京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

一隅に当てた光

2019年04月14日 | こんな本も読んでみた

静かに降り続いた雨の一日。昨日図書館で借りてきた『釈迦内柩唄』を読み始めた。

      水上勉氏の生家のあった村は当時土葬で、父親は「死ねば人間は平等に土になり、生きていたときの差別はなくなって、みんな平等に椿の根の肥やしとなって花になれる」と言っていたそうだ。金持ちも貧乏人にも差はなく同じ寸法で棺桶を作り続け、村に奉仕したという。実直な人間だった。

氏は9歳で母と別れ京の寺に。役僧を勤めながら火葬場での等級、金高による戒名の違いがあることに気づき、墓所の差別、檀家の格に応じて衣の色を変えたり、法事の強要等々、矛盾を見出し不思議に思ううちに、「人間差別には仏教が大きく加担していることに気づかされ青くなった」と記す。
花岡鉱山での人種差別の地獄、残虐な強制就労の実態。人間地獄を救済しなければならない仏教者が、苦悩も悩みも持たずに権力に加担していた事実。これらへの私的怨念に近い思いから『釈迦内柩唄』が生まれた、と語られていた。

現代も同じように抱える差別、諸問題。人の世の劇か。
上演は「日本人がやらなければならない仕事」、「全国千回公演を目指してください」と関係者をねぎらい励ましておられたようだ。

石垣が溝底に接したところのあわさいに、一輪のタンポポが咲いていた。
水上さんが一隅に当てた光が、無辺に広がりを見せるといいと思えた作品。生身の人間を通して表現される舞台では、どんな感覚を味わうだろうか。自分に期待、かなあ…。
コメント (2)
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