京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 「比叡山 みほとけの山」

2015年10月10日 | 催しごと

伝教大師最澄が比叡山に延暦寺を建立したのは788年のこと。
「山内には平安仏教の根本道場として多くの堂舎や山坊が林立し、膨大な数の仏像や仏画が造られ安置されていた。さらに広範囲にわたる山麓にも里坊や関連寺院が多く建立され、全体として巨大な霊山を形成した」
「お膝元の坂本・仰木・堅田、京都側の大原や八瀬、一乗寺にもゆかりの仏像や資料が多く伝来している」
大津市歴史博物館での企画展「比叡山 みほとけの山」の開催が始まった。仏像、仏画、叡山文庫の古文書や絵図など比叡山の仏教文化を一度この目で、と足を運んでみた。初公開のものが多いとあるが、個人的にはどれもが初めてではないだろうか。

遠く近く京都側から眺める比叡山は一見穏やかだが、比叡山には「3地獄」があるという。― 東塔 無動寺は回峰地獄(千日回峰行)、西塔 浄土院は掃除地獄(12年籠山…じっとしていると湿気が体に悪いので、体を動かすために山中を落葉一つなく掃き清める)、横川の北は看経地獄カンキンジゴク(3年 午前3時に起床し6、7時間経を読む)の3つ。
マイナス20度を超える寒さは厳しく、沸かした湯もすぐに凍ってしまう。皿に水を入れると雪印に凍る。そこに酒を入れると凍らないので、酔わない程度に酒で体を温めてよいのだそうな。酒は桑落と呼ぶ等々、ある講座を受講中に聞いたことがあった。

       「比叡山は健康地とは言えない」「60歳を過ぎたものは天台座主の許しを得、ふもとの坂本に下りて里坊に住むという風ができた」など、『街道をゆく16 叡山の諸道』で司馬遼太郎も書いている。近世以降は、座主も坂本の滋賀院御殿に住むようになって、坂本が叡山の首都のような形になった、とも。
三塔十六谷、比叡山全図など細かな図に目を凝らしていると目が、頭がくらくらするほどだったが、いかに貴重な資料かがうなずける。

日々眺め、近くにあってほとんど知らないお山の文化。一度拝観したところで何もわからないよな…。でも、一見に如かずって言うしね。

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