京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

むらさきの花咲きぬ

2024年04月14日 | 日々の暮らしの中で
  春草の中にもわきてむらさきの野辺のすみれのむつましきかな

紫野(京都市北区)の春の野辺を描く名勝図絵に江戸後期の伴蒿蹊の歌が添えられているという。


【順徳院の野辺のむかし物語に云、昔、ある人、道に行きまどひ、広野に日をくらして、草の中にて鳥の子を拾ひぬ。これを袖に入れ、草の枕を引き結び、その野に伏しぬ。夢に、拾ひつる卵は前世の子なり、この野に埋むべきよし見て、夢さめぬ。夢のごとくやがて埋む。そのあしたに見るに、葉ひとつある草に紫の花咲きぬ。いまのすみれ、これなり。】

前世になした子が鳥の卵となり、やがてすみれに化生したと説く物語。

院には『野辺のむかし物語』という作があったが、これは今は失われてしまったのだそうな。
このすみれの話を引用する『滑稽雑談(ぞうだん)』があって、それを藤井乙男が『古書校注』の中で引いている。…と『俳諧歳時記』が記している、と杉本秀太郎氏に教えられた。
孫引きの…、知のつまみ食いで心苦しいが。

豊かな学識、藤原定家とも争った歌の才があり、有職故実の書や日記や歌道の書を書き表した順徳院。
それらは承久の乱によって佐渡に流される25歳までにものにしている。
都に戻れるかもしれないという一縷の希望を持ち続けながら21年。

「濁らぬ心の一途さゆえ」
「はらわたを絞るほどの苦しみに悶えた果てに諦め、食を断ち、自ら尽き」島で没した。
「無念の怨み」     (『最後の世阿弥』より)
佐渡の春の山道を行きながら見つけた愛らしいすみれに、偲んで流す涙は数えきれなかったことだろう。


何の化生かしら。生まれかわれるのかしら…。


11日から3日後 ほどけゆくオニグルミの冬芽

 
コメント
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