体をまっすぐにすれば心もまっすぐになるのだと、104歳の禅師が言っておられた。物の置き方・スリッパの揃え方―みんなこころの現れだとはいいますが
裏の畑で取れたホウレン草をいただき、草みたいに束ねられたニラをいただく。
土に汚れていても“信頼と安心”のある食材(のはず)です。
手つかずだったからとの再利用、賞味(費)期限切れのパックの陳列…米を疑い、果ては菓子類にまで及び、「味覚の秋」に食の安全はどう保証されるのでしょう。
『一日江戸時代』
ある晩秋の一日、我が家では朝からあるTV局での収録がありました。
水団(すいとん)を作り、持ち寄ったお漬物を添えて町内中が家族ぐるみで集まっての会食です。
小麦粉を水で練って作るだけのものですが、まあ現代のこと、出し汁は美味しく“作ってもらえます”。
例によっていつも私はチョイ役のお手伝い、賑やかしでした。
が!、インタビューだけはしっかり回ってきたのです。
が、「一日ぐらいなら…」、なぜもっと気の利いたコメントが言えなかったものかと!
大幅カット。しかしアップの映像で終了でした、私に関しては。
小麦粉だって今はお高くあります。江戸時代、たかが水団ではありますが。
何でもかんでも手に取る品をぐるぐるひっくり返し、何を根拠に安心のお墨付きを頂こうとするのでしょうか。
豆腐一丁を買うのに、重なる底の底から1パックを取り出したお母様。
(そこまでする~?)と見ていましたのですが…
自己認定書付き「信頼と安心」の保証を印し、豆腐のパックがスーパーのかごに入れられていきました。
今、あちこちで見られる光景となっています。
疑心と信頼のバランスをとろうと、品選びにも心が動きます。
なぜちゃんと立っているのかと…
裏の畑で取れたホウレン草をいただき、草みたいに束ねられたニラをいただく。
土に汚れていても“信頼と安心”のある食材(のはず)です。
手つかずだったからとの再利用、賞味(費)期限切れのパックの陳列…米を疑い、果ては菓子類にまで及び、「味覚の秋」に食の安全はどう保証されるのでしょう。
『一日江戸時代』
ある晩秋の一日、我が家では朝からあるTV局での収録がありました。
水団(すいとん)を作り、持ち寄ったお漬物を添えて町内中が家族ぐるみで集まっての会食です。
小麦粉を水で練って作るだけのものですが、まあ現代のこと、出し汁は美味しく“作ってもらえます”。
例によっていつも私はチョイ役のお手伝い、賑やかしでした。
が!、インタビューだけはしっかり回ってきたのです。
が、「一日ぐらいなら…」、なぜもっと気の利いたコメントが言えなかったものかと!
大幅カット。しかしアップの映像で終了でした、私に関しては。
小麦粉だって今はお高くあります。江戸時代、たかが水団ではありますが。
何でもかんでも手に取る品をぐるぐるひっくり返し、何を根拠に安心のお墨付きを頂こうとするのでしょうか。
豆腐一丁を買うのに、重なる底の底から1パックを取り出したお母様。
(そこまでする~?)と見ていましたのですが…
自己認定書付き「信頼と安心」の保証を印し、豆腐のパックがスーパーのかごに入れられていきました。
今、あちこちで見られる光景となっています。
疑心と信頼のバランスをとろうと、品選びにも心が動きます。
なぜちゃんと立っているのかと…
『一日江戸時代』
江戸情緒大好きの私です。
私の家でもTV見ること出来ますか?
私世代はすいとんと聞けば戦時中を思い出させる食べ物です。
さぞや、お美しいお方でしょう。
TVは必ずや美しい人にカメラを向ける、ことになっていますもの。
いつまでも美しく若くおられますよう、磨いてくださいませ。外からも、そして内からも。
おしゃれな方が大好きです。
修業を積まれた104歳、永平寺の名僧です。
思いますに…
真似ることは真理だと貫きとおされた人生で、体に心に一本の心(芯)棒が通ったのではないでしょうか。
そのようなお方の言動にはゆるぎないお姿が示唆されると感じます。
そう考えて自分の日常を見つめれば…
心が真っすぐでない、確固たる信念の裏打ちがない私は、喜怒哀楽いともたやすく時々に応じて、いろいろな形で表に出てしまいます。隠しておかねばいけないような形でさえも、きっと。ものの考え方でもそうでしょう、たぶん揺れ動いていると思います。
人間的感情とは思いますが、心(芯)棒・辛抱のなさの現れです。
一日ぐらいは質素な食事を、とかで時代を逆行させての催しでした。どこでどう話が進んだのかはよくわかりませんでしたが、その様子を収録に見えたのです。
少し前の事、ワイドショーの中での放映でした。
頼りないのか、いつもチョイ役でみなさんから助けられ、この日も大得をしましたが。
教え子の方なのでしょうね… 12日、matsuさんをあのようなお言葉で表現されていらしたのを拝見し、私の描くmatsu さんのお姿がより一歩鮮明になったような気がしました。
外見ばかりいじくっていても、それだけの事。
内を磨かねばなりません!!
へなへなですから。なるようにしかならんわ~と、甘いところも多く…、なんせ考えが甘い。
芯の棒がありません。
一本貫きとおすなんて、並大抵の修行ではありませんよね。
何か一つは足かせを作らないと、安心できないタチなんでしょうか。
keiさんのインタビュー見たかったねー。
それにしても、大勢が集まっては色んな行事が行われるのですね。keiさんはいつも主催者・引き受け役なのに、いつも誰かが差配してくれる…そんな役回りなんでしょうか。
今夜は遅くまで、宇野千代顕彰会による、観月朗読会があり、一応参加してみました。ついさっき帰ったところです。
昨日12日の冴えた月も美しかったですよ。
寺本来の行事はもちろんですが、広いので場所を提供する形で何か事では集まることが多いのです。
当番のときは私どもでやってしまわねばなりません。そうでない時は、飾り付けとか内側の支度だけに追われます。
しかし結局は、どんな集まり事にも顔を出さねばなりません。
大体手はずを整えて集まって来られますから、そんなに前へ出なくてもかまわないと婆さまに教えられ、うまく段取りが進むようにお手伝いのチョイ役です。
まあそうはいっても、できていないところを先にしておいてあげたりと…、少しは役立っているかもです。
(本当はこう言わずに隠しておいた方がいいのですがね。yattaro-さんが本当に何もしないのかと、少々はお感じのよう?ですので)
土日祝日、何かがある日です。
家庭での約束事って大事ですね。自然に身についてしまうようです。
季節によって「○○法会」で「おとき」があります、とか色々案内が来ます。出来るだけそのたび、お布施を包んでお参りには出向きますが、おときの接待までは受けずに帰ります。
お寺の仏教婦人部の皆さんが、野菜や色んな物を持ち寄って甲斐甲斐しくお世話をされているのは目にしますし、子供の頃は、母に連れられてたまにお参りして頂くおときがご馳走に見えたこともありました。
keiさんは、そのお寺行事の総元締めなのですね。
京都のお寺に嫁いだ東京出身のお嬢様奮闘記が、かいま見えたようで得した気分です。
ただ、本当に大丈夫なのかなー……と。 でも何もしないわけではなく、やるときはやるのだ…という意気込みを感じて一安心。同時に、毎日のお掃除だけでも大変だろうな…なんて妙なところで老婆心。それにブログが日付をまたぐのも納得です。
宇野千代作品を、3~4分との約束で朗読しましたら、終わってみれば5分以上もやってしまいました。詳細はまたブログで……。
本堂のお花を立てたり内陣の飾り付け、お客僧のさんが見えるときはその接待の用意、もろもろの個所も掃除…、手伝いに来てくださる組(輪番なのです)の人たちのための多少の準備…も加え、これらが主です。
これらをせねばなりません。当日同時進行で、内々の準備にあたりながら、来てくださっている組の人の所へも顔出し…、だから「ここ」ではチョイ役です。
た~~いへん!!なのよ、ホントはね。
何軒となりまで行くかというほどの距離を行ったり来たり、上がったり下りたり、へっとへとなの。
会場として使う時、町内で何かをという時は、うまいことちゃんとリーダー的女性がいるものです。はいはいと協力して過ごせばよいのです。
奮闘ぶりわかって下さいませ。ちなみにですね、総元締めはいくつになっても婆さまです。だから元気。だから甘えていつまでも頼りない?
お寺での行事に出られたらよろしいのでは?きっと喜ばれますよ。
お話ありがとうございました。