淡いピンクの優しさについ足を止めますが、蔓を絡めた強い生命力が見て取れる花です。
『万葉集』に見られる「かほばな」はヒルガオ説が通説とされていて「顔よき花」からきた名だそうです。確かにかわいらしい花です。
高円の野辺の容花(かほばな)面影に 見えつつ妹はわすれかねつも (万 巻8‐1630)
家持23歳、正妻の大伴坂上大譲に逢いたくてたまらないのです。一日一夜を離れているだけで、なんだってこんなにも嘆き慕うのだろうか。胸が痛んでならない…、と高円山の麓まで出かけて行きます。
「高円の野辺に咲きにおうかお花、この花のように面影がちらついて、あなたは、忘れようにも忘れられない(一体どうしたら忘れることができるのだろう。この苦しい恋というものを)」と歌を贈っています。
昼行燈のようだといったのはどなただったか…。
明るい日差しの中では、はっきりしない、淡くぼんやりした色合いが見る者をけだるくさせるのでしょうか。これがヒルガオの「昼の顔」かもしれません。ぼんやりにはぼんやりなりの魅力あり。なんて言ってると、のんびり開きぱなしにしている可愛い口から何か聞こえてきそうです。一輪の花の声…。
花は天ぷらにしたり、酢を少し入れた熱湯にさっとくぐらせて、サラダや酢の物、澄まし汁に浮かせるなどして食べられる。とは知りませんでした。