
夕日に燃え立つような桜紅葉。
紅葉してそれも散り行く桜かな 蕪村
桜。春には春の感傷があり、再び散るための身ごしらえに、秋は寂しさも誘われる。変わり移る一代、人生への思いが重なりもする。
桜は「散る」、梅は「

夢で自らの死期を予感した父親が、残された日々をガンジス河畔にある「解脱の家」で暮らすと言い出した。息子も家族も反対するが聞かない。滞在期限は15日と決められているが、18年になる女性がいたり、父も名前を変えて更新して過ごす。
仕事を休んでずっと父親に付き添っていた息子に「一人にしてくれ」と言って家に帰す。自らの最後を選択した。最後への覚悟をしたということなのだろう。父が過ごした部屋で、残された家族が身体を寄せ合い、静かに涙を流しながら死を悼む姿が哀しいけれど温かく心に残った。
「散る」ため、「往く」ための身ごしらえ。法話での切れ切れの記憶や自分の暮らしが重なって、映画を観てふっとこんなことを思い浮かべた。…と言えば神妙過ぎるか。実際には先送りで、考えることも避けているのが現実なのだから。
映画を観ながら、近くの女性がやたらと笑い声を立てる。会話のずれ、セリフにユーモアが滲み、皆一緒に笑ったりしたが、ここはそんなに笑うとこ違うでしょ?と思えば、ちょっとウットーシイことだったわ。