折々に伊吹を見てや冬籠り (元禄4年)
滋賀県彦根市高宮にある高宮神社の境内に、この芭蕉の句碑があるという。
芭蕉が宿泊したと言われる小林家は今も残っており、表札も小林のままだと嵐山光三郎氏が『芭蕉紀行』で書いていた。
昨日、琵琶湖の湖上にたたずむ堅田の浮御堂から冠雪した伊吹山を目にした。
強い風に波が立ち、ユリカモメが乱舞し、耳がちぎれそうな冷たさだった。よりによってなぜこんな日に水辺に来たのかって問われても、気まぐれにすぎない。
浮御堂は海門山満月寺と称する禅寺で、京都の大徳寺に属している。
一条天皇の時代、比叡山横川恵心院に住した源信(恵心)僧都によって湖中に堂宇が建立され、自ら千体の阿弥陀仏を刻んだ。湖上通船の安全と衆生済度を発願したのに始まると伝わる。
スリッパに履き替えてお堂を一巡する。琵琶湖大橋の向こう、東に伊吹山、長命山、近江富士、ぐるっと巡れば一部まだらに冠雪した比良の連峰に比叡山も。
初詣りであった。
扉が開けられているので、小さな千体の阿弥陀仏は目の前に。芭蕉の「鎖(じょう)あけて月さし入れよ浮御堂」の句碑がある。
元禄4年の中秋の名月の翌日、十六夜の月見の宴で詠まれた句。湖上の堂の隙間に月あかりが差し込んで、千体仏の輝きがもれ光るさまを想像してみたい。
堅田は一番弟子の其角の父が生まれた地で、其角は何度も訪れている。「帆かけ舟あれや堅田の冬けしき」と詠んでいる。
其角は地元の曲水(膳所藩の重臣)や彦根の許六(芭蕉晩年の弟子で彦根藩士)との親交があった。
大津は膳所藩6万石の城下町で、東海道の要衝にあって隆盛をきわめていた。近江商人の旦那衆が多くいて、其角の実家もある。土地の生活と旅するものとの交流があり、ゆったりとした自然に恵まれている。そして、どこか深川の芭蕉庵の景観とも似る。
芭蕉さんには、大津は心おきなく落ち着ける、心から安らげる地ではなかったか。と嵐山さんは思いを深める。
ここに来れたということを感謝し、つつましくも健やかにこれからの日々も過ごせることを念じた。
お初は縁起良いもの。命をいただき限りない知恵を授けていただく。
雄琴でお風呂に入って温まって帰りたいなあと思ったのに、直行での帰宅となった。愛想ないこと、一人が楽だなあ…なんてちょっぴり思う初詣に。
滋賀県彦根市高宮にある高宮神社の境内に、この芭蕉の句碑があるという。
芭蕉が宿泊したと言われる小林家は今も残っており、表札も小林のままだと嵐山光三郎氏が『芭蕉紀行』で書いていた。
昨日、琵琶湖の湖上にたたずむ堅田の浮御堂から冠雪した伊吹山を目にした。
強い風に波が立ち、ユリカモメが乱舞し、耳がちぎれそうな冷たさだった。よりによってなぜこんな日に水辺に来たのかって問われても、気まぐれにすぎない。
浮御堂は海門山満月寺と称する禅寺で、京都の大徳寺に属している。
一条天皇の時代、比叡山横川恵心院に住した源信(恵心)僧都によって湖中に堂宇が建立され、自ら千体の阿弥陀仏を刻んだ。湖上通船の安全と衆生済度を発願したのに始まると伝わる。
スリッパに履き替えてお堂を一巡する。琵琶湖大橋の向こう、東に伊吹山、長命山、近江富士、ぐるっと巡れば一部まだらに冠雪した比良の連峰に比叡山も。
初詣りであった。
扉が開けられているので、小さな千体の阿弥陀仏は目の前に。芭蕉の「鎖(じょう)あけて月さし入れよ浮御堂」の句碑がある。
元禄4年の中秋の名月の翌日、十六夜の月見の宴で詠まれた句。湖上の堂の隙間に月あかりが差し込んで、千体仏の輝きがもれ光るさまを想像してみたい。
室井其角寓居の址
堅田は一番弟子の其角の父が生まれた地で、其角は何度も訪れている。「帆かけ舟あれや堅田の冬けしき」と詠んでいる。
其角は地元の曲水(膳所藩の重臣)や彦根の許六(芭蕉晩年の弟子で彦根藩士)との親交があった。
大津は膳所藩6万石の城下町で、東海道の要衝にあって隆盛をきわめていた。近江商人の旦那衆が多くいて、其角の実家もある。土地の生活と旅するものとの交流があり、ゆったりとした自然に恵まれている。そして、どこか深川の芭蕉庵の景観とも似る。
芭蕉さんには、大津は心おきなく落ち着ける、心から安らげる地ではなかったか。と嵐山さんは思いを深める。
ここに来れたということを感謝し、つつましくも健やかにこれからの日々も過ごせることを念じた。
お初は縁起良いもの。命をいただき限りない知恵を授けていただく。
雄琴でお風呂に入って温まって帰りたいなあと思ったのに、直行での帰宅となった。愛想ないこと、一人が楽だなあ…なんてちょっぴり思う初詣に。
早朝、雪など全く見られませんでしたが、部屋に居てやけに冷え込みます…うっすらと雪化粧でした!
塩でもまいたの?って言われそうですが。
歴史を知っていると、どこに行っても、どんなべらぼうな風景を見ても退屈することがない(宮城谷正光さん)って本当ですね(笑)
知らずにいても何かでふと知ったり、文学作品を通してであっても、
「歴史やそこに残る人々」に思いを馳せたりして楽しめます。
あまり深みはないのですけど、知っていることが絡まりつなぎ合わされて、です。
Keiさまの文章に触れる度、高貴で静かな短編小説を読み終えた気持ちになります。
芭蕉、嵐山光三郎、琵琶湖
そんな言葉しか知らないけど、歴史やそこに残る人々への想いが感じます。