の先の風景」

2017年02月13日 | 日々の暮らしの中で
一条戻橋の早咲き桜のつぼみが、いまにも咲きそうなほどの気配に思わず足が止まりました。
車で通り過ぎるだけではわからない街の筋すじです。表札に書かれた「姓」を見ては、そのお宅の由緒を勝手に想像したり、家の造作にあれこれ注文を付けてみたり、初めて知る、読めない地名に驚かされ…と、いつも何かしら発見があって、そうしたことをゆっくり楽しみながら一緒に歩ける友人がいます。


朝、なにげなく手に取った長田弘の詩集に、こんな一節がありました。(「散歩」)
 「街にかくされた、みえないあみだ籤の折り目をするするとひろげていくように、曲がり角をいくつも曲がって、どこかへゆくためでにでなく、歩くことを楽しむために街を歩く。とても簡単なことだ。とても簡単なようなのだが、そうだろうか。どこかへ何かをしにゆくことはできても、歩くことをたのしむために歩くこと。それがなかなかできない。この世でいちばん難しいのは、いちばん簡単なこと。」

今日は、目的の場所に向かって、友人の案内を得ての道すがらの楽しみでしたが、「道のさきの風景がくるりと変わる」、「どの道も、一つ一つの道が、それぞれに違う」街歩きを、この友人となら、ぼちぼちでも長く楽しんでいきたいものだと思っているのです。

   しゃれた詩を書く 月曜日
   しゃかりき推敲の 火曜日
   いきなり消します 水曜日
   むっつり無口な  金曜日
   なんにも書けない 土曜日
   どうどうめぐりの 日曜日
   出口なし
 
こちらは「Pathography」(パソグラフィー)と題された英文の詩の谷川俊太郎訳で、その抜き書きなのですが、つたないものを書き上げようとこの一週間、ようやく入口を見つけてスタートラインに立ちました。
そんな日々を過ごしていましたので、久しぶりに友人とお昼をご一緒し、大徳寺の塔頭・龍源院(りょうげんいん)を訪れて歩いた時間は、気持ち新たに、明日からの励みにつなげてくれそうです。まだまだ、しゃかりきな推敲が続きます。指先から、どうにかこうにか言葉を紡いで…。

コメント (2)
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