お愛でたいことの代表に結婚式がある。
以前よく見かけた「松に鶴」の図柄の屏風。
これがどうしてめでたいのか…と。
禅語の「松花伴鶴飛」」、「松花、鶴に伴って飛ぶ」と読む。
松は六月頃にピンクの花をつけるが、たまたま飛来した鶴の脚に花がくっつき、それに伴って見知らぬ土地に落ち、そこで芽を出し根を張り始める。―花嫁に似ている。偶然ともいえるご縁を愛でようという生き方を松に見ているのだろう、ということだ。
『松ではないけれど、自分がどこで何をして暮らしていくのか、そのことに揺らぎない確信が持てれば、たいがいのことは愛でることができると禅は考える。
この人と、ここで生きていく。その気持ちが揺らぎさえしなければ、ケンカすることも病気になることも、あるいは不景気に苦しむことさえ「風流」だというのである。
バンザイと叫んだところで、その事態が「万歳」続くとは誰も思っちゃいない。
しかし志さえ揺らがなければ、人生はさまざまな「ゆらぎ」さえ風流と味わえる。その人間の知恵に、私はバンザイを言いたいのである。』
(玄侑宗久 『釈迦に説法』より)
人間、器の成長はほぼ二十代でとまってしまうらしい。…となると私は成長が止まって何年が!??
あとは内容の深まりだそうな!!
内容の深まり、人生の内容の深まり。
果たして愛でるだけの豊かさを蓄えてきているだろうか…。
さまざまな「ゆらぎ」を“風流”とさえ味わえる知恵…、
どう揺らいでも倒れない心棒、芯棒そして辛抱…。
禅の言葉というのは心に入りやすい。
今日は一日雨降りでした。こんな文章にも出会って、よい雨の一日でした。
「Jessieね~、コロッケのころもつけたの~」と
以前よく見かけた「松に鶴」の図柄の屏風。
これがどうしてめでたいのか…と。
禅語の「松花伴鶴飛」」、「松花、鶴に伴って飛ぶ」と読む。
松は六月頃にピンクの花をつけるが、たまたま飛来した鶴の脚に花がくっつき、それに伴って見知らぬ土地に落ち、そこで芽を出し根を張り始める。―花嫁に似ている。偶然ともいえるご縁を愛でようという生き方を松に見ているのだろう、ということだ。
『松ではないけれど、自分がどこで何をして暮らしていくのか、そのことに揺らぎない確信が持てれば、たいがいのことは愛でることができると禅は考える。
この人と、ここで生きていく。その気持ちが揺らぎさえしなければ、ケンカすることも病気になることも、あるいは不景気に苦しむことさえ「風流」だというのである。
バンザイと叫んだところで、その事態が「万歳」続くとは誰も思っちゃいない。
しかし志さえ揺らがなければ、人生はさまざまな「ゆらぎ」さえ風流と味わえる。その人間の知恵に、私はバンザイを言いたいのである。』
(玄侑宗久 『釈迦に説法』より)
人間、器の成長はほぼ二十代でとまってしまうらしい。…となると私は成長が止まって何年が!??
あとは内容の深まりだそうな!!
内容の深まり、人生の内容の深まり。
果たして愛でるだけの豊かさを蓄えてきているだろうか…。
さまざまな「ゆらぎ」を“風流”とさえ味わえる知恵…、
どう揺らいでも倒れない心棒、芯棒そして辛抱…。
禅の言葉というのは心に入りやすい。
今日は一日雨降りでした。こんな文章にも出会って、よい雨の一日でした。
「Jessieね~、コロッケのころもつけたの~」と
私の孫もよく、お手伝いしようとします。
近頃は餃子なども包みます
しかし、形が色々とユニークです(^-^)
人間の器の成長は20代でほぼ止まる..。
私の器はもう成長が止まって何十年ですよ(^-^)
しかし、人生の内容が深まる..と伺い安心しました。
少しずつでもそうありたいものです。
人間の器の成長は二十代で止まりですか…。あれから数十年。
人生の内容にも深まりをあまり感じない…ということは、先ず器が小さかったのでしょうね。小さい器に少しの内容を詰め込んだとしても、充実感には欠けるのでしょう。ですから、今もって、責めて小さい器をいっぱいの内容で埋められたらいいな…なんて無駄な抵抗をしているのでしょうかねー。
おままごとって、国境はないみたいですね。
1年ほどご無沙汰で…ちょっぴり会いたくなってきています。
淡々と生きていく中で、少しでも…と思います。
「たいがいの事は愛でることができるる」ようになれたら…
実は大器なんですねー。
観月会にも身に余るお話を。正直、ひょっとしたらアタシも……などと跳ね返りそうです。
身の程をわきまえて自重しますが、嬉しさだけは気持ちの中で大爆発させています。
少ーし、エッヘン(敢えて小文字)かな……。
なんか私の方が嬉しくなってしまいます
留まってくれればいいのですが、いまは退化の一途を辿っています。
松に鶴、めでたい象徴とは知っていても何処から出ている?など考えもしませんでした。
「松花伴鶴飛」今ようやくなるほどです。ありがとうございました。
可愛い写真にほっと嬉しい気持ちになれました。