僧とケーキ (12月23日)
あれは、何年前のことか。正確な年代は、もう覚えていない。だが、日付けは脳裏に刻まれている。12月24日。クリスマスイブの午後であった。ケーキ屋の前に、クリスマスケーキを買う行列が、できている。その中に、私は見たのである。袈裟姿の僧侶が、並んでいる光景を。日本人はキリスト教をうけいれなかった。これが、宗教学の常識である。しかし、その風俗は受容した。私がその点で、確信をいただけた一瞬である。
本堂にイブ (12月24日)
クリスマスケーキを僧侶が買っていた。私はその光景に、軽いショックをうけている。多くの人に、そのことをふいちょうした。浄土真宗で得度をした宗教学者にも、つげている。やや、うろたえ気味の私を、くだんの学者は、こうさとしてくれた。うちの家は、西本願寺系の寺でね。毎年、クリスマスイブには、本堂でいわっていた。そりゃあ、そんなものなんだ。おどろくような話じゃあ、ないんだよ、と。
4月8日も降誕祭 (12月25日)
クリスマスイブは、デートのクライマックスをむかえる日にほかならない。あなたこそ、自分にとっての本命である。そのことをたしかめあう日に、今の日本ではなっている。若い僧侶にとっても、その点はかわらない。キリストの生誕前夜際に、お坊さんたちも、いちばんたいせつな異性をえらんでいる。たとえ、祇園祭の日には、ほかの人とデートしていても。もちろん、シャカの降誕日など、4月8日らしいが、誰も気にしていない。
地元紙の朝刊コラムで一年間(’17.4.1~'18.3.30)、井上章一氏が「現代洛中洛外もよう」と題して書かれたことがあった。
専用のノートにスクラップする年もあるが、なぜかこの年は気ままに残し、今手元にあるのはクリスマスに関連した話題など年末の6日分しか残っていない。
クリスマスをどう過ごしているのか、よその寺に聞いたことがなかったので、これを読んで(へえ、本堂で!?)と驚いたり、(そうなんだ)と言う思いで気づかされた感じだった。我が家でも子供たちにプレゼントを用意もしたしケーキもいただいた。別にこっそり楽しむなんてことではなかった。
親心からのミッション (12月28日)
私は二十世紀末に、神戸女学院大学で教鞭をとった。プロテスタント系のミッション校である。いつも授業を受けに来たのは、30人ぐらい。なかに、お寺のお嬢さんがいて、おどろいた。この学校へかようことに、ご両親は反対しなかったの。そんな私の質問に、彼女はこたえてくれた。親はいい学校に入れたと、よろこんでいる。ここを自分にすすめたのは、両親だ、と。お寺さんは、しばしば子供をミッション校にいれたがるらしい。
そうなの? もっとも、甥っ子は実力以上の公立高校を目指して失敗し、ミッション系の高校に進学した。寺の跡継ぎだった。相当にへこんで暴れていたらしいが、今では立派に跡を継いでいる。
夏のクリスマスを迎える娘家族にカードを贈ろうと思ったものの時機を逸したような…。しかたがない。ごめんしてもらおう。
言っていたケアンズからのAustralian Mango が届いた。
あれは、何年前のことか。正確な年代は、もう覚えていない。だが、日付けは脳裏に刻まれている。12月24日。クリスマスイブの午後であった。ケーキ屋の前に、クリスマスケーキを買う行列が、できている。その中に、私は見たのである。袈裟姿の僧侶が、並んでいる光景を。日本人はキリスト教をうけいれなかった。これが、宗教学の常識である。しかし、その風俗は受容した。私がその点で、確信をいただけた一瞬である。
本堂にイブ (12月24日)
クリスマスケーキを僧侶が買っていた。私はその光景に、軽いショックをうけている。多くの人に、そのことをふいちょうした。浄土真宗で得度をした宗教学者にも、つげている。やや、うろたえ気味の私を、くだんの学者は、こうさとしてくれた。うちの家は、西本願寺系の寺でね。毎年、クリスマスイブには、本堂でいわっていた。そりゃあ、そんなものなんだ。おどろくような話じゃあ、ないんだよ、と。
4月8日も降誕祭 (12月25日)
