ここのところの雨で水流も増えた賀茂川上流域のそこかしこに、刷毛で刷いたような淡紅の花が上を向いて開いていた。
しばらく訪れない間に、合歓の花は花盛り。顔を近づけるとほのかに香りがする。上品な美しさが好ましい。
ねむの花で思い出すのは石垣りんさんの随筆。苗木を鉢植えにしてアパートで育てていたそうだが、「喬木を3階の窓先で育ててどうするんですか」と知人から言われたという話がある。見事な大木に枝葉を広げるのをみると、確かに無理といつも思い出される。けれど試してもみたい、真似しいの私…。早寝早起き、この規則正しい植物の時間を見てみたい気になってくる。
まだ明るいうちに、向き合った細かな葉をよせ合い、やがてぴったり重ねると、その葉先を垂れて眠るのだとか。
何の夢を見ているのだろうか。
「昼は咲き 夜は恋ひ寝(ぬ)る 合歓(ねぶ)の花…」と万葉集にあるが…。
今は合歓があちこちで咲いています。
合歓は好まれる花ですね、俳句の会でいろんな方が
合歓を季語で詠まれていました。
私は浮かばず「半夏生」で詠みましたが(笑)
なんだかほっと心が和む花です。
万葉集って教科書でしか触れたことないんですけど、こんな歌もあるんですね。無粋な私には歌の本当の心は分かりませんけどなんかとても心が和みました。
ちょっと脇道にそれるんですけど、私は万葉集って聞くとちょっと淋しく悲しい気持ちになるんですよ。
それは私が17歳の時私達より3年先輩で心優しく私達を導いてくれた人たちがみな招集されて軍隊に入ることになったのです。先輩たちはみな予備士官学校に入り厳しい教育を受けて若い士官となって戦地に赴きたくさんの先輩たちが帰らぬ人となりました。
どうしてなんでしょうね、私の知っているその人たちはみな万葉集の歌を愛し、私には少しも理解出来なかったんですけど、軍隊に入る前の短い時間を情熱的に万葉集の歌について話し合っていました。万葉集には戦地に赴く若者の心をうつものがあったんでしょうね。私は万葉集のことはなんにも知りません。でも万葉集と聞くと学業半ばで戦地におもむいていった先輩たちが情熱的に万葉集について話し合っていたあの悲壮な姿が思い浮かぶんです。
なんとも言えない優しさがいいですね。
身近にあれば葉も楽しめるのだと思うと、ちょっと残念なものがあります。
万葉の時代からあって、思いを託し歌われているのですね。
万葉集に収められた歌は多くあって、何かの機会に開いてみることで確かめることになります。
戦地に赴かれる心優しい先輩方の心を捉える歌が、それぞれに多くおありだったのですね。
帰らぬ人になられて方々を思うとき、さんたろうさんには「万葉集」には悲しみを伴う側面がおありなんですね。
ああ、こんなことを思ったりしているのかと素朴に読んでいます。
時代を一気にさかのぼれる、楽しみなページにはなります。
合歓、ねぶと発音するのですか。
古語は難しいです。
私は合歓の木が好きで、昔、庭師さんに頼みましたが、
植えてもらえませんでした。
大木になるからだったのですね?
狭い我庭には不向きなので植えてくれなかったのでしょう。
夫が勝手に植えた桜の苗木が大木になって困っていますのに
二の舞を演じるところでした。
花もですが、この葉がまた思いを広げてくれるようです。
高く大きくなって思う存分に枝葉を広げ花を咲かせています。
庭先には不似合いなのかもしれませんね。桜とは趣が違うようにも思います。
石垣さんの随筆では、ある夏の留守中に枯らしてしまったようです。