船首に近い方(写真上)から「雑居の部屋」、「賄いの部屋」「遣唐大使の部屋」と3つの屋形が並ぶ。たたまれた網代の帆。
甲板の下は、昼間でも屋形の床にあけた明り取りの穴からの光だけで薄暗く、夜は多くの人が積み荷の間で寝ていただろう。火事を出した記録もあるとか。干飯を柔らかくするための湯ぐらいは沸かしたろう。大使だけは一人で一つの居室。など、詳しい解説板がある。多くて500人に近い一団が分乗したこともあるようだ。
753年。藤原清河を遣唐使大使に発った遣唐使船4隻は、およそ1年の滞在を終えて帰国する途上にあった。立ち寄った阿児奈波(あこなは /沖縄)で風待ちをしているところから「凱風の島」の物語は始まる。
〈あまのはら ふりさけみれば 春日なる〉の歌で知られる阿倍仲麻呂。20歳で入唐し、今56歳になって故国に向かっている。肉親はすでに死に絶えているかもしれない。「何を楽しみに戻るのか」「船尾に居心地悪げに座っている」仲麻呂。その胸の内…。
清河と仲麻呂の乗った第一船目だけは漂流し、日本に着くことがなかった。二人は流れ着いた先から生き延び、長安に入る。唐の官吏となって仲麻呂は17年後、清河は23年後、異郷の地で没す。この清河家に仕える斐麻呂が物語を動かす一人となっているのが澤田氏のデビュー作『孤鷹の天』でした。
漂着したときに場所がわかるよう、南海の諸島に石碑を建てることを自らの任務としたのは建築や治水を修めた留学生の牛養。困難を極めたが、いつの世
も夢を現実にと踏み出す一歩の力が時代を動かし支えていくのでは。牛養について史実のほどは知らないが、作家の描く世界のつながりを感じ、作品を読むごとにそうした音色が濃くなってゆく喜びも感じるのです。これもちょっとした「精神の酔い」かもしれません。
日本史資料集で見ていた写真より、実際に乗船して得た感覚。ありがたい体験でした。
幅75mの朱雀大路を歩いて、はるか先に見える朱雀門までは行くことにした。この辺り一帯は長く田んぼだったことが幸いし、宮跡は良好な状態で保全されたということだった。この空間にどのような世界が再現されるのかしら…。朱雀門の先、線路をまたいださらに向こうにある大極殿までは、それこそいつか、またの機会にしよう。
折しも風鐸が強い風に揺れ、低い音を奏で始めた。
なるほど
ブログって
こうやって書くのね♪
勉強になります_φ(・_・ )
のんびりしてて良いですよね
私の散歩コースに入れときます♫
ほんとにほんとに良い体験ができました。ありがとうございます。
バイクでひとっ走りの距離なんでしょうか。
また、ここというところがあればご紹介ください。
きわめて個人的な好みの世界で見て感じてまとめているだけですから。
ちょうどこの時代の歴史小説も好きなせいで、視点がこうなってしまいます。
カイさんのお仲間がおっしゃるように(まだ日は浅いですが)
お人柄を感じ取りながら楽しく拝読させていただいてます。
あの無駄に?だった広さはいいですよね。
それにしても広いです。奈良大好きです。