『熱源』(第162回直木賞受賞作品)を読んでみたいなと思っていたので、外出ついでに書店に立ち寄った。昨日のこと。
【明治から昭和初期にかけて帝国日本とロシア・ソ連のはざまで「文明開化」という荒波にのみ込まれた樺太が舞台。困難な時代、差別にさらされながらもたくましく生きたアイヌの人々、祖国を奪われた人たちへの賛歌だ。「生きてると楽しいぞ。そんな『ウソ』を読者に届けたい】
【いろんな文化圏や人々の集団のあわい、そこで起きる葛藤やドラマを書きたい】と川越さん。
この作品は、個人的には先月に読んだ『まほろばの疾風』(熊谷達也)からの関心の流れになった。
買おうと思って足を運んだのに、手にとっては書架に戻し、ぐるっと店内一巡してからまた思案、結局やめてしまった。ちょっとみみっちい思いが心の隅にあったのだ。もしかすると、あるかもなあ。見てからにしようか…と。しかし足を伸ばした中古本書店には、あいにく見当たらなかった。
で、今日は近隣の同系列店舗をのぞいた。あった、あった。すぐ確保。
だけどちょっと申し訳ないなあという気もしている。今年初めの受賞作品、出版からまだ1年少しのものだ。
「こういう店があるから新刊本が売れない」って、息子は渋い顔をするのを思い出している。
今とても楽しみに読み進めている作品がある。読み終わって頭の中が静まったころ、読みだすとしよう。
朝からしとしと冷たい雨が降っています。
庭の花々に水やりしなくて済みそうと、ずぼらなリュウ爺は
喜んでいます。
分かるなあ、その「みみっちい」気持ち。
私は文庫本専用?読者だけど、新刊本を少し待てばアマゾンや
hontoで中古本が手に入るから待ちます。
何しろ文庫本でも7~800円の新刊が2~300円で買えるのだから。
大好きな作家有川ひろ(浩)さんは、出版直後のハードカバー
(単行本)で買ってもらうと出版社が潤うので、出版文化を育
てるためにも新刊の単行本で買いましょう、と言っています。
私は単行本→文庫本→文庫の中古本を待って買います。
文庫中古本化まで2~3年かかりますが、大量に買いますので、
費用もばかにならない。
これって、もっと「みみっちい」ねえ^^
いつも読み逃げしているリュウです。
失礼しました。
最近はぐっと早くなりました。
私はこらえられるときはじっと文庫化まで待ちます。
歩き回れませんので殆どアマゾンです。
民族問題で「日本は単一民族云々~」と語られると
必ず反発があり、アイヌ問題に及びます。
今なお差別がなくなったとはいえないようです。
文化圏や人々の集団のあわい・・・>
”あわい”間と言う意味ですよね。
前後の文脈から淡いでないことはわかります。
脱線してごめんなさい。
依然雨は降り続いています。
寒いですね。電気ストーブを出しました。
でも今から…ではどうすんの?というわけで、厚着をしました。
その時の気持ちで、読みたいと思うと単行本で買うことはあります。
文庫化を待つ、という思いで当座あきらめるということはまだないのですが、
迷った挙句、「まあいいか」的断念?が多い感じです。
値が違いますよねー。1850円プラス税を980円で購入しました。
割と間もない時期に新刊本が中古書店に出ることがありますので文庫化以前に手を出すにはありがたいのですが、
やはりどこか申し訳なさも覚えます。と言いながら、ちょくちょく出向いてねらっています。
読み手側とすれば似たような思いですよね。
作者や内容への興味など、こだわりが強いと待とうということもできそうですね。
今朝の新聞で、「日本は単一民族」の発言を聞いて!?と思ったことが発端となり…、
といった一節を目にしました。
何の記事だったか思い出せずにいます。後で見てみます。
「あわい」は「間」ですね。そうした「きわ」のところに理不尽さ、差別など感じたりするということありますね。
必ず文庫版発売は新聞広告に出ますから思い出せます。
アイヌ問題ですが、観光客向けに「村」ができていますが、
中には反発する人たちもいて、
さもありなんと私ですら思いました。
昔亡夫と北海道へ出かけた時
にわか勉強で読みました。
殆どみな忘れました。
そうですね。私も新聞広告はよく見ています。
一度はパスしても、それを機に読むことができます。
「村」ですか。
「日本は単一民族」の発言を聞いて云々は、
それを機にアイヌ文化に興味を抱き、民族の歴史や文化、社会を作品にちりばめた
漫画「アコロコタン」を出された方の紹介記事でした。
最近よく民族の話題に触れる気がします。