聖護院に近い須賀神社では、節分の日に(その前日と)「懸想文」という独特のお守りが、
烏帽子に水干姿の懸想文売りによって授与される。
平安の昔から京の町々で買い求められたという。
肩に掛けた梅の枝に恋文をつけて売って歩くと、若い娘が飛び出してきたとか。
古くは、祇園社に仕える「絃指」、「弦召」(つるめそ)と呼ばれた人たちが、弓の弦を「つる召そう」と言いながら門付けをして歩いたようだ。
弓の弦をはじくって、神事でもあり、正月のめでたさにも重なるのではなかった?
一時途絶え、江戸の前期から、後期には復活したが、ふたたび明治になくなった。
それが今、須賀神社で行事として行われている。
この文を鏡台やたんすの引き出しに隠して入れておくと、顔・形が一層よくなって良縁が早まり、着物も増える、というご利益があるそうな。
古代から中世、近世と、都にはさまざまな職能でもって祝福芸能を担う人たちがいた。
1676年刊『日次(ひなみ)紀事』の正月の項に、
【 此の月初め、(中略)西宮傀儡師・万歳楽・春駒・鳥刺・鳥追・猿舞・大黒舞、人家に往て芸術を施す、(中略)
清水坂の絃指(つるめそ)、赤布を著し、白布を以て顔面を覆ひ、わずかに両眼を露して、紙符を市中に売る。是を懸想文といふ、俗間男女これを買て、男女相思する所の良縁を祈る、(後略)】
といった記述がある。
京都の年中行事が詳細に記されてあり、信用度は高いと聞いた(講座:都の祝福芸能者たち ーその集住地と職能)。
前回来たときほどの人出はなかったが、氏子さんや関係者が広くはない境内にたくさん詰めておられた。
見るだけ~。興味本位丸出し。多くはみんなそうだろうと思いながらも、もろにカメラを向けるのが申し訳ないような。
で、ささっと数枚撮らせていただいた。
縁起物、買ってみればよかったのかな…。
懸想文、想う人に出す文とか。
また懸想は恋すること、恋慕うことと書いてありました。
私は懸想の意味をはき違えていたようです。
横恋慕とかマイナスの意味と思っていました。
林芙美子の紀行文読み終えましたが
日本国内編では芙美子さん独特のいいまわしに
戸惑ってばかりです。
「作家の境上の楽しみだ」どんな楽しみか考えてみましたが
わかりませんでいた。
京都も旅していますが当時の面影は
多分今ではなくなっているようです。
不勉強で、こういう風習があるのを知りませんでした。
さすが京都、伝統が今の時代に残っているんですね。
良縁を得るためのお札のようなものですね。売り上げが気になるところですが、試しに買うのもいいかもしれませんね。
弓の弦を引くのは魔よけの意味もあったのでしょうか。源氏物語の「葵」では難産に際して読経し、弓を引いていた記述があった気がしましたが、ちょっとうろ覚えです。
京都はいろいろな行事があっていいですね。こちらで楽しみ拝見したいと思います。
いづれも新年のめでたさを寿ぎ、よきことを願う役割を担っていたのですね。
口に唱え、授けていたようです。
時短視聴とか耳にするこの頃ですが(読書ものようですね)、
Reiさんがご自分の体験とオーバラップさせ、
一言一句大切に読まれようとする姿勢に何よりも心動かされました。
「花のいのちは短くて苦しきことのみ多かりき風も吹くなり雲も光るなり」
と知るところですが、
「多かりき」ではなく「多かれど」とした詩稿が見つかったと知ったとき、
初めて身近に親しみを感じたことを思いだします。
昨夜はいきなりPC画面にやっかいなものが現れました。
強制終了しネットワーク接続を断ち、…今朝恐る恐るたちあげました。
歳時記に杉本秀太郎氏が書いておられました。
文面は干支によって変わるとか。
「あはれこの世の はじまりと 神にねがひの心もて 猛き力もきみがため どよもし天降る(あもる) ところかな」
買われたのが巳年だったので差出人が「辰男」、受取人が「巳智子」だったそうです。
祝詞みたいな、あやふやな文面、と。
そうでした。
解任や出産にはもののけの禍を払ったり調伏目的で加持祈祷が行なわれましたね。
弓を、弦を弾くことは庚申の日に琴を引く遊びに、また
三十三間堂での新年の通し矢も、禍を払い、福を招く
信仰の継承になるのでしょうか。
コメントありがとうございました。