東大寺の二月堂近くから石段の参道を下りて行った先に刈田の広がる一画があった。
午後3時前。静かな、秋の日やさしかったこと。
倖せのたゆたふごとく秋の日は草地一枚昏れ残したり (高嶋健一)
赤いネット状のものが広げ置かれたままの刈田の上に、ゆったりと傾いていく温かな日差しがそそがれた時間帯。大仏殿の大屋根も目の端に入り、いい光景だった。やがて日が落ちて、人が住まない広大な境内は闇に沈む。
いつからか好きになったこの歌。しばしただよう倖せ感に気持ちを温かくする。
近所の刈田に入って、正月には子供たちが凧揚げをしていたものだ。空に上がった凧の糸を持って直立した、グレイのジャンパーを着こんだ3歳になったばかりの息子の笑顔が映った写真も、今ほど宅地化されていなかった、もう30数年も前のものに。