京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 『マグノリアの木』

2013年02月06日 | 日々の暮らしの中で

日頃文章を書くことを趣味として集まる仲間で、先生を囲んで遅い新年会を催しました。あるメンバーの快気祝いも同時にということになりました。そして、何とも深い宗教の話題に触れてきました。

涅槃図には横たわる釈迦の周囲で弟子たちと一緒に多くの動物が涙する様子が描かれています。動物も人間と同じように釈迦の死を悼んで泣いている話になりまして…。犬もコウモリもダニも草も木も人間も、みな一緒。地球上にDNAは1個で、ここから世界のすべてが派生していったと、以前師から伺った話を思い出していました。
そんな話の途中で、高校教師退職後11年というTさんから『マグノリアの木』(宮沢賢治)を教わったのでした。帰宅後に先ずしたことは、青空文庫からのダウンロードでプリントアウトしたことです。

「霧がじめじめ降っていた。」で始まる作品中に、こんな会話が出てきます。

「あなたですか、さっきから霧の中やらでお歌いになった方は。」
「ええ、私です。またあなたです。なぜなら私というものもあなたが感じているのですから」
「そうです、ありがとう、私です、またあなたです。なぜなら私というものもまたあなたの中にあるのですから。」

「マグノリアの木は寂静印です」「マグノリアの木は寂静です」「寂静」の語意には「涅槃」とあるようです。
「マグノリアの木が覚者の善でまた私どもの善です」「いちめんまっ白にマグノリアの木の花が咲いている」
「(けわしくも刻むこころの峯々に、いま咲きそむるマグノリアかも)」

あなたと私の関係性、なんとはなしに感じるこの賢治の世界ですが、もっとじっくり描かれた世界を味わってみてから、彼女に教えを請うことになりそうです。
「般若心経」でさえ、お釈迦様の死後500年も経ってからの“教え”です。ちょうどNHKテレビの『100分de名著』で学ばせてもらったばかりの「般若心経」ですが、法華経ひとつとっても知らないことづくめ。仏教の各宗派、その多様な教えに首を突っ込むだけでも気が遠くなりそうです。が、元は一つなのでしょうか…。
とにかく一つ、知らずにいたこと教えられました。
                                (写真はネットより拝借・東光寺さんの涅槃図)
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