京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

修学院あたり

2021年11月17日 | こんなところ訪ねて
洛北にある詩仙堂から曼殊院へ、曼殊院から修学院方面へとたどる道は、25の春から好きな道の一つになっている。見上げれば比叡山が間近で、振り返れば京の街を、はるか向こうに西山の連峰をも望むことができる。農地も広がるし、紅葉も美しい静かな里。なのに、散策する人の姿が少ないのは嬉しいこと。

先日9日に亡くなられた寂聴さんは、昭和48年11月14日に出離された後、寂庵の建築予定が遅れていたことで1年余りは、この修学院の山が家の裏すぐに迫る、北高野の仮寓に住んでいたとか。この界隈の閑静な美しさは忘れられない。曼殊院から林丘寺、修学院と続く丘陵は、晴れ晴れとした清閑さに満ちている、と書かれている。

曼殊院(門跡寺院)参道へのかかりは鮮やかな紅葉が進んでいた。この右手、武田製薬の敷地が広がる。

息も弾む坂道を上って、白壁に映える紅葉を堪能して、拝観せずに駐車場の奥から比叡山登山口のある方向に出ることにした。
神戸から来て、滋賀県の坂本から比叡山に登り、雲母坂を下りてきたという人と言葉を交わしたあと、登山道ではなく、音羽川沿いのアスファルト道を上ってみた。その先の行き止まりに、「ヤマザクラ」の札をつけた木が1本。

来年の桜の季節に、忘れずにお会いしましょう。

右手に、門を閉ざした林丘寺がみえてきた。枯草がフェンスに絡みついている。
  


その地続きには、出入り口は開放され軽トラも関係者も出入りして作業しているが、入ることが禁じられた宮内庁の山、農地が広がる。この辺りは『駆け入りの寺』(澤田瞳子)の舞台地だ。
修学院離宮に向かう道筋の禅華院のもみじが美しく日に映えていた。


〈寂庵から京の街を眼下に一望するような雄大な風景を自分のものとして暮らしてから、内向沈潜するべきはずの自分の出離後の生活が、一向に内省的に向かず、むしろ前以上に生き生きと活動的に動き続けるのを感じる〉と書かれたのを読んで、面白いと思った。そういうことはあるかもしれないと。
「風景が人間をあやつることもあるのではないだろうか」と書かれていた。

小春日に、日記も簡を極めけり、…とはならなかった。
コメント (6)
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