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ボーン ボーン ボーン
通りすがりの家から3時をつげる時計の音が聞こえてきた。
確か、「ボーム ボム ボム」と出てくる時計の詩があった。風呂敷に包んだ柱時計を背負った少年が、星に照らされた夜道を心細い思いで村へと帰って行く詩だった。…と思い出しながら歩いていた。タイトルも作者も細かな表現も、忘れている。
田中冬二の「青い夜道」と題した詩だった。
〈ぼむ ぼうむ ぼむ〉〈ぼむ ぼむ ぼうむ ぼむ…〉〈ぼむ ぼむ ぼむ ぼうむ…〉この擬音語が3カ所に繰り返されていて、印象深かったのだな。少年の不安な気持ちを駆り立てる。〈少年は生きものを 背負ってるようにさびしい〉
懐かしい音。夜中の12時を知らせる音は家中に響く大きさだった。それをよく数えていたのを憶えている。振り子が止まると、ゼンマイでねじを巻くのだが、父がその役を担っていた。父不在の時はまずは手で、振り子よ動けと右か左に振って仕掛けてみたものだった。すっかりレトロな昭和の柱時計だろう。記憶にあるのはそれひとつだから、ずっと家族の暮らしに時を刻んでいたのだ。
そう言えば、孫のLukasと ♪コチコチカッチン おとけいさん~ と一緒に歌うことがあった。私が「カチコチカッチン」と歌い出すものだから「ちがうよ!」とストップがかけられて…。次いこ! ♪鬼のパンツはいいパンツ~と振ると、ちゃんと一人で「5ねんはいてもやぶれない つよいぞー つよいぞー」と歌っていく。ちゃんと覚えているんだなあと、その成長を喜ばせてもらうのだけれど、ここひと月ほど会っていない。
「♪大きなのっぽの古時計♪
おじいさんの時計♪」は
孫たちとよく歌いました。
この擬音語、田中冬二の創作ですね。
Lukas君、真っ新な海綿に吸い取られるように
一度で間違いなく覚えられるのでしょう。
これもよく知られていますね。
「チク タク チク タク 」
擬音語の持つ効果、それぞれにありますね。
「〇〇?せんせーがルーカス君だいすきって」
前日まで行きたくないと言ってましたが、入園後この先生のひと言で
ころっと変わったみたいです。げんきんなものですね。
会ったとき、先生の言葉を教えてくれるのですよ。
白紙の状態から一つ一つ習い覚えていくのですから、
人間って素晴らしいですね(笑)
ましてや、何気ないひとことが心に残る大切なひと言になって、勇気百倍になることも。
そんな今時の子供たちに言っても理解してもらえない、柱時計の時を刻む音、時報をしらせるボ~ンボン。
時代の移り変わりの標本を手に取るように再現されてます。歳をとるわけですねー。
幼年時はとても大切な時期ですよね。、
感情でも感覚でも、人間としてのかなめともなるものを形成していく、と言っても過言ではないような…。
違いを指摘できるのも成長かと気づかされました。
柱時計のボーン ボーンは今はもう昔ですか…。
寂しいことです。