週末はともすると人の出入りがあって家をあけられない。事情を知る友人が訪ねてくれた。なかば押し付け、置いて帰ったのが『住井すゑ対話集』全3巻のうちの「1 橋のない川に橋を」だった。
『橋のない川』(住井すゑ)を全巻単行本で読んだのは、ずいぶん昔のことで、黄ばんだ本を処分してしまって久しい。先日、新潮文庫の新刊本が書店に並んでいたのを見つけたとき、もう一度読みたいと思っていたことを友人に漏らしていたのだ。
「おもしろい本ばかりを読んでいては、本をおもしろく読むことはやがてできなくなるだろう」
古井由吉さんは「森の散策‐『老境について』キケロ著」と題したエッセイでこう書き始めていた(『読む、書く、生きる』収)。
「あれはおもしろいの、おもしろくないの、と人は気安く言う。それでその本の値打ちはすっかり踏めたかのように。しかしそれよりも先に、自分のほうの読解力や感受力や、事柄への関心の厚い薄いを、ひそやかに踏んでみるべきなのだ。今の世の人間は自分の知らない事柄へとかく憎悪を抱きやすい。残念ながらこちらの興味が湧かなかった時には、本とも淡々と、悪声を放たずに別れたいものだ」
そして、『老境について』を読んだときのことに話は及ぶ。
―自分に間もなく来るはずの老境なのに、読んでいて役に立たない、おもしろくない。
どうして古代の賢人の言が自分に用をなさないのか。それを虚心に思ったという。すると、
「今の世に生きる自分の年の積み方の取りとめなさがかえりみられ、そうなる訳も眺められ、やがてさかさまに身につまされ、おいおい面白くなる」「身にいたくこたえる言葉につぎつぎに行きあたる」。
「おもしろいのだか、面白くないのだか、よくわからず辛抱して読むうちに、読む側の関心のありようを教えてくれる本はあるものだ」
友からの思いがけない一冊には、同じ方向ばかり見ていないで、もっとやわらかく耕してといった心遣いがひそんでいるに違いない。
固くなった土壌。春だから種まきをしてみようか。
でもまあ、苦手な人とは無理して付き合わず、こんな人もいるのだなあと反面教師にする。最近はそんな感じです。
面白いだけを求めては、結局は情報が自分の中を通り過ぎるだけで、たまって行かないのかなと思います。
今回の記事もいろいろと勉強になりました。ありがとうございます。
読書の幅が狭いと自覚しています。
人が薦めてくれるものは道案内と思って手に取るように努力しますが、
自分からはなかなか手が出ない分野ってあるものですね。
住井すゑさんのお人柄や考え方を、角度を変えて
読んでいきます。
コメントありがとうございます。