京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

アンデス、ふたりぼっち

2022年09月16日 | 映画・観劇
映画「アンデス、ふたりぼっち」を見た。


ペルー、アンデスの標高5000メートルの高地で、周囲の援助もなく孤立して生きる高齢者二人だけの暮らしがどういうものなのか。
精霊に祈りを捧げ、いたわり合って細々とした自給自足の暮らしが描かれる。老いた二人は息子の帰りを待っていることがわかってきた。
「息子がいれば助けてくれるのに」「もう死んでると思っているさ。都会が息子を変えた」
「わたしたちは見捨てられたの」
老母は息子のものらしいセーターを何度かたたみ直しては布でくるんでいた。

マッチがなくなりかける。村まで買いに行ってほしいという妻の頼みだが、夫はもう自分の足では遠く、戻ってこれないかもしれないと自信がない。案の定、途中で倒れ、それでも引き返してきた。飼っていた愛犬と羊がキツネに襲われる。

火種を絶やさぬよう寝ずの番をしていたが…。住むところも食べるものもない。それでも生きていかなければならない。残ったのはリャマ1頭。
ほどなく夫が静かに息を引き取った。細い泣き声に哀切漂う。


抑揚のない言葉、会話。アイマラ語というのだと知った。監督はペルーの原住民アイマラ族出身とのことだが、期待されながら34歳でこの世を去った。【アイマラの文化、風習の中に、私たちが存在を知りながらも目を背けていた現実を、雄大なアンデスの自然とともに痛烈に描いた】と紹介されている。

胸詰まる思いではあった。高地を下りる、村の中で暮らす選択はできなかったのか。
彼らには、ここで生きるしかなかったのだろう。どこで生きようと、どんな問題を抱えていようと、限界まで天命を尽くした姿なのかとも思いなおしている。
【いのちを日に新たにしている代謝が止まれば、この世を去る。「だから生命は荘厳なのである」】と司馬さんは書いていた(「新」について)。

行く先にあてもなく、布にくるんだわずかな荷を背負い、杖を片手に、一人ぼっちになった妻はどこへ…。


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« きょうはまた生まれかわったぞ | トップ | ひと夜に増しぬ »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
いい映画ご覧になりましたね (Rei)
2022-09-18 13:35:11
標高5,000mの環境はさぞや厳しいことでしょう。
どの少数民族も若者は都会へは同じですね。
カラフルなポンチョ姿の映像を見たことがあります。
アイマラ語?初めて聞いた言語です。
政府が保護しない限り、少数民族は滅びていくのでしょうか?
アイヌ民族も手厚くではないでしょうが
政府が支援しているようですね。
エスキモーやイヌイットなども小説で
読んだことあります。
誇りを持ちつつも滅びゆく民族の哀しさを
感じました、
返信する
民族の哀しさ Reiさん (kei)
2022-09-18 23:05:16
子どもがセリフを棒読みしているかのような、
抑揚のない会話でした。
さっぱりわからず、初めて耳にする言葉は抑揚がない、平板な物言いでした。
こんな高地で生きていくには限界がありますね。

強い文化の中では次第に淘汰され姿を消していくのは避けられないものがある、
というのもまたうなづけます。
少数派の民族の誇りや文化を認め合うことが現実にはいかに難しいことなのか。
世界での紛争を知ると思わずにはいられません。

日中は穏やかでしたが、今、風が強くなってきました。
返信する

コメントを投稿

映画・観劇」カテゴリの最新記事