京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

年寄りの合い言葉は

2025年02月07日 | 日々の暮らしの中で
昨日あたりから冷え込みの厳しさをしんしんと体感。今夕から舞い出した雪がうっすらと積もり始めています。

昨年が少し遅かったという声があがって、今年は明日8日に尼講さんたちの新年会を予定したのでしたが、この寒さ。延期したいと申し入れがあって…。
「わかりました」と応じただけですが、本来予定していた別の集いを一週間ずらしているので、ちょっと複雑。
そうは言っても、お汁を炊くための下準備から始まって場所づくり諸々、考えるだけで震え上がる寒さですから、やっぱり延期でよかったのかも。やはり昨年並みに月末辺りが良いのです。


義母だったら…。「そやなあ、寒い中でせんならんこともない」と、こんなところだろう。
永代経や報恩講などでは、お参りの方々と一緒に義母も私も法話を聞いて過ごしてきた。
お話が終わると、皆さん口々に「よいお話やったなあ」と言った。ああ言った、こうも言ったと振り返る。そこにはいつも半身を揺らすほどに大きくうなずきながら、何度も「ほんまやなあ、ほんまやなあ」と相槌を打つ義母の姿があった。
言葉少なにいて、互いの心を近づけ合うものが生み出されていた。

こんなことを思い返したのは、村田喜代子さんの『飛族』の中にあった「年寄りの合い言葉」として描かれた箇所に誘われたのだ。

五島列島のどこかの島らしい養生島に、3人の女年寄りが住んでいた。そのうちナオさん97歳が亡くなって、イオさん92歳とソメ子さん88歳の二人だけになった。イオさんの娘が母親を本土に連れて行きたい思いで島を訪ねている・・・。


近くの貝殻島で年寄り一人が亡くなったとき、いつまでもしきりに鳴くカラスに「なにがせつのうてそんなに鳴くか」と問いかけたというソメ子さんの話を受けてイオさんが言う。
「おお、思い出したぞ。そうかもしれん、そうかもしれん。わしも…」に、

〈年寄りの話のやりとりは食い違うことがない。およそ彼女らの言い分に争いはなくて、双方の話は相合して溶け合い一つの話としてつながる〉とし、
〈年寄りの合い言葉はいつも「おお、そうじゃ、そうじゃ」か、または「そうかもしれん、そうかもしれん」というものだ〉とあったのだ。

こんなとき、「そやけどな」と一言添えるのは案外男年寄りが多いのかしら?? それは偏見かしら。
もっとも、話がかみ合っていないのにほころびは縫い合わされて、わかり合っている場面もあるのだから面白い。

「寒いから延期にしましょう」 「そやな、おおきに」電話連絡は間違いなく届いたのでした。

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 口下手で排他的で寂しがり屋で | トップ |   

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (なおとも)
2025-02-07 23:45:56
こんばんは!

いつも学びのあるブログを拝読して、色々な事を考えています。村田清子さんの「鍋の中」等拝読しています。今日のブログのお話、とても感銘を受けました。会話の妙と言いましょうか。とても興味深く拝読しました。以前より「豆腐屋の四季」にもとても心を寄せておられるのを感じ、村田清子さんは福岡の方、松下竜一さんは大分の方。偶然かもしれませんが九州という事にまた色々想像してしまいました。また、お話楽しみにしています。なおとも
返信する

コメントを投稿

日々の暮らしの中で」カテゴリの最新記事