京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 「八瀬童子」

2012年12月19日 | 展覧会
                              (写真:明治天皇の大喪儀で輿丁として供奉)
京都左京区洛北の比叡山麓に八瀬(やせ)という地区ある。比叡山の西麓の高野川の渓谷に臨み、若狭街道に沿っている。地域を流れる八瀬川は急流で、たくさんの瀬があることから「八瀬」と名付けられたのだとか。
ここに、平安時代から1000年以上も居住している人々が「八瀬童子」と呼ばれる、とあった。特異な歩みを伝える資料が展示公開されたので足を運んでみた。「重要文化財指定記念  八瀬童子 -天皇と里人- 」 天皇側近の里人たち 秘められた千年に迫る、とある。

八瀬と聞いて思い浮かぶもののひとつに銘菓「かま風呂」がある。天智天皇の死後、大友皇子に対して起こした壬申の乱(672年)で、大海人皇子は背中に矢傷を受けた。それを治すために里人は風呂小屋を立てたという伝説から、菓子の由来も耳にする。比叡山を越えれば近江京。
八瀬の里人と朝廷との関わりは、この頃に遡れるようだ。

後醍醐天皇が都落ちで比叡山の向こう坂本へと逃れる際、天皇が載った鳳輦(ほうれん)を担ぎあげて無事に山を越えたことを機に、以後、天皇に仕え、輿丁(よちょう:輿を担ぐ)役で奉仕したとされる。「天皇に仕える里人」が住む八瀬は、山での薪の伐採にも洛中での商売にも、諸税は昭和20年まで免除されてきた「特権の村」であった。

江戸時代には延暦寺との結界争論の結果、租税は一切免除のうえ、八瀬村すべてが禁裏御料に。その感謝の念が「赦免地踊り」として村に300年伝承されているのだそうで、祭りで使用される灯篭は、細工、絵柄といい赤の色合いなどどれもとても美しい。祭り前後の様子を紹介したビデオが流され、独特の風俗を興味深く思った。

 
           ('11.6.25 比叡山ガーデンミュージアムめざして~、 叡山ケーブル八瀬駅へと)

年が明けて八瀬童子のフォーラムが開催される。「八瀬童子の秘密」と題してどのようななお話が聞けるのだろう。『八瀬童子 歴史と文化』の著書がある宇野日出生氏の基調講演が予定されている。市内からも近い八瀬の地だが、よく知らないことばかりだ。
コメント (6)
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