
どこそこの花が、とご近所さんから耳に入ってくるが、そのわりにはあまり訪ね歩くことをしない。それでも今日はこの陽気に誘い出された。
目深にかぶった帽子を吹き上げるほどの風があったけれど、グランドにも春休み独特の明るさがあった。

世阿弥は『風姿花伝』のなかで、
時分の花、第一の花、当座の花、誠の花、身の花、外見の花、老骨に残りし花、時の花、
声の花、幽玄の花、わざよりいでくる花、年々去来の花、秘する花、因果の花、無上の花、
一旦の心の珍しき花など、
能楽の舞台で演じる様々な芸の花を論じている。
〈岩に花を咲かせる〉
花の文化、花以上の花を創造した。日本民族の心の花。
― といった一節が「大和路花の文化史」(西山松之助)にあった。
このところ書店の棚から『風姿花伝』を抜き出してはみるが、また元に戻す。
知らない。教えてほしいのだけどなあ。
解説書は、解説者の認識であって、ということは、やはり原文に戻らなければならない。
けどねー、無理ムリ、メンド―…って何かがささやく。

「花って、あはれ、とか、きよら、とか、はなやか、言うことやろ? 佐渡の海のあおさとか、夕日のすごいあかねいろ、とか、つづみの音とか、世阿爺の舞とか、六左の笛とか…」(『世阿弥最後の花』)
たつ丸の言葉が、また胸を温かくする。
ー 生きとし生けるもの、すべてに宿る美の心
「花と面白きと珍しき これ3つは同じ心なり」
想像する楽しみ。京はファジーな文化だから、おぼろにぼかし、言いかすめながら暗示する方が向いているのだそうな。
言葉は残る。春を告げる花を一つ咲かせたいものだ。