
5日朝、中村勘三郎さんの訃報を耳にした。息を詰めてテレビ画面からの声に聞き入っていた。
折しも、南座では息子の勘九郎さん、七之助さんが襲名披露の舞台の真っ最中。悲しみを抑え、父に思いを馳せた勘九郎さんの口上もすぐそこから聞こえてくるようだった。
私には「勘三郎」より「勘九郎さん」の呼び方が未だに親しみを感じる。それほど、彼がその名を負った年月は長かったのだ。
ここ何年と、歌舞伎を映画館で見ると言う機会をたくさん利用してきた。南座での公演には何度か足を運んだだけで、もっぱら「シネマ歌舞伎」派と言えそうだ。
スクリーンならではで、迫真の演技を間近にし、コミカルな演技の表情一つ一つに笑い、身のこなし足の運び、台詞のこっけいさ含め、迫ってくる舞台であった。吹き出る汗、激しい息遣い、体に染み込み、計算しつくしていながら、その枠さえ外して観客に飛びこまれる姿。細部をアップで楽しませていただけるのだった。
生の舞台には劣る、とは言えまい。そうではなく、違った良さの中での楽しみがあると思ってきた。ただ、最も「旬」の時から上映までにはいささか時間がかかることだけは惜しい。あいにく、歌舞伎について論じるほどのものは持ち合わせていないけれど、歌舞伎の世界へ、気持ちをより向けてもらえたのは勘三郎さんの舞台のお力も大きい。
「歌舞伎座新開場こけら落とし記念」ということで、来春から毎月、シネマ歌舞伎の上映が企画、案内されていた。
今では追悼公演のようになってしまったではないか…。ならば尚更のこと、勘三郎さんに会いに行かなくては。