クリスマスイブは、デートのクライマックスをむかえる日にほかならない。あなたこそ、自分にとっての本命である。そのことをたしかめあう日に、今の日本ではなっている。若い僧侶にとっても、その点はかわらない。キリストの生誕前夜際に、お坊さんたちも、いちばんたいせつな異性をえらんでいる。たとえ、祇園祭の日には、ほかの人とデートしていても。もちろん、シャカの降誕日など、4月8日らしいが、誰も気にしていない。
地元紙の朝刊コラムで一年間(’17.4.1~'18.3.30)、井上章一氏が「現代洛中洛外もよう」と題して書かれたことがあった。
専用のノートにスクラップする年もあるが、なぜかこの年は気ままに残し、今手元にあるのはクリスマスに関連した話題など年末の6日分しか残っていない。
クリスマスをどう過ごしているのか、よその寺に聞いたことがなかったので、これを読んで(へえ、本堂で!?)と驚いたり、(そうなんだ)と言う思いで気づかされた感じだった。我が家でも子供たちにプレゼントを用意もしたしケーキもいただいた。別にこっそり楽しむなんてことではなかった。
親心からのミッション (12月28日)
私は二十世紀末に、神戸女学院大学で教鞭をとった。プロテスタント系のミッション校である。いつも授業を受けに来たのは、30人ぐらい。なかに、お寺のお嬢さんがいて、おどろいた。この学校へかようことに、ご両親は反対しなかったの。そんな私の質問に、彼女はこたえてくれた。親はいい学校に入れたと、よろこんでいる。ここを自分にすすめたのは、両親だ、と。お寺さんは、しばしば子供をミッション校にいれたがるらしい。
そうなの? もっとも、甥っ子は実力以上の公立高校を目指して失敗し、ミッション系の高校に進学した。寺の跡継ぎだった。相当にへこんで暴れていたらしいが、今では立派に跡を継いでいる。
夏のクリスマスを迎える娘家族にカードを贈ろうと思ったものの時機を逸したような…。しかたがない。ごめんしてもらおう。
言っていたケアンズからのAustralian Mango が届いた。
話は ずれますが、、、
学生の頃、ディスコに行くという僧侶がいらっしゃいました。
また、近年
「今夜はコンパだよ。だから彼も電車できた。」
というお坊様とお話ししました^^
(こちらとしては遠慮をしてお酒の贈答は控えていたのですが、、、笑み)
昔は袂を風になびかせて、バイクに乗っておられる僧侶がいらっしゃると、二度見していましたが、今はそれも慣れてきました^^
ここのところ、徒然草を読んでいます。
ちょうど53,54,55段の法師の話を読み終えたところで、keiさまのお話を脅威深く拝見させていただきました^^
ありがとうございます。
そうなんですね(笑)
学生時代には意外な発見につながるような瞬間をたくさん体験されてらっしゃることでしょうね。
時代とともに見慣れたものになり、今では本堂が音楽のライブ会場になったりもしていますが、
人が寄り合う場にという背景もありますでしょう。
そして仏さまは音楽が好き。
亡き義母の若い頃にも、たまにはすき焼きを食べたようですが、
においがもれないように襖や窓をしっかり閉めたと言って笑ってました。
徒然草の53段はもう単純に仁和寺に興味を持った最初だと思います。
この頃は京都はまだ遠かったですが、
高校時代の古典の授業が私の将来の道を決めた原点だといえます。
そして大学時代に日吉館に泊ることになりました(笑)
こつこつ積み重ねるお姿に敬服。そして刺激も受けています。
まことに日本的ですね。
でも、12月25日とイエスさまのお誕生日は、実は何の関係も無いのです。
我が家にはツリーもケーキもありません。
子供たちが小さな頃は、世間並にはしていたのですが・・。」
息子はケーキくらい買ってこようかと言い、私はチキンくらいキチンと食べようかと思っていますが・・。
「クリスマスイブには、本堂でいわっていた」とありますし?
本堂に集まられた方々に、牧師さんがおいでになってクリスマスのメッセージをされるということがあるのですね。
日本的、国民性でしょうかね。
ミルクと人参とクッキーでしたかをサンタさんのためにテーブルに用意して、
孫たちはプレゼントを楽しみに寝ましたが、
そんなことも私は初めて知るようになりました。
幼い子がいればこそのクリスマスです。
あの日の、小学校4年生だった息子さんの姿が、表情まで見えるように浮かんできます。
お話、こびりついてしまっています(笑)
ケーキとチキンでキチンと楽しんでくださいませね。