明恵上人の座像を安置する開山堂の東側一角には、薪木がきれいに積み重ねられていました。
明恵上人は1206年、34歳の秋に後鳥羽院から神護寺の別所である栂尾の地を賜り、60歳で入滅までの最後の10年余はこの寺で過ごしたそうです。厳しい戒律に生きた明恵上人の周りには、貴族、上級武士、僧、老若、男女を問わず教えを請う人々が集まったと言います。ひょっとすると鳥や蛙、ウサギたちも…?? ここでの冬の寒さを想像します。
若葉鮮やかだった栂尾の高山寺を訪れてから7か月。紅葉の盛りを過ぎ、訪れる人もまばらになった高山寺を訪ね、ゆっくりと歩いてきました。落ち葉が掃き清められることもない、「あるがまま」の山内には午後の冬陽が差し、聴こえてくるのは清滝川のせせらぎの音です。
高山寺を後にして目的としていた常照皇寺に向かったのですが、…。
「山より出づる北時雨れ」。くねくねと続く杉ばかりの1本の道は、北山時雨れに濡れそぼち、北山杉が林立して迫る山間の風情がどうにもわびしい。途中でUターン、出直すことにしました。閉門時間は4時、ゆっくりできそうにありませんでしたから。
明恵上人は1206年、34歳の秋に後鳥羽院から神護寺の別所である栂尾の地を賜り、60歳で入滅までの最後の10年余はこの寺で過ごしたそうです。厳しい戒律に生きた明恵上人の周りには、貴族、上級武士、僧、老若、男女を問わず教えを請う人々が集まったと言います。ひょっとすると鳥や蛙、ウサギたちも…?? ここでの冬の寒さを想像します。
若葉鮮やかだった栂尾の高山寺を訪れてから7か月。紅葉の盛りを過ぎ、訪れる人もまばらになった高山寺を訪ね、ゆっくりと歩いてきました。落ち葉が掃き清められることもない、「あるがまま」の山内には午後の冬陽が差し、聴こえてくるのは清滝川のせせらぎの音です。
高山寺を後にして目的としていた常照皇寺に向かったのですが、…。
「山より出づる北時雨れ」。くねくねと続く杉ばかりの1本の道は、北山時雨れに濡れそぼち、北山杉が林立して迫る山間の風情がどうにもわびしい。途中でUターン、出直すことにしました。閉門時間は4時、ゆっくりできそうにありませんでしたから。
午後から。時雨れて、舗装の道もひどく濡れていました。
日の暮れも早い山間部です。初めての地に遠出はあきらめました。
この一冬に備えた薪なのでしょうか。
何に使うのか聞いてみたいと思ったのですが、忘れてしまいました。
私のところでもおくどさんでの煮炊きに薪を使います。