南に面した屋根は雪解けが進んでいたのに、今朝はまたうっすらと、二度目となる雪の化粧直しがあった。
外壁に沿って雪が残る。どうにかしないといけないかと思うだけでぼんやり立っていたところに、叔子さんがやってきた。
本堂前の梅の古木を見ながら、北野天満宮の梅園の梅が咲きだしていると言う。ただ本人さんは、入園料を払ってまで見に行こうとは言わない人だ。梅見はどこででも、2月も半ばを過ぎると、ここの古木ででも楽しめる。
日差しがあればストーブ不要のわが家の一等地、安楽な部屋に上がってもらう。火鉢のぐるりで手を温め、ぴちゃぴちゃと雪解けの水が滴る音を聴く。湯が沸き、音を立てる。目的のないお喋りのBGM。
このぬくもりが長居を常とさせる。
たのしみは湯わかしわかし埋火を中に差し置て人とかたる時
たのしみは心おかぬ友どちと笑ひかたりて腹をよる時
橘曙覧の「独楽吟」に歌われるさまに似る。物質的には貧しい生活の中で、生きる喜びの一瞬を詠ってぃる。
あまり自分をさらさない、あけっぴろげとはいかない性分の私なのに、叔子さんとは親きょうだいよりも長く、親しくつきあう歳月を重ねてきた。
その日常の喜怒哀楽のそばに互いがいたことに気づかされる。
(蛤御門から望む「雪大文字」)
今日は同志社大学内の寒梅館にあるレストランでお昼を共にした。
「よき友は心の花の添え木かな」(高田好胤)
高田好胤和上のお話し、大好きでした。
再び拝読してみたいと思います。
有り難うございました。 なおとも
西野文代さんの「雪大文字に千切りの匂い」という句が好きなのです(笑)
路地に出れば屋並みの間から「大文字」が見えるのでしょうか。
切り干し大根を炊く匂いがどこからか漂ってくる路地…。
なんてことを想像するのです。
著書をお持ちなのですね。
「寺は金閣、庭は竜安寺、坊主は薬師寺、ベリーグッド」
と、もらった中学生の感想に、仏心の種まきをしていたつもりが
まかれていたのは自分だと目覚めさせてもらった、と。
テレビでも人気の方でしたね。
夏のは毎年テレビで見ています。五山送り火とか?
そのいわれも知らずみています。
屋根の雪は京都の底冷えをおもわせます。
淑子さんとの語らい、伝わってきます。
中国の諺ですが
「酒逢知己千杯少 話不投機半句多」
心合う友とは千杯の酒を酌み交わしても足りない
話が合わない人とは一言も話したくない。
こんな意味と思います。
屋根は勿論、家々の角先に積み上げた雪、歩道の半分には黒ずんで凍った雪が
未だに残っています。
一緒に笑って喜んで、憤慨して、当地で築いた関係ですので大切に思います。
「酒逢知己千杯少 話不投機半句多」
なるほどです。
お酒がなくても、いつまでも話していたいと思いますね。
独楽吟にもありました(笑)
「たのしみはいやなる人の来たりしが長くもおらでかへりけるとき」
こちらはちょっと露骨ですね